欠けているピース 06
※あんず視点
「衣更くん、大丈夫?」
真緒くんに言われるまま、私は休憩室を解放して真緒くんを椅子に座らせた。
「……ああ」
「水飲む? それか横になる?」
私が尋ねると、真緒くんは「別にいい」と首を横に振る。そうして、ただひたすら私と目を合わせようとしない。
「……悪い。逆先と話してたのに」
「ううん。後で話すし、夏目くんに用事があるなら後日また連絡するし」
私がそう答えると、真緒くんが少しだけ眉を寄せた。
『逆先と……何話してたの?』
今の真緒くんを見てると、思い出す。
昔よく、真緒くんは……私が夏目くんと話すとそんなふうに聞いてきた。夏目くんは単純に私をからかうのが好きだっただけなんだけど、真緒くんは『仔猫ちゃん』呼びが気に障ってたらしくて。
よく……ヤキモチを妬いてくれてた。それが嬉しいような、複雑なような……そんな気持ちを抱いていた。
だから今日も夏目くんと話してる時、真緒くんのことを一瞬気にしてしまった。でも当然今の真緒くんがヤキモチ妬くはずなんてなくて。
私はそれを実感して、夏目くんと話すことに夢中になっていた。
だから正直、真緒くんが休憩室に連れていってと言ってくれた時は驚いた。まるで夏目くんから私を引き離そうとしてるみたいに思えたから。
それも、やっぱり真緒くんの中の忘れられないことの一つなのかなって期待した。
だって……。
スバルくんのいうとおり、真緒くんの顔色は確かに少し悪いけど、でも分かるの。
「ねえ、衣更くん」
「……なに?」
「別に体調悪くないでしょ」
私がそう尋ねると、真緒くんは目を大きく見開いた。久しぶりに、こんなにも分かりやすい真緒くんを見た気がする。
「なん、で……」
「衣更くんの体調悪い時はすぐ分かるから。あと睡眠不足のときも」
真緒くんは自分から体調悪いなんて言うタイプでもないから、オーバーワークして倒れるか、逆にハイになってから元気になるか。睡眠不足のときは大きなクマさんが現れる。
今回はそのどちらでもないし、さっきまで普通にレッスンしていたのを見てたから分かる。
だから余計に、心がざわつくの。なんでわざわざ休憩室にやってきたのかなって。
「……分かってるなら、止めろよ。プロデューサーなら。……こんなのサボりなんだから」
真緒くんはきまり悪そうに私から目を逸らしたまま言った。
真緒くんの言う通り。プロデューサーなら……本当は今すぐ戻って、レッスンを再開すべきなんだと思う。だからこれは私個人のわがまま。
「うん。でも衣更くん、いつも真面目だし……オーバーワークしちゃうときもあるから。たまにはサボりを容認しようかなと思って」
私が笑いかけると、真緒くんはやっと私のことを見てくれた。
その顔は、とても頼りない。何かに縋りたそうに歪んでる。
「……やっぱり、お前のプロデュースは普通じゃないよ」
「そう?」
「だからといって……俺には普通のプロデュースなんて、分からなかった」
真緒くんはそう言って、ゆっくり口を開いた。
「学院時代からずっと、俺はお前のプロデュースしか……受けてないんだな」
見つけられない記憶は全部私につながる。そう思えば、真緒くんがその答えに気づくのは必然。
私が頷くと、真緒くんはさらに表情を歪ませた。
「……それだけ一緒にいて、お前は異様なくらい俺のこと理解してるのに……俺たちは、仲良くなかったわけ?」
真緒くんは、私の記憶を思い出そうとしているんだと思う。それが嬉しいのに、私は何も言えない。
自分たちのあいだには何もなかったのだと言い続けて、今さら『恋人でした』なんて教えられない。
「仲良くなかった……わけじゃないよ」
だからこれが、私に言える精いっぱい。
「じゃあ……教えろよ」
真緒くんの声は震えていた。
「なんで嘘ついたんだよ。なんで思い出とか何一つ言わないんだよ! 言ってくれたら思い出すかもしれないのに!」
そんなふうに怒鳴って、真緒くんは椅子から立ち上がり私の肩を握った。
