短編集 | ナノ
※時系列、夢見ていられる頃を過ぎ

「お姫ーっ、」

そうやって見事と思えるほど重なる声に苦笑しながら彰子は指を口元に持っていき静かにね、と笑んだ。

「…おお、これが赤子か」
「…かわいいなぁ、」
「…なぁ、」

感嘆する雑鬼達を見て彰子は小さく笑みを浮かべる、流石というべきか当代一の見鬼の才を持った彰子と将来有望とされてきた者との間に生まれた子、こんなに小さくてもその瞳にもう妖を移している。

「…こら、お前たち驚かすんじゃないぞ」

白い毛並みの物の怪が尻尾をゆらゆら揺らして赤子の視線を此方にやる、それをみた雑鬼達は面倒くさそうに返答をする。

「…でもどうしてここが分かったの?」

誰にも言ってないのに、と彰子が雑鬼達に目を向けるとまたもや声を合わせて合唱するかのようにいう。

「だってさー」
「やっぱり妖だからなぁ」
「多少の霊力のある奴の場所は分かるんだよ」

「…人間なんかは誤魔化せても俺たちの目は誤魔化されないぜ」

と自信ありきに口を揃えていう、それに安堵したものかどうするのが正解なのかわからない彰子はまあこの事がこの屋敷の主に知られてない訳はないのだから大丈夫だろうと理由付けする。

「…にしても可愛いなぁ」

「なぁ、お姫そのまんまだぜ」
「でも目の具合は、孫に似てるぞ」

「「確かに、」」

そんな打掛論をしていると話は飛脚して、孫みたいに陰陽師になるのかな、腕は確かだけどすこし抜けてるところが似ないといいけどなあ、俺たちごときに潰されるしなあ、今だにだしなあと散々ないいようだ。それに彰子も小さく燻るように笑う。

「…随分と失礼ないいようだな、」

呆れた顔で後ろに立っていたのは昌浩でその手にはちゃっかりと札が握られている、隙もあったもんじゃない。それに揃いもそろって冗談だよー、そんなことも通じないのかあ、と更に拍車をかけるように罵倒するので昌浩は結界の外へと追い出した。向こうでは非道だと声が聞こえるが、どっちがだと心で自答を繰り返していた。

「…昌浩、おかえりなさい」
「…ただいま」

見つめあって交わし文句をかわすと縁側に腰掛けて昌浩は今日何があったのか話しはじめる。今二人は前いた場所とは異なる遠い無名の山にいる、全てを都に置いてきて二人で暮らすということを決めた。十二神将は物の怪は変わらず昌浩の側に、彼が留守の時はこの仮屋を守るということが日常になっている。

太陰や玄武、朱雀と天一が時折心配して顔を見せるときがあるがそれぐらいだ。後は変わらず清明に仕えている、雑鬼達は人ならず嗅覚と霊力に引き寄せられ昌浩のいるこんな場所までついてきて、無法地帯となった空き家をいつの間にか自分たちの住処としている。

そういう昌浩達もその空き家を勝手に使用している訳だが、人の住めるようすこし手入れを施して崩れそうな部分は術で施している。そんなことでいいのかねぇと呟く物の怪もいたが、昌浩は術は使うためにあるのだと得意げな顔をしていっていた。昌浩曰く陰陽師という名も安倍晴明という名もいらず、困っている人を助けることが陰陽師だと言い張った。だから都を捨て、そして彰子を連れて今は名もなき無名の地でひっそりと暮らしている。

「…それでね、お礼にってくれたんだ」

たまに山を降りて家を留守にすると祈祷や何やらで助けてくれたお礼にと作物をくれるので食べるのには困らず、昌浩はじい様に来た遠縁の依頼を片付けることで僅かだが報酬を得ているといったところだ。

「…寝てるね、」
「さっきまで、もっくんと遊んでいたのよ。疲れて眠ってしまったみたい」

「…夜、寝れなくならなきゃいいけど」
「…ほんとね、」

最近、ようやく立ち上がることができるようになった娘は奇妙な物の怪に興味津々でその後ろを追うことが遊びになる、道具も何もない中ではあるがそれが微笑ましくまた物の怪が何より穏やかな表情をするのでそれを見ているのがすきだと彼女はいう。

