番外編、ブルーベルとウォルドと惑いの森 #1、いざない ブルーベルは濃い霧の中を歩いていた。 素足のまま、ただ歩き続けている。 一体いつから歩き続けているのか。 わからない。 身に纏っている服は青のネグリジェだけであり、他には何も所持していなかった。 そんな無防備な状態で、霧が広がる深い深い森の中を歩いていたのだ。 足の裏は泥まみれであり、右足の踵には枝を踏みつけてできた傷跡もある。 血が滲んで肌から滴り落ちているというのに。 なぜか気にならなかった。 そして、どうして森の中を歩いているのか。 それも気にならない。 黒い黒い森。 日の光もうっすらとしか届かぬ場所で、時折不気味な鳥の鳴き声がした。 まるで、女の叫び声のような。 いや。 どこからか女の声がしていた。 おいで、と。 その声に誘(いざな)われて、ブルーベルは進む。 ――おいで。 ――おいで。 ――おいで。 耳の奥へと響く、心地の良い声。 だが、同時に体にまとわりつくような、粘着質な視線を感じた。一方向から見られているというよりも、あらゆる方角から見られている気がするのだ。ぞっとするほどの突き刺すような視線だというのに、奇妙なほどにそれを受け入れている。 ふと、どこからか腐臭を感じた。 足元へ視線を落とせば、すぐ左側に大きな黒い沼が広がっていたのだ。腐臭はそこから漂っている。沼の上に浮かんでいるのは、何かの動物の白い骨。だが、どぷりと沼の中へと沈んでしまった。まるで、溶かされていくように。 僅かに歩を止めたが、再び声が聞こえた。 ――おいで。 ――こっちへおいで。 ――おいで。 その声に従って歩き出すのだが、誰かに見られている視線が益々強くなった。 やがて、一軒の家がある場所へと到着した。その家の前に立っていたのは、黒衣のローブに身を包んだ者。だが、肝心の顔は頭に被せたローブのフードに隠れてわからない。 「だ……、れ?」 ブルーベルは目の前の人物へと問いかけた。 「私は森の魔女と呼ばれるモノ。ブルーベル。取引をしないかい?」 くぐもった、それでいてしゃがれた老婆の声だった。 「取引……?」 「そう。なんでも願いを一つだけ叶えてあげよう」 「願いだなんて、何も」 「お前の愛する人を生き返らせる、だなんてどうだい?」 思い人と言われて脳裏に浮かんだのは、幼い頃を共に過ごした銀髪の少年。 「できるの?」 「できるとも。さぁ、何を願う」 「私は……」 答える前に、大きく体が揺れた。 |