邁進 04
五条先生の家の前には、見慣れた車が止まってる。
さっきも私たちをここへ送ってくれた伊地知さんが、また私たちを迎えに来てくれた。
「……どこに、行くんですか?」
恐る恐る尋ねると、五条先生は後部席の扉を開けて、私に先に入るよう促した。
「学長に呼ばれててね。僕が学長と話してる間、皆実は硝子のところに行ってて」
「家入さんのところ……?」
五条先生が隣に座って、車の扉が閉まる。
私が疑問を頭に掲げていると、五条先生が足を組んで答えた。
「皆実が生き返った後、採血し忘れたって」
五条先生が私にスマホの画面を見せる。
家入さんからのメッセージには確かにその旨が書かれていた。
「大丈夫だろうけど、致死レベルの血を流してるから極度の貧血状態なら治療してあげたいんだってさ。……ま、それは建前で、たぶん普通に皆実の身体を調べたいんだろ」
五条先生はそう言って、腕を組む。
「一度死んだ人間が生き返るなんて、普通はありえないから。貴重なサンプルだろうしね」
静かに呟かれた言葉には、無数の棘が生えていた。
その棘に気づいたのか、それとも全くそういう意図はなかったのかもしれないけれど、伊地知さんが割り込むように五条先生に声をかけた。
「学長との約束までまだ少しありますけど、どこか寄ります?」
「いいよ。たまには先に着いてあげよう」
伊地知さんの気遣いに、五条先生はそっけなく答える。五条先生のまともな返答は、それ以上の会話を許さなかった。
伊地知さんはまた黙って、運転を続ける。
静かな車内に、五条先生の小さなため息が漏れた。
「なあ……皆実」
白いクマが私の膝の上で眠ってる。
私はクマを見つめながら、五条先生の呼びかけに耳を澄ませた。
「そろそろ、聞いてもいい?」
「何を……ですか?」
問い返さなくても、五条先生の聞きたいことなんて分かってた。
だって五条先生は、わざわざ聞かなくても大体全部お見通しだから。
わざわざ聞いてくるのは、私に言いたい文句がある時だけ。
「『何』、か。……そうだね、いろいろあるよ。……例えば、あんなに術式使うなって言ったのになんで使ったのか、とか。死んで未練はなかったのか、とか」
当たり障りない疑問を選んで、五条先生が口にする。
「死ぬときに僕のことは考えなかったのか、とか。……死んで生き返るまでの間に何してたのか、とか」
そうして、五条先生が一呼吸置く。
静かな空気に、冷たい声が響いた。
「宿儺とどういう縛りを結んで、生き返ったのか……とかね」
五条先生が私に聞きたいことなんて、最後の質問だけ。
それが分かるのに、私はその問いに応えることができない。
「……何。言えないような縛り?」
五条先生が軽蔑するように、私に言葉を吐く。
五条先生の言う通り、私が宿儺と結んだのは『言えない』縛り。
でもたとえ、二つ目の『他言しない』という縛りがなくても、この契約を五条先生には言えない。
「何も……縛ってないです」
契約通りに、嘘を紡いだ。
「そうか」
全然納得していない声で言って、五条先生が私の顎を持ち上げた。
「……じゃあ聞き方を変える」
もう片方の手が目隠しを下ろして。
否応なしに、私と五条先生の視線がぶつかった。
「なんでオマエ、そんなに宿儺の呪力で溢れかえってんの?」
その綺麗な瞳には、宿儺の呪力を必要以上に吸った私が映ってる。
「……虎杖くんの呪力と同化させたから、です」
あくまでこれは虎杖くんの呪力なんだって。
他の呪力を全部捨てて同化したから、虎杖くんの呪力が多く身体を廻ってるだけなんだって。
「宿儺の呪力じゃ、ないです」
自分に言い聞かせるように、私の声が五条先生の言葉を否定した。
五条先生から目を逸らさずに、ちゃんと答えたら、五条先生が苦しげな顔で私を見下ろした。
「そうやって、オマエは僕に嘘を増やしていくんだな」
「嘘じゃ――」
「ないって言うなら、証明しろよ」
五条先生が私の頬を押さえる。
歪んでしまった綺麗な顔が、私の唇に下りてきて。
《あの男も、オマエの呪いに当てられて……オマエを腕に抱いただけのこと》
その声が頭に響く。
「や……っ!」
気づいた時には、五条先生のキスを拒んでた。
(う、そ……)
なんで。
私、なんで五条先生のキスを……。
背けた顔を、ゆっくりと戻してみれば。
呆然と私を見下ろす、五条先生の顔が目に映った。
「……ちが、……違うんです」
唇が震えて、共に音になった声も震えた。
「五条先生、私……」
「……止めて」
私の言葉を遮って、五条先生は静かに、伊地知さんに停車の命令を下した。
「えっ……ここでですか?」
突然の命令に伊地知さんは困惑する。