「…ほんとうに俺の子なんだね、」

「…あら、昌浩まだ疑ってるの?」
「…いや、そういう訳じゃ」

確かに帝の子という線もないことはない、だが何よりその子の持つ霊力や顔立ちからして昌浩の子ということは明確だ。

「…じゃぁ、どういう意味?」

地雷を踏んでしまったと苦笑を浮かべる昌浩だったが一度目を細めてその寝ている我が子の髪に触れる。

「…疑ってはないんだよ、この子の霊力も顔だって俺そっくりだ」

「…じゃあ、」
「…だから信じられないんだよ、」

夢なんじゃないかって思うほど、幸せだからね。彼は一呼吸おいてそう告げると彰子の後頭部に手を回して引き寄せる、そして柔らかく口づけするとそう距離も離さず穏やかに笑う。それがなんとも不意をつかれたようで彰子は気に食わない。

「…いきなりは嫌だって前も言ったわ」

「…ごめん、ごめん」
「全然、反省してないじゃないの」

彰子が頬を膨らませる、それに関しても可愛いなぁと反省の色がないのは誰が見ても一目瞭然だろう。そんなことを気にもせずに昌浩は腕を緩めることなく彰子を自分の胸の中に収める。

「…なんか、幸せだったから」

確信犯なのか、そうじゃないのか彰子の眼前で微笑む昌浩はすこし主導権を手にしたようでまたもや見つめている彼女の頬に手を添えて口づけを落とす。しばらく其れは続き中々彼の腕から解放されなかった、たまに彼が家を留守にするとこうなるのは目に見えていて物の怪も何も言わずに姿を消していた。

こんな幸せに辿り着くまで相当苦労したものだと思いを馳せる、隣にいる彰子を優しく抱きしめて瞼を閉じて思い出す。懐かしく切ない痛みを。




──四年前

彰子は涙脆い、そのくせいざ恐怖に立たされると毅然とした態度になり泣かなくなる。それを無茶だというんだと俺は知ってる。そんな彼女だからこそ護りたいと思った、この命をかけても。

十三の年の瀬。彰子は呪詛に侵されたがその身を我が身に移すことで元の星を辿るように入内した、それが三年前の冬の頃だ。今ではじい様も今より高齢になり参内することが難しくなった為にはじめて左大臣様のお屋敷、三条殿に赴くことになった時のように使いを頼まれた。

月に一度、中宮となった彼女の御身を守るために彼女の中に刻まれた呪詛を鎮めるための祈祷だ、それとじい様曰く退屈しのぎの他愛もない談笑をと。その光景はじい様なら簡単に目に浮かぶ、中宮であれどじい様なら周りの目を気にせず軽く目を細めていつもの調子で笑っているんだろう。

果たしてそれが自分に出来るだろうか、祈祷自体には問題はない。だがじい様のように中宮が目を奪われることもなければ、その気になれば安倍晴明という者は逆らったものに呪詛をかけることだって容易いという前提の恐怖が役人達は少なからずあるのだ。

もう会うことはないと思ってた、会わないから考えることをしなくてよかった。それでも完璧に忘れることなんて一度もできなかったけど。

「…陰陽師様、」

胸がどくんと脈打つ、その懐かしい声に焦がされて上手く声が出来そうになかった。


「…わざわざご足労でした、」
「…い、えっ」

御簾ごしでも微かに読み取れる彼女は昔より少し落ち着いていて耳に響く幼い少女の声ではなく嫋やかに響く凛とした女性の声だった。

「姫様…」
「下がってていいわ、」

お付きの女房は昌浩をちらりと一瞥するとその場を去っていった。祖父の名代で参ったことを告げると彼女は微かに笑んで御簾がかさりと一瞬揺れた。

「…ひさしぶりね、」
「…」
「…ほんとうに、久しぶり」

要らぬ言葉が出てきそうで唇をきつく噛みしめる、隣にいた物の怪はすこし笑んでいつもの如くその白い塊を丸めた。

「…中宮様も息災のようで、安堵しました」

その言葉を告げた途端、御簾がひどく揺れた音がした。すると顔を俯かせていた昌浩は身動き取る前に彼女の腕の中にいた、鼻に香る匂いに目を細めながらその首に巻きついた手を除ける。


「…っ、中宮」

「…」
「何をお考えですか、はやく御簾の中に入られますよう…」

さすがに隣の物の怪も瞠目した、がその目に浮かぶたくさんの滴に居た堪れなくなってそっと目を閉じた。幼かった二人がこうして成長し再び出会い、見た目は変わっても想いは変わらないことを知っているからだ。

