見知った色や初めて見る柄、そのさまざまを抱え、一つ一つ広げる。肌にまとわりつくような、湿り気の多い昼下がりだった。蔵の中、村正派の二本は着物を干していた。ようやく全てを掛け終えると、おもむろに村正が口を開いた。
「蜻蛉切」
「なんだ」
「虫干しってこの時期にやるものなんデスか?」
「……このところ雨が降り続いていたからな、仕方がない」
「それもそうデスね」
さらさらと音がする。川のせせらぎにも似たそれは、一年の一日、一夜のために用意される笹の葉だった。耳で音を追う。誰かが担いでいるようだった。
「おや、今日は七夕でしたか」
「ああ、今年も無事端午の節句を迎えられた」
「きれいデス」
「ん?」
村正は窓の向こうを見つめている。輪郭のはっきりとした横顔は、色とりどりの長方形を捕らえたまま微動だにしない。蜻蛉切もその視線の先を追った。
「短冊のことか」
「豊作を願う織姫にあやかってワタシたちも願うという風習デスよね」
「そうだ」
「……変な感じがしませんか」
じめりとした生ぬるい風が入り込む。顔の向きはそのままに、蜻蛉切は村正を盗み見た。着物の鮮やかさばかりが目についた。
「星の物語のことだな」
「ええ、逢瀬を断たれたのは怠惰のせい……にもかかわらず、物語は悲運の色を帯びている。一年に一度、それは長いようで星たちにはとても短い時間なのでショウ?」
「……俺が言うべき言葉なのか、それは」
「huhuhuhu……いえ、意地悪がすぎました」
風に揺らめく鮮やかな生地に遮られ、笑い声を漏らす村正の顔は見えなかった。
「物語というのはそういうもの、知っていることデスから」
蜻蛉切はうつむいた。そうしてすぐに顔を上げ、声のするほうへ言葉を放った。
「俺は願うぞ、村正」
風が乱れる。今度は蜻蛉切の眼前の着物が揺れ、村正の姿そのものが見えなくなった。しかし、蜻蛉切は続ける。
「主と共にある我らが、この果てのない戦で勝利を掴めるように。人間の体で、この先も生を謳歌できるように」
瞬間、強い風が吹き抜けた。着物の間から覗いた村正の表情は、平常通りの薄い笑みが消えて、驚いたように目が見開かれていた。蜻蛉切は微笑む。
「短いようでとても……とても長かった二年の穴を埋められるほどの充実した日々を、お前と過ごしていけるように」
静寂。床板の軋む音に続いて、着物の間から腕が伸びる。爪の丸い隆々としながらもしなやかな手が、蜻蛉切の頬を包んだ。
「……随分願い事が多いんデスね」
「お前の分まで願いをかけたのだからな」
「huhuhuhu、……勝手なんデスから」
つつじや勿忘草、山吹、若竹、菖蒲といった着物の色を掻き分け、蓮華色の繊細な髪が現れる。蜻蛉切の夕焼けとは異なった、まるで未明の空の色を映した目が、優しげに細められていた。
外では笹の葉がさらさらと流れている。蔵の中、着物は静かに揺れている。その鮮やかさに埋もれていた、黒い袴の裾は二つ。
2017.7.7