けれど五条先生からもう一度「止めて」と言われれば、その意向のままにブレーキをかけた。
「五条、先生」
「皆実はこのまま伊地知に硝子のところまで送ってもらえ」
五条先生は私のことを見ることなく、目隠しを装着し直して車から降りていく。
このままじゃダメなことは、バカな私にも分かることで。
「綾瀬さんっ!」
「待って……っ、五条先生!」
私は伊地知さんの静止の声も聞かず、自分の方の扉を開けて車から降りた。
「皆実、乗れ」
「嫌です。私……違うんです」
私が五条先生を拒んだ事実は変えられない。
でも拒みたかったわけじゃなくて。
どうすることもできない感情を、五条先生に伝えたいのに。
うまく言葉が出てこない。
「……別に、皆実と一緒にいたくなくて降りたわけじゃない」
五条先生はそう告げる。
でもそれなら尚更、五条先生のそばにいたくて。
根負けしたのは、五条先生のほう。
「……分かった。伊地知、先行ってて」
「えぇ!? これ何か試されてます? 本当に先に行ったら殴る的な」
「僕をなんだと思ってるの?」
最後まで不安そうにしながら、伊地知さんは車の運転を再開した。
黒い車が曲がり角を曲がって、消えていく。
「五条先せ――」
先生の名前を呼ぼうとしたら、私の唇に人差し指が触れた。
これは、『喋るな』という合図。
「さて」
(……っ!)
瞬間、強力な呪力の気配が降ってくる。
上を見上げたら、呪霊の影。
五条先生が私を抱えて、走り飛んだ。
呪力を介してないのに、五条先生は人並み以上に跳躍して、呪霊の襲来を避けた。
重力に呪力をかけ合わせて、着地点の道路が粉砕されている。
その中心には、火山頭。
(この気配は――特級)
恐怖で動かなくなる感覚。
ビリビリと電撃のように走る呪いの気配。
「君、何者?」
五条先生が私を地上に下ろして、呪霊に問いかける。
けれど呪霊はその問いに答えることなく、攻撃を畳みかけた。
《ヒャアッ!!》
その掛け声とともに、五条先生の背後に火山の噴火口が現れる。
そのことに五条先生が気づくと同時、噴火口からマグマが吹き荒れて、五条先生を襲った。
「五条先生!」
《存外大したことなかったな》
五条先生がいた場所で、高熱の煙が上がってる。
(五条先生の呪力は消えてない。……大丈夫)
私の身体を流れる五条先生の呪力が、五条先生の無事を伝える。
でも五条先生を仕留めた手応えがあったのか、火山頭はそのまま私へ視線を向けた。
《貴様が『綾瀬皆実』か。……成程、コレが》
クククッと笑って火山頭が、いまだ動けずにいる私の方へと歩み寄る。
《貴様は儂と来るのだ》
火山頭の手が私に触れようとした瞬間、マグマの煙が晴れた。
「行かないよ。……ったく、誰が大したことないって?」
マグマが五条先生の周囲で球体を描くように固まっている。
一切無傷の五条先生を見たら、心がホッとした。
《小童め》
「特級はさ、特別だから特級なわけ。こうもホイホイ出てこられると調子狂っちゃうよ」
やはり、この呪霊は特級相当。
でも五条先生の面持ちは、全く変わらない。
《矜恃が傷ついたか?》
「いや、楽しくなってきた」
手を鳴らして、五条先生は戦闘モードに入る。
その五条先生の反応に、呪霊の方も嬉しそうな笑みを浮かべた。
《楽しくなってきた……か。危機感の欠如》
火山頭の噴火口から虫がぽんぽんっと大量に現れる。
《火礫蟲》
「危機感の欠如……ね」
虫の大群が五条先生に襲いかかるけど、すべて五条先生に届くことなく、寸前で停止する。
「これ当たるとどうなんの?」
少しの好奇心から、五条先生は虫の口針を突いた。
瞬間、ビリビリとした感覚が私の身体に流れ込んでくる。
(なに、これ……)
何らかの攻撃なのは確か。
でも私にその攻撃が届く時には、無効化されて呪力のみが吸収されていく。
(う……っ)
悪質な呪力が一気に流れ込んできて、私は地面に座り込む。
《ほう、この音を聞いても身体が爆発しないとは……貴様に術式が効かぬというのは誠らしい》
火山頭が私に再度視線を向けて笑みを浮かべる。
《しかし、吸収した呪力に体が耐えきれぬようだな》
私の苦痛を見透かして、火山頭は合図を送る。
瞬間、虫達が一斉に爆発して燃え上がった。
「音と爆発の二段構え……器用だね」
五条先生は遥か上空、爆発を避けて飛んでいる。
けれど、五条先生が飛んだのに合わせて、火山頭も五条先生のほうへ飛んでいった。
左腕に呪力の炎を携えて、五条先生の顔を殴り燃やす。
《まだまだ》
そして、さっきよりもさらに高出力の炎を五条先生にかざして、爆破した。
