邁進 02

※伏黒視点

 考えないようにしようとすればするほど、溢れ出す感情に心が負けていく。
 目を閉じれば、綾瀬が胸に小刀を突き刺す瞬間と、虎杖が俺の目の前で倒れる瞬間が頭に浮かんだ。

「長生きしろよって……自分が死んでりゃ世話ないわよ」

 俺の隣、仏閣のような造りの校舎の前の階段に座って、釘崎が呟いた。
 病院で治療を受けて帰ってきた釘崎が、最初に受けた報告が綾瀬と虎杖の悲報だった。
 釘崎のことだから「アンタがついててなんで」とかなんとか、キレてくるんじゃねぇかなって、そんなことを冷静に予想していたのに。
 虎杖の最後の言葉を伝えた俺に、釘崎は呟くように言葉を漏らした。
 釘崎と意見が合うことなんて一生ないと思っていたけれど、その呟きだけは同感だった。

「……皆実は、最後になんか言ってた?」

 虎杖の言葉を伝えたたからか、釘崎が綾瀬の言葉を気にした。
 正直、俺はアイツが口にした、本当の最後の言葉を知らない。
 俺が知るアイツの最後の言葉は、虎杖の伝言だったから。
 でも。
 綾瀬が虎杖経由で告げた最後の言葉は、俺の心をいまだに苦しめてる。

「『強くなってね』……だとよ」

 答える声が、喉に詰まった。
 きっと綾瀬は何も考えていなかったんだと思う。俺たちに「頑張れよ」って言いたかっただけなんだって。
 綾瀬の言いそうなことくらい、嫌になるほど分かってる。
 分かってしまうくらい、綾瀬を見てた。
 だから、綾瀬が俺のことを「弱い」と揶揄したかったわけじゃないこともちゃんと分かってる。
 分かってるけど、でも……。
 俺がもっと強かったら。
 特級を倒せるくらいの強さがあったら。
 綾瀬も虎杖も死ななかったんだって。
 誰に言われなくても、自分で自分を責めていたのに。
 綾瀬の言葉を聞いたら、余計にそう思わずにはいられなかった。
 嫌になるくらい、その言葉が俺にとっての『呪い』になってしまった。
 それ以上、何も言えない俺に、釘崎はまた覇気のない声を溢す。

「……一番弱っちかったヤツが、偉そうに上から言ってんじゃないわよ」

 釘崎は精一杯の文句を口にする。
 悪態をついて、釘崎は静かに言葉を重ねた。

「……アンタ、仲間が死ぬのは初めて?」
「同級生は初めてだ」
「ふーん。その割に平気そうね」

 試すように言って、釘崎が俺のことを横目に見た。

「……オマエもな」
「当然でしょ。会って2週間やそこらよ。そんなヤツらが死んで泣き喚く程チョロい女じゃないのよ」

 釘崎が俺から視線を逸らす。
 平然とした声。
 でもその言葉を紡いだ唇を、釘崎は強く噛みしめていた。

(……平気なわけ、ねぇよな)

 本音なんて、この状況で吐けないのは俺も釘崎も同じだった。
 平気なフリをしてなきゃやってられないくらい、俺も釘崎も感情がグチャグチャになってる。

「暑いな」
「……そうね、夏服はまだかしら」

 蝉の音は、まだ聞こえない。
 でも聞こえてもおかしくないくらい、蒸すような暑さが俺たちを蝕んでる。

 意味のない会話をして、俺たちは淀んだ空気に沈んだ。
 けれど、その空気を切り裂くように砂利を踏み潰す音が盛大に響いた。

(ああ……この人はマジでハートが強いから、今は会いたくなかった)

 心が折れかけてる俺を見透かす顔は、同じ血縁でも俺とは全然違う。

「なんだ、いつにも増して辛気臭いな、恵。……お通夜かよ」

 お通夜だよ。
 そう返してやりたいけど、この人も綾瀬のことは知っているはずで。
 短い間だったとは言え、稽古をつけていた後輩の死を知っても尚、心から気丈に振る舞えるこの人は、やっぱりハートの出来が全然違う。

