恋愛軍義 - Girl's Talk -




ひらひらと舞う鮮やかな色は、しかし憂いを帯びて散るのである。うつろう季節は無情にも光に満ちて、そんな春の昼下がりだった。
「──……桃の花が咲くと、師叔を想うんです。」
春風にそよぐ髪を遊ばせながら、白い指が茶器を下ろして微笑んで、
「秋になる頃には、もっと美味しい実をつけるだろうから、桃を差し入れて想いを告げてみようかと」
「……それって物で釣るってことさ?」
「そんなバカな!」
正面の声に不覚にも茶柱は音を立てて机に散った。
「俺っちだったら生身で行くさ、じゃなきゃ男が廃るってね」
相対する机と椅子と肘掛けの向こう側で、浮かんだ煙の輪が三つ四つ、青い髪が落ちれば誇らしげに舞うバンダナ。
「……そう言ってどれだけ経つの?武王相手に後手後手だなんて──それこそ天化くんらしくない。僕のはプチプレと言って女性に最も喜ばれる告白の仕方だ。まぁ、君にはハードルが高いだろうけどね」
よくもまぁいけしゃあしゃあと──とだけは慎むべくして慎んだ。慎むのは苦手な己、よくやったもんだと心中で誉めてやるのも忘れない。
「……そりゃあのひとが悪いっちゅーかさ…」
「相手に合わせて己の恋愛の品格まで貶めて、一体なんの特があるんだい?恋愛は対等でこそパートナーだ。だからそのきっかけにプチプレで演出を」
それらはすべからく楊ゼンの高尚なる持論でもある。恋愛マスター愛の伝道師、欲しいままにした二つ名は、
「いや、そもそもスースは女性じゃねぇさ」
「鈍いんだよね、武王は。こと自分に関して。」
「だからスースにプレゼントってあーたねぇ」
遊び人とチェリーよりは、少なくとも遥か高みに響くのだ。いつだって。す…と柔らかな指が飲杯をつまみ上げ、反対側でも勢い付いて持ち上げられた日焼けの指先が茶器を掴んでいた。
「可哀想に、想われ慣れてないからだろうけど。御愁傷様、君も武王も」
「うん…こないだもナンパに誘われたさ。カッとなってモグラと行きなって言っちまって…」
その飲杯が、しなだれて地に落ちるのもそう遠くないだろう。
「…どの点を後悔してるの?」
「モグラ込みで多分全部さ。」
「護衛として後悔しなきゃだめだよ」
「──やっちまったさ!!」
合点がいったらしい悲鳴と共に茶柱はもう一本。暫し無言の休息に、漸く豊かな茶葉が本来の大きさまで葉を広げていた。桃の花しか見えない目にも煙草の味しかとらない口にも、きっと大した恩恵はないのだが。
「……そうそう。ねぇ天化くん。月の夜の話なんだけど」
「ふん、月の夜?」
弾かれて前を向くのは今日二度目。黒髪とバンダナが月餅片手に勢いよく飛び上がる。
「月が綺麗で手にしてみたくて、ひとり表に出るだろう?この月を師叔と見られればどんなに素敵だろうって。」
「うんうん」
「そうすると必ず師叔が現れるんだ。"楊ゼンには隠し事もできぬのう"ってハニカミながらね、扉の鍵を持って」
「それって十中八九桃蔵盗みの帰りさ!」
今度こそ茶柱が口から飛んで出た天化の形相もなんのその、
「そうなんだよ。あのガードの硬いグローブはみんなの桃に指紋がつかないようにという師叔の配慮らしい」
