幼稚舎から大学までエスカレーター式の…お嬢様学校に通う者の入れ替わりはそう激しくない。喋ったことはないけど見たことはある、ほとんど顔見知りに近いものだ。そんな小さな箱庭で話題になるものは爆発的に拡散される、そして今は七海財閥の御曹司の婚約者で持ち切りだ。私が十六になったら公表すると言われていたが、お嬢様ネットワークには関係なかったらしい。龍水様と顔合わせを済ませた翌日から好奇と嫉妬の目が私を突き刺し、ちらちらとこちらを伺いながら顔を寄せ合って話されると嫌でも気づいてしまう。うわさ話を聞こえていないフリをして自席につき、一限目で使う教科書類を鞄から取り出した。



視界の隅で高潔な校風を表す白百合を裾にあしらった真白のスカートが揺れ、バンっと小さな白い掌が私の机に叩きつけられた。驚きで体がびくりと震えたがその音をたてた人物に文句を言おうと顔を上げる。きっと私を睨みつけるその目は赤く瞼が腫れている――たくさん泣いたことがよく分かる――手入れの行き届いたプラチナブロンドの髪が陶器のような肌を引き立て、守りたくなるような華奢な体を震わせていたその方は七海財閥と引けを取らない財閥のお嬢様であった。自分より格上のお嬢様にひゅっと喉が締まり何も言えなくなる。そんな私に目の前のお嬢様は唇を丸く開いて言葉を押し出した。


「龍水様の婚約者になられたのは本当?」
「え、っと…」

噂になっているがまだ公表していないそれを私が勝手に話していいものではない。煮え切らない態度に肯定と捉え、いよいよその可愛らしい顔を歪ませ涙をぼろりとこぼした。泣き止ませるにも私のせいなのでどうすることもできない。教室の温度が一気に冷え、手の内は汗で湿り出す。ただ、じっと、頬に伝う涙を見ていることしかできなかった。

数分後に騒ぎを聞きつけた教師に連れられ彼女は教室から出ていったが、去り際にどうしてと嗚咽交じりに投げられた言葉が私の胸に重くのしかかった。






学校帰りにやって来たのはうちが所有するカフェもどきのドーナツ屋で、SNS映えを意識した原色ばかりの派手な内装は何度来ても居心地が悪い。昨日この店の話をしたら龍水様が行きたいと目を輝かせて言うものだから今日は貸し切りで店を開けてもらった。そんな店内は人払いもされ私と龍水様しかいない。有線ラジオの軽快な音楽が包んでいた。

昨日は連日会えることに浮かれていたけど、午前中のことを思い出すとやるせない気持ちになる。


「どうした、元気がないな。」

整えられた形のいい眉を持ち上げ私の顔を覗き込んだ龍水様に何でもないと微笑むがその目はまだ疑っている。その視線から逃げるように、取り皿に並べられたドーナツを差し出した。私はチョコとナッツがたっぷりまぶされているものを、龍水様はコーヒーソースでデコレーションされているものを選んだ。大きな口を開けて頬張る姿はリスのようで可愛らしい。舌が肥えている龍水様にはチープなドーナツだが案外気に入ったようですぐに食べ終えていた。


私は恵まれすぎている。二個目のドーナツに手を伸ばす龍水様を見ながら漠然とそう思った。
七海財閥にとって苗字財閥との婚姻関係は何の得がある?
苗字財閥は七海財閥の恩恵で莫大な資産と事業を得るだろう、でも七海財閥はどうだ?私たちが与えられるものなんてゼロに等しい。どうやって父は婚姻に取り付けたのだろう、疑問は不安と共に膨れ上がる。あのお嬢様は瞼が腫れるほど泣いていた――龍水様の婚約者になると信じていて、突然出てきた格下の財閥の娘と婚約だなんて露ほども思わなかっただろう。龍水様の婚約者になれた私と、なれなかったあの子。私を心配してくれた優しい龍水様は、私以外の――婚約者に選ばれたかもしれない誰かにも優しいはずだ。苗字財閥に見切りをつけ七海財閥が婚約を破棄するかもしれない、龍水様と関わりを持てた今、ありえそうな先の未来が、どうしようもなく恐ろしくとても悲しかった。


「名前、泣くな。」

龍水様の言葉で流していた涙に気づいた。焦ってブラウスの袖口で目元をぬぐうが、ダムが決壊したかのように溢れてくる涙が熱く濡らしていき広がるシミがみっともない。だめだ、止まらない、見ないで、


「名前。」

落ち着いた、穏やかな声だった。
目元を擦る私の腕を優しくとり、さらされた頬に新しく伝う涙は龍水様の温かな指先で拭き取られた。どうした、ともう一度問われしゃくりを上げながら私は薄く口を開いた。


「りゅ、うすいさま、がほしい・・・」

簡潔に分かりやすく伝えようと龍水様の口癖を使えばとんでもなくいやらしい発言になり溢れる涙はすぐに引っ込んだ。違うんですと赤くなる顔を横に振るが龍水様は楽しそうに笑う。
タイミング良く店内のBGMが流行りのJ-POPに切り替わる―――あなたが好きなの、ほしいのよ―――街中でよく耳にした歌詞は私の羞恥心を煽る。それに耐え切れずぎゅっと目を瞑ると、掴まれていた腕を強く引っ張られ抱き寄せられた。倒れこむような体勢になりつつも龍水様は難無く私を受け止めている。ドクドクと打つこの早い心音はどちらのものか。



茶色がかった瞳がぼやけるほど近づいて、唇が重なった。


20200916
3話


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