※病んでる
「は?」
恐ろしく冷えた声音を咳払いで誤魔化し、せわしなく動かしていた手を止める。油の足りてないボブルヘッド人形のようにぎこちなく振り向く―――今何て言った?
「好きな人ができた」
頬を染め恥ずかしそうにまるで告白するような緊張した声でもう一度名前は言い切った。見たことのない表情にそれは俺のことじゃないとはっきりと確信する。誰がこんなこと予想した?名前はずっと俺の側にいるものだと思っていたし、それが当然だ。幼馴染という小さな枠組みの中だが、赤ん坊のころから隣にいた、名前のことは何でも知ってる――好きな食べ物、好きな授業、嘘をつくときの癖、寝るときは抱き枕がいること――人一倍不器用な名前も俺と一緒にいれば全て上手くいくと笑ってたのもついこの前じゃねえか。名前が頬と同じ赤い唇の両端をきゅっと吊り上げる、俺の知らねえ顔で笑うな――視界がぐらぐら揺れる、当然だと思い込んでいた根拠のない自信が崩れていく音が聞こえた。
愛の目盛り
――ただいま電話に出られません、御用の方は発信音の後にご用件をお願い致します。――単調な機械音声の後からピーとなる電子音、もう何度目かも分からない留守電に心の内で舌打ちする。「もしもし名前、大樹と杠が心配してたぞ。夜ラーメン食いに行くけどテメーも来るか?いい加減その布団の中から出て来い、あ゛−そんなに震えんなよ、俺がやった抱き枕でも持ってろ。・・ってなんで捨ててあんだよ、名前はそんな我が儘だっけか?泣くな泣くな、また顔まで腫れあがんぞ。・・まあ目の前で好きな奴が爆発で死んだなんてトラウマもんだけどな、・・そいつの運が悪かった、それだけだ。名前は気にすん−−−ブッと一方的に遮断された音、名前の部屋を映す画面の隅には粉々になったスマホ、これでおしゃかにされたのは五台目だ。もう何も映さない壊れたスマホを何度も何度も床に叩きつけている。その名前の必死な姿に底知れない多幸感が包む、・・俺から離れようとするテメーが悪いんだ。
20200917
title by 溺れる覚悟