死んだらお星様になるんだよ
ずっと昔、俺がまだ小さい頃に、誰かにそう言われたのを覚えている。
幼稚園の先生だったか、友達だったか。両親だったかもしれないし、絵本で読んだのかもしれない。その時の景色も人も気持ちも、何一つ覚えていないのだけれど、死んだらお星様だなんてまるでリアリティの無いあの言葉だけは今でも色褪せる事なく鮮明に記憶されているのだ。
死ぬっていうのは誰からも姿が見えなくなっていつの間にか忘れられていく事だと思う。だけどお星様になれば、空を見る度にみんなが自分を思い出してくれる。死んでも忘れられない。それは則ち、その人の中で生きてるって事。
だけどお星様にだって見えない星はある。ずっと奥で光っても気付かれない星がある。それはどうなんだ?そんな見えない星がいくつあっても、みんなは自分を思い出してくれないんだろう。だから、お星様になったって意味がないんだ。
別に“死んだらお星様になる”なんて迷信を当時信じていたわけでも、今、現在進行形で信じているわけでもない。だけど、全く信じていないわけでもなかった。死後の世界なんて経験したことがないのだから当たり前だろう。
ただ、もしそれが本当なんだとしても、俺は気付かれない星の方なんだろうと、ただそれだけは確実に思っていた。
だってこんな俺が、あんなに輝ける筈はないから。
「…みんなには…死んだって、伝えて欲しいんだ…」
自分のことを好きじゃないと自覚したのはいつからだっただろう。あの事故からだろうか。それとももっとずっと前から?
はっきり言ってそんなのはどっちでもいい話だ。
昔から、ずっと自分に自信がなかった。周りから蔑まれていた訳ではない。いや、寧ろ逆だと思う。いつも褒められて、誰からも愛されて育てられてきた。その自覚は十分にあったし、周りの人々には感謝していた。自惚れではきっとない。
頭が悪かったわけでも、身体能力に欠けていたわけでもない。どうやら容姿にも問題は無い様だし、友達にも恵まれていた。土門のことは親友とか、もしかしたらそれ以上に思っていたかもしれない。秋のことは幼心にかわいいと思っていた。初恋の君…だったのかもしれないな。西垣だって一緒にいるだけで楽しかった。みんな大切な友達だった。ずっと一緒に居たいと思ってたし、サッカーをしていればずっと一緒に居られるんだと思っていた。
どうしたらずっと一緒にいられるんだろうと知恵も浅はかな俺たち四人で考えて、四人でしか出来ない技があれば良いんだと思い付いた時、みんなに褒められて有頂天になったのを覚えている。
―
「俺たちにしか出来ない、すごい技を作ろうよ!」
「そうだ!そしたらずっと一緒だ!」
「俺たちだけの技か。いいね!どう?秋」
「うん!さすが一之瀬くん!」
「じゃあやろう!フェニックスを飛ばせるんだ」
「フェニックス?」
「すっげぇ!かっこいいな!」
「ふふ、楽しみ!」
―
今でもはっきりと思い出せるあの時の光景は、俺が勝手に作り出して綺麗な色で塗り上げた空想だったのではないかと疑う程、きれいだ。フェニックスは飛んだ。それは、このままいつまでも一緒だという誓いの筈だった。いや、少なくとも俺はそう信じて。
自分に自信がなかった。だけどサッカーをしている自分は、いつもより少し好きだった。ボールを好きなように操れるのは気持ちが良かった。すいすいとボールが足に吸い寄せられるみたいに俺に従って、敵を掻き分けゴールに近付いていけるのは快感だった。周りはいつだって俺を褒めたし、歓声はいつだって絶えることがなかった。たった数十分の試合の間だけはフィールドの上で神様になれる、そんな感覚だった。一哉くんは強いね!と言われる度に、サッカーをしている自分はいつもより強いんだ、と満足感に浸ることもできた。ずっと一緒にいようなんて脆い約束も、自分がサッカーを続ける限りは守れるような気がしていた。
風を切る、フィールドを思うように駆け抜ける、それだけで、強くなれる。サッカーだけが俺の全てで、サッカーだけが唯一自分を肯定できる光だった。
同時に、フェニックスは俺たちの希望であり、唯一好きな自分自身の象徴だった。
だからこそ、脚の自由を失うことは、俺にとって大きなショックだった。
リハビリをすれば多少良くなると思いますが、脚の自由までは…。サッカークラブへの復帰は諦めて下さい。辛い事だと思いますが、一之瀬君はまだ若い。きっと新しい道がありますよ。今後の為にもリハビリは必要でしょう。手配しておきます。
医師の言葉は痛切だった。
新しい道?なんだよ、それ…。サッカーができない俺に、何かできることがある?新しく輝けるフィールドが?自分に自信を持てる何かが?今までずっとサッカーが全てだった。サッカーをしてる自分が好きだった。サッカーでみんなと繋がってた。サッカーで土門に出会ったんだ。秋にも。西垣だってそうだ。きっとみんなだってサッカーしてる俺が好きなはずだ。そうだ…サッカーしてる俺が好きなんだ…サッカーしてない俺は……俺じゃない……サッカーできない俺を……みんなは………好きに………ならない………だって俺は………サッカーが…………全て…………だから…………
誰にも嫌われたくなかった。自分に幻滅したくなかった。強い自分から落ちぶれて行くのが怖かった。ほんの少し好きになれた自分がどんどん嫌いになっていく。サッカーができないお前はいらないと、誰かに言われているような気がする。それが、怖くて怖くて堪らなかった。
だから、死んだことにしたんだ。
一之瀬一哉は死んだんだ。それでいい。きれいなままで死んだ。みんなに愛されて死んだ。きっときらきら輝いてた。そのまま死んだ。
幸せじゃないか。
うん、すっごく幸せだ!!
フェニックスはもう飛ばない。みんなが好きだった俺は、もう、いなくなったんだ。
父さんも母さんも、その事については特に何も言ってこなかった。
「一哉の好きなようにしなさい」
そう言って頭を撫でる手はいつもみたいに優しかったけど、信じられないぐらい色褪せた目をしていた。
母さんの目は真っ黒できらきらしていた。父さんはその目を黒パールみたいだって褒めてたんだ。一哉の目は母さんにそっくりだな、って俺の目も褒めてくれた。母さんの目が大好きだった。自分のはまるで違うと父さんに文句を言ったことだってある。なのに、今じゃまるで出来損ないのパールだ。灰色がかって、虚ろに足元ばかりをなぞる。
やめて、なんでそんな目で見るの?俺に幻滅した?なんで?やっぱり、サッカーできなくなっちゃったから…?
あんまりにも辛くなってある日父さんに、母さんの目が灰色だと言った。父さんは少しだけ俺を見て、いつも通りの黒だと返した。
そっか、じゃあ俺が灰色になっちゃったんだね。
ぎこちなく笑った俺に、父さんは何も答えなかった。
フェニックスが翼を落としたのは7月の初め。
伝説の不死鳥は、か弱き少年から希望の光を奪い堕落した。