土曜日の練習は、俺にとって一週間で一番の楽しみだった。本当だったら、休みの日まで練習なんて面倒くさくてとてもじゃないけどごめんだし、現に入部して初めの一週間ぐらいは、やっぱりサッカー部なんてやめときゃ良かったかな、なんて真剣に悩んだりもした。だけど、あの人をここで見つけたあの日から、土曜日の練習は俺にとって、一週間かけて待ち焦がれる程、待ち遠しいものになってしまった。
「…はや、まだ5分前だし」
道の遠くに見慣れた紫を見つけ、ここで初めてあの人を見た時の事を思い出す。
たしかあれは、入部してからちょうど1ヶ月がたった土曜日だった。土曜日に練習なんて心底面倒くさくて、今日は休んでしまおうかと、いつもなら通らない人気の少ない道を通った。明らかに廃れ切っている広場を見つけて、ここなら絶対見つからねぇな、ラッキー、なんて思って足を踏み入れた。そしたら其処にいたんだ、あの人が。
偉そうで鼻につく先輩。それだけの認識だったのに。
雷門のファーストチームのユニフォームに身を包み、南沢先輩はたった一人で練習していた。俺が入ってきた事にも気付かないぐらい集中してたから、声も掛けられなかった。
いつもファーストチームの10番を、何でもないような顔して背負ってる癖に。本当は誰よりも努力してる。10番なんて、何もしないで背負える数字じゃないから。それだけの努力があっての、あの目なんだと理解してから、俺は南沢先輩に惹かれ始めた。
「おい、遅いぞ倉間」
「別に時間には遅れてないじゃないですか、おはようございます」
「はいはい、おはよ」
口調はいつもと変わらないけど、なんだか今日は先輩の機嫌が良い気がする。練習が上手くいったのだろうか。
「今日、機嫌いいですね。何かあったんすか?」
「別に。何もないよ」
「そうっすか」
口ではそう言うけど、やっぱり何かあったんだろう。まぁ先輩の機嫌が良いなら、理由は別になんだっていい。笑っていてくれるなら、それで十分だ。
「…にしても、熱いですね」
「ああ」
「こんな日まで練習とか、マジないですよ」
「来たら来たでちゃんとやる癖に。相変わらず減らず口なヤツ」
「先輩だって。いつも内申内申言ってますけど、ほんとはサッカー続けたいだけっすよね?」
じゃなかったら、毎週一人で練習なんてしないですよね?そう言ってやって、南沢先輩の焦る顔を見るのもきっと楽しいけど、あの先輩の姿は俺の中だけに収めておきたい。せっかくの、俺だけが知ってる南沢先輩なんだ。
「だったら?」
「別に。俺もサッカー好きですから」
「…全く、生意気な後輩」
「そんなの、前からでしょ」
そうだったな、なんて笑いながら言ってる南沢先輩は、なんだかんだ言ってかなり優しいと思う。いちよ最低限の敬語を使ってるとは言え、こんな喋り方、許されないはずなのに。今までの先輩の中には、直せっていう人も勿論いたけど、南沢先輩は違った。
「いいんすか?この喋り方」
「お前、それ二回目。言っただろ、お前のぎこちない敬語なんか聞きたくないんだよ」
「別に忘れてないですよ。もう一度言わせたかっただけです」
「あっそ」
南沢先輩は、あの言葉を初めて聞いた時、俺がどんなに嬉しかったかなんて知らないんだろう。当たり前だ、言ってないし。先輩が俺の心なんて読めるはずがないから。
ただ、汗で顔に張り付く髪を気にしながら、それでもなお怒らない先輩は、やっぱり俺に甘すぎる。
「汗すごいですね」
「お前がなかなか来ないからだよ」
「そりゃあすみませんでした」
嘘つけ。今までずっと練習してたからでしょう。
そう言ってやりたくなるけど、やっぱりあの南沢先輩は俺だけのものであってほしい。
口先だけで適当に謝って、先輩の反応を伺った。
「思ってないだろ」
「思ってますって」
先輩は素直じゃない。意地っ張りで、いつも自分を偽ってる。だけど、俺が今までに出会ったどんな人よりも、優しい人だった。
「でも、先輩が嘘ついてんのは分かりますよ」
「…は?」
訝し気な顔をして立ち止まってしまった先輩に目線だけを投げて、思いっ切り挑発的に笑って見せた。
「俺、先輩のこと好きっすから」
鬱陶しいぐらい暑い日差しの中、生まれて初めて告白したのは、意地っ張りで優しい紫の髪の人だった。
蜂蜜まみれの午後を召し上がれ