《……こんなものか。蓋を開けて見れば弱者による過大評価。今の人間はやはり紛い物。真実に生きておらん》
煙に包まれた先を見つめ、つまらなそうに呟く。
《万事醜悪。反吐が出る。本物の強さ、真実は死をもって広めるとしよう》
「この件、さっきやったよね」
煙の奥、うんざりしたような声をあげて、五条先生は咳き込んだ。
「学習しろよ」
《どういうことだ》
呪霊は唖然とした表情で五条先生を見つめてる。
対する五条先生は、軽薄な態度を変えない。
「んーー、簡単に言うと当たってない」
《馬鹿な。さっきとはワケが違う。儂は確かに触れて殺した》
「君が触れたのは僕との間にあった『無限』だよ」
呪霊は首を傾げる。
おそらくこの呪霊は、五条先生の術式を知らない。
「教えてあげる、手出して」
何も知らない呪霊に、五条先生はご丁寧に説明してあげようと手をかざした。
そしてその言葉に素直に従って、火山頭が五条先生の手に自らの手をかざす。
「ね」
その手は、五条先生に触れる寸前で、ピタリと止まった。
「止まってるって言うか、僕に近づく程遅くなってんの。で、どうする?」
「僕はこのまま握手してもいいんだけど」
五条先生が『無限』を解いて、呪霊の手に触れる。
《……断る》
「照れるなよ、こっちまで恥ずかしくなる」
そうして呪霊の指に、自らの指を絡めた。
《貴様っ!!》
離すまいと片手を握りしめて、五条先生が呪霊の鳩尾を殴る。
「まだまだ」
呪霊の口から吐き出される血も、五条先生の無限に阻まれて、五条先生を汚すことすらできない。
頭で処理できない程の速さで、五条先生は攻撃を繰り返す。
「無限はね、本来至る所にあるんだよ。僕の呪術はそれを現実に持ってくるだけ」
いつのまにか、口から大量の血を吐き出している呪霊に、五条先生はご丁寧な説明を続けて。
「『収束』『発散』、この虚空に触れたらどうなると思う?」
人差し指を掲げて、唱える。
「術式反転……『赫』」
瞬間、呪霊が崖の下、森の奥に飛ばされて消えていく。
五条先生もそれを追って、森の奥へ駆け降りていった。
(まずい、見失った!)
急いで立ち上がろうとするけれど、足にうまく力が入らない。
胸に抱えた白クマは眠ったまま。
(早く、呪力の制御……できるようにならなきゃ)
不必要な呪力を吸って、動けなくなってたら。
いつまで経っても足手纏いだ。
(動け、私!)
身体を叩いて、立ち上がる。
私は破壊された、足場の悪い道を辿って、崖の下に降りて行った。
五条先生と火山頭を追って、急勾配な道なき道を降りていく。
「う、わっ!」
何回か滑って転んで。
その度に勢いよく滑り落ちていって。
痛いけど、そっちの方が効率よく激坂を下れた。
途中で湖の方から激しい音が聞こえてきた。
おそらく五条先生たちはそこにいるのだと目星をつけて、抉れた道を進む。
あともう少しで、開けた森に抜けられる――そう思った刹那。
(……え?)
進もうとした足が、止まった。
振り返った先、森の上空には何もない。
(でも、今……)
たしかに、その気配を感じた気がした。
気のせいなんかじゃない。
でも、気のせいじゃなきゃおかしい。
ほんの一瞬。
わずかな一瞬、懐かしい気配がそこにあった気がした。
「僕を殺して、皆実を連れて行くと何かいいことがあるのかな」
そんな私を現実に帰すように、その声が近くで聞こえてきた。
私は歩みを早めて、そちらへ向かう。
「どちらにせよ、相手は誰だ?」
開けた森の先には五条先生と……。
「い、虎杖くん!? なんで……」
五条先生の家で訓練してるはずの虎杖くんがそこにいた。
「お、皆実! 説明したいけど、俺も分からん! 五条先生に連れてこられた」
虎杖くんが元気よく答える。
視線を変えると、五条先生の足元にさっきの火山頭の頭部だけが転がってた。
(この10分程度の間に、いったい何が……)
目隠しを少しだけずらした五条先生と目が合う。
けれど五条先生はすぐに私から目を逸らして、呪霊の頭をグリグリと踏み荒らした。
「早く言えよ、祓うぞ。言っても祓うけど」
「って言うか、呪いって会話できんだね。普通すぎてスルーしてたわ」
虎杖くんが感心したように言う。
でも私はあんまりその点驚かなくて。
呪いの王たる宿儺が会話できる時点で、コミュニケーションがとれる呪霊がいてもおかしくはない。
五条先生が尋問を続ける中、突然上空から樹木が降ってきた。
「!」
五条先生の足元に樹木が突き刺さって、その周囲に花が咲いていく。
でも私の周りにだけは、その花が咲くことはなくて。
私の周囲を避けて咲いていく花々に、五条先生と虎杖くんがほっこり頬を緩めた。
(違う、これは……呪術!)