「禪院先輩」

 他人行儀にその姓を呼んだら、案の定禪院先輩は眉を寄せた。

「私を名前で呼ぶんじゃ――」
「真希。真希!!」

 木陰に隠れきれていないパンダ先輩と狗巻先輩が、禪院先輩を大声で呼んだ。

「まじで死んでるんですよ、昨日!」
「あ゛? 皆実のことは聞いたっての。胸糞悪ぃから何度も言うな! どうせこんな辛気臭い空気漂わせてるだろうと思って来てんだよ。邪魔す――」
「違う違う! 俺も何度も言いたくないけど死んでんの! 皆実の他に、一年坊がもう一人!」
「おかか!」
「は、や、く、言、え、や」

 禪院先輩が固まった。
 どうやら虎杖の死については、知らなかったらしい。

「皆実のことで落ち込んでるだろうと思って、こっちも同じ気持ちだから背中叩いてやろうとしたんだよ! もう一人死んでるとか聞いてねぇし!」
「だって皆実のこと聞いた瞬間、真希が他の話全部聞かずに出て行ったんだろ」
「しゃけしゃけ」
「知らねぇよ! これじゃ私が血も涙もねぇ鬼みてぇだろ!」
「実際そんな感じだぞ!? イヤ、真希すごいよ。もう一人の一年のことを知らなかったにしても、正直皆実のことで俺と棘もかなりお通夜気分だもん」
「ツナマヨ」

 お通夜気分とは思えないほど、ガヤガヤうるさい。
 禪院先輩どころか、二年の先輩はみんなイカれすぎだろ。
 でも、きっと綾瀬がこれを見ていたら、小さく笑ってんだろうなって。

(また、綾瀬のこと考えてる)

 考えるなって言い聞かせてもどうしても、まだアイツが隣にいる気がしてしまう。

「何あの人(?)達」

 死者に囚われる俺に、釘崎がなんとも言えない顔で声をかけてきた。掲げた人差し指は先輩たちを指している。

「二年の先輩」

 そう言えば、釘崎は二年の先輩に会うの、初めてだったか。
 虎杖もなんだかんだで会えず終いになったのか……。
 そんなことをしみじみ思いながら、俺は目の前にいる三人の先輩を紹介した。

「禪院先輩。呪具の扱いなら学生一だ」

 甘やかすだけが優しさじゃないとか、スパルタなことを言っている先輩のことから教えて、次に「すじこ」って解釈の難しい具材を答えてる狗巻先輩を指す。

「呪言師、狗巻先輩。語彙がおにぎりの具しかない」

 そして最後、パンダ先輩を指して……

(ああ、前に綾瀬にもこんなふうに紹介したっけ)

 そんなことをやっぱりどうしても考えてしまって。

「パンダ先輩」

 そうとしか言いようがないから、そのまま説明した。

「あと一人、乙骨先輩って唯一手放しで尊敬できる人がいるが、今海外」
「アンタ、パンダをパンダで済ませるつもりか」

 釘崎が依然珍妙な顔で尋ねてくるけれど、俺はそれを無視した。
 そんな俺たちに、パンダ先輩が手を合わせて告げてくる。

「いやー、スマンな、喪中に。でもこっちもこう見えて喪中だから、許して」

 こんな騒がしい喪中があってたまるかよ、って思うけど。
 俺はあえて突っ込むことはやめて、先輩達の話に耳を傾けた。

「だがオマエ達に『京都姉妹校交流会』に出てほしくてな」
「京都姉妹校交流会い?」

 釘崎は高専の行事についてあまり把握していない。
 だから俺はパンダ先輩に付け加えるように、その内容を説明する。

「京都にあるもう1校の高専との交流会だ。でも二、三年メインのイベントですよね?」

 本来は一年の俺らにほとんど関係ないイベント。だから、はっきり言ってまだ知らなくてもいい行事だ。 

「その三年のボンクラが停学中なんだ。人数が足んねぇ。だからオマエら出ろ」
「交流会って何するの? スマブラ?」
「なら3人でやるわ」

 アホなことを言ってる釘崎に、パンダ先輩が冷静にツッコミを入れた。
 至極もっともな意見だと思う。

「東京校、京都校。それぞれの学長が提案した勝負方法を1日ずつ2日間かけて行う。つってもそれは建前で、初日が団体戦、2日目が個人戦って毎年決まってる」
「しゃけ」
「個人戦、団体戦って……戦うの!? 呪術師同士で!?」
「あぁ。殺す以外なら何してもいい呪術合戦だ」