「アホかい証拠隠滅さ!楊ゼンさん、あーた代理軍師降りた方がいいさ!!」
無情にも風は甘い香り。よくもまぁいけしゃあしゃあと!言いたくなるのはどっちもどっちだ。
「なにを言うんだ!君だって私利私欲の為に護衛を続けてるじゃないか!」
よくもまぁ!立ち上がりかけた喧嘩腰の優雅な足は、続きを待ってまた定位置へと戻っていった。当然、相手の手の早さに合わせる訳にはいかない。沈黙の中で茶をたしなむのは長い髪、ずるずる茶をすするのは黒い髪。
「まぁ……そうだけど……。最近降りることも考えてるさ」
うつむいたのは後者だった。小さく上がった驚嘆の吐息が続きを促す昼下り、
「親父に任せた方が王サマも安全で、…離れた方が俺っちも楽なんじゃないかって」
「そっ……それは違うよ天化くん!せっかくここまで頑張ったんじゃないか!!私利私欲と言ったのは……」
眉尻を下げる様は似合わないだろう。それも互いに思ったことだ。
「その点は謝るよ。けど!武王が机に向かうようになったのも、書類1枚読む早さが子供に追い付くぐらいになったのも!当たりもしない賭け事を慎むようになったのも、身のないナンパが減ったのも、借金の返済を始めたのも食べ物の好き嫌いが減ったのもそうだ!彼が"身の程"と"身の丈"を理解するまともな人間になり出したのは、全部君が根気よく頑張ったからこそ…」
「……こんな人に惚れてたんか俺っち…自分が情けねぇ…」
「……そんなこと言ったら僕は一体どうしたら…」
桃の木の下はいつだって、二人のため息に満ちていた。
「まぁ、師叔のだらしなさは全て綿密に立てられた計画に基づいての有意義なだらしなさだからいいんだ」
「結局だらしないんかい」
「だらしないよ!だからこそこの僕が隣にいる必要があると」
「あー」
「師叔もそう思って下さるから僕を代理人に選ぶんだよ。ああ、思慮深く伏線を張ってる恋愛は、君の口に合わなかったっけ」
「まどろっこしいのが性に合わないの間違いさ」
「よくもまぁいけしゃあしゃあ」
「なにさ?」
「ん?なんだい?」
聞こえない振りは恋愛の常套手段、説明を加えるならば、聞こえない振りをしながら相手に追求させないように釘を指すのが手の内で、まさかそこに貴公子の微笑みまでサービスするのは最後まで楊ゼンの手の内だ。
「……まぁ楊ゼンさんが楽しそうでなによりさ」
「僕も今君と同じことを考えてたんだ」
「……どーゆーことさ?」
「うん?」
常套手段。溜め息のまま椅子の背伝いにずり落ちたバンダナの主を尻目に、
「じゃあ僕は師叔に愛の桃のコンポートを煮込むから、悪いけど先に失礼するよ」
後頭部に一本束ねた髪で、しゃなりしゃなり脚が行く。
「よく言うさ、片想いの癖にいけしゃあしゃあ…」
ふかした煙草で最早茶の味なんてわかりやしない。それでもこうして話をするのは、互いが数少ない理解者だからと口の端で笑って見せた。
「"よーぜんさんも御武運を"」
思慮はいらない昼下り。秋には恋が実るだろうか。想いと共に残った茶器に口付ける。──望んだ人のそれではなかったけれど。

