重ねる罪 ――もう喪うものは、何もない。 大切な記憶も、大切な感情も。 心ごと壊してしまえば、残らない。 すべて夢だったのだと、そう思えば、きっとそれが現実になる。 それらが現実だったという証拠はどこにもないのだから。 深い眠りについていた私が見た、一時の幸せな夢だったのだと。 そう、言い聞かせて。 それなのに、目が覚めて無機質な部屋の天井を見上げると、心が虚しさに包まれる。 幸せを知らなければ、この虚しさなど訪れることはないのに。 どんなに心を殺しても、忘れることができないのだ。 忘れることができないから、私は今ここにいる。 「……時間ね」 私は軽く身支度を整えると、部屋から出て行く。 アドニスの教祖である、ゼロに呼ばれているからだ。 向かう足取りは重い。 呼ばれている理由も、ここでは『神聖』とされるあの場所で何をさせられるのかも、私は全部分かっているから。 ◇◇◇ しばらく歩くと、重厚感のある扉の前にたどり着く。小さく息を吐いて、扉を開ければ重い空気が私を包む。 私にとって、悪意の象徴たる場所。 実際にはそれに似せて創られた場所であって、私の悲しみが溢れた場所とは違うらしいけど。 この場所に毎度私を呼びつけることも、ゼロが私に下す罰の一つなのだと思う。 本当に、彼は私のことが嫌いだ。 どうしてここまで嫌われているのか分からないほどに。けれどその理由を知る気にもならない。 それほどまでに、私自身が彼を憎んでいるから。 嫌われているほうがむしろ都合がいい。 「やっと来たな。……星野」 静かな声が響く。 私は彼の顔を拝むことなく、その場に跪いた。 「まだ時間前ですが、ゼロをお待たせしてしまったのなら謝ります。申し訳ございません」 「別にかまわないけどな」 優しい声音。けれどそこには何の感情も宿ってはいない。 靴音を響かせて、彼が私に近づく。 音が止み、私の視界には彼の靴が映る。 そして私の顎に彼の指がかかり、私の視界がぐらりと揺らいだ。 「やっと、顔が見えた」 ゼロは薄く笑うと、そのまま私の唇にキスをした。 「……相変わらず、目は閉じないんだな」 「閉じろと命令するなら、閉じますが」 「さすがにそれを命令するのは野暮だろ」 鼻で笑って、ゼロはもう一度私にキスをする。 私は目を開けたまま、ゼロの顔を見つめる。 少しの隙も、見逃さないように。 「俺のキスは、気持ちよくないか?」 答えなど分かっているはずなのに、わざわざ尋ねる意味がわからない。 「ゼロから与えてもらうことを喜ばない者はここにいないかと」 「今、目の前にいるんだが?」 「喜んでいますよ?」 「その顔で言うのか? 昔はよく笑ってくれたのにな」 彼は昔の話を、何の前触れもなく口にする。何の躊躇もなく。 あの頃から変わってしまった私と違って、彼はあの頃と何も変わらない。だからこそ思い知る。 私がかつて心を許した友人の彼も、今目の前にいる彼も、見ていた側面が違うだけで全部彼自身だったのだと。 彼は何一つ偽ってなどいなかったから、ここで取り繕う必要もないのだろう。 「喜んでほしいなら、私ではない者をここに呼ぶべきでしょう。簡単な話です。あなたのキスを、喜ぶ者はこのアドニスという城の中にたくさんいます」 アドニスの教祖たる彼に、求められることをアドニスの人間なら誰もが願う。 「そうだな。きっと拒む者はいないし、むしろ願い出る者のほうが多いだろう」 それが分かっているなら、どうして……。 「でもお前じゃなきゃダメなんだよ。星野」 昔と変わらない呼び方に、その声音に、言い知れない感情が募って叫びだしたくなる。 ぐっと堪えるために噛み締めようとした唇は、ゼロの唇に寄ってこじ開けられる。 「噛むなよ。綺麗な唇に傷がつく」 キスをしながら、そんな言葉を吐く。 彼の手が短い髪をすいて、そのまま私の後頭部を支える。彼の腕にかかる力に任せて、私は彼の下腹部に顔を埋めた。 「……じゃあ、始めようか。……星野」 もう何度も繰り返されている、私への罰を。 ◇◇◇ 「うまいな……本当に。……うまくなったよ」 ゼロの頬がわずかに紅潮している。 きっと興奮はしているのだと思う。