雨情暮れゆく

杵蜻 : update - 2017.05.24


 美しく弧を描いた小さな下駄が、御手杵の頭にこつんと落ちた。
 初夏を迎えた頃から盛りを見せていた木々の葉は、空の重さを映してその若々しい青色を失っている。風こそ薫ってはいるものの、肌に吸いつくような湿気の多さに、御手杵の癖の強い髪がくたりと垂れていた。
 その脳天に突然与えられた衝撃に、御手杵は驚いた。片手で頭を押さえながら、地面にひっくり返った下駄に目を落とす。次に辺りを見回すと、着物姿の子供たちが数人、御手杵に向かって駆けてきた。先頭の男の子は片足だけ下駄を履いていたが、走りづらそうな素振りはなかった。
 ごめんなさい。勢いをつけて頭を下げた子供たちは、おそるおそる御手杵の顔色を窺っていた。きらきらとした黒目を向けられて、もともと怒る気もなかったが、御手杵の頬がへにゃりと緩む。

「俺じゃなかったら、今ごろ頭にたんこぶができてたかもしれないぞ。運がいいなあお前ら」

 子供たちは、互いに顔を見合わせてころころと笑い声を上げた。土色がついた裸足に小さな下駄が収まり、乾いた木の音を響かせて、再び駆けていった。ふと一人が手を振るのを、同じように振り返して見つめる。賑やかな声たちが遠くなっていく。
 明日が晴れるといいな。運がいいと言われた子供たちが歌うように口ずさむのを、御手杵はただぼんやりと聞いていた。気のせいかもしれなかった。

「どのくらい待った」

 さあな。いつの間にうつむいていたのだろう、御手杵は声の主を見上げた。眉間を通る朽葉色の前髪が、いくらか軽くなったように感じた。目の前の巨体がくらんで見える。その後ろの空に浮かぶ厚い雲が薄く伸びて、一筋の光が貫いていた。代わりに、明るさを背負う巨体がほの暗く映っていたのだった。

「すまん。村の架橋を手伝っていたら時間がかかってしまってな。調査は無事終わった」

 御手杵は見つめている。影に包まれてもなお煌々と燃えている、二つの夕焼けの色を見つめている。

「帰るぞ、御手杵」
「なあ」

 踵を返しかけた蜻蛉切を呼び止めると、御手杵はその夕焼け色の目に顔を寄せた。

「今日の夕焼けはきっときれいなんだろうなあ」

 なら、明日はきっと晴れるよな。穏やかに微笑む御手杵の顔を間近にして、蜻蛉切は目を丸くしていたが、次にはそれを細めて笑い返した。

「お前がそのように見えるのなら、きっとな」

 そっか、と嬉しそうに顔をほころばせた御手杵は、蜻蛉切の瞼にそっと口づけた。鼻先に御手杵の前髪がふんわりと触れ、「くすぐったいぞ」と笑う蜻蛉切の眉尻が緩やかに下がった。と、次の瞬間には御手杵の肩を押して距離をあけ、忙しなく周囲を見回した。そうして人気のないのに安堵の表情を浮かべた。気にするなら最初からしろよお、と御手杵はへにゃりと笑った。
 薫る風に湿り気はない。光の筋が刺さる頭上の空を眺めながら、御手杵は運がいいと呟いた。「どうしたのだ」と問いかける蜻蛉切に、俺、と言葉を返す。二人並ぶ大きな影が、その足元にゆらゆらと揺れた。


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