9、息すら満足にできない 湖から僕の屋敷へ戻ってきた後、ブルーベルにはあらかじめ用意しておいた服へと着替えてもらった。 青色のワンピース。 レースがふんだんに使われているのだが、下品にならない程度に調整されている。いつかブルーベルに着てもらいたいと思って用意しておいた服なのだけれど、まさか役に立とうとは……。人生何があるかわからない。 ブルーベルが着用していた服はびしょ濡れだったので、庭で干して乾かすことになった。天気がいいのですぐに乾くと思う。 いつものように僕の部屋で休んでいたのだけれど、ブルーベルがとても眠そうにした。 「ブルーベル。僕のベッドで寝てもいいよ」 「うん、ごめんね、ウォルド」 ブルーベルは素直に頷くと、僕のベッドに上がって眠ってしまった。 ここで僕は、二つの選択肢を突き付けられた。 一つ目、ブルーベルの隣で寝る。 二つ目、庭に干してあるブルーベルの下着を見に行く。 僕は迷わず、庭へ行くことにした。 だってほら。 風で飛ばされてなくなったら、ブルーベルが困っちゃうからね? 僕はブルーベルが起きないように部屋をそっと出て、屋敷の裏庭へ向かった。 ブルーベルの下着がじっくり見れるまたと無いチャンス。 おっと。 違う、違う。 僕はブルーベルの下着が風で飛ばされないか、確認をしにいくんだ。決して後ろめたいことを考えてなどいない。 そうして僕は鼻歌を歌いながらスキップをして裏庭へとやってきた。 地面に突き刺した二本の棒の間に、洗濯物が引っ掛けられるように紐が通されている。主にシーツ類が干されているが、先ほど干したばかりのブルーベルの下着もあった。ローブなどを干す時は袖を紐で通して風で飛ばないようにしておくのだが、ブルーベルの下着や服は紐の上に掛けてあるだけ。 僕は周囲に誰もいないことを確認してから近づいた。 下着に触って匂いを嗅いでみたい。 もはや誰にも止めることなどできない欲望があった。 だが万が一誰かに見られれば、変態呼ばわりをされ、家名に傷をつけ、挙句の果てに父に勘当されるかもしれない。 ブルーベルに見られようものならば、平手打ちをされて足で蹴られて一生遊んでくれないかもしれない。 だが僕は、それでもいいからブルーベルの下着に触れてみたかった。 くんくんしてみたかった。 ブルーベルがいつも身に着けている下着。 ブルーベルがさっきまで身に着けていた下着。 まだ匂いが残っているかもしれない下着。 僕の天使の下着。 下着! 僕は迷うことなくそれを手に取ると、顔へ近づけた。彼女は一体どんな匂いがするのだろう、と想像をしながら。 だが。 屋敷の廊下を歩く侍女の姿が窓の外から見えた。僕は慌てるあまり、地面へ下着を落としてしまう。 「あ」 すぐに拾い上げたが、濡れていたということもあって泥がついてしまっていた。証拠を一切残さず退散するつもりが、これではできない。 だが僕はそのことよりも、別のことで頭がいっぱいだった。 ブルーベルの下着を両手で握りしめて、思わず泣きそうになってしまう。 冷静になったのだ。 己を恥じていた、と言ってもいい。 寝ているブルーベルを放っておいて、浮かれたまま裏庭までやってきて。 一体何をしているのか。 こんなことをするなんて、許されるわけがない。 許されるわけがないのだ。 ブルーベルにもう顔向けができない。 いつだって優しくて、純粋に僕を案じてくれる彼女。 僕がしたことは、その彼女の気持ちを踏みにじったも同然だ。 馬鹿だ。 僕は最低だ。 愚かにも程がある。 愛しのブルーベルの下着を落として汚すとは、僕はなんてダメな奴なんだ! 僕は心から絶望して、膝から崩れ落ちてしまった。 天使の下着を落としてしまった自分を思い切り殴りたくて仕方がない。 僕の衣服はどれだけ汚れても構わないけれど、ブルーベルの下着が汚れるのはダメだ! 彼女が使用して汚すのは構わないけれど、それ以外の汚れなんて僕は認めない。 絶対にだ。 僕は立ち上がると、すぐに井戸のそばへ向かった。誰もいないことを視認してから、井戸水を汲んで桶へ移す。そこへブルーベルの下着を放り込んで、石鹸を用いて丁寧に洗った。 正直なところ、僕の両手にブルーベルの下着をこすりつけていると考えただけで、鼻血が出そうになる。 「あ! しまった! 洗ったら、ブルーベルの匂いを嗅ぐことができない!」 僕は洗った下着を鼻に近づけてみたが、全く匂いがしなかった。 自らの迂闊さを呪いたくなってしまう。 「ウォルド?」 背後から声がした。 僕はゆっくりと振り返る。 そこには、僕の部屋で寝ているはずのブルーベルがいた。 「ブ、ブルーベル…、いや、これは違うんだ。ちょっとした事故で」 ブルーベルが悲しい目をしていた。 「私の下着で、何をしているの?」 「違うんだ! 誤解なんだ!」 「最低。ウォルドなんか、大嫌い。気持ち悪い、変態っ、近寄らないで!」 「ブルーベル!」 大声で叫んだ瞬間。 天蓋の裏側が見えた。 「ウォルド、大丈夫? すごく大きな声を出していたけれど」 隣にブルーベルがいた。僕はわけがわからなくなって困惑してしまう。 「ブルーベル…」 「お庭ではしゃいで疲れた? 私とおしゃべりをしている間に、寝ちゃったけれど」 夢? 僕は右手を自らの額に当てた。汗をかいており、少しべたっとしている。 酷い悪夢だった。 いや、おいしい部分もあったけれど。 僕がぼんやりしていると、ブルーベルはきょとんとした顔で僕を見つめていた。 あぁ、可愛いな。 早く僕のお嫁さんにならないかな。 朝起きて一番にブルーベルの顔が見られるなんて、未来を想像しただけで幸せすぎる。 「ごめんね…、寝てしまって」 「ううん、いいの」 「…えっと、どうしてベッドで寝てるのかな。もしかして、君が運んでくれた?」 ブルーベルは首を振った。庭でたまに見かけるリスみたいだ。 「私じゃウォルドを運べないから、ハンスさんにベッドまで運んでもらったの。私も眠かったから、ウォルドの隣で寝ちゃった」 ブルーベルが隣で寝てくれていたというのに、意識がなかった自分が恨めしかった。 「ねぇ、ブルーベル。もうちょっと隣で寝ててもいい?」 「うん」 僕はブルーベルの体に自分の体を密着させた。鼻を近づけると、彼女にわからないように匂いを嗅ぐ。 夢ではない、本当の彼女の香り。 甘い、ヘザーの蜂蜜のような、甘い香り。 僕は彼女の香りに引き寄せられた蜂で、君の甘い蜜無しではもう生きられなくなっている。 「ブルーベル、ごめんね…」 夢の中とはいえ、君の下着の匂いをこっそり嗅ごうとして。その言葉は心の中で呟いた。 「ううん。気にしないで」 きっと、一緒に遊んでいる最中に僕が寝てしまったから謝ったのだと、ブルーベルは思っているのだろう。 僕はずるい。 自分が許されたくて、敢えて君に許しの言葉を言わせたのだから。 そんなこととは知らずに、ブルーベルは僕の頭を優しく撫で付けてくる。 わかっていて、僕の罪悪感を煽る為にそうしているの? 本当に、まったく、腹立たしいほどに大好きだ。 僕は、息すら満足にできないよ。 |