また明日 02

 家入さんの診療室を出て、私はもらったタブレットケースをポケットにしまう。
 そのまま、七海さんがいるであろう場所へと向かった。

(……ここ、か)

 たどり着いたのは、遺体安置室。
 ひとつ息を吐いて、その扉をノックしようと手を掲げる。

 けれど、私の手はそこで止まった。

「……ナナミン。俺は今日人を殺したよ」

 聞こえたのは、虎杖くんの声だった。

「人は死ぬ。それは仕方ない。ならせめて正しく死んでほしい。そう、思ってたんだ」

 悲しみに彩られた声が、扉越しに聞こえてくる。
 虎杖くんのその気持ちは、出会った時から変わらない。
 夜蛾学長の面談の時、はっきりと口にしたその思いを虎杖くんはずっと抱いてここまで来た。

「だから引き金を引かせないことばかり考えてた」

 知ってた。
 虎杖くんが、そういう優しい人だって。
 私は知ってたのに。

「でも自分で引き金を引いて分かんなくなった」

 私が、引かせた。
 あの時、虎杖くんは迷ってた。
 ツギハギに魂の形を変えられた異形を殺すことを……虎杖くんは躊躇ってた。



『殺すことが誰かを救う時もあるって、私はそう思ってる』



 持論を押し付けて、虎杖くんに引き金を引かせたのは、私だった。
 それなのに……虎杖くんは私のせいにはしない。
 どこまでも、虎杖くんは誠実で……優しい。

「正しい死って、何?」

 虎杖くんの迷いが、私の心に突き刺さる。
 罪悪感でその場から動けずにいる私の耳に、今度は七海さんの声が聞こえてきた。

「そんなこと私にだって分かりませんよ」

 七海さんらしい言葉に、少しだけホッとする。
 気休めを口にしないことが、七海さんにとっての『誠実』で。
 だからこそ、七海さんの言葉には重みがあった。

「善人が安らかに、悪人が罰を受け死ぬことが正しいとしても、世の中の多くの人は善人でも悪人でもない。死は万人の終着ですが、同じ死は存在しない。それらを全て正しく導くというのはきっと苦しい。私はおすすめしません」

 誰もがそう思う。
 でもきっと、虎杖くんはそんな言葉じゃ納得しない。

「などと言っても君はやるのでしょうね」

 私と同じことを思って、七海さんが呟くように言った。

「死なない程度にしてくださいよ。君を必要とする人がこれから大勢現れる」

 その声音があまりにも優しくて。

「虎杖君はもう……呪術師なんですから」

 私の心まで、揺れてしまった。
 
 私がいまだ扉の前に立ったままでいると、2人の足音がこちらへと向かってきた。
 静かに扉が開いて、2人の姿が視界に映り込む。

「……っ、皆実!」

 私の姿を見るや否や、虎杖くんが私との距離を詰めて私の両手を握ってくれた。

「大丈夫か? オマエあの後そのまま倒れて……」

 虎杖くんの口から出てくる言葉は、やっぱり……虎杖くんに引き金を引かせた私への文句じゃなくて。
 私への気遣いだった。

 世の中の多くの人は善人でも悪人でもないって、七海さんはそう言ったけれど。

(虎杖くんは紛れもない善人だよ)

 少なくとも、私にとっては。

「大丈夫だよ。……虎杖くんこそ、家入さんから絶対安静って聞いたけど大丈夫なの?」
「おうっ、ピンピンしてる!」
「アナタの感覚はそうかもしれませんが、医者の言うことは聞くべきですよ、虎杖君」

