はなむこ




「うん、へへっ!可愛いさかわいい!」
満足気に口の端を上げて、オレンジのエプロンが夕凪も過ぎて夜風になびいた。
「俺っちが嫁に出してやるかんね」
朝の賑わいが嘘のように去った質素で殺風景な商店街の石畳。赤いレンガは息を潜めて、揺れるカスミソウを大きく大きく誇らせる。天井に下がったドライフラワーにレジ横に息を潜めるサボテンと、赤とオレンジのブリザードフラワー。可愛らしいその娘たちにはどうにも似合わない鍛え上げた腕で、チェストに収まるリボンの丸まりを引っ張り出した。
「これひとつ」
「ありがとさ!」
細い女性の手が小さなブーケを手に取れば、
「おいくらですか?」
「んー、そっちの棚のブーケは340円。あっちの一輪挿しは120円さね」
あっという間に数人集まった人だかり。花嫁衣裳に身を包んだ少女たちが、この店の主人と同じ。誇らしげに胸を張って新たな場所へしゃなりしゃなり羽ばたいてゆく。毎夜のその別れは、この店主のなによりの誇り。

「頼む!! コイツ助けてやってくれっ…――!!」
「……はぁっ!?」

集まった人だかりを蹴散らして猛攻してきたグレーのスーツに、きつく締めたバンダナがずり落ちた。

「えーっと…」
確かに、朝の水やりの途中で道行くサラリーマンに水を浴びせてしまったのは、いくら細かいことにこだわらないにしても記憶に新しい。もっと新しいのは、
「だからコイツ! 枯れそうなんだって!!」
「っても切花だかんね」
「そんなぁぁぁぁぁぁぁあ!!ウソだろー!!」
そのグレーのスーツの男の両手に握られているわが子たちだ。薄い蒼と紫のキキョウ、真紅の薔薇に純白の薔薇、カスミソウ。パステルカラーのリボンにしなだれかかっている姿は、その子の命のともし火が昇る頃。
「助けるっつっても…」
「できんだろ!花屋なんだから!!」
釣った目で迫られて、引き下がる訳がない。
「――…当たり前さ、」
半泣きで大きく息を吐いたグレーのスーツに、キッと口の端が上がる。
「そりゃー俺っちはイチバンの花屋だからさ」