私が咥えている彼自身が今にもすべてを吐き出しそうなほどに怒張して、血管を浮き彫りにさせているから。 でも、それなのに……彼に隙を見つけられない。 「星野……っ、あ……っ、ごめ……っ、口に、出すから」 本当に申し訳なさそうに口にして、彼は私の口の中に白濁した精を出す。 彼が達した今、普通ならこれはチャンスのはず。彼を、殺せる絶好の機会なのに。彼には、隙がない。 隙があるように見せかけて、周囲への注意は一切逸らしていないと分かる。 「出していいよ。まずいだろ」 私は彼に背を向けて差し出されたティッシュに吐き出す。振り返ると、彼は少しだけ残念そうな顔をしていた。 でもすぐに笑みを携えて、私に手を伸ばした。 唇にキスをしながら、服に手をかける。 全部、慣れたもの。 もう何度繰り返したか分からない。 最初の時をもう思い出せない。 何がきっかけで、どうしてこの行為が始まったのか、記憶は曖昧だ。 理由なんてない。おそらくゼロが私を苦しめるために考えた案だったのだろう。 ただ、あの時の私は……この行為の最中に彼の隙をつくことができれば、彼を殺せる。 だから彼を満足させることに必死だった。彼を油断させるために。 この行為に愛がなくとも、そんなことどうでもいい。愛があろうとなかろうと、私にも彼にも揺さぶられる心もないのだから。 ただひたすら、彼を殺す手段として。 そんなことを考えていた。それだけは覚えてる。 「ゼロ。……私には触らなくていいので。ゼロが満足してくれればそれで……」 ゼロが私に触れることを、私は拒む。 だってゼロが満足して、油断してくれたらいい行為だから。 私が満足することも、ほだされることもあってはいけない。 だから毎度愛撫は少なめに。いつもはその方が効率よく精処理できるからか、私を痛ぶることができるからか、すんなり私の願いを聞き入れて、そうしてくれるのに。 今日は違った。 「お前さ……毎回それ言うけど、痛いのが好きなの?」 「そういうわけじゃないですけど」 「じゃあ言い方を変える。お前も気持ちよくなったら、俺はもっと気持ちよくなる」 そして彼は付け加えた。 「もしかしたら、俺が快楽に身を任せて油断するかもしれない」 彼は、全部分かっている。 私が抵抗することなくこの行為を続けている理由も。彼に抱いている感情も、全部。 分かっていて、それが叶わないと知っていて、楽しんでいる。 「……快楽に身を任せられないなら……私で満足できないのなら、やはり他の人を呼ぶべきでしょう?」 「いいや。俺を満足させられるのはきっと星野だけだよ。だからこそ……俺を溺れさせるくらい気持ちよくしてほしいんだ」 「そんなこと……」 「できるよ。お前が本気で俺に抱かれてくれたら」 きっと、それは真理だ。 この行為は本来愛を伝え合うもの。 私自身が気持ちを殺している以上、この行為は本物じゃない。 彼を油断させるほど夢中にさせるには、私自身がこの行為に夢中にならなければならない。でもそうすれば私は本来の目的を手放すことになる。 意味が、なくなる。 「なら、もう私はこの役から……」 「降りることは認めない。俺の夜伽役は星野だけ。お前に都合が良くても悪くても決める権利はない。……これは、命令だ」 ゼロはそう言って、私のブラジャーに手をかける。 露わになった私の白い肌に指を這わせて、桃色に染まる頂きを弾く。 「……っ」 「ここ、防音だから……声を抑える必要はない」 ゼロはそう言いながら、左胸の頂きを指でいじり、右胸に舌先を這わせる。いじらしく、触れるか触れないかの微妙なラインで舌先を動かして。 「や……だっ」 「ふーん……」 悔しくて涙が出る。 下を見れば、上目で私の様子をうかがうゼロと目が合う。何が言いたげな瞳が私だけを映してる。 その扇情的な光景に、身体が疼く。こんなの、嫌なのに……。 「気持ちいいって顔してるよ、星野」 「ちが……っ、そんなこと……」 「あるよ。いつもはキスしても真顔で、ヤッてるときも俺が一方的に攻めてるだけだから苦しそうだけど。……そんな顔も、できるんだな」 どうして、そんなに嬉しそうな顔をするの。 「……ふ、ぅっ」 ねっとりと乳首を舐められて、声が漏れる。