君が、好き 04

 凛月くんと話すためにやってきたのは、凛月くんがライブ前によくこもるピアノのある部屋。
 昂る気持ちを落ち着かせるように、凛月くんはここでピアノを弾く。
 連弾用のピアノ椅子に凛月くんは腰掛ける。私はその隣に、鍵盤には背を向けて座った。

「何か弾いてほしいの、ある?」
「凛月くんが落ち着く曲でいいよ」

 そう答えると、凛月くんは静かに鍵盤に指を沈み込ませた。
 静かで清らかな音色。
 真緒くんが昔言ってた。
 凛月くんのピアノが一番好きだって。
 綺麗な心地よい音に、心が落ち着く。真緒くんの言ってたとおり。
 私もこの音が好き。
 あーあ。また、真緒くんのことばっかり。

「まーくん。今度は何やらかしたの?」

 ピアノを弾きながら、凛月くんは私に聞いてくる。
 凛月くんは卑怯。ピアノで心を落ち着かせた頃にそんなことを聞いてくるから。
 緩んだ緊張が、私の口を簡単に割らせてしまう。

「他のアイドルと一緒にして、真緒くんのことなんか全然覚えてないんだろーって。怒られちゃった」
「うーわ。忘れてるまーくんが言っちゃったんだ、それ」

 それもショックだった。
 でも一番ショックだったのは、たぶん……。

「他のアイドルと恋愛してもいいんじゃないの? って、言われちゃった」

 思ったより声色は明るく出た。
 凛月くんもさすがに驚いたのか、珍しく音色が微かに乱れていた。

「真緒くんは、私が他の誰かを好きになっても何とも思ってくれないんだーって」

 そんなの、私よりも真緒くんのほうが嫌がってたのに。毎回、こっちが困っちゃうくらい私の心が他人に向かうことを不安がっていたのに。

「そう思ったら……悲しくなっちゃって。思ってもないのに、大嫌いなんて言っちゃった」

 それが尾を引いて、真緒くんに謝られた後も真緒くんに何も言えずにいる。
 もうどうしたらいいのか分からなくて、大切なライブ前に行く宛もなくスタジオを歩き回ってる。

 案外、昔の真緒くんだって私がいなくても大丈夫だったのかもしれない。結局、真緒くんがそばにいなきゃダメだったのは私のほうだったのかもしれないって……。

 答えが見つからなくて。
 私のことを好きだった真緒くんが、どんどん私の記憶から遠のいていって。
 分からなくなる。全部上書きされていく。

「それはまーくんが最低だねぇ」

 凛月くんは相変わらずのんびりした口調で答える。
 でも凛月くんの言葉は適当そうに見えて、痛いところをついてくる。

「それで、あんずはまーくんに会いに行かないの?」

 どんな顔をして会えばいいのか。
 どんな言葉をかければいいのか分からない。
 そんな言葉は全部ただの言い訳。
 ただ、私は今、真緒くんに会うのが怖いだけなんだ。
 今度こそ、本当に拒絶されそうで。

「このままライブに出たら、間違いなくまーくんは失敗するね。ファン減っちゃうかも」

 真緒くんの現状を凛月くんは的確に把握している。
 でも、今の私には何もできない。

「あんずまで変わっちゃったら、記憶の底に隠れちゃったまーくんは何を頼りにあんずを探せばいいんだろうね」
「……だって、私はもう真緒くんの力にはなれないよ」

 私の言葉は真緒くんに届かない。
 真緒くんの気持ちを逆なでするだけの存在ならいらない。

「それを、あんずが決めちゃうの?」

 凛月くんは一曲弾き終えて、一息つく。

「力になれるかどうか、決めるのはあんずじゃなくてまーくんだよ」

 そう口にして私に視線を滑らせた。

「気持ちなんてその時々で受け取り方は違う。不安定な時なんて特にそう。昨日は嫌だったことが今日は嬉しいかもしれない」

 昨日届かなかった言葉が今日は届くかもしれない。
 ずっと伝わらなかった気持ちが今日は伝わるかもしれない。
 その逆だってありえる。ずっと伝わらないままってことも。

「伝わらないと決めつけて、あんずは諦める? まーくんに手を差し伸べること」

 答えなんて、言わなくても凛月くんは分かってる。
 だからそんなにも穏やかに笑ってるんでしょ?

「もし、今あんずが手を差し伸べなくてもまーくんは記憶を取り戻すかもしれない。逆に手を差し伸べても記憶は戻らないかもしれない」

 皮肉なことに、それは誰にも分からない。

「でも、今のまーくんがどっちの行動をとったあんずに惚れるかは一目瞭然だよね」

 過去の気持ちが手に入らなくても、今の気持ちは手に入れられる。それは全部、今の私の行動にかかってる。

「あんずは、あんずを好きになったまーくんに恋をしたの? あんずを好きじゃなくなったまーくんはいらない?」

 違う。私は、真緒くんの気持ちがどこに向いてるかなんて考える前からずっと……真緒くんのことが好きだった。気づけばもう大好きだった。

「まーくん以外の誰かを好きになる自分を……あんずは想像できる?」

 そんなの……。

「……想像できないし、したくない」

 私が答えると、凛月くんはうんうんと満足そうに頷いた。

「俺も、想像できなかった」

 そう口にする瞬間だけ、凛月くんの表情が少しだけ切なげに歪んだ気がする。
 でもすぐに凛月くんはいつものヘラッとした笑顔を向けた。

「だったらもう、やることは決まってるじゃん」

 答えなんて、考えなくても最初から決まってる。
 悩んだって、私がしたい行動は決まってる。
 ただ、誰かにこの行動を肯定されたかっただけなんだ。

「凛月くん。私、行くね」

 椅子から立ち上がると、凛月くんはのんびりと「いってらっしゃい」なんて声を上げる。
 そんな凛月くんに私はもう一つ、我儘な願いを残していく。

「真緒くんのこと、ライブでは本気で潰しにかかってね」

 凛月くんの赤い瞳がまん丸に開く。その瞳から目をそらさずに、私はニッと笑う。

「じゃないと、みんな真緒くんのパフォーマンスにのみこまれちゃうから」

 根拠なんてない。自信なんてない。
 でもそう信じるの。
 だって私の好きな真緒くんは、みんなを虜にするパフォーマンスをする人だから。


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