ぽちゃん、ぽちゃんと耳に心地よい反響音を彼女は楽しんでいるようだった。小さな手が掬う水は彼女の手の間をすり抜けてすぐに落ちてしまう。それを面白そうに繰り返す彼女をわたしはずっと見つめていた。
「…ん?なんですかギュエール、そんなに見られると恥ずかしいです」
ようやくわたしの視線に気付いたらしい彼女は冗談めかした顔で笑う。まん丸でクリクリした目がすぅっと細くなったかと思えば、またすぐに大きくなる。
「いいえ、なんでも。ただ何をしているのかと見ていただけです」
そう答えながら、我ながらつまらない女だと思った。何をしているの?とか、もっと感じの良い答え方が沢山あるはずじゃない。ああまたやってしまった、と思ったけれど、後悔してもいつも遅い。
「水遊びですよ。水の音が綺麗でしょ、ほら」
ぽちゃん、とまたあの音がして彼女が「ね?」と目だけで返事を促してきた。
彼女の一言一言しゃべるごとにくるくると変わる表情はいくら見ていても飽きない。おんなじ天使でおんなじ女だと言うのに、どうしてこんなにも違うのかしら。
「そうですね、素敵だわ」
ああきっと今もわたしは死んだような目につまらない無表情なんだわ。透明な水面に映る自分の顔を消してしまいたくて人差し指で水をかき混ぜた。
「ギュエールは良いですね、指がすごく綺麗」
「…何を言ってるの」
「ほらね、長くて細くて真っ白。羨ましいわ!」
良くなんか無いわ、と言おうとした言葉を遮られて自分の左手に彼女の右手が重ねられた。重ねられた手からはわたしの指先が少しだけはみ出している。たしかにわたしの方が指は少し長いけれど、そんなののどこが素敵だと言うのかしら。
「こんなの…」
「指だけじゃないですよ?ギュエールは髪も綺麗だし目も綺麗。わたしの憧れなんですから!」
彼女は素直で優しくて嘘をつくような子ではないからきっと本心で誉めてくれているのだと思う。今だってまるで自分の事みたいに自慢気に笑っているのだから。
「…そうかしら」
でもわたしは自分の指も髪も好きでは無かったし、目なんて小さい頃からずっと大嫌いだった。色のない冷たい目のせいでいつだって怖がられてきたわ。みんなはわたしが天使だからというけれど、そんな言葉は聞き飽きてしまった。
「わたしはこの髪も目も大嫌いよ」
つい感情的な声が出てしまって、慌てて彼女に視線をやると、ぐいっと距離を縮められた。大きな目に真っ直ぐに見つめられて、思わず腰を引いてしまいそうになる。
「どうしてです!こんなに綺麗なのに」
そう言ってわたしの頬に手を添えた彼女はあの大きな目を悲しそうに揺らした。
アイエルの手は暖かい。触れられている左の頬が熱いのもそのせいかしら…ええ、きっとそのせいだわ。
「そんな顔をしないでください、アイエル…」
「もう…ギュエールは理想が高すぎますよ」
「そうね…わたしはアイエルのように生まれ付きたかったわ」
信じられない、とでも言いたげに見開かれた目は何度見てもサファイアのように真っ青で綺麗だった。いいえ、サファイアなんて下界の物とは比べものにもならないぐらいきれい。わたしの色のない目とは違って青く輝く目が羨ましい。肌だって小麦色ぐらいの方が絶対に素敵だわ。病気みたいに真っ白でも何にも良いことなんてなかったもの。
「あなたは可愛らしくて、優しくて…みんなに愛されているでしょう」
「そんなのギュエールもです」
「わたしは違うわ」
「違いません」
彼女がわたしの髪にそっと触れてすぅっと指を通す。気持ち良いようなくすぐったいような、不思議な感覚に襲われて思わず目を瞑ってしまった。
「ギュエールが美しくないなんて言う者は下界の民以下です」
彼女の声だけが聞こえる。髪の端で手を止めた彼女はその髪を一束とってそっと口付けた。
「魔王に食われて死んでしまえばいい」
「…魔王なんて安易に口にするのは愚かですよ、アイエル」
「ギュエールのためなら構わないです。堕天しても悔いはありませんよ」
「…馬鹿ね」
ああ待って、こんなことが言いたいんじゃないの。なんだかすごく胸が熱くてうまく言葉が出てこなかっただけなの。ねぇ、だってアイエル…あなたはわたしには眩しすぎます
「残念ながら生まれつきです」
彼女のそんな言葉にもわたしは答えることができなかった。まったくなんて役立たずな舌なのかしら。こんな舌、今すぐにでも噛み切ってしまいたいわ。
でも、そんなことできっこないとわたしが一番分かっている。わたしが愚かだから。こんな事を考えるのも、その癖そんな勇気は無いのも。
「さぁおやつの時間です。お部屋に戻りましょう」
「そうね…先に戻っていてください。直ぐに追いつくわ」
「そうですか?それでは先に戻りますよ」
「ええ」
遠ざかっていく彼女の背中には美しい白が輝いていた。幾度見ても、彼女は天使に相応しい。美しすぎて、自分にも同じ羽がついているなんて信じられなくなる。
嗚呼、どうしてこんなわたしが天使と呼ばれるのかしら。好きな人を愛することさえ出来ないこんな世界なら、いっそ堕天してしまいたい
そんなくだらない事を考えてふと水面に目を落とした。ついさっきかき消した筈の自分の顔が目に入る。
「大嫌い…」
そう呟いて冷たい水に指を立てた
ひとつ嘘を付きました。
小さな小さな嘘でした。
それが、いつの間にか私の心を鈍く焦がして、私はこの胸の痛みに潰されてしまうのです。
▽天魔企画様提出