 そう告げる禪院先輩はかなり楽しげだ。
 こんな楽しそうな先輩は絶対に相手にしたくない。
 敵になるだろう京都校のヤツらのことがすでに気の毒に思えた。

「逆に殺されない様ミッチリしごいてやるぞ」

 パンダ先輩がそう告げると、釘崎はまた次の疑問を見つけた。

「……ん? っていうか、そんな暇あんの? 人手不足なんでしょ? 呪術師は」
「今はな。冬の終わりから春までの人間の陰気が初夏にドカッと呪いとなって現れる。繁忙期って奴だ」
「年中忙しいって時もあるが、ボチボチ落ち着いてくると思うぜ」
「へぇ」
「で、やるだろ。仲間が死んだんだもんな」

 発破をかけるには充分な煽り文句。
 禪院先輩への返答なんて、迷う余地もなかった。

「「やる」」

 釘崎と声が重なる。
 残された俺達の考えは、おそらく同じ。
 釘崎の瞳を見れば、それは確信に変わった。

 見据える先には、綾瀬と虎杖の背中がある。

(俺は強くなるんだ)

 あの世で2人に堂々と胸張って会えるように。

(そのためならなんだって)

 やってやる。
 できること全部、やってやるよ。

「でもしごきも交流会も意味ないと思ったら即やめるから」
「同じく」

 俺と釘崎の意気投合した考えを、二年の先輩達が鼻で笑う。

「ハッ」
「皆実は素直だったなぁって改めて実感するぜ。でもまあこん位生意気な方がやり甲斐あるわな」
「おかか」

 二年の先輩達は話を終えたと告げるように、俺達に背を向ける。
 そして、禪院先輩が号令をかけるように手招きをした。

「っし、じゃあ特訓始めるぞ」

 早速、しごきを始めるらしい。
 でも俺はまだ少しだけ俺の時間が欲しくて、禪院先輩に一言謝った。

「すみません」

 この非情な事件には、まだやり残してることが一つだけあるから。

「……ちょっとだけ、寄り道してきてもいいですか?」

 そう告げて、俺は踵を返した。



◇◇◇



 住宅街の一部屋。
 そこに俺は、単身やってきた。
 目の前には、あのとき少年院を訪れた女性――岡?正の母親がいる。

「自分達が現場に着いた時には既に息子さんは亡くなっていました」

 その事実を、ちゃんと自分の口から伝えたかった。

「正直自分は少年院の人達を助けることに懐疑的でした」

 今でもその気持ちは変わらない。
 俺にはどうしても、あの少年院の人達を命を賭して助ける理由が見つからなかった。

「でも仲間達は違います」

 虎杖は最後まで万人が『正しい死』を迎えられるように、って考えてた。
 あんな凄惨な現場を目の前にしても尚、アイツの性根は変わらなかった。

「成し得ませんでしたが、息子さんの生死を確認した後も遺体を持ち帰ろうとしたんです」

 なんの迷いもなく、虎杖はそうした。
 非道な俺と違って。
 あの遺体と、そして今目の前にいるこの女性のことを、虎杖は親身に考えていた。
 どうしても、それだけは伝えておきたくて。
 それを伝えるためだけに、俺は単身ここにやってきた。

「せめて、これを」

 女性の前にその名札を差し出す。
 虎杖と綾瀬をあの場に置き去りにして、それでも俺はこの名札を剥ぎ取ることしかできなかった。

(残念ながら遺体は、特級の生得領域と共に消滅してしまいました)

 そんなことを『呪い』を知らない人間に言ったところで、混乱させるだけだから、俺は言葉を濁す。

「正さんを助けられず、申し訳ありませんでした」

 深く頭を下げる。
 虎杖ならきっと、こうするだろうと思った。

「……いいの、謝らないで」

 頭を下げたままの俺に、女の人の咽び泣く声が聞こえる。

「あの子が死んで悲しむのは私だけですから」

 きっと、その言葉は間違いじゃない。
 今でさえ俺にとって【岡?正】の死は他人事でしかない。
 まして犯罪者の死など、どうあっても俺の心を揺らさない。

(けど、誰が悲しむかなんて関係ないだろ)