 虎杖くんの背後で七海さんが大きなため息を吐く。
 私が虎杖くんから七海さんへと視線を移すと、七海さんも私に視線をくれた。

「治療は終わったようですね。アナタも万全ではないんですから、家入さんのところで待っていればよかったのに」
「ジッとしてると、良くないことを考えちゃうので」

 苦笑すると、七海さんも少しだけ困ったような顔をする。
 そして七海さんはまた、虎杖くんへと視線を戻した。

「虎杖くん、くれぐれも安静にするんですよ」
「うん。ありがとう、ナナミン」
「……その呼び方が定着してしまったようですね」

 七海さんは困り顔にため息を付け加える。
 それでもやめさせないあたり、嫌がってはないんだと思う。

「それでは虎杖くん、また。……綾瀬さん、行きますよ」

 七海さんが私の肩を優しく叩き、通り過ぎていく。
 それは、帰宅の合図。
 私はそれに従って、踵を返さなきゃいけない。

 でも私の足は立ち止まったまま。
 動かない私を七海さんが不思議そうに振り返った。

「……綾瀬さん?」

 この場所に来る前までは、七海さんを見つけてそのまま一緒に帰ろうって、そう思ってた。でも……。

「七海さん」

 絶対安静を無視して、ココにいる……虎杖くんを見つけてしまったら。



《いい機会だ。教えてやる。本物の呪術というものを》



 心に生まれた疑念の、答え合わせをせずにはいられなくて。

「ちょっとだけ、虎杖くんと2人でお話してもいいですか?」

 私の願いに、七海さんは微かに眉を上げる。
 けれども驚いたような表情は一瞬。
 すぐにいつもの冷静な表情に戻って、言葉を返してくれる。

「……私が一緒ではいけませんか?」

 七海さんの問いに、私は静かに頷く。
 すると七海さんは少し考えるように俯いた。

「五条さんに、それは禁止されているんですが……」

 その呟きに、私も苦笑する。
 私と虎杖くんが2人きりになることを禁止した、五条先生の意図を察して。
 そして、私はその優しい意図を、自ら踏み潰そうとしてるから。

「……5分」

 降ってきた言葉に驚いて、顔を上げる。
 すると七海さんの大きな手が、私の頭に乗った。

「それ以上の時間は許しません。……では、私は外に」

 それだけ言って、七海さんは安置室を出て行った。
 その許しが信頼の証だとするなら……それすら踏み躙ろうとしてる自分の愚かさに、もはや笑いしか出てこない。

(でも……これでいいんだ)

 私の頭じゃ、この疑念を晴らす方法はこれしか見つからなかったから。

 私と虎杖くん、2人だけの空間。
 私が虎杖くんを見つめると、虎杖くんが照れくさそうに頬をかいた。

「えっと……改まって2人きりになると、なんか恥ずかしいな」
「ごめんね。引き留めちゃって」
「なんで謝んの。前から言ってんじゃん。皆実と2人きりになれんのはむしろご褒美だって」

 屈託なく笑う虎杖くんに、私はうまく笑顔を返せない。
 いつだって、私は虎杖くんに後ろめたい気持ちばかりで。

「それより、俺になんか用事? ナナミンがいちゃダメってことは結構重要な話なんだろ?」
「うん。……その前に一つだけ、確認させてほしいんだけど」

 虎杖くんのまっすぐな瞳が、私の瞳に刺さる。

「……虎杖くんはキスしたことある?」
「え……えっ!? はっ!? き、キス??」

 唐突な私の問いかけに虎杖くんは顔を赤くする。
 そして唇を尖らせながら、私から視線を逸らした。

「ねー……けど。何でそんなこと聞くん?」

 虎杖くんが不服そうに私のことを見上げる。
 別に煽るつもりも、からかうつもりもない。
 でも私はそれを知っておかなきゃいけなかった。

「……虎杖くん」

 知って、知った上で……虎杖くんを傷つけるって。

「ん?」

 自らの口に手を当てて、私は目を伏せる。

「……本当に、ごめんね」

 謝りたいことなんて、いっぱいあるよ。
 ありすぎて、何から謝ればいいのか、分からないくらい。
 それなのに。
 謝罪も懺悔も、追いつかないまま、私はまた虎杖くんを傷つける。

「……っ、皆実……なに…っ」

 虎杖くんに唇を重ねる、私の手にはタブレットケースが握られてる。
 さっき診療室で家入さんからもらったその錠剤を、私は虎杖くんの舌に乗せた。



『個人差あるけど必発は逆行性健忘』



 その副作用を、むしろ利用しなければならなかった。
 その他の副作用を無視してでも。

(私と唇を合わせたこと……虎杖くんは忘れて)

