螢火編
螢火編 | ナノ
それは憂鬱そうに顔を歪める脩子にどうしたのかと尋ねてみる、すると幼い彼女はなんでも素直に教えてくれる。それを聞くとまるで本物にはなれないが少しでも彼女の母になれた気がするのだ。

「…お父様がくるの、」

藤花は絶対に下がっていてと命令されれば逆らえない、内親王だということもだが何より藤花にとって脩子は大切な人でその人に逆らうことなど考える由もないからだ。何故だか分からないが有難いことに脩子は私を参内させないと約束した、それだけが唯一の条件だった。それは彼女が寂しい思いをするからだと思っていたが後々そうではないと分かる時が来る。帝は脩子の母、定子をこの上なく愛していた。なので万が一藤花の顔を見れば見初めてしまうかもしれないということを恐れた。

そして万が一、中宮である章子や藤花が謀っていたとしれれば安倍家も藤原家も終りを意味する。それだけではない。もう昌浩の元へは帰れないかもしれない、脩子の側にいることが唯一出来ることでそれを決めたはずなのに心の何処かでいざという時の逃げ場所を求めてる。いつか帰れたらと望みを捨てきれないでいる、なんて勝手なんだろうと思ってもその気持ちだけは消せなかった、だからこの気持ちは閉まっておく。誰にも言わず、一人で。


とは言ったものの、脩子一人というのは心配で心配で他の女房がついているその後ろに几帳を立て見守っていた、几帳など本来自分が使うべきものではないがそうでもしないと様子を伺えない為、そうすることにした。

そして帝の声が聴こえた、こんなにも穏やかに喋るのかと脩子を心配している様子にほっと一息ついた。気苦労だったと思い脩子も来るのを何故か嫌そうにしていたが今では無邪気に本来あるべき姿で笑みを浮かべている、その姿がほんとうに愛しかった。母親を亡くし、父親だけが頼りだというのに父親は一条帝、そんなに頻繁に会うことはやはり難しい。だからせめてたまに会えるその日は時間も忘れてしまうくらい一緒にいてあげてほしいと母親心で見守っていた。

だが何処かで聞いたことがあるような声のような気がしてそっと覗き込むと目が合ってしまった。しまった、会ってはいけないと言われていたのに、顔を一瞬でも見られるのはまずいのではと焦りが走る。運悪く帝がこちらに視線を向けていたのが仇となった。

しかしその驚きも然り、なんとなく見覚えのある顔に彰子はある人物を思い出していた。そして声、まさかと思いつつも一致する其れに彰子は胸の前で手を握りしめることしか出来なかった。

「…もし、」

帝の声が此方に向けられたのが分かる。だが返答はしない、それもどうなのだろう。これほど高貴な方の言葉を無視するなどどんなお咎めをくらっても文句など言えない。

「…そこの女房、顔を見せよ」

御簾越しにいる藤花を呼ぶ、その言葉に脩子は女房など気になさらなくていいわ、今日は私とお話ししに来てくれたのでしょうと話を逸らそうとしてくる。しかしそれも聞く耳持たず衣の音がする。

「…」

相変わらず黙っていると御簾に手を掛ける、袖で顔を隠すが手を取られ顎に手を添えられる。そして目の前に開けたのは紛れもなくあの時出会った青年だった。

「やはり、貴女でしたか…」

なんのやはりなのだろう、彼の知っている私は藤原の姫としてか、市で会った女房としてなのか頭が困惑していた。そんな彰子の思考を遮るかのように帝は発言をやめない。

「…ずっと探していた、貴女を」

その言葉には焦りよりも、愕きに変わり伺うようにその顔を見た。その顔はまだ若い青年のような気がした。そして言うのだ、気晴らしで市に赴いたあの日、藤花と出会い定子に似ていた藤花をずっと衛士達に探させていたことを。



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