きょーもう〔‐マウ〕【虚妄】
事実でないこと。うそいつわり。うそ。こもう。「―の説」僕は僕が大嫌いです。すっかり嘘つきですから。
只々、ひた隠しに生きてきました。だって弱いもの。
「泣かないでおくれよ、楊ゼン…」
不慣れな崑崙の山々に、僕はすっかり戸惑っていたのです。父上を待って、待って、待って。只泣いていました。
「楊ゼンはきっと素晴らしい剣士になろう」
貴方が器用な方でないことはわかっています。
不慣れな僕に、突如父親となった不慣れな貴方。
ええ、弟子なんて取りません。僕は己の技を磨きたいのです。いつまでも、玉鼎真人師匠。貴方の弟子でいたいのです。
いつしか憧れが恋と呼べるだけの傲慢な想いに変化したとき――貴方のような剣士である為に。
貴方を想い、只々隠し。この命のある限り、いつまでもお慕いしております。
罰当たりで嘘つきな、そんな僕が大嫌いだ。ほら、許されぬ想いに、昇華の日などくるはずないでしょう?
だって僕は嘘つきですから。
胸が、只々痛くいたく引き千切れるように軋んだのです。
あなたに出逢ってしまって。
――包み込んでくれた師匠を、永遠にお慕い申し上げると心に誓った懺悔の日から。
何故です?何故、あなたのような方に出逢ってしまったのでしょう?
「楊任…いや、楊ゼン」
名を呼ばれたその刹那、ああ、ようやく僕の名も轟いたのだと。安堵の息に悔しさに、当然でしょう?天才の僕です。
この身を隠すために、あなたに名が知れるほどに嘘つきな僕です。
どうして、あなたほどの人が僕の名を呼んで下さるのでしょうか?
太公望師叔。
どうして、僕なのです?閉ざした心の中に温かく入り込むあなたを、拒めるはずがない。師匠と、師叔と。
叶わぬと知っての想いを、どうしてまた――。
お慕いすると決めた師匠より、いつしか僕の想像も想いも超えてしまったあなたには、……沢山の、想いがあるのです。
72年の歳月で、あなたが恋したであろう人。それすらを微笑と共に受け入れるであろう親友も、仲間もみな。
あなたのすべてを守りましょう。僕の全ての力を元に。
それでもきっと、受け止められない。あなたの運命の全ても。あなたに、否――僕が、本当の浅ましい僕の姿を。きっとそう。
夕暮れが、旅立ちのとき。
「王サマ!またサボってるさー!」
「うっせぇ!たまには息抜きさせろってんだーぁ!」
「毎日っしょー」
「プリンちゃんと遊びたい!プリンちゃんに囲まれてぇー!」
「桃盗み食いの方がまだマシさね」
砂嵐の道なき道を歩み始めた"周"の軍。ああ。闇に溶け往く月の時間。
「仕方ないですね。僕がなんでも教えてあげないと。」
自負と自嘲を込めて、守ると。育てると決めたその人たちは、どうして僕よりも先を歩く。
「天化ー!」
ああ、まったくもう。少しは王らしくしたらどうです?まぁ、容姿だって実力だってこの僕には敵わないだろうけど!
力なく歩みを止めたその人の先で、遥か彼方。空を見据える白いバンダナ。手にして離さない宝剣の二刀流。細めた目に、恋の色。切ない笑顔に嘘がないのは、君が君であり真っ白であるからだ。
その君を、眉を寄せてただただ見詰めるこの方が……――
「武王」
「おう」
振り向いたその顔は、手に取るようにわかります。
好きなのでしょう?
言ってみようと上下させた喉の運動を止めました。だって、言ってなにになる?この人ならと、……弱い僕は思考を廻らせては遮るのです。
「無聊をお慰めいたしましょうか?」
笑った後に素っ頓狂な顔をしたあなたは、一番、僕に似ているのだと。
「なーに言ってんだか」
そう告げる声は、嫌がっていない声。知っていますよ。僕だってあなたを見ているんですから。時の流れに流されて、ここに来てしまったあなたなら、少しは僕と似ているのだと。
「まさか僕に不満でも?そこまで見る目がない人だとは」
「んなこと言ってねー!」
まったくオーバーだ。大きな笑顔で笑うあなたは……やはり僕には似合わないのかな。胸が痛くなるんです。ただただ人間の等身大のまま、優しく柔和に笑うあなたが、そんな顔をすると。
「なんなら――武王の好きな姿に化けますよ」
笑ったんだ。だって僕は嘘つきだから。
せっかくの言の葉の続きも変化の腕も披露する間もないままに、目の前が見えなくなりました。
「……まったく、荒っぽい人ですね」
「お前に言われたくねぇよ」
抱き締める腕はあたたかい嘘に満ちて。
「楊ゼンがいい。――お前のがいい。」
「また心にもないことを…だからモテないんですよ、僕と違って」
余計なお世話だ、と。小さく聞こえました。低く掠れた声で。
きっとすぐに、唇に呑まれて消える刹那の遊び。
「……楊ゼン」
楊ゼン、楊ゼン、楊ゼン。
「武王にそんなが甲斐性があったとはね」
ただただ、名を呼ぶその人は、ただただあたたかい。
答えないその人は、優しく僕の自慢の髪を撫でました。震えるのは鼓動と、瞳と、口付けた唇に胸元に、流れる髪に。
「武王?」
「なぁ、それやめねぇ?息苦しい」
「そうかな?」
眉を寄せて、目を潤ませて。どうしてそんなに優しく触れるんです?