「五条先生!」
「分かってる」
私の呼びかけに静かに答えて、五条先生は自分の頬をぴしゃんと叩く。
「げっ」
でも間に合わなかった虎杖くんは、呪術で育成された蔓に足を掴まれて吊るされた。
「先生、俺は大丈夫! ソイツ追って!」
でもその言葉と同時、茎がモンスターのような出立ちに変わって牙を剥く。
「ゴメン嘘!」
「私が行きます!」
虎杖くんを救出するべく、虎杖くんに駆け寄る。
私が通るたび、そこにある花々が枯れていく。
虎杖くんのもとに辿り着いて、虎杖くんの足を掴んでる蔓に手を伸ばす。
寸前で、五条先生が蔓の牙を『無限』で飛ばし、私の手がその蔓に触れた。
虎杖くんを吊るしてた蔓がズルリと溶けていく。
(……っ)
同時に相当量の呪力が私の身体の中に流れ込んできて。
倒れかけた私を五条先生がキャッチした。
でもその視線は、呪霊が逃げた道の向こうに投げられている。
「へぇ……このレベルの呪霊が徒党を組んでるのか。楽しくなってきたねぇ」
私のことを抱えたまま、五条先生は小さく呟いた。
「悠仁と皆実……って言うか皆にはアレに勝てる位強くなって欲しいんだよね」
「アレにかぁ!!」
アレに勝つのは、至難の技。
虎杖くんなら練習次第で可能かもしれないけど、私がアレを倒すようになるのは……一生賭けても無理な気がした。
「目標は具体的な方がいいでしょ。いやー連れてきてよかったー」
私の頭上で、五条先生は満足げに笑う。
「いや何が何だか分かんなかったんだけど」
「目標を設定したら後はひたすら駆け上がるだけ。ちょっと予定を早めて悠仁はこれから一ヶ月映画見て僕と戦ってを繰り返す」
「先生と!?」
「その後は重めの任務をいくつかこなしてもらう。基礎とその応用、しっかり身につけて、交流会でお披露目といこうか」
虎杖くんは着実に、五条先生の訓練をクリアしていく。
歴然とした差がそこにあった。
「皆実は白クマ練習、続けてね」
私のことを見下ろして、五条先生がそっけなく告げる。
言葉以上に、実践で与えられた現実が、その必要性を私に伝えてた。
悔しくて唇を噛んだ私の耳には、虎杖くんの愉快な声が聞こえてくる。
「はい、先生!」
「はい、悠仁君!」
虎杖くんの声音に合わせて、五条先生もそのノリを貫く。
「交流会って何?」
「京都にある姉妹校との呪術合戦。部活でいう交流戦みたいなもんだよ」
「え、楽しそう!」
虎杖くんの顔がパァッと明るくなる。
五条先生の知らせが、虎杖くんにまた新たなやる気を与えた。
「よっしゃぁああ! やったるぞー!」
「……皆実」
はしゃぐ虎杖くんを放って、五条先生が私の名を呼んだ。
「今ので、また呪いを溜めたんだろ」
五条先生に抱きかかえられた身体は、呪いを浴びて全く力が入らなくて。
弱い私を、五条先生が見下ろしてる。
「僕に、流してもいいよ」
試すように、五条先生が言った。
許可のような言い方だけど、この声音はきっと『流せ』という命令だ。
「……先生」
嘘吐きな私に与えられた、二度目のチャンス。
それを逃すわけにはいかなくて。
私は五条先生の頬に手を伸ばす。
すると五条先生が少しだけ背中を丸めて、私がキスしやすいように顔を寄せてくれた。
キスできない言い訳を、ほとんど全部五条先生が奪って。
「皆実……」
涙が、溢れる。
私は――五条先生に、キスができなくて。
「五条、先生……違う、んです」
何も違わないけど、違うの。
五条先生とキスがしたい。
したいのに、呪いの言葉が私の頭の中を廻るの。
「私……っ」
五条先生の手が、私の顔をその胸に埋めた。
私の涙が、五条先生の服を濡らしてる。
「バカ皆実」
大好きな『バカ』が、寂しい音色で消えていった。
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