「…誰もいないわ、」
「そういう問題じゃなくて…」

誰かに見られて密通だといわれても返答のしようがない、このことが帝の耳にでも入れば藤原家、安倍家も共に没落へとまっしぐらだ。

「…もう嫌なの、陰陽師は困っている人を助けてくれるんでしょう?」

「…」
「…お願い、私を連れてって」

はじめて彼女が他人のことじゃなく自分のことを護ってほしいといった、俺は彰子を守るという約束をしたけどそれは俺が護りたかったからで彼女が最初に望んだことではなかった。


「…駄目だよ、」
「…どうして、昌浩っ」

彼女の頬でたくさんの滴が舞う、久しぶりにみた彼女は残像に残っていたものより比べられないほど綺麗でその濡れる瞳すら愛しく思える。彼女の肩を押して俺は自分でも本心ではないことを告げる。

「…そんな事をなさるのなら、私はここに来るのも遠慮願います」

その言葉に彼女は目を見開きそして傷ついた顔をしていた、こんな顔をさせたい訳じゃないのに。一礼してその日はその場を去った、何処にいっていたのか肩に乗ってきた物の怪は憐れむような強面で見やる。

「…あそこまで言わなくてもよかったんじゃないか、」

「…いや、彰…中宮は全然立場が分かってない」
「…それほど必死だってことだろう」

昌浩と呼ばれた時、まだそうやって呼んでくれることに喜びと憂いを帯びた、辛くて悲しいのにどこか嬉しい。だけどこんな感情を持っちゃいけないと自分に言い聞かせた。


それから明後日、再び中宮の元へと赴いた、陰陽寮を退出してからだったので日暮れ時だった。中宮の元へと案内されている時、彼女の部屋から夥しい悲鳴のような声が聞こえてきて咄嗟に御簾を払いのけ部屋に入ると手首を真っ赤にした彰子と顔を蒼白させた数人の女房がいた。

「…きゃあああぁぁ、」

「…中宮様がご乱心じゃ、」
「…はよう、はよう陰陽師を」

慌てふためいた女房が口々にそういうが、俺はその本人の手首を取りとりあえず一時期の止血をする。

「…祈祷致します、速やかにこの部屋から出て行かれよっ」

そうとだけ応えると女房達は大人しく部屋を出て行った。まさかこんな嘘をつくことになろうとは思っていなかった、二人だけになるにはなんとも効率よく手際のいい嘘なのだ。

「…何してるんだっ」

怒号を放ち、怒りに任せて彼女の顎に手をかけその顔を見やる。すると泣いているかと思われた顔が涙一粒さえこぼしていなかった。

「…だって、」

彼女が消え入りそうな声で言葉を紡ぐ。

「…だって、昌浩がいないんじゃ私はただの人形のようなものだわ。生きるのも死ぬのも変わらない」

「…」
「…それなら死んだ方がいいわ、」

あの頃と変わらない強い眼差しで俺の目を真っ直ぐに見つめ返す、俺はこの瞳に逆らえないんだっけ、と心の中で溜息をもらした。

「…覚悟は出来てるんだな、」

何かを得るということは何かを捨てるということ、そして彼女の場合何もかもを失くす。地位、家、贅沢、何もかもがすべて失くし豹変する。

「…ええ、」
「…戻ることも、出来なくてもか?」

「…そこに、昌浩がいるのなら」

私は何も要らないわ、そうやって告げるから俺は彼女を睨みつけてたその目を解いて彼女の可憐な身体をこの御胸に抱いた。そして小さく俺もだよ、と彼女の耳元で応えた。

そういった後の彼女の笑みは今までよりも緩やかな表情をしていてお互いに離れまいとその胸に抱かれたまま姿を消した。後に戻ってきた女房達の元には陰陽師の姿しかなく中宮様は神隠しにあったのだと世間に広められた。それを聞いた安倍の者は妙に納得し、そして左大臣も又存続の危機にあったため口を封ずることで己の身を守った。




「…ねぇ、彰子は今幸せ?」

瞳を開け、感慨深い声で彼女を抱きしめたままか細い声で彼は問うた。それを一瞬驚いたようにして彼女は微笑んだ。

「ばかね、幸せに決まってるじゃない」

彼が側にいるなら、彼女が隣にいるならそれ以上に幸せなことはないと二人きつく抱きしめ合った。その腕の中で小さく小姫が微笑った、幸せに触れて。

そうやって高貴な藤の花は生涯、誰の目にも移ることなく限られた者の中でだけ命を灯らした。



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