店のドアはカランコロンと涼しい音を立てながら開く。入ってきた客は普通、ガラスケースの中のアイスに目をやるものだ。しかし今日来た団体は真っ先に俺の顔を見て、あれトワコいない、と呟いた。

通り過ぎた悲しい日々よ

 夏休み真っ盛り。夜の九時前。もうすぐ店は閉まる、そんな時間。各々大小さまざまな何かのケースを肩に背負ったり手に持つ彼らは、トワコさんの高校の同級生だそうだ。
 必然的にわかる、トワコさんと同じ吹奏楽部だった人たちだ。

「トワコ、さんは……」

 事務所に片付けの用具を取りに行っている。そんな事実を言ってはいけない気がした。彼らと彼女を会わせてはいけないとも思った。

 動揺が隠せない俺に首を傾げて、先頭にいた背の低い女の人が「やっぱりそうそう会えないか」と呟いた。

「前に来たとき、目が合った瞬間逃げられたぐらいだし」

 ぴん、と頭に糸が張ったような気がした。何かがひっかかる。でもそれが何か俺はわからない。
 そんな俺に、予想通りとでも言いたげな顔をするお客兼トワコさんの同級生はにやり、と含み笑いをこちらに向けた。

「トワコって自分のこと何も話さないでしょ」

 脈絡の無い言葉にドキッとする。言葉も見つからず黙っていたら、その人はまた口を開いた。

 ──トワコの過去、教えてあげる。だから今のトワコを教えて。

 呆れたような声で後ろのツレが、クミ、と声を掛けた。彼女は「いいでしょ、別に」とその制止ともとれる呼び掛けを振り払いもう一度俺を見た。

「どう?」

 見透かされている。嘘なんて上手くつけたこともない俺だが、ここまで手に取るように把握された感覚は初めてだった。
 どうする、どうするどうする?

「俺、は」

 手に汗が染みる。好奇心と恐れが入り雑じる。まるでジェットコースターのように、深く深く落ちていくことだけはわかっていて、ただその先に後悔が待っている可能性があった。

 エアコンの音が低く鳴っている。アイスクリーム屋の気温はやっぱり少し肌寒くて、あの日の味が、ふわりと唇を掠めた。

「知りたくない、です」

 嘘だ。でも、真実だ。
 知らない焦りよりも、知っている幸せを大切にしていたい。俺は舞い上がっている。あの日の、あのキスの日から、それはもう馬鹿みたいに。すぐ消えてしまいそうなこの幸せを、余計な賭けで失いたくない。

「……つまんない、無理しちゃって」

 彼女は言葉通りの表情をして、溜め息をついた。そして、

「あんたがそうやって居心地よくさせるから、トワコは甘ちゃんのまま成長しないんだよ」

 俺の背後を哀れむような目で眺めた。

「音信不通になって、私たちから逃げて、過去と向き合わないままいる気? それで大人になったって言えるの?」

 彼女の言葉を耳にしながら俺はゆっくり振り向く。そこには視線を彼らに向けたまま固まるトワコさんがいた。

「中野先生が今度のコンクールで退職するの。会場で待ってるよ、トワコ」

 そういくらか優しい声色で告げて、彼女はくるりと体を反転させて店を出ていった。同様に後ろにいた数人もドアを開ける。

 トワコさんと俺だけになった店内。俺は立ち尽くす体を思わず抱き寄せる。カランコロン、と場違いに明るい音色が響いた。




 トワコさん、トワコさん。あんた今どこにいるの。

 閉店作業は一人で終えた。休憩室に入ると、疲れたような目を部屋の隅に向けるトワコさんがいた。

「終わりました。もう遅いし帰りましょ」

 虚ろな視線だけが返ってきた。いちいちわかりやすい人だな、と渇いた笑い声をあげてしまいそうになる。
 トワコさんは大人げない。普段、こんなミエミエに荒んでるアピールをされるとかえってうざったく思っていたものだが、やっぱり彼女だと話が別になる。

「……トワコさん、無視しないで」

 開いている窓から、蒸し暑い空気が入る。風通しの悪い空間は、更に気分を暗くさせた。暑い。いつもは寒いはずの休憩室。トワコさんが温度を下げすぎるから、俺は風邪までひいた。
 それでも、この部屋は寒い方が、トワコさんは無邪気に笑ってる方が、これまで通りの風景が、俺は好きなんだ。

 だからそんな風に、俯かないでください。

 ゆっくりと差し出した手はいとも簡単にトワコさんの髪に触れた。いつもはふわりと掴んだと思っては逃げていく彼女が、ピクリとも動かないで固まっている。

「トワコさんが好きだよ」

 突拍子のない言葉にトワコさんはふ、と頭を上げた。不思議なものを見るかのように、俺の顔を凝視する。

「好きだよ、だから俺の傍にいて」

 この状況を利用する。もう吹奏楽とか、高校の大恋愛とか、そんなものからトワコさんを遠ざける。逃げている、なんてマイナスイメージのある言い方をしなければいいんだ。彼女は過去を振り返らない、それだけだ。

「俺がトワコさんの未来になる。新しくて、きらきらしてて、トワコさんが手放せないような」

 座ったままのトワコさんを後ろから抱き締めた。この痩せた背中は俺が守ると、青臭いことを思いながら優しく抱き締めた。

「私も、好き」

 なんだっていい。トワコさんが俺の腕の中にいてくれるなら、流されてるとか、利用されてるとか、そんなのはお互い様なんだし。

「大好き」

 トワコさんのうなじに口付けた。それは今までよりずっとずっと、綺麗だった。


タイトル by 家出様




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