 本当はもう何度も、宿儺を介してこの唇に触れてるけど。
 それでも、虎杖くんの初めてのキスは、大好きな女の子との記憶にしてあげたくて。

 それが自分のエゴだってことも、分かってるよ。

「皆実……そ、れ……や…っばい……」

 虎杖くんの吐息まじりの声を聞き流して。
 私は自らの呪いとともに、その薬を虎杖くんの喉奥に流し込む。

「変に……なり…そう……皆実……っ」

 私の呪いを、宿儺の器である虎杖くんは、絶対に受け止められる。
 その確信はあっても、大切な友達を傷つける自覚が、刃となって心に刺さるの。

 唇を離せば、私と虎杖くんの間を呪いの糸が繋ぐ。

「皆実……なんで……俺に、キスなんか……」

 とろんとした瞳、呂律の回らない舌で言葉を話す虎杖くんは……もう正常な思考もできなくなってる。
 これも全部、私の呪いのせい。

「皆実……」

 最後まで私の名を読んで、その目が閉じていく。
 倒れ込む虎杖くんの身体を、抱きしめて支えて。

「ごめんね、虎杖くん」

 意識を沈める虎杖くんに、私はもう一度そう告げる。
 でもこれが、最後。
 ここから先、私が話す相手は…… 虎杖くんじゃないから。

「……出てきて、宿儺」

 私の言葉を合図に、その顔に模様が浮かび上がる。
 独特な笑い声をあげながら、邪悪な呪いが虎杖くんの身体の主導権を握った。

《なんだ? 俺に会いたくてわざわざ小僧を眠らせるとは……やっと俺のもとへ下る気になったか》

 減らず口は変わらない。
 ほぼゼロ距離にある私の唇に、宿儺が唇を合わせようとしたから、私は即座に宿儺の唇を自分の手で塞いだ。

《手が邪魔だ》
「こんなことするために出てきてもらったんじゃない」
《ほう……? 小僧のモノをこんなふうにしておいてか?》

 宿儺が私の膝を割って腰を抱く。
 そうしてわざとらしく、私のお腹に硬い塊を押しつけてきた。

「やめて……」
《なぜ拒む。オマエの口づけを小僧が悦んだ証だ。慰めてやるのが筋だろう?》

 ケヒケヒと独特な笑い声を溢しながら、宿儺の指が私の顎にかかった。

《まあよい。……で、俺に何の用だ?》

 私の顔を見下ろして、宿儺が目を眇める。
 企むような視線に不安を覚えながらも、私は自らの口を開いた。
 どんなに嫌いでも、最初に言うことは、これしかない。

「……七海さんを、助けてくれてありがとう。それは感謝してる」

 呪いにお礼を言うなんてバカみたい。
 自分でもそう思う。
 でもあの時、本当の意味で七海さんを助けたのは……私でも虎杖くんでもなく、宿儺だったから。
 それはどうしても言わないといけない気がした。
 でも私の感謝を聞いた宿儺は、心底どうでもよさそうに顔を背ける。

《いらぬ感謝だな。不愉快な行いに、ちと罰を与えただけのこと。礼を言われる覚えはない》

 謙遜ではなく本心からの言葉だと、その声音から伝わる。
 吐き捨てるように言って、宿儺がその口を塞ぐ私の手に自らの手を重ねた。
 剥ぎ取るように私の手を取って、その顔を突きつけてくる。

《まさか、そんなことを言うために呼び出したわけではないのだろう?》

 本題は別。
 それを宿儺も理解していて、探るような視線を私に向けた。

「教えてほしいことがあるの」
《ほう……その教えの対価は》

 宿儺との対話。
 そこには絶対、対価が生じる。
 それも最初から分かっていた。

「……3分」

 七海さんが告げた私への猶予……そこから残りの時間を計算して、口にする。

「私に与えられたこの時間……私を宿儺の好きにしてかまわない」

 真っ直ぐに宿儺の顔を見て答えた。
 やけになったわけではない。
 でもこんな対価を与えてでも、知りたいことがあった。

《短い。……と言いたいところだが、オマエからの初めての申し出。それで許してやろう。……して、何を聞きたい》

 ケヒケヒと笑う声とともにその指が制服の裾にかける。
 冷たい指が私の背中を直に撫でた。

(……っ)

 それでも私は意識を自分の思考だけに向けて。
 目と鼻の先、宿儺の顔を見つめながら、口を開く。

「もしも、宿儺が虎杖くんに受肉したように……呪霊が呪術師の身体に受肉した場合……そこに流れる呪力は呪霊のもの? それとも死者のもの?」

 もし死者の呪力がそのまま流れるのであれば、あの傑さんは……宿儺同様、呪霊が受肉しただけのもの。
 あれが傑さんじゃないと証明できる。
 ずっと、考えて。
 やっと見つけ出した、考えがそれだった。
 私の中の傑さんを信じるための考えだった。
 でも……。

《呪いが受肉した場合、受肉した肉体に宿る魂は消滅するのが常。小僧は特例だが……それでもその理は変わらん。小僧に俺の呪力が流れているように、呪霊の呪力がそこには流れる》

 宿儺の答えは、私の希望を簡単に壊す。
 あの傑さんに、私の知っている傑さんの呪力が流れている以上……
 あの傑さんは呪いが受肉したものではないと、宿儺はそう言っているのだ。

《しかし呪いにできないこともそう多くない。もしかすると肉体に元々宿りし魂の呪力を扱うことも可能かもしれん。あくまで……可能性の話であって現実的ではないがな》

 呪いを熟知した『呪いの王』から告げられる、それ以外の答えは私の中に存在しない。
 だとすれば、考えられるのは1つ。
 絶対に信じたくない答え。

「……宿儺じゃなくても、死者を蘇らせることは可能なの?」

 私と虎杖くんを蘇らせる時、宿儺が言っていた。蘇生は高度な呪力操作を要すると。
 反転術式を使いこなしている家入さんや、最強呪術師である五条先生ですらできなかったことを、宿儺は施すことができた。

