幼魚と逆罰 02

 七海さんに連れられ、私は神奈川県川崎市にやって来ていた。

「待ち合わせ場所って……本当にここですか?」
「ええ」

 七海さんの後ろをついていきながら、私はその背中に問いかける。
 私たちは今、鍾乳洞のような造りの中を歩いていた。
 一言話せば周囲の岩壁に自分の声が反射して響き渡る。
 洞窟のような周壁の中にどっしりと木造建築が施されている、なんとも不思議で不気味な場所だ。

「ところで、任務って……?」

 そういえば、任務の内容を知らないままだったことを思い出して、私は七海さんに質問を重ねた。すると七海さんも「まだ言ってませんでしたね」と咳払いを挟む。

「神奈川県川崎市の映画館で、上映終了後に男子高校生3名の変死体があがったらしく、その調査と、可能であれば事態の収拾を、とのことです」
「変死体、ですか」
「ええ。私も現場を見てないので詳しくは分かりませんが、人為的範囲を超えて遺体の頭部が変形していたようです」
「呪いが関与してる可能性が高い、と」
「その通……」
「そのとぉーり」

 七海さんの返事に重なるようにしてその声が耳元で響く。同時に、背後からノシッと重しが乗っかった。
 私と話していた七海さんは額を押さえ、やれやれと首を横に振っている。

「五条先生?」

 私の背後、抱きつくようにして五条先生がいる。
 顔だけ振り返れば、黒布の目隠しをした五条先生が視界に映り込んだ。

「正解。久しぶり、皆実。1週間ちょっとぶり?」
「はい、お久しぶりです」
「あっ、皆実だ! 久しぶりっ!」

 五条先生の背後から、虎杖くんがニョキッと顔を出す。
 久しぶりに見る友人の姿に、思わず頬が緩んだ。

「久しぶり、虎杖く…ぅ、ふ…ぐっ」
「だーめ。まだ僕が皆実を充電中だから悠仁にカワイイ顔見せるの禁止」

 虎杖くんに挨拶しようと身体を捩ったら、今度はそのまま真正面から抱きしめられてしまった。

「うわっ、先生ずりぃ! 俺も皆実と再会のハグしてぇよ!」
「ダメに決まってんでしょ。代わりに悠仁がハグしていいヤツを紹介するよ」

 そう言って五条先生が私のことを左腕に抱きしめたまま、その手で七海さんの方を指し示す。右腕は七海さんの肩に回して。

「脱サラ呪術師の七海君でーす」
「その言い方やめてください」

 初対面の虎杖くんに、七海さんを紹介し始めた。

「呪術師って変な奴多いけどらコイツは会社勤めてただけあってしっかりしてんだよね」
「他の方もアナタには言われたくないでしょうね。というか、そろそろ綾瀬さんを離してあげたらどうですか」
「離すわけないだろ。今僕と皆実は互いに互いで充電ちゅ」
「アナタと話すと頭痛が激しくなりますね」

 七海さんが呆れて頭を振る。
 私のことを気遣ってくれてる七海さんに、すごく申し訳ないのだけど。
 でも実は、私を抱きしめる五条先生の腕の力は弱くて。
 抜け出そうと思えば私の力で抜け出せないこともなかった。

(だけど……)

 久しぶりの五条先生をあともう少しだけ感じていたいって、思ってしまって。
 私はあえてその腕を振り払わずにいた。
 そんな私の様子に気づいて、七海さんがため息を重ねた。
 そしてそんな私たちの様子を見慣れている虎杖くんは、私たちのことを完全スルーで七海さんに興味を示していた。

「脱サラ……なんで初めから呪術師になんなかったんスか?」
「まずは挨拶でしょう。はじめまして、虎杖君」
「あ、ハイ。ハジメマシテ」

 七海さんに挨拶を返して、虎杖くんがペコリと頭を下げる。
 挨拶が済んで、七海さんは虎杖くんの質問に巻き戻った。

「私が高専で学び気づいたことは、呪術師はクソということです。そして一般企業で働き気づいたことは、労働はクソということです」

(クソしか言ってないよ、七海さん)

 思わず苦笑してしまう。虎杖くんがぽかんとするのも仕方ない。
 真面目そうな空気を漂わせて、七海さんの発言はその空気とは似合わないものだった。

「同じクソならより適性のある方を。出戻った理由なんてそんなもんです」

 そんな七海さんの台詞を、頭上で「暗いねー」なんて言って、五条先生と虎杖くんが耳打ちし合っていた。

「虎杖君、私と五条さんが同じ考えとは思わないでください。私はこの人を信用しているし、信頼している」

 珍しく七海さんが五条先生を褒めている、というか肯定している。
 五条先生もそれが嬉しいのか、頭上でドヤ顔を決めていたんだけど。

「でも尊敬はしてません」
「あ゛あ゛ん?」
「く、くるしいっ!」

 続いた発言で、五条先生が私を抱きしめる腕に力をかけた。
 おかげで首が絞まって、咳き込んでしまう。

「あっ、皆実ごめんね。今のは七海が悪い」
「勝手に私のせいにしないでください。まあ何にせよ、上のやり口は嫌いですが、私はあくまで規定側です。話が長くなりましたね」

