プロローグ 05

※五条視点

 眠りに落ちた皆実を、僕は自室のベッドに横たえた。
 呪力を抜いたからか、スヤスヤと耳に心地いい寝息をたてて眠っている。
 今から僕は、上に諸々の報告をしなければならない。
 皆実のことに関してはほぼ独断で行動したため、おそらく長話になる。
 きっと帰ってくるのは朝。
 だからあと少しだけ、この子の寝顔を見ていたいと思った。

「こんな小さな身体に、一万人の呪いが刻まれてるなんてね」

 硝子からの報告を思い出す。
 規格外の僕ですら笑ってしまうほどの規格外。

◇◇◇

『五条の言う通り、あの子は呪力も術式も全部吸収して無効化する』

 皆実を閉じ込めて、僕はまた硝子の診療室に戻ってきた。
 すでに皆実の身体を可能な限り調べ上げた硝子が、その報告書を僕に投げ渡す。仕事が早い。
 そして報告書の要点は口頭で伝えてくれた。

『無下限呪術も効かないから、五条の唯一の天敵になりえるね』
『ははっ、僕の天敵とかありえない。呪力使えないなら体術でどうにかするだけだし』

 そもそも皆実が敵である可能性はかなり低い。
 もし敵だったとしてもあの程度の呪霊に吊るされてしまうレベルの体術しかできないのであればまず僕の相手にはならない。

『で、報告はそれだけじゃないよね?』
『もちろん。五条が調べろって言っただけあってね。面白い子だよ、あの子』

 硝子は白衣のポケットに両腕を突っ込んで壁に寄りかかる。

『あの子、本当に全部吸収してる』
『え?』
『嫉妬や嫌悪、それから憎悪といった非術師が出力してる微量な呪いを全部吸収してる。もちろん、範囲はあるだろうけど。それでも町一個分。人数にすると一万人分くらいの呪い』
『……じゃああの町に10年呪霊が出現してないのは』
『おそらく、あの子があの町で生まれる呪いの受け皿になってたから』

 そうなれば話の辻褄は合う。
 でもその一方で辻褄の合わないこともでてくる。

『じゃあなんで今回は呪霊が現れた?』
『あの子の血だよ。頭怪我してたでしょ。あの子の血には高濃度の呪力が含まれてる。その呪力に吸い寄せられて、出現したってのが妥当』
『怪我くらい10年のあいだに何回もしてるだろ。今回だけ呪霊が出現した理由にならない』

 硝子はやれやれといった様子で首を横に振った。

『呪力の濃度。例えば一万人の呪いと五千人の呪い。少量の血が流れた時、当然一万人の呪いを含んだ血液のほうが濃度が高い』
『つまり?』
『あくまで仮説だけどあの時あの子の身体は一万人、あるいはそれ以上の量の呪いを溜めていて、少量の血液でも特級呪物と同等の猛毒。呪霊にとって喉から手が出るほど欲しい餌と化していた』
『だから皆実の血液に吸い寄せられて既存の呪霊が出現した、と。じゃあ普段は呪力の濃度が低いってこと? オートで呪いを吸収してるならとっくに数万人以上の呪力を溜めてるだろ』
『注射痕』

 硝子はそう言って、ポケットから注射器を取り出した。

『あの子の腕、何箇所か新しい注射痕があった。おそらく自分で定期的に血を抜いて呪力を調整してたんだろう』
『毎回血を抜いてるっていうの? さすがにそれはないでしょ。他に呪力を排出する方法は? 物に呪力こめるとか』

 注射器をくるりと回し、硝子は目を細める。

『本来なら物に呪力を込めて排出すればいいけど、あの子の呪力は濃すぎて物が先に壊れる。……だからもし、血を抜く以外に排出する方法があるとすれば……体液の交換くらい』
『は?』
『キスとかセッ』
『硝子』
『何、童貞でもないくせに。……でも冗談じゃなく、本当だよ。血液に呪力が含まれてるってことは体液にも呪力が含まれてる。唾液に含まれる量は極少量だけど回数と時間を重ねればかなり排出できる。だからヤればかなり排出できるよ』

 下品なことを口にして、硝子はため息を吐いた。

『これは言わないつもりだったけど』
『何?』
『この話をさ、11年前に別の男にもしたことがある』

 少しだけ息が詰まるような、そんな感覚に襲われた。 

『あの子の身体を調べてて思い出した。11年前に似たような事件があったんだよね。5年間呪霊出現の報告のなかった岐阜の田舎町に突如出現した特級呪霊が町の人間をほぼ全員虐殺した事件』

 喉が、渇く。

『ほぼ、全員?』
『たった1人だけ行方不明者がいたんだ。そのとき特級呪霊を祓った呪術師がその事件の直後に私に尋ねたんだよ。呪力を排出する方法について』

 特級呪霊を祓える術師なんて特級術師以外にありえない。
 11年前、乙骨憂太はまだ子どもだった。
 九十九由基がそんなことをするはずもない。
 そして、僕にはそんなことをした記憶などない。
 だとすれば、その呪術師は……。
 すべてが繋がる音がした。

『で、あの子どうすんの?』

 硝子が尋ねる。でもたぶん僕の答えを彼女は分かっている。

『上層部の馬鹿共は死刑一択だろうね』
『だろうな。限りなく0でも呪詛師の可能性がある上に、その存在自体が3級呪霊を容易に特級に変えるほどの呪物になり得る危険人物。上にとって生かしておく理由がない』
『でも僕にはその理由がある。だから僕の監視下に置くよ』

 僕の答えを聞いて、硝子はまた、ため息を吐く。
 そして、こう問いかけた。

『ねえ、それってさ。……あの子のため? それとも……』



◇◇◇



 皆実の白くか細い腕に触れる。
 シャツの袖をめくりあげると、硝子の言っていた注射痕がいくつかあった。
 古い注射痕も何箇所かある。

 でも――。

「11年ずっと血を抜いてたんなら、もっと痕は多いはずだよね」

 とすれば、誰かが、皆実の呪力の器になっていた。
 物が壊れるくらいの呪力、特級呪物と同等の猛毒を受け入れられるなら、それは特級呪術師しかありえない。
 おそらくこの注射痕は呪力の器がいなくなった後に、できたものだろう。

「11年前なら皆実は5歳だろ。普通に犯罪じゃねーか、バカ」

 そうでもして守りたかったんだろう。
 小さな身体に非術師の呪いを刻んだ少女を。



『信用か。まだ私にそんなものを残していたのか。……なら、同じように。私も君への信頼を残すよ。もしものときは君があの子を助けると』
『あの子? 何の話……』
『コレ返しといてくれ』



 ずっと分からなかった死ぬ間際のアイツの言葉。

「信頼も何も、ちゃんと説明しなきゃ助けらんないだろ。皆実と会う保証なんてどこにもないのに」

 でも偶然か、必然か。
 僕は皆実と出会った。

「ごめんね、皆実」

 皆実の綺麗な顔に触れる。
 僕の全部でこの子を守ろう。
 アイツを救えなかった僕が、今度こそ。
 この子を救った理由なんて、皆実のためでも、あいつのためでもない。
 最低なくらいに。

「僕のため、か」


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