『普通』の幸せ 03

「あーいいな! さすがおれの愛弟子だ、あんず!」

 私の考えた演出を確認した月永先輩は満足そうに両手を広げる。そしてすぐにハッと目の色を変えたので、私は慣れた手つきで先輩の前にペンと紙を用意した。

「サンキュ! 霊感がわいてきた! あんずのイメージがおれのイメージと融合してあんさんぶるが奏でられる!」
「また意味わかんないこと言い始めた……。あんずも何ペンと紙差し出してんの」

 瀬名先輩が呆れた顔で私のことを睨んだ。

「あはは、つい癖で」
「学院時代の癖がまだ抜けないなんて重傷じゃない?」

 瀬名先輩に言われて、私はまた笑う。私の笑顔を見た瀬名先輩は少しだけ安堵したように表情を柔らかくした。

「……瀬名先輩?」
「よかった。わりと元気そうで」

 瀬名先輩はあの日病院にいた人の一人。
 真緒くんが私のことを忘れてしまった事実を目の当たりにした人だ。

「元気ですよ」

 にこりと笑って答える。
 身体はいつだって元気だ。
 でも瀬名先輩が言っているのはその類の元気ではないこともちゃんと理解してる。

「……アイツはまだ、少しも思い出さないの?」
「残念ながら、思い出せないみたいです」

 言葉が辛いから、他人事のように文字として読み上げる。感情のこもらない言葉は寒々しくスタジオに響いた。
 そのせいで、レッスンをしていた司くんも嵐ちゃんも……そして作曲に集中していたはずの月永先輩までもが私の様子をうかがうように視線を私に向けた。

「あんたも、まだ何も教えないつもりなの?」
「はい。……でも、我慢しきれなくなって教えたことも少しありますよ。……だけどやっぱり何も変わりませんでした」

 苦しい、辛い。そんな感情を自分の心に結びつけないように、笑顔を貼り付ける。言葉と感情を切り離す。
 そうして笑う私を見て、瀬名先輩は悲しい表情を浮かべた。

「俺は……あんたのそういう顔が好きじゃない。美しくないから」
「あははっ、そりゃあ瀬名先輩に比べたら私の顔なんて……」
「容姿の話じゃない。……その無理した顔」

 瀬名先輩は私の偽りの表情を否定して、目を閉じる。

「あんたは強いよ。でもどんなに強くても少しくらい弱るときはある。それなのにあんたはそれを隠して強い振りをする」

 瀬名先輩は的確に私のことを分析してる。それは昔から変わらない。

「それはプロデューサーとしては強みになるけど……いつか爆発するってずっと心配だった」

 学院時代、瀬名先輩はずっと私を心配してくれていた。バカみたいに仕事をして、つらいことも全部隠して頑張る私を見て『いつか壊れる』と。
 まるで、誰かと重ねているみたいに。

「でもそんなあんたが唯一弱さを見せられる相手が衣更だったから。……だから俺は、あんたたちが付き合うことも否定しなかったよ」

 プロ意識の高い瀬名先輩は誰よりもアイドルとプロデューサーの恋愛を否定しそうだったのに。
 瀬名先輩は、私たちの関係を知っても否定しなかった。否定するどころか「よかったねぇ」なんて優しい言葉をかけてくれて、次の日は嵐か? なんて真緒くんと不安に思ったくらい。

「だから俺はね。衣更が記憶をなくしたとかどうとかよりも……あんたが壊れないかが心配」

 何も、言えない。

「今、あんたには弱音を吐く場所がないのに……衣更はあんたを追い詰めて。あんずが今、アイツのそばにいることにメリットはある?」

 瀬名先輩の言葉が胸に響く。
 先輩の言いたいことなんて、考えなくても分かる。
 弱い本音はもう喉のすぐそこまで出てくるのに吐き出せない。心の弱い部分を救ってくれたのは、いつだって真緒くんだったから。
 ずっと、真緒くんじゃなきゃダメだった。

 でもその真緒くんがいないなら。……もう、戻ってこないなら。

 私が黙ったままでいると、隣に座っている月永先輩がペンを机の上に置いた。

「軽快かつ優美なメロディーがどんどん不穏で破滅的なメロディーに変わる。これは駄作か? いや、おが駄作を生み出すなんてありえない! これもきっと素晴らしいメロディーだな」

 書き終えた譜面を私に見せながら月永先輩は薄く笑った。

「おれは小耳に挟んだ程度にしか知らないけど。先輩は頼るもんだぞ、あんず」
「月永先輩……」
「壊れてしまってからじゃ遅い。……何もかも。気づいた時には全部失う。壊れるってことはそういうことだ」

 月永先輩の瞳に陰が差す。
 その破壊を彼は知っている。だからこそその言葉には重みがある。

「おれたちみんな、あんずのことが大好きだから。おまえには後悔してほしくない」

 選択肢を一つでも間違えば、私の未来は真っ暗になる。
 分かってる。
 真緒くんが、もう私を思い出さないなら……離れたほうがいい。お互い別の道を歩んだほうがいい。
 真緒くんのためにも、私のためにも。
 でもわずかな可能性を、私は捨てきれない。
 真緒くんが記憶を取り戻さなくても、真緒くんから離れることも、どっちにしたって私にとっては真っ暗な未来だから。

 ……それなら、真緒くんのそばで真っ暗な未来に向かいたいと。
 そう思うのは、やっぱり愚かなのかな。


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