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バッド
犬飼「そ、想子さん!!」
金田一「くそっ! なんてことに!!」
桐江は、駆け寄った犬飼に抱きかかえられた。喉元に包丁が深々と刺さり、赤黒い血とともに、ヒューヒューと空気が漏れていた。
犬飼「想子さん! 想子さん! 何で……!!
桐江「……い……ぬ……かいく……ん」
気道を血でふさがれ、口から血反吐をを吐きながら、桐江は苦しげに顔を歪め、そして不思議そうに犬飼を見ていた。その頬を涙が伝わっていく。
金田一「犬飼……」
犬飼「想子さん! 僕は、僕はあなたのことを……!!」
桐江の首が力なく垂れたのは、そのときだった。最後に救いを求める光が瞳に宿ったのを金田一は見た。
犬飼「想子さん? 想子さん!? あああああ……!!」
泣き崩れる犬飼、そのパーカーは桐江の血でどす黒く染まっていた。
金田一「……」
茫然自失とした一同に、ため息が聞こえた。ふと窓の方に目をやれば、
金田一「!?
高遠!?」
いつのまにか高遠は暖炉の上、その窓際に立っていた。
「やれやれ……。
どちらが先に真相を説き明かすか――
このまま行けば勝負は君の勝ちだったのに……残念でしたね、金田一君。
せっかく助けて差し上げた命をドブに捨てるとは、全く愚かなコンダクターでした」
金田一「高遠……貴様、その言い草はなんだ!?」
高遠「私は自分の見解を述べているだけですよ。
探偵にちょっと追い詰められたくらいで簡単に自分から死を選ぶとは、ね……所詮は二流の犯罪者、ということでしょう?」
金田一「あんたって奴は……!!」
窓際に、金田一は詰め寄った。
金田一の手が高遠をつかむ寸前、高遠は窓から身を投げた。
金田一「なっ!?」
呆気にとられる金田一に、下から愉快そうな声が聞こえてきた。
高遠「ご安心を!
私は自分から死を選ぶような愚か者ではありませんよ」
高遠の声とともに下から巨大なバルーンが、浮き上がってきた。高遠はバルーンについたロープを掴み、その先端のあぶみに足を置いていた。
高遠「おや?
どうやら霧が晴れたようですね。
美しい湖に浮かぶ壮麗なロシア建築でも眺めながら空の旅と洒落こみますか……
それではみなさんまた会うその日まで――GoodLuck」
バルーンとともに地獄の傀儡師は、空の逃避へ旅立った。
金田一「くそっ! 高遠!!」
天上へ消えていく高遠を、ぎりりと奥歯を噛んで金田一は見送った。突き刺すような視線、その背後から鳴咽が耳に届いた。……念い人を亡くした少年が、一人咽び泣いていた。
かくして霧の立ち込める、奇怪な露西亜館を舞台にして起きた連続殺人事件は、晴れゆく霧とともに終わりを告げた。――だが金田一たちの心は晴れ渡ることは無かった。それどころか、暗く沈んだままだ。
高遠との勝負に勝っておきながら、……血塗られた終末を金田一は回避できなかったのだから。
ノーマル
直後、桐江の身体を衝撃が襲った。横倒しになる桐江、包丁は首の皮一枚をかすっただけで手から崩れ落ちた。
犬飼「……きゃ!!
…? え?
犬飼……君?」
犬飼「バカなことは止めてれ!」
犬飼「ど……どうして?」
桐江の凶器を拾い上げ、犬飼はたどたどしく顔を赤らめながら言った。
犬飼「そ、想子さんには……」
桐江「!?」
犬飼「生きていて欲しいんだ。
頼む!
迷惑かもしれないけど、僕の想いをわかってくれ!!」
金田一「……犬飼」
桐江は幼子のように呆けた顔で、犬飼を見ていた。誰もが、その様子に目を奪われる中、淡泊な拍手が聞こえていた。
高遠「ブラボー!
見事な茶番です」
「!?」
拍手の主は、すぐにわかった。
金田一「た……高遠!」
いつのまにか高遠は暖炉の上、その窓際に立っていた。
高遠「やれやれ、せっかく面白いものが見れると思っていたのですが……少々、残念です」
金田一「……高遠! 貴様!!」
高遠は不機嫌そうに見下ろしていた。ふっとため意気をつくと、止むを得ないというふうに首を振る。
高遠「まあ、いいでしょう。
この勝負は金田一君の勝ちでしたし、私はこのまま失礼しますが……」
そこまで言うと、おもむろに高遠は桐江に目を向けた。
高遠「桐江さん…」
桐江「……」
桐江は茫然自失として、へたり込んでいた。魂の抜けた桐江に、高遠は極めて事務的に語りかけた。
高遠「探偵にちょっと追い詰められたくらいで簡単に自分から死を選ぶようなあなたでは冷徹な犯罪者にはなりえません。
あなたは死ぬはずでしたが、それを望まない方が少なからずいたようで――」
桐江「……」
高遠「あなたは人の死を望みましたが、あなた自身の死は望まれませんでした。
その意味を少しは、お考えになっては……?」
桐江は聞き入るだけで精一杯のようだった。彫像のように、ただ静止している。眉一つ動かさない、平坦な口調に反して、高遠は慰めの言葉をかけている。金田一は、混乱している自分に気付いていた。
金田一「……」
〜原作と同じ〜
明智と離れた金田一は、湖岸へ視線を滑らせた。
金田一「!」
その目に、悲しみと切なさに打ちひしがれた背中が映った。肩を落とし、犬飼が彼方の露西亜館を望んでいた。
金田一「よォ! 犬飼……」
犬飼「金田一君……」
犬飼は意気消沈した面持ちで、金田一を見ていた。
桐江を助けたものの、事件の結末にやりきれなさを感じているようだった。
金田一「さっきはお手柄だったな。
お前のおかげで桐江さんは救われたよ」
犬飼「――ああ、ありがとう」
自己嫌悪にさいなまれる犬飼は、はたから見ても沈痛なものだった。金田一は目を瞑り、その胸中で救済の言葉を探った。慎重に一つずつ、偽りないように選択していく。
金田一「なあ、犬飼。
高遠が……あいつが言った言葉覚えているか?
犬飼「……?」
金田一「桐江さんの死は望まれなかった、っていうことさ」
犬飼「……ああ」
金田一「お前はちゃんと『生きてて欲しい』と言った。
あの場で言えたのはすごいと思うぜ」
犬飼は顔を俯かせ、自身の表情を隠した。
金田一「桐江さんは取り返しのつかないことしてしまった……
だけど、もうバカな真似はしないと俺は思うよ」
見間違いかもしれない。だが犬飼の背中が、少しだけ明るくなったようだ。
犬飼「……ありがとう」