螢火編
螢火編 | ナノ 帝は定子をこの上なく愛していた、だから彼女に似た藤花を無理やり参内させ後宮に迎え入れることにした。それは殿上人でさえ断ることができない。ましてや一介の女房である者の否定など出来るわけがないのだ。

運命という歯車は不吉な方へと音を立てて廻った。




──私はどなたの許にも嫁ぐつもりはありません

それを聞いた時、理解していた筈だった、覚悟していた筈だった。なのに確信に迫るかのようなその言葉は現実になってしまいそうで近い将来そうることが予測できそうな気がした。陰陽師の直感は鋭い、思い過ごしで済むことなど少ない。だからこそこういう時自分のこの誰にも見定められた直感が嫌になる時がある。

昌浩の耳に入ってきたのは信じがたい事だった、なんと一条帝が脩子の女房に参内するように命じたのだ。帝ともあろうお方が女房ごときにそんなことをするなどこれまでに事例がない、そもそも帝は藤花の素性を知っているようにも思えない。どうやって見知ったのかは昌浩には検討もつかないが藤花が内裏に入ることは確定してたということだけはわかった。

そもそも藤花は十二の年の瀬、元々入内するのが決まっていた。その星宿を変えたのが良くも悪くも昌浩だった。どういう経緯かわからないが参内するとなればこれからも彼女は不自由なく暮らせるだろう、ましてや帝の寵愛などほしい貴族はいくらでもいるのだ。幸福といっても過言ではない。だが彼女にとってきっとそれは幸福でもなんでもない。貴族という名に引っかかるようにいる安倍家とは違い、ましてや本人は望んでいるが内親王の女房などする位では本来ないのだ。だが呪詛はどうする、打開策は陰陽師が通うか、風音のように勾玉に強い霊力を込めたものを渡すのを繰り返すか。

それなら俺は護るしか残らない。護ると決めた、だけどそれはこんな形でじゃなく望むのは誰よりも側で。帝と肩を並べて微笑む彼女に参内し、彼女の呪詛を清める。これだけのことしか出来ないのか、彼女の幸せを守りたいのに、それを見るのは想像するのは果てしなく辛くて心が軋む音がする。望むなら本当は幸せを守りたいのではない、本当は彼女の幸せを自分があげたいとそう思うのだ。

気がつけば足は竹三条宮に向かっていた、式神も何もついていない。きっとこれで会ったら物の怪がいないことにめずらしいと言うだろう。呼吸は酷く乱れて、髪も風でなびいて絡まっている、数年前なら安倍家で待っている彼女が髪を優しく解いてくれた。いいと否定しても強い目で押し切られ、物の怪には彰子には弱いなといわれ、こんな絡まったままの髪で寝ると明日の朝酷いことになるからと告げられて、大人しく彼女に預けていただろう。だけどそれももうない、あの時決めたのだ。自分は遠い土地播磨で、彼女の幸せを。そして彼女は伊勢でどこにも行けないのなら脩子の側にと、そう望んだのだ。

それでも俺は…

行ってほしくなんかなかった。そう言えばよかったのだろうか。言えば変わっていたのだろうか。そして今もまた預かり知れぬ所で彼女が遠くへ行ってしまう、更に遠いもう二度と手の届かぬ場所へ。そもそも入内が決まっていた藤花、それなら貴族という名に引っかかっている安倍邸なんかより内裏のほうが余程いい待遇だろう。元の星宿に戻るだけだ。

それなのに…こんなにも悲しくて苦しくてやるせないのは何故なのか。

「…っ、」

呼べない、もう呼べないのだ。想いを込めて呼ぶことは。

それなら護るということだけを誓う、そして彼女の側にいたい。誰かに幸せにしてもらってる彼女を見るだけでも辛いのに会えないよりそっちの方が辛くてそんなどうしようもない自分に笑いたくなった。

その時、名を呼んでもいないのに彼女の声が聞こえた。今はもう子の刻、その肩に袿をかけてその瞳に映る。嗚呼、もうその瞳に映ることすら喜ぶようになってしまった。いつか消えてしまうのだろうか、藤花が自分に恋心を抱いているとは到底思えない。だけどほんの少し色恋があったのではないかという自信はある、それは彼女が自分と出会うまで俺以外の青年と会う機会などなかったからだ。だけどそれも参内してしまえば変わってしまうかもしれない、御身を守るだけの陰陽師、そして彼女の心を護るのはもう彼女の隣で微笑を浮かべているであろう帝だろう。

元の星宿、それでもその形をあの時と同じように思えない。

「…昌浩、?」

世界の時が止まったように俺は彰子へと近づいていき、御簾ごしではなく確かにその瞳を見た。

「…聞いたよ、参内するんだって?」
「…脩子様の側にいることが私の務めだと思っているわ、でも…」

いくら女房をと周りが何といおうと一条帝の勅命ならば応じない訳には行かないのだ。もういつか、いつの日か安倍邸に帰ってくるのではないかと諦めきれないでいた浅はかな願いさえも途切れてしまう。

「…螢、」

そうだ、結局見せてあげられなかった。それが原因で彼女はあの窮奇の声に応えてしまい呪詛に取り憑かれた。全ては俺のせいだ。

「…見せてあげるよ、螢」
「…え」

最後ぐらい約束を守らしてよ、彼女を護ること。側で護れなくともその先に彼女の笑顔があるのなら。十三の年の瀬の時、誓った約束は二つ。螢を見にいくこと、そして藤花を護ること、それは一生違えないつもりだ。これから先もずっと。陰陽師が約束を護らないと俺は陰陽師失格だ。きっとじい様にもきっと酷く呆れられてしまう。だから最後に叶えるよ。

「…明日、亥の上刻に迎えにくる」

それだけを告げて踵を返す、彼女がほんのすこし微笑んだ。やっぱり藤花には陽だまりのようにやさしく温かい笑みを浮かべててほしい。

「…うん、待ってる」

彼女が手の届かないところへ行っても、その左腕に光る瑪瑙の腕飾りはきっと大切にしてくれるんだろう。壊れてしまった櫛さえ大切にしまって置いてくれる彼女のことだから、そこに俺がいなくてもまだほんの少し彼女の中で俺が支配されていたいと浅はかにも願うのだ。



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