 たった一人でも悲しむ人がいるなら、やっぱりソイツは死んでいい人間じゃなかったんだって、今なら思う。

(だから……オマエらも、死んでいいわけなかったんだよ)

 綾瀬も虎杖も、世間から見たら『善人』と言える人間じゃない。
 綾瀬は人を呪い殺せる呪いの器で、虎杖は人類を鏖殺できる呪いの王の器で。
 きっと、アイツらの死を喜ぶ人間の方が圧倒的に多い。
 虎杖は宿儺の器になる前の人生があるから、多少は友好関係も築いて悲しんでくれる人間がいるかもしれないけれど。
 それでもアイツらの死は、きっと世間では『当然』の位置付けになるだろう。

(だとしても……)

 少なからず俺は……俺と釘崎は、オマエらの死を『悲しい』と思うよ。



◇◇◇



 高専に戻ってきたら、釘崎がパンダ先輩に追いかけられていた。
 ジャージを羽織りながら、その光景をボーッと見つめて。
 俺は禪院先輩と狗巻先輩の元に歩み寄る。
 すると、俺の存在に気がついた禪院先輩が俺の方を振り返った。

「おっせぇよ、恵。何してた」
「なんでもいいでしょ」

 説明したところで、理解してもらえるとは思わないから。
 どうせ会話をするなら、もっと意味のあることにしようと思って、こう問いかけた。

「……禪院先輩は呪術師としてどんな人達を助けたいですか?」

 俺はやっぱり善人を助けたいと思う。
 でもだからって悪人のことを見殺しにしていいわけじゃない。
 禪院先輩はそのあたり、どう考えてるのか気になって、尋ねてみたけれど。
 聞く相手が悪かった。

「あ? 別に私のおかげで誰が助かろうと知ったこっちゃねーよ」
「聞かなきゃよかった」
「あ゛ぁ?」

 全くタメにならない返答が来た。
 まあ、そんな返事だろうとは思っていたけれど。
 ため息を吐く俺に、禪院先輩は「でも」と付け加えた。

「皆実のことは助けたかった」

 咄嗟に顔を上げると、少しだけ悲しそうな目をした禪院先輩が映り込んだ。
 こんな顔、初めて見た。

「特級相手……オマエがそばにいてこの結果なんだから、私がそばにいても何も変わんなかったと思うけど、それでも助けたかったよ」
「こんぶ……」

 狗巻先輩も、地面に視線を落とす。
 さっきまで『お通夜』なんて嘘だろってくらいに騒ぎ散らかしていたのに。
 本音を隠していたのは、俺達だけじゃなくて。
 なんなら俺達は、全然本音を隠しきれてなかったんだって。
 二人の姿を見て実感した。

「でもそんなこと考えたって意味ねぇし。後ろ向いてる暇があるなら、私達はひたすら前に進まなきゃいけない」

 禪院先輩が手にしているボロ棒に視線を移す。
 その棒は、綾瀬との特訓に使っていたものだ。

「だからオマエは強くならなきゃいけないんだよ。皆実を守れなかった事実を心に刻んで」

 強い眼差し。
 この眼を前にしたら、言い訳なんて一つもできやしない。

「……はい」

 俺がそう答えるのと同時、向こうから叫び声が飛んでくる。

「伏黒ォ!! 面接対策みたいな質疑応答してんじゃないわよ! 交代! もう学ランはしんどい! 可愛いジャージを買いに行かせろ!」

 パンダ先輩に投げられながら、釘崎が文句を言い散らかしている。
 意味ないしごきだったら即やめるとか啖呵切っといて、早速されるがままになってる。

「あの2人は何してるんですか?」
「オマエらは近接弱っちいからなぁ」

 どうやらアレは近接戦闘の特訓らしい。

「にぎゃあああああ!」



『きゃぁああっ! 真希先輩、ストップ! 骨、骨が……っ!』



 パンダ先輩に投げられてる釘崎の姿は、禪院先輩に吹っ飛ばされてた綾瀬の姿と重なって見えた。

「恵」

 またしても過去の記憶に囚われかけていた俺を、禪院先輩の静かな声が呼び戻す。

「まずは、私から1本取れ。話はそれからだ」

 そう口にして、禪院先輩は持っていたボロ棒を背中に回した。



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