太陽がじりじりと体を蒸すをような暑さの中、季節の移り変わりをぼんやりと感じていた。
もう夏じゃん、早いなぁ。なんて辛気臭い事を頭の片隅で考えながら、やばい喉乾いた、ともう片方の頭で考える。
横ではみんながぐだぐだとベンチや地面に腰を下ろしながら、あついだの、疲れただのと声を上げて談笑している。
レギュラー組は運動量が違うから、この暑さの中だと相当疲れたのだろう。
俺だってちょっと前までは同じ所にいたのにな、なんて勝手に引け目を感じて、なんとなく居ずらくなってしまってその場を離れた。
一之瀬が来てからというものレギュラーの座とせっかく馴染んできたポジションは完全にあいつに取られ、俺はすっぽりベンチ組に収まってしまった。
まぁ当たり前の事だとは思う。
なんたって実力が違いすぎる。そんなことはいくら頭の良くない俺だって分かる。分かるけど、なんだか納得いかないじゃないか。
いきなりアメリカからやって来て、すごい技を見せられて、あいつすげぇ!なんて思ってる間にあっさりポジションを奪われました、なんて笑えない。
自分の実力不足なのはよくわかっているけど、今から努力したって到底追いつけそうも無いところに一之瀬はいるんだ。
ああなんだか考えてたら気が滅入る。
ダメだダメだ、やめよう。あいつのことは考えないようにしよう。
だいたい初めて見たときから、何だってあいつにはこんなに悩まされなきゃならないんだ!
頭の中でまとまらない思いが一気に駆け巡って、体が暑くなるのを感じた。
そんな俺を諭すように、まだ鳴き始めの蝉が近くの木から不快な音を発している。
蝉の声はあまり好きじゃない。風情があると言う人もいるみたいだけど、正直煩いだけだなぁと思ってしまう。
だけど今はそんな声も有り難い…お陰で体の熱が冷めた気がする。
ちらっと校舎の時計に目をやると、練習再開までにはまだ随分余裕がある。
今更戻るのも気が引けるしもう少しここで休もう、と近くの壁に背中を押し付けて根がはる地面に手をついた。
暑いばかりだと思っていたけど、こうしてみると風が感じられて幾分か涼しい。
日差しは相変わらず暖かい、風はいい具合に熱を冷ましてくれる、蝉の声はここまでくるといい子守唄だ。瞼が自然と重くなる。
ああもう目を閉じてしまおう…、そう思って意識を手放そうとした瞬間、聞き慣れない声が俺を現実に引っ張った。
「あ、いたいた!」
誰だよ、迷惑なヤツだなぁなんて思いながら、頑張って閉じかけた瞼を引っ張り上げる。と、右の頬に痛いぐらいに冷たい何かが当たった。
「ひぃっ!冷たっ!」
思わず変な声が出た。もう嫌だ、勘弁してくれ。自分にこんな仕打ちをしてくるヤツは一体誰なんだと上を仰ぐと、大きくて真っ黒な目が俺を見つめていた。
「ごめん、驚かせた?」
「いち、…のせ?」
「あ、俺のことわかる?嬉しいよ!」
「何か、用?」
「ドリンク持ってきたんだ!半田の分」
「え?」
「喉、乾いてるだろ?」
ほら、とドリンクを目の前に出されて、受け取らない訳にはいかなかった。
どうやらさっき右の頬に当てられたのはこれだったらしい。
「冷たいだろ?キンキンに冷やしといたよって、秋が」
「え、あぁ…ありがとう」
なんだか流れでお礼まで言ってしまった。全く、調子が狂う。でもまぁせっかく持ってきてくれたんだし、実際喉は乾いていた訳だし、有り難いよな。
一之瀬の黒い目に見つめられながらフタを捻って冷たいスポーツドリンクを口内に流し込んだ。
「隣、座っていい?」
「え、ああ…」
返事の代わりに腰を浮かせて体一つ分左にずれた。ほら座れよ、と目で促せば、一之瀬の形の良い唇が綺麗に弓なりになる。まったく、かっこいい奴はこれだから好きになれない。
「気持ちぃ…いいね、こうゆうの!体も冷えるし」
「ああ」
「今日の練習キツいよね。アメリカのみんなもスゴい熱気だけど、円堂は負けてないなぁ」
「…お前はスタメンだからな」
「え?」
「あっ…」
思わず本音を口にしてしまった。一之瀬の真っ黒な目が俺をじっと見ている。
こんな皮肉みたいなこと本人の前で言うなんて…。いや、それ以前に俺かっこわるすぎるじゃん…!
一之瀬にしてみれば、俺なんて自分より能力の低いただのチームメイトだっていうのに。
「わ、悪い…」
「いや、いいけど…ごめん」
「なんで一之瀬が謝るんだよ」
「いや…だって、さ…」
一之瀬の顔は誰がどう見ても気まずそうだ。ああ最悪。関わらないようにしようと決めたばかりだっていうのに。
「そんな顔すんなって!気にしてないからさ!」
いつもみたいに、いつもクラスでやってる俺みたいに、差し障りないように、平凡なキャラで、明るく言ったつもりだった。ああちょっと顔失敗したかなぁ。笑い切れてなかったかも。まぁでも、いつも染岡には情けない顔すんなって言われてるし、こんなもんか。
きっと「そっか、なら良かった」とか、そんな答えが返ってくるんだろ、と頭の奥で考えて、その答えを待っていた。
小さい時から取り得も特技も何も無かった俺は、クラスでそれなりのポジションに付いて、なぁなぁに毎日を過ごす術を身に付けていた。
結局は目立たないことが一番。
だけど、なんだ半田か、ってポジションにはいなきゃいけない。
自分でも、なかなか難しい事をこなしてると思うんだ。だから、こいつにもそうしとけばなんとかなると、そう思った。
「今のは…嘘、だよね」
一之瀬の顔が、笑っていないのを初めて見た。
戸惑っている俺の背に、練習再開だと叫ぶ円堂の声が刺さる。
「おっ、と…再開だってさ!行こう、半田」
「あ、ああ…」
次一之瀬を見た時には、もうすっかりいつもの笑顔に戻っていて、ゾクっとした。こんなにもぱっぱと気持ちを入れ替えれるものなんだろうか。
まさか、一之瀬だって普通の人間だ。だったら、どちらかが嘘で、どちらかがほんとの感情の筈なんだ。
「後半も、頑張ろうな!」
今の顔がいつもの一之瀬だ。こうやって笑ってる顔が、俺の見てきた一之瀬一哉だ。
だけど、どちらが本当の一之瀬か。もし俺が選んで良いのなら、迷わずに、笑っていない一之瀬を選ぶ。
笑っていない顔を初めて見た。まるで一之瀬じゃないような顔だった。あまりに驚いて突っ立っていたけど、あの時初めて一之瀬のリアルな感情を見た気がしたんだ。
「無理して笑わなきゃいいのに」
気づいたらそう言って一之瀬の背中を追い越していた。
何故だか自然と足の速度が早くなる。いけない事を言ってしまった気がして、一刻も早くその場を離れたかった。
一之瀬の足音は、聞こえない。あんなことを言ったから、驚いて立ち尽くしてしまったのだろうか。検討違いだとバカにされるかもしれない。
ああやっぱり最悪だ。
そう思ったら眩暈を起こしそうな日差しが照りつけ、せっかく冷めた体を暑さが蝕んでいった。