「こんにちはー、予約してた白崎です」
「あ、ようこそ白崎さん、お待ちしてました。おーい青谷ー!」
「はいはいっ」
カウンターの向こうに立つ変わらぬ彼女の笑顔に、俺も笑う。いつもならうんざりの閉店間近の客も、白崎さんとなれば話は別だ。彼女と過ごす時間は仕事だと分かっていても楽しい。平たく言えば、俺は白崎さんに惚れ込んでいる。
「毎度ご指名どうも。今日は珍しく遅い時間だな?」
「うん、今日はね」
えへへー、と相好を崩す彼女。
「これから告白しに行くの」
俺はとっさに頭を押さえた。
「どうしたの?」
「や、頭のねじがまとめて五本くらい吹っ飛んだから、外装の板金が剥がれてないか不安で…」
「中からピンクのびろびろがはみ出てるよ」
「はっ!」
他愛ない会話をしながらも、俺は本気で脳内の思考がだだ漏れになってないか不安だった。
「じ、じゃあ今日は本気ネイルなんだね」
「うん、本気の本気でお願い」
ピンセットやスパンコール、各色のマニキュアを用意しながら俺はさりげなく白崎さんから目をそらした。告白しに行くの。告白しに行くの。頭の中で白崎さんの声ががんがん暴れている。
「どんなのがいい?色の指定は?」
「青谷さんにお任せするっ」
「え?いいの?」
「青谷さんセンスいいもん。困ったときの青谷さん頼みってことで、青谷さんが一番好きなのにして」
「…了解」
さよなら俺の恋心。彼女と見知らぬ男を結ぶために、俺は好きな人に最高のネイルアートを施さなくてはなりません。
「…この予約、一ヶ月前からもらってたけど、そのときから考えてたんだ?」
「うん。今日決着をつけようと思って」
左の薬指を除く全ての指にホワイトの下地を塗った。薬指にはコーラルピンク。それから一番細い刷毛に持ち変えて、黒のマニキュアに先を浸した。彼女の左手をとって、少し考えてから洋楽の歌詞を筆記体で書き連ねる。普段は注文されなければ絶対やらない細かい作業だけれど、彼女へのはなむけということで。
「出会ったのは一年くらい前かな?それからずっと好きだったんだけど、相手の人が気づいてる様子が全然なくってね。今もちょっとどきどきしてる」
「白崎さんなら大丈夫、俺の最高傑作もついてるんだから」
そう言いながら、少し自己嫌悪。次にこの手を取るときは俺だけが触っていたものじゃないんだろう、なんて考えているのに。『Takemy hand tonight.Let's not think about tomorrow』と、書き連ねるのは未練たらたらの歌なのに。
一年前、それはちょうど白崎さんがこのアートサロンに訪れるようになった頃だ。きっと好きな人に振り向いてほしくて爪を彩っていたんだろう。一ヶ月に一回のペースで訪れていた彼女が告白を期に店を変えることはないだろうが、俺にとってそれは救いなのか拷問なのか曖昧だ。
「どんな人なんだ?年上?」
「年を聞いたことはないから分からないんだけど、結構近いんじゃないかな?話してても飽きなくて、笑顔が悪ガキっぽくて可愛くて、センスがよくて」
俺のセンスはどこまでその彼に太刀打ちできるだろう。ラインストーンを薬指に張り付け、左手を離した。右手の親指にはトルコブルーの蝶を描き、その周りに銀粉を散らす。右手の他の指にも銀粉を散らして、スパンコールを落としていった。
「青谷さんはさ、女の人を見るときってどこを一番に見る?やっぱり指?」
「そうだなー…。でも指を見たらどうアレンジするかとかこのアートをしたのは誰なのかとか考えちゃうから、本当に好きな人は、手を見るよりは握ってたい」
「ほほうイケメン回答ですなぁ」
「いやいやそれほどでも。まあイケメンだから仕方ないかなっ」
「その回答はイケメンじゃないかなー」
本当にイケメンなら、なにもためらわず白崎さんに告白しているだろう。今になって、なんで告白しなかったんだろうなんて後悔していないだろう。ため息を飲み込んで、コーティング剤を塗りドライヤーで爪を乾かす。さよなら俺の最高傑作、白崎さんを輝かせてくるんだぞ。
「あーおーやさーん」
「なーんでーすかー」
「今日は私がラストオーダーだよね?」
「そーうでーすねー」
「これから暇だよね?」
「そーうでー、はっ?」
なにこの流れ。
「暇だよね?」
「…暇ですね」
告白成功報告したいから待っててね!とか言われたらどうしよう。そんなことを考える俺と裏腹に、白崎さんは笑う。
「これからご飯食べにいこうよ」
「…白崎さん、告白は」
「ああ、やっぱり?」
ドライヤーを切る。静かになったブースで、俺は阿呆みたいに白崎さんを見つめて言葉を待っている。
「やっぱり気づいてなかったね、青谷さん」
「…自分の思いで手一杯だったもんで」
俺の最高傑作を乗っけた爪。俺はその爪よりも、白崎さんの体温が好きだった。
「…白崎さん」
左手を握る。
「マックでもいいですか」
「せめてファミレスにしようよ」
[歌詞引用…Take my hand
By SIMPLE PLAN]