衆知の事実だけれど同じアイスクリーム屋で働いている大学二回生のトワコさんはとんでもない。最近ほんの少しずつ暖かくなって、店に客足も伸びてきたという頃、この日最後のお客の後ろ姿を見ながら彼女は言った。
「今日でバイト辞める」
 俺、終了のお知らせ。

天国か地獄さえ

 冷たい器具の後片付けを淡々と始め出すトワコさん。一瞬固まったせいで遅れをとりながらも、俺も作業に参加する。でも待って、今そんな場合じゃない。
「なんでですか……!」
「ん、飽きちゃったっていうか」
「そんな馬鹿な! 一昨日やっとストチーのアイス、グラムぴったりに掬えるようになったって!」
「だから攻略、みたいな」
 いつもの何を考えているのかわからない、ふわふわっとした話し方が今日は怖い。何かあったに違いない。ああもう、どうして昨日俺はバイト入ってなかったんだ!

 店内にはオルゴール調でピノキオの名曲が流れている。悪いけどそんな穏やかな気分じゃいられない俺、わざと要らないところまで拭き掃除をしながらトワコさんに尋ねた。
「トワコさんってゲーマーなの?」
「どうぶつの森はやってる」
「なにその全然攻略系じゃないの」
「借金生活からの脱出という大きなテーマを忘れちゃいけないよ」
 いや、あれは博物館の魚をコンプすることが醍醐味だ。

 店内の掃除も終わりかけ、悶々とした気分でどうやってトワコさんを止めようかと無い知恵を絞り出そうとした矢先、トワコさんがぽつりと言う。

「今までを捨てるって案外ツラくないんだよ」

 ジャラジャラとレジの精算をしながら、細い背中とうなじが綺麗なトワコさんは言葉を続ける。

「それでふっ切れて、全然知らない人に声かけちゃったりすんの」
「それはどういう……」
「過去を置き去りにするの。全く新しい自分になるの。生まれてから十何年培ったものにサヨナラして、自分の周りをゼロにして」

 トワコさんは、また遠くを見て笑った。
「そしたら案外、図太い自分に気付いて、いつの間にか何とかなってる」

 うるさかったレジの音が止む。知らない間に店の音楽は鳴り止んで、時計の秒針の音さえ聞こえる。静寂な世界で間抜けに雑巾を握ってる俺。

 トワコさんの昔に何があったか、考えてたけど考えたくなかったから遠ざけてた。だって真実は誰も教えてくれない。

「新しいものがよく見えるってホント。実感したよ私」
「俺はどう見えてますか」
「よく見えてる。新しいからキラキラして」
「一時の気の迷いですか」
「わかんない」
「それでも俺は好きです」
「それも新しいからかもね」

 鉄壁だ。
 女の子一人どうにかするってこんなに難しいものだったっけ。俺はため息をひとつついて、トワコさん、と名前を呼ぶ。

「明日DS持ってきて」
「なんで」
「トワコさんのどうぶつ村に行きたいんで」
「私、ゲームキューブなんだけど」

 やっぱり古いものも好きなんじゃん。畜生、どうやってトワコさんの細い足を止めることが出来るんだ。このアイスクリーム屋を、俺を、トワコさんの過去に置き去りになんかされたくないんだ。

「じゃあ俺がトワコさんの家に行けるようになるまでバイト辞めないで下さい」
「どういう意味?」
「トワコさんが俺を彼氏にしてくれるまで辞めないで」

 無表情を繕っても、きっと顔は赤い。炊き上がるような体温にくらくらしながら、俺はトワコさんに向き合う。
 すぐ傍にあるアイスクリームは、俺の気持ちまでは冷やせない。

「それは……あんまり時間かかんないかも」
「え?」

 ああ、彼女はやっぱりとんでもない。


「あしたを作りなさい。」
to 赤点回避/from 野呂


 

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