ふと、誰のものでもないあの外套が恋しくなった春の日差し。これが秋ならば、木枯らしを言い訳に包まれてやるだろうに。楊ゼンと会話を終えるといつだってそうなのだ。
微笑む彼の長髪に無性に腹立ちながら、軍師のだらしなさと王の不甲斐なさを嘆き、
「王サマねぇ……」
己の中の主が一体何であるのか、意義と意味が曖昧になる。それを書簡をめくる長髪が、ああ、それは恋におけるゲシュタルト崩壊だね、なんていけしゃあしゃあ説いていた。
肌寒い春風に肩を震わせて、茶器を卓に下ろした指で外套を目指し歩みだす。次に話すときは、あの長髪の鼻っ柱を折ってやる程のエピソードを持ち寄れるよう期待して。



ひらひら銀杏の舞う秋口だ。甘い香りの西岐城の中庭には、楊ゼンが振る舞うコンポート。書簡をめくる合間にも、コトコトと鍋を揺るがす果物の伊吹。くんと香りを一つ味わい、天化はゆっくり目を閉じる。
「まったく──いくら僕が気を付けて作ったって、こんなに甘いもの漬けでは身体を壊してしまうよ」
「よーぜんさんはさぁ、何だかんだ甘すぎるさ」
「天化くん、その」
長髪がはらりと秋風に舞い、幸せの含み笑いが振り返った。
「ん?」
「臭くないかい、僕の髪……」
「はいい?」
天化の目が真ん丸に開いて、まるで皿に乗せた月餅を思わせるそれが、何度かぱちぱち口付けを。睫毛と睫毛が囁き合った。なにがどうして臭いんだ?
「臭くないかいって聞いてるんだ」
「ああー、桃かい。臭くはねぇさ。桃と林檎の匂いはすっけど」
「そう、よかった」
もう一度自信に満ちた髪を風に泳がせて、咳払いと共に楊ゼンの指が鍋の下に火を足していた。参るよね、と付け足して。
「安心してくれるのは嬉しいけど、だらしないのも今更追及しないけど」
「ああ、いいんかいもう」
「だってだらしなさは筋金入りじゃないか。でも……寝汚いのだけは許せないんだ!あの汚い手で僕の髪を撫でないでって何度も!」
「楊ゼンさん?」
「僕の目を!きれいな涙を子汚い指で拭うんだよ!?酷いと思わないかい、呆れて涙も枯れるよ……」
「よーぜんさん、よーぜんさんちょい待ちさ!」
風が、
「なに?まったく──両想いを妬むだなんて、脳のない男の負け惜しみだよ天化くん」
「ちげーさ。相手」
「え?」
「いつから師叔じゃねぇ男の話になってたさ?」
風が、流れた。
長い長い沈黙がそこに、楊ゼンのたおやかな髪の毛先が、ぽちゃりとコンポートに混じって煮えていた。
「えっ、え?え?違うよ?師叔だよ!」
真っ赤に煮えたのはコンポートだけじゃない。桃と林檎を混ぜたようなその頬で柔らかい少女のような恥じらいの目で、楊ゼンの両手が慌ただしく振れていた。
「僕がお慕いしているのはいつでも太公望師叔一人だよ!誰も韋護くんだなんて言っ」
「韋護なんだな」
「違うよ!!ちがう!断じて違うんだ!違うんだけど……」
「好きなんさねー韋護が」
「……そんなバカな……違うんだよ……」
粛々とか細いその訴えに、ついには形勢逆転だった。楊ゼンの鼻先にずいと唇を近付けて、天化の目は意地悪く赤い額を凝視する。暫しの沈黙の後に反らした目は、風を追って宙を刺し、所在なさげに足元に落ちた。ぽつり、ぽつり、
「韋護くんは、浮浪者だから。今や周のホームレスだから……困っている人を突き放してはいけないと教えて下さったのは師叔じゃないか」
「ふーーん、なるほどねぇ……」
天才の言い訳など聞く機会は二度と訪れないのだろう。口の端を持ち上げて、天化はその手を長髪の肩に──"素直になりゃいいだけさ頑張んな、ファイトさ楊ゼンさん!"──

「君は最近、誰かにすごく似てきたね」

そんな負け惜しみめいた独り言を背に受けて、飲みかけの飲杯を置き去りに、天化の足が駆け出した。
恋しくなったあの外套。

「素直になりゃいいだけ、か……」

いけしゃあしゃあと昼下がりの恋愛軍義。素直じゃないのはあと一歩を知らない男二人で、揃いも揃って甲斐性の欠片もない男が好きらしいこと。次回開催の恋愛軍義には、そいつらの姿が加わるだろうかと、天化のブーツが赤いブーツに戯れていた。


end.

ガールズトーク、頭のいい寂しがりは、得てしてだめんずに泣き場所を得る。

2012/05/05

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