「みんなして、なんで俺の記憶隠すみたいなこと……するんだよ」
隠したいわけじゃない。
思い出してほしいよ。でも……。
「言わないと思い出せないような記憶なら、あってもなくても変わらないでしょ?」
なんで、私はこんなことを口にしているんだろう。
どうして自分の心を抉るようなことを言っているんだろう。
「……それは」
こんなの、真緒くんを責めてるみたいで嫌なのに。
「ていうかね。別に話すほどの思い出はないんだよ。ありふれた日常ばっかりだったから」
だからまた嘘をついちゃうの。
自分で思い出を追いやって、真緒くんから切り離してる。
思い出してほしいくせに、思い出せないようにしてるのは自分だって、そんなこと分かってるの。
でも、嫌なの。私と付き合っていたって伝えて、真緒くんが驚く顔を見るのも。「嘘だろ」って呟く声も聞きたくないの。
「じゃあ……私はいったんレッスン室に戻るから」
「……待てよ」
踵を返そうとするけれど、真緒くんは私の肩を握ったまま離してくれない。
「衣更くん、離して」
「じゃあお前は話せよ。俺に……本当のこと」
ダメなのに、私は真緒くんの顔を見てしまう。
今、彼の真剣な顔を見たら……囚われるって分かってるのに。
「そんな顔して……もう嘘吐くな」
記憶がないのに、なんで私の嘘を見抜くの。なんでそれは見抜けるのに、記憶は戻らないの。
「嘘じゃない」
「あのなあ!」
「本当に……嘘じゃない!」
ダメだ。ダメだ、ダメだ。
泣いちゃ、ダメ。
「……っ、あんず」
涙がこぼれおちる。拭うこともできず、雫は溢れて床に落ちた。
「ちがう……ちがうの、目にゴミ入った、だけだから」
だからお願い。何も言わないで。
もう聞かないで。
そう、願ったのに。
「……っ」
真緒くんが、私を抱きしめていた。
頭を撫でて、あやすように。
「……悪い。なんか、お前が泣いてるの見たら……こうしなきゃいけない気がして」
好き。この手が……君の温もりが。
やっぱり好き。どうしようもないくらい。
「……うわっ、なんでもっと泣くわけ」
そりゃ泣くよ。真緒くんが悪いよ。涙が止まらなくなる。
私を抱きしめる真緒くんの温もりが以前と変わらないままで。前の真緒くんと今の真緒くんは同じじゃないのに。
どうしてこんなにも、同じ温もりなんだろうって。
「……っ、うっ」
好きな気持ちが、止まらないの。
昔の真緒くんはもちろん、今の真緒くんに……心が持っていかれる。
「あぁ……悪い。……俺が、怒鳴ったからか?」
どこまでも優しい。真緒くんらしいちょっと的外れな、優しさ。
私は真緒くんの背中に手を回そうとして、その拳を握る。まだ、ダメだと。
「……なあ」
私は声が出せない代わりに頷いて、真緒くんに話の続きを促す。
「俺……前もお前のこと、抱きしめたことある?」
うん、たくさん。
でもそんなこと言えないから……私は何も答えない。頷くことも首を振ることもせずに黙っていると、真緒くんは静かにこう言った。
「こんなときに言うことじゃないって分かってるけど……すげー柔らかい。……この柔らかさ、知ってる気がして」
真緒くんの変態。そういうところだよ、本当。
どうしてそんなことを覚えて、もっと大事なことを思い出せないんだろうね。
「ごめん。今の発言はアウトだよな。……うわっ、なんか結構テンパってるな、俺」
焦ってるのはとても伝わってる。
真緒くんの心臓の音が早鐘を打ってるのが聞こえるから。
「……衣更くん」
本当にずるいよ。私のこと、覚えてないくせに。真緒くんの記憶以外の全部が私を覚えてるなんてね。
「あともう少しだけ……抱きしめてて、ほしいです」
嘘を吐いて全部隠している分際で、そんなことを頼む私もずるいけど。
「……ん」
私に気持ちなんてないくせに、それを了承してしまう真緒くんは、もっとずるいと思うの。
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