 傑さんが蘇ったのだとしたら、誰かが蘇生したということ。
 でも、逆に言えばそれは……あの時あそこにいた人物が、間違いなく私の知っている『夏油傑』であるということ。

《可能だろうな。前にも言ったが、高等な呪力操作をもってすれば不可能ではない。ただしそれほどの呪力操作ができる者が俺以外に存在するかは知らん。……が、存在していても何らおかしくはない》

 それが、私に導き出せるたったひとつの答え。
 傑さんが誰かに、蘇生された。
 あれが、紛れもない、今の……傑さんなんだって。
 宿儺を呼び出してまで、否定したかった答えだったのに。

(……本物、なんだ)

 あれは偽物なんかじゃないんだって。
 傑さんの呪力を操る呪いなんかじゃなくて。
 あれは、正真正銘……私の大好きだった人なんだって。
 否定したいのに、否定する材料が、どんどん消えていく。

《どうした? 涙など流して。自ら聞いてきたことだろう?》

 涙腺の壊れた私を、宿儺が嘲笑う。
 頬を伝う涙に舌を這わせて、ケヒケヒと耳元で嗤い続ける。

《苦しみに彩られた涙の味も……またよい》

 そうして、呪われた私の唇に宿儺の唇が触れる。
 互いの呪いが混ざり合って、すべてが呪いに塗りつぶされていく。

《話は終わりだ。……対価を寄越せ、皆実》

 宿儺に流れていく呪いが私の身体に甘い刺激だけを残して。

《……逢う度に俺の嗜好に沿う呪いを宿して、偉い偉い》
「そんな……っ…の……」

 知らない。
 宿儺のためを思ったことなんて、一度もない。
 これは対価。
 それ以外の、何物でもない。

《声を我慢するな……啼いて俺を愉しませろ》
「……っ、ぅ…ん…っ」
《強情なことよ……それもまた、唆る》

 私の抵抗も、無抵抗も全部、宿儺は悦んで煽ってくる。
 宿儺の指が私の制服の中、くすぐるように這って、その手に刻んだ口が私の肌を舐めた。

「……っ、う」
《どうした? 蕩けた顔をして》

 無心になろうと思えば思うほど、宿儺に掌握されていく感覚に襲われて。

「ぁ……ぅ…あ…っ」
《久方ぶりの俺との口吸いは……心地よいだろう? 皆実》

 絶対に、頷いてはいけない。



『アナタの呪力を流すためだけの行為です。そこに何の感情も存在しません』



 これはただの、呪力の交換。
 そう言い聞かせるのに十分なくらい、宿儺の手つきに優しさはない。

《クク…ッ、もっと……内に呪いを宿せ、皆実》

 もう、タイムリミットは近い。
 あともう少しの辛抱だから。
 宿儺に、感情を呑まれるな。

《来たるその時……俺のモノとなれ》

 慈しむように囁かれた言葉。
 耳から与えられた刺激に、身体が揺れて。

「……っ、綾瀬さん!」
《時間だな……。また呼べ、皆実》

 最後に私の唇をべろりと舐め上げて、その顔が再び私の肩に乗る。
 急激にかかった体重に負けて。
 力の入らない虎杖くんの身体に押し倒されるように、私はその場に尻餅をついた。

「……大丈夫ですか?」

 5分の約束通り、室内に入ってきた七海さんが心配そうに私の隣にしゃがみこんでくれる。
 きっと七海さんの目には、突然虎杖くんが宿儺に乗っ取られて、私を襲ったと、そんなふうに見えているのだろう。

「はい……大丈夫です」
「今の、両面宿儺でしょう?」
「……はい」
「『はい』って、アナタ……」

 七海さんのことも、虎杖くんのことも欺いて。
 そうして手に入れた答えは、私を救いはしなかった。

「七海さん」

 泣いたら、また七海さんに心配させちゃうから。
 もう、泣いちゃダメだ。
 全部嘘で塗り固めれば、誰にもバレないよ。

「今見たことは、内緒にしてください」

 嘘も秘密も、どんどん増えていく。



『そうやって、オマエは僕に嘘を増やしていくんだな』



 大切な物が増えれば増えるほど、嘘をつくことでしか私はその『大切』を守れなくて。

「……綾瀬さん」

 嘘みたいに綺麗に笑えた私を、七海さんは不安げな顔で見てた。



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