朝焼けてジ・エンド

杵蜻と三名槍 : update - 2017.02.04


 昨日の軌道を辿るように、年の瀬の夕日は落ちていった。御手杵の部屋には多くの刀剣男士が訪れた。そのほとんどが障子の前で声をかけていたが、月明かりに縁取られる彼らの人影を感じながら、数言会話を交わした。縁起物ということでじっくりと煮た柔らかな年越しそばを食べた御手杵は、いい匂いがしてなかなか寝られなかった、と笑声混じりに話題を振った。すると、誰がどのおせち料理を作ったのか聞き出すことに成功した。嬉々とした声に頬を緩ませて、一振り一振りにおやすみを唱える。布団に潜り込ませた体は、すでに外出に備えた防寒の服をまとっていた。
 さらに夜が更けて、緊張と哀愁と期待の合わさったざわめきが聞こえてくる頃、御手杵はナップザックを背負う。乾パンの入った小さな缶と携帯用水袋を三つ、寒さに堪えられなくなったときのためにライトダウンジャケットを丸めて入れた。ダッフルコートのボタンを留め、指先の空いた手袋をはめると、静かに障子を開けた。冷たいそよ風が御手杵の頬を撫でた。
 ボオン……、ボオン……。
 すう、と息を吸う。そして、「いってきます」と言葉を残し、障子を閉めて靴下の足をぺたぺたと踏み出した。その目に映るのは、沓脱石の上に置かれた御手杵の靴だった。かかとに踏み潰された痕が残る、間違いようのない御手杵の靴だった。御手杵はしばらく靴を見つめたまま、ぼりぼりと後頭部を掻く。そして、ほろ酔いに酒をあおる日本号の姿を思い浮かべた。
 きっと深く澄んだ湧き水を持ち帰ろう。小さく息をついた後にナップザックを背負いなおし、両足を靴に滑り込ませる。つま先を地面にとんとんと突いて、御手杵は歩き始めた。本丸の門をくぐると、男士たちの賑やかな声たちはぷつりと聞こえなくなった。


 しんしんとした夜の底のように思われた。ふわりと宙を浮く感覚があって、蜻蛉切は目を覚ます。わずかに開いた重い瞼の隙間から、繊細な暗闇が映る。しばらく天井の木目を眺めていたが、ふと規則的な息づかいがするのに気づき、障子のほうへ首を向けた。人影が座っている。
 誰とも言わず、蜻蛉切はその気配に正体を察知した。数秒だっただろうか、それとも数分だっただろうか、閉じられた瞼の辺りをぼんやりと見つめていた。やがてその瞼がゆっくりと開き、竜胆色が覗く。それを合図にしたかのように、障子を透かして曙の薄明かりが広がり始めていた。
「おはよう。部屋を間違えているぞ」
「……みたいだな。おはようさん」
 大口を開けて欠伸をするのを右手で覆い隠す姿は、普段粗雑そうに見えても流石の位持ちだった。寝起きで鈍くなった日本号のしぐさを眺めながら、蜻蛉切は鼻をひくりとさせた。アルコールの匂いは感じられない。千鳥足のせいで部屋を間違えたのではないことを悟り、蜻蛉切は一人顔をほころばせた。倦怠感の残る体をゆっくりと起こす。
「確か、布団の上にちゃんちゃんこがあるはずだ」
「おい寝てろ」蜻蛉切が言い終わる前に、鋭くも柔らかな日本号の声が被さった。「まだお天道さんも起きちゃいねぇんだ」
 その制止も聞かず、蜻蛉切はがさがさと布団をたぐる。臙脂のちゃんちゃんこを手に取ると、日本号の前に差し出した。
「お前にまで風邪を引いて欲しくはない。分かってくれんか」
 窺い見るように蜻蛉切が首を傾けると、濃紅の髪の一房がだらりと垂れる。日本号は瞬間抗議の眼差しを向けたものの、次にはため息をついて渋々と受け取った。つなぎの上から着れば、袖がないにもかかわらずじんわりと染みるあたたかさが確かに感じられた。「槍連中は我が儘なやつしかいねぇな」胡座に腕組みといった体勢で、日本号は伏し目がちに呟く。「勝手なことばっかりしやがる」
「はは、それはお互い様だろう」
 蜻蛉切はどことなく口を尖らせている日本号の表情を見ると、笑声をこぼして破顔した。そうしてふと視線をさらに上げて、障子から漏れている、徐々に部屋を照らしていくほの明かりを見つめた。伏せた竜胆色の瞳が蜻蛉切のその様子を捕らえ、閉口したまま障子に手をかけた。擦れる音とともに、ゆっくりと開かれていく。
 生まれたばかりの曙の空が、太陽を引き上げ始めていた。
 蜻蛉切は白む息を気にとめず、ただ明けていく東の空に輝くその一点を眺めていた。
「……同じ空を、」夕焼けの目を朝日に向けたまま、蜻蛉切は刹那言い淀んだ。「同じ日を、見ているのだろうか」
 絞り出したその問いに、日本号は答えない。開けた障子の手前に胡座をかき、横目に曙の空を眺めている。朝日に縁取られた日本号の横顔を盗み見ていた蜻蛉切だったが、ふいに日本号が体をむくりと動かして障子を閉めたので、癖っ毛の目立つ後頭部めがけて心意を訊ねた。「寒ぃんだよ俺が。お前らみたいに寝込みたくねぇしな」振り向いた日本号は、言葉に乗せた皮肉とはうって変わり、清々しくも見える面持ちをしていた。蜻蛉切の掛け布団を掴んでその隆々とした肩ごと押し倒してしまえば、さて、と普段通りの得意気な笑みを浮かべる。
「風邪っ引きが駄々をこねる時間はもう終いだ。良い子でおねんねしな」
「少々癪に障るが」苦虫を噛み潰したように、蜻蛉切は眉をひそめながら苦笑する。「良い子にしていよう。それはしばらくお前に貸す。体を冷やさないようにな」
 腰を上げる日本号の動きを、視線でぼんやりと追いかける。先ほどまで消え去っていた睡魔が突然現れ、蜻蛉切は徐々に重くなっていく瞼を数回瞬かせた。
 濃紅のちゃんちゃんこを着た日本号が部屋を出ていったあと、薄目を開けたまま、蜻蛉切は小さく息をついた。いまだに体内には不自然な熱がこもっている。しかし、生まれたばかりの朝日を浴びて、肩の力が抜けていくように感じた。病魔の囁きではなく、そこには心地よい睡魔の誘いがあった。次に目を開けたら、と蜻蛉切は目をつむる。次に目を開けたときには、御手杵は帰ってきているだろうか。今よりも血色のいい顔で、穏やかにおかえりが言えるだろうか。大きく息を吸って、吐く。瞼の裏、ぼんやりと感じる東雲色の光の心地よさに手を引かれるように、蜻蛉切はそのまま眠りについた。


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