くたくたになった青白い茎に、細かく細かくハサミが踊る。オレンジ色の胸の前でしゅるりと解いたリボンの音に、なぜだが男が息を呑んでいた。
「なんでさ?」
「え?」
「取引先の人に渡すのかと思ったから」
「んなワケねぇだろ!そんな大事なっ…」
何故だか必死なその顔を、
「……うん、ありがとさ」
見て、嫌とは言えない。いくら細かいことにこだわらない風変わりな店主でも。締めなおしたバンダナがぎこちなく左に傾いてきた。
「朝もラッシュでよー、その時点ですげーくたくたんなっちゃったわけよ。電車で潰されないかヒヤヒヤで…なんつうの?SP気分?」
「ふぅん」
男の話を聞きながら、表の小さな黒板を少しだけ店内近くに引きずった。あと数分で店じまいの時刻だ。人込みも遠く見えなくなる石畳。
「んで持ってっちまったら渡さないわけにいかねぇじゃん?」
「そりゃーそうさねぇ…」
「だからよー、迷ったけど水足してコインロッカーで"待っててなプリンちゃん!"っつったんだけど…」
「枯れてたって?」
「……うん、まぁ、だから…ゴメン。」
「なんで謝るんさ?」
「だって!……だから…大事にしたいって…」
力強い叫び出しには不釣合いな震える指で不意に両肩を掴まれた。黒いインナーの左肩に三本波立つ皺に揺れるエプロン。
「……そんなに想ってくれてんなら、それで十分しあわせさ。」
驚いた肩の向こうで、白い陶器に脚を露に。少しずつ少しずつ腕を広げる、二度と会うことはないだろうと渡したわが娘たちの満面の笑みを浮かべていた。
「それって…ッ!」
「嬉しいさ、俺っち。こんな嬉しいことあるんなら、やっぱ花屋んなってよかったって」
花につられて笑みを浮かべた店主の身体が何故だか不意に抱き締められる。
「えーっと…へ?えー…俺っちまだ店じま」
「うわっゴメン悪ぃ!!」
今度こそ意味がわからないまま勢いよく開放される。また間が空いたグレーのスーツとオレンジのエプロンが、赤いレンガを塗りつぶす夜。
「あ…ああ!そう!なんか俺手伝うことねぇ?なっ!」
「いやーちょっと…」
ハッキリ言うとちょっと邪魔。なんて言ってしまう性分の店主が、何故だか口をつぐんでしまった。釣った大きな澄み渡る目に懇願されて、どうにも断る術がない。
「……じゃーそこのゼラニウムを中に…」
どうして自分の店で居心地が悪いんだろう?何度もリボンを結んだ指でバンダナの結び目をなおしながら、顎で指した店先の大きな花瓶。
「おう!あれな!ちょっと待ってろ今……ッあ、が―――――おも―ッ――――!!!」
「なっなん、なんさ!?」
崩れ落ちたグレーのスーツを引っ張り上げて、
「…腰キた…これ何トンだよ……」
「トンなわけねぇさ…20キロてとこ?」
どういう流れか花の香りの立ち込める小さな場所で、腰と背中をさすってしまう。ついでに鍛えた肩も貸した。
「…マジゴメン、なさけねぇ…」
「うー…なんかスポーツやってたのかと思ったから」
「えっ…え!?そーゆー方がいいの?」
「は?まぁ花屋って体力いるからさ」
「んじゃ俺頑張るから…!」
「うん、その方が身体にいいさね、多分。」
終始意味がわからない。いきなり飛びついてハグしたりするから、てっきりその類のスポーツ好きだと思ったのに。首を傾げたまま、また結びなおすバンダナに、そろそろ本当に店仕舞い。今日はいつもよりウチに残る娘が少なかったのは、よかったよかった。一安心。真っ暗な空に、白く息を吐き出した。また黒板を引きずって…
「ああ!思い出したさあーた!」
そうだ、こんな冬の日の夜だった。
「あ?」
「バラの人!バラ買ってくれったっしょ!?うちで!二年前!!」
「え?え…二年前?バラ…えーっと二年つーと俺まだ大学…」
「すっげぇ顔で泣きながら"バラ百本くれ!"って言って結局ブーケで」
「ゔ…ゔぞっ…」
「走って出てって五分で戻ってきて…んで顔に紅葉咲いてて」
「……う…っそ…」
「"今度はあるだけ全部だバカヤロー"っつってカードで払おうとしたらカードの制限額達してて一円もなくってさ」
「ゔぅッ」
「今度Suicaで一輪だけ買ってって」
「……うん…はい」
「なんでイキナリ丁寧語さ?」
もごもご詰まるスーツの影が、頼りなさ気に揺れていた。真っ赤なバラに囲まれて。
「その後ずっと気になってたさ。……どうしたかなーって」
「えっ…」
「そしたらさ、一週間くらい後にカノジョっぽい人と二人で歩いてたから」

――やっぱ俺っち、花屋んなってよかったって思ったんさ。すっげーキレイな笑顔だったから。

「……もう、」
「へっ…」
「そんな想いさせねぇからッ……――」

なんて健気なんだ。なんて涙声が聞こえた気がした。花の匂い、愛娘の芳醇な香りに包まれて、グレーのスーツに包まれた。くちびるには彼の味。頬にさしたバラの色。
平和なレンガの商店街に物騒な平手の音が響き渡ったのは、それから数秒後。息を潜めたカスミソウと閉店間際のホタルノヒカリが商店街を赤く包んでいた。

足元に落ちたパステルのリボンが、革靴とスニーカーを結ぶ勘違いのつぼみがここに。

end?

花畑な私の頭の続き(笑)続く…のかもしれない…
2011/03/26
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