 一呼吸置いて、七海さんが虎杖くんに告げる。

「要するに、私もアナタを呪術師として認めていない」

 そしてその視線を私にも移した。

「その点でいえば、綾瀬さん……アナタのこともまだ『呪術師』としては認めていませんよ」
 七海さんの視線は決して冷たいものじゃない。
 突き放そうとしてそんなことを言ってるわけじゃない。
 それが、分かるから……。

「はい。だから、いっぱい頑張ります」

 私の言葉を聞いて、七海さんは微かに表情を和らげる。
 そして虎杖くんのほうに向き直った。

「宿儺という爆弾を抱えていても己は有用であると、そう示すことに尽力してください」

 リスクを超えるくらいに強くなれ、と。
 七海さんの言葉を受けて、虎杖くんは静かに答えた。

「……俺が弱くて使えないことなんて、ここ最近嫌という程思い知らされてる。でも俺は強くなるよ。強くなきゃ死に方さえ選べねぇからな」

 真面目に告げて、今度はいつもの虎杖くんらしい所作で。

「言われなくても認めさせてやっからさ。もうちょい待っててよ」
「いえ、私でなく上に行ってください。私はぶっちゃけどうでもいい」
「あ、ハイ」

 そんなやり取りに私の頬が緩んだ。

 そうして、七海さんの任務に虎杖くんも合流。
 そのまま現場に向かおうとしたところで、私は五条先生に引き止められた。

「皆実」

 七海さんと虎杖くんの背中を追おうとしたのに、私は彼らに背を向けるように腕を引かれていた。

「静かにね。バレちゃうから」
「……っ…ぅ」

 そんな忠告とともに、五条先生が私の唇に自らの唇を重ねた。

「先…生……っ…だ…め……もう…むかう、ので」
「ちょっとくらいいいでしょ」

 唇を合わせたまま、五条先生が目隠しを少しだけずらして。
 大好きな瞳を見せてくれる。

「……七海とうまくやってるみたいで…安心した反面……ちょっとムカつくから」

 五条先生の長い舌がペロリと私の唇を舐めた。

「このカワイイの……僕のためにしてくれたんだとしたら……ちょっとは僕の機嫌が良くなるけど、どう?」

 五条先生が私の髪に触れる。
 五条先生に会うと、七海さんが事前に教えてくれたから。
 急いでサイドの髪を編み込んでハーフアップにしたのだ。

「……僕がちゃんと見たから……もう解いていい?」
「だ……め」

 五条先生の手が私のヘアゴムにかかる。
 解かれたらまた髪がボサボサになっちゃうから避けたいのに。
 私の動きを止めるように、五条先生が溶けるようなキスを再開して。

「何してるんですか、アナタたちは」

 七海さんが五条先生の頭を叩いていた。

「……っ、七海! 皆実とキスしてる時は術式解いてんだから手加減しろ」
「すみません。日頃の鬱憤も上乗せしてしまったようです」

 頭を摩る五条先生に七海さんは悪びれもなく淡々と告げる。
 そして五条先生から引き離すように、私の腕を引いた。

「行きますよ、綾瀬さん」
「あ……はい、すみません。……五条先生、それじゃあ」
「まだだっつーの」

 舌打ちをした五条先生が、腕を引かれている私の胸ぐらを掴んで。

「え? ……っつ!」
「……五条さん」

 五条先生が私の首筋に噛み付いてジュッと不協和音を立てた。
 五条先生のくれた首輪のチェーンの上に、赤い噛み跡がくっきり刻まれて。

「じゃあね、皆実」

 ひらひらと手を振って、五条先生が踵を返した。
 五条先生の後ろ姿を見つめていたら、七海さんの大きなため息が降ってくる。
 その横から現れた虎杖くんも私の首元をマジマジと見て「うわぁ…」と呟いた。

「痛そー……っつーか、五条先生、皆実の綺麗な身体によくこんなのつけれるよな」

 あんまりにも凝視されると恥ずかしくて、私は五条先生に噛まれた首筋を手で押さえた。

「あ、はは……それより虎杖くんっ、久しぶり」
「おう、久しぶり! またよろしくな!」

 ニッと笑ってくれる虎杖くんに、私も笑顔を返す。

(うん……大丈夫)

 今目の前にいるのは虎杖くん。
 だから私の心も落ち着いてる。
 ちゃんと虎杖くんと宿儺の存在を切り離して考えることができてる自分に安心した。

「再会の挨拶中申し訳ありませんが、もう行きますよ」

 私と虎杖くんの間に入って、七海さんが告げる。
 そしてそのまま七海さんが私に視線を向けて。

「その首はあまり露出させないほうがいいでしょう。伊地知君に応急処置セットを持ってくるよう伝えたのでガーゼでも貼っておいてください」
「……何から何まですみません」

 そうしてまた、私は虎杖くんと会わなかった間の話をして。
 七海さんも途中でその話に参加して。
 ほんわかした空気が流れていた。
 だから、私たちは。
 これから始まる事件に感情ごと翻弄されてしまうことなど、考えてもいなかった。



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