クスクスと笑う吐息が刺激になって、腰が浮くのを止められない。 そして、ゼロはそれを見逃さない。 「や、めて……くださっ」 ゼロの顔が胸から下へと移動して。それと同時に下着も脱がせて。 そのまま彼は秘部に舌を這わせた。 何も言わずに。 ピチャリ、と。濡れた音を聞かせるように響かせた。 「……っ」 「聞こえてる? 音」 ピチャピチャと。ゼロが私の秘所を暴く音が聞こえる。でもそれは、あくまでゼロがわざと響かせている、彼の唾液が混ざり合う音。 そう言い訳しようと思ったのに。 彼の舌が退いて、今度は彼の長い指がそこに添えられる。 「ほら、星野。お前が感じてる音、聴いて」 今度は誰の音でもなく、私が彼に感じてしまった音が鳴る。グチュ、グチャリ、と。 耳を塞ぎたくなるほど卑猥に。 「やめ……て、や……だ……っ、う」 悔しさと快楽とで、涙が止まらない。 私が彼を翻弄しなきゃいけないのに、どうして私が……。これじゃ意味がない。 「……あっ、や……こわい……や……だめ、です……ゼロ、だ……めっ」 ビクビクと身体が震える。信じられないくらい彼の指を締め付けているのが自分で分かる。 「……かわいいな」 ゼロは私の額に、頬に、唇にキスをして。 慈しむようにそう口にした。 これじゃまるで、本当に……。 「星野」 恋人みたい……なんて。そんなバカみたいなこと、考えてしまう。 「やっと、お前と本当に繋がれるよ」 真意の読めない言葉を口にして、ゼロは反り上がった塊を私のナカに埋めた。 「……っ、ゼ、ロ」 どうしようもないくらい気持ちよくて変になる。 いつもはあまり慣らされてないから少し痛いのに。 痛みなんか全然なくて。 少し触られただけで、こんなにも気持ちよくなるなんて、おかしい。 「……星野」 お願い。今はもう、何も言わないで。 「昔みたいに俺のこと呼んで」 そんなの、無理だよ。 首を横に振る。でも彼はそれを許さない。 「卑怯かもしれないけど……これは命令。聞いてくれるまで、このまま動かない」 つまりはこの行為が終わらないということ。 卑怯にも程がある。 そんなの、拒否権がないと言ってるのと同じ。 否、仮にもアドニスの構成員である私に神たる彼が命令というならその時点でもう拒否権なんてないのだ。 「……バカ」 本当に心からそう思う。私にも、彼にも。 「冴木君は……こんなこと、しない」 私の大切な記憶を壊さないで。 冴木君との記憶を。 ゼロと冴木君を分けることでしか、私は受け入れられないのに。 「何度も言ってるだろ。……冴木弓弦も、ゼロも……全部俺だよ。星野」 違う。そう言いたいのに、言えない。 今目の前にいる彼は、間違いなくゼロで……私の大好きな、大好きだった……冴木君なんだ。 「ほら、呼んで」 私に拒否権なんてない。 希望なんて、最初からない。 「……冴木君の、バカ」 そう口にしたら、中で彼のモノが質量を増した。 「ごめん。……動くよ」 「……っ、あ」 お腹の中まで全部彼に支配されてるみたいに、いっぱいで。逃がさないようにしっかり腰を掴まれて打ち付けられて。 もう頭はすっかり変になっていて。 「星野……やばい、きもちいい」 彼の油断とか隙とか、そんなものも分からなくなって。 「や、だ……もう、だ、め……っ、さえ、きくん……もう、こんなの……っ」 やめにしようよ。やっぱりこんなのおかしいよってそう言おうとしたのに。 「俺、は……お前を、離さないよ」 思考ごと追いやるように、彼の律動は激しくなって。それに呼応するように私も彼をぎゅうぎゅうに締め付けて。 「ば、か……それ、だめ、だろ……っ。い……っ、ごめん、な……ほし、の……っ、ぁ、くっ」 頭に白くモヤがかかる。 彼の声が、耳元で聞こえるのに、何もかもがチカチカして分からない。 抱きしめられた温もりも。 ナカが熱い。ビクビクと彼自身が震えているのが分かる。 今なら、きっと彼を殺せる。 それなのに、私の手が動かない。 殺したいのに、殺せない。 だから、涙が止まらないの。 「……冴木君」 あなたが憎いのに、殺せない。 「……これで、満足?」 彼の笑顔の理由も、私には分からない。 clap Exit コメント ×
|