短編集 | ナノ
※時系列、未来

夏になるとどうも上手くいってくれない、そういえば随分前にこんなことがあったなと思い出す。随分前のような気もするけどそんなに前と思えるほど薄い記憶になっていないのは、その時の心情を今でも鮮明に思い出せるからなのだろうか。

「…彰子、入るよ」
「…昌浩?」

昌浩は茵に横たわっている彰子の枕元に膝をおって様子を伺う、高貴の藤の花だった彼女は今もこの安部の邸で咲いている。その事実がまだ信じられないようで、しかしそれとは裏腹に二人の間で流れるゆっくりな時間は長い時を経て紡いできたものだと思われる。

「…ごめんなさい、今年も蛍を見る約束を逃してしまうわね」

残念そうに顔を歪める彰子をみてそれをみた昌浩が苦笑する、そして言うのだ。いつものように。

「…大丈夫、約束を伸ばすのはすこし寂しいけど次の楽しみが増えるってことだよ」

まさに昌浩らしい考え方に彰子も同意する、この年明けに二人はようやく夫婦となることが出来た。それを神将も祖父も父上も母上も自分事のように喜んでくれた。

長かった、手に入らないと思った。大切に育てられた高貴な藤の花。それが今自分の物になったということに本当に信じられなくて彼は何度も腕に抱く、無理をさせすぎたかなと本人はすこし的外れなことを考えていた。しかしそれは杞憂で彼女が体調を崩したのはただ梅雨にさしかかる季節の移ろいによるものだった。

「…もっくんは?」
「…あれ、さっきまでいたんだけど気を利かせたみたいだ」

その言葉に首を傾げそうな勢いの彼女の髪をひと掬いする、綺麗なすこし濡れたぬばたまの髪は彼女の匂いが充満してそれに顔をうずめそうだ。その行動に顔を赤面させたのは彰子でその顔をみて昌浩はまたくすりとひとつ笑みをこぼす。

「…俺がこうゆう事するって分かっちゃったのかな、」

こうゆう事って…そう口を開きかけた時、昌浩は持ってきた薬を溶かした白湯を己の口に含んだ。

「…え、昌浩?」
「…」
「…っん、」

有無を言わさず近づいてきた顔を避けることは叶わず昌浩の左手に頭を抱えられる状態で口づけされる、思いもしない行動に彰子は身動きひとつ取れずに彼の為すがままだった。

口の端しかほんのすこし滴が伝うと彰子の眼前にはなんとも満足気の昌浩の顔、なんともいえない顔で彰子は昌浩を見つめると、唇を噛み締めて先程よりも顔を赤く染め上げた。

「…ずるいわ、」

そう、俺はずるい。彰子のこんな顔をみて愛おしさが募るばかりだ。その顔がもっと見たくて彼女の困らせてしまうのだから。

「…自分で呑めるのにっ、」
「…うん、」

「…ちょっと体調が悪いだけなのにっ」
「…うん、」

「…支えてくれなくたって一人でも、」
「……うん」

「…聞いてるの、昌浩?」

すこし憤り気味の彼女さえも可愛くてそれを受け流す、それはまるでたぬき爺いといわれる祖父の道を辿っているといわれても仕方がない。人を困らせて楽しむという所は変わらない、本人は気づいているのだろうか。

「…でも、俺がしたかったからさ」
「……っ、」

悪びれも無く微笑いながらごめんね、と返すと音も上げられずまたずるいと彰子は呟くのだ。そしてそれにと言葉を続ける昌浩は一切反省をしていないようで、今度は口実もつけずに彼女の頬に口づけを降らす。

「ねぇ彰子…今夜、駄目かな?」

外は雨、シトシトと滴る音の中、衣の擦れる音はかき消された。きっと今晩、いや今日という一日中彼女の側から離れられないであろう彼が想像できて、彰子はいつ休まるのだろうと屋根の上の物の怪はため息を零していたことを二人は知らない。

夏になると魔物があらわれる、君を連れ去って独り占めしたいという彼の強い意志によって。今宵は眠れぬ夜を過ごしそうだと彼は思ったそうだ。


了。


◆◆◆

六年前に昌彰でははじめてリクエストを頂いた産物です。咲耶様、有難うございました。すこし加筆、修正しました。巡り巡ってまたお会いできますことを願っております。


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