「呼んだら呼んだで嫌でしょう。」
天化くんに呼ばれるのとは違うのだから。
「楊ゼン」
ああ、熱い、痛い、満たされたい。違うよ、僕はそんなに弱くない。だって天才だもの。
結局なにもかも、溶かされるように待つしかない嘘つきな僕。
どうしてあなたが、泣きそうな顔をするんでしょう。嘘つき同士だから、かな。
「……初めてだ」
あたたかさも痛さも切なさも。
「俺が?」
「ええ、初めてです。人間と交わる機会なんてありませんから」
「なんだ、もっとモテんだと思ってたのに」
「誰彼抱きたい人とは違うんで」
僕のワガママを、どうしても受け止めてしまう人が、笑っていた。僕の名を呼んで。
「俺も男は楊ゼンが初めてだぜ」
ああ、違うよ。
仙人や道士と触れ合ったと解釈したのでしょう?アホですか、あなたは。
僕は妖怪だから。
人間に触れたことなんてない。
想った人に触れたことなんかない。
「楊ゼン、……好きだ」
熱に浮かされる混濁の天の下で、天才の僕を組み敷いた人は言う。
「嘘ばっかり」
泣きそうな声だった。だから、だからひとつになんかなりたくない。欲してしまったら一人になるのが怖いもの。本当の自分を見せるのは、もっともっと怖いもの――
「……っきです…ッ!」
熱に浮かされているから。過ちです。嘘なんです。胸が痛いのはだからです。
「あなたがっ…あなたが好きなんです…!」
叫びの終焉。痛みの旋律に酔いながら、泣きそうなあなたの声を聞きました。
只々、あなた、としか。言えない僕なんです。
ねぇ。虚妄ばかりだ。
柔らかく僕を抱くその声は、師匠の低い声に似て。
人を惹き付けて離さない不思議な魔法はあの人に似て。
自分らしく成長を続ける日々は、まっすぐなあなたの想い人に似て。
翻弄されたまま、嘘をつくのは僕に似て。
その手を騙すこの僕は、只々。
「なぁ、楊ゼン」
答えない。代わりに背を向ければ掴まれる腕。
「お前さ…軍師なんて辞めて俺の護衛んなれよ」
浮かされた顔。
「なんてこと言うんですか。僕がそんな小さいポストに…」
「なぁ!楊ゼン…」
射抜く瞳は移ろうのでしょう?だって僕は…
「まったく、嘘が下手ですね」
振り返って笑った僕に、ほら。夕闇に溶けて泣いてしまいそうなあなただから。
「まぁ…、そんなあなただから、あの人は王にしたがるんでしょうけど。」
貼り付けた笑顔は、免罪符だよ。騙してごめん。
あの人が数十年前の人間界で見初めたであろう人の、ご子息に。どうして想いを寄せられる?
それきり、それきりの夜。
優しい時間は無残に過ぎる。そう決まっていると、決め込んでいる僕は嘘をつく。
虚無の中に。
「なぁ、楊ゼン。幸せかよ?」
「当たり前でしょう!武王と一緒にしないで下さい」
笑うあなたは、きっと普通に生きて普通に想いを感じて下さい。人間だもの。
そうしたら僕は幸せだから。
師匠が往き。
僕の真実が明き。
あなたの想い人の師匠が往き。
あの人の想いが、仙界を落としました。
只ひとつの君の魂魄が飛び立った日、無我夢中で駆け寄る僕を制した手は、ああ。"武王"の手。
僕は強くなれるかな?みんなのように。
本当を知って、つけた傷の数を負えるでしょうか?
いつか誰かを癒すのでしょうか?
嘘つきな僕じゃ、いられない。
只々。
天に昇った虚妄も、いつか。
きっと強くなったら、精一杯の想いを殺さぬように。歩もうと想うんだ。嘘つきで、人間で、妖怪な僕は、大嫌いな僕は。
すべて僕だもの。
只々、愛した人が教えてくれた。宿りし弱さと強さの意味を。
「昼寝だヒルネ!」
「韋護くん修行にならないよ…」
後から見える風来坊の声は、相当に圏外のようだけど。
僕はまだ、立ち止まれない理由がある。
愛していると告げるその日まで、強くあろうと。君に誓うよ。
end.
ずっと書きたかった楊ゼン。あの世界で一番成長と変化をとげたのは、発と楊ゼンだと思うの。
2011/01/17