Secret Garden 〜黒狼侯爵の甘い罠〜 | ナノ













Secret Garden 〜黒狼侯爵の甘い罠〜







8、ブルーベルが怒った

 ブルーベルはウォルドと一緒に、彼の部屋でいつものように遊んでいた。
 今日は彼にオルドニア王国の地図を見せてもらっていた。ブルーベルやウォルドが暮らしている王国の地図である。三人掛けの椅子に腰かけて、ブルーベルは手に持っている地図を眺める。
「ねぇ、ブルーベル」
 ブルーベルの隣にいたウォルドが突然話しかけた。
「なぁに、ウォルド」
「ブルーベルって、将来なりたいものとかある? たとえば、お嫁さん、とか」
「羊飼い」
「…ふーん…、そうなんだ…。じゃあ、結婚したい相手とかいないの?」
「いないよ」
「じゃあさ、恋人になりたい相手はいないの?」
「いないよ」
「……」
 ブルーベルは地図を眺めていたが、ウォルドが静かになったことに気が付いて、彼がいる右側を向いた。
「どうしたの?」
「う、ううん…、なんでもないよ」
「じゃあ、ウォルドは将来何になりたいの?」
「それは勿論、君のおっと…」
「おっ?」
「君のお父さんのような、立派な方になりたいな」
「そっか。じゃあ、恋人になりたい相手はいるの?」
「それは勿論、君のこ」
「こ?」
「君の子守のほうが忙しくてそんな暇は無いよ」
「遠慮せずに、恋人を作ればいいのに」
 ウォルドが両手で顔を覆って、自らの両足へと突っ伏した。ブルーベルは彼の奇妙な行動には慣れていた為に、構わず地図を見つめる。
「僕が恋人を作ったら、君とは遊べなくなるよ。彼女のほうが大事になってしまうんだから」
「仕方ないよ。もしもウォルドに恋人ができた時は、いっぱい祝福してあげるからね」
 ウォルドが耳を両手で塞いで首を振った。
 聞きたくない、と。
「……」
「ねぇ、ウォルド。さっきからどうしたの? 変よ?」
「ううん、大丈夫だよ。ちょっと今、世界の冷たさを味わっているだけだから。これも試練なんだ。これを乗り越えろって、神様が言っているんだよ」
「何の試練かわからないけれど、頑張ってね」
 ウォルドが頭を抱えてより一層苦悩し始めた。ブルーベルは椅子から立ち上がると、地図をテーブルの上へとそっと置く。そして、今日のお茶菓子を見た。焼きリンゴであり、室内は甘いシナモンとナツメグの香りが混ざり合って良い香りがしている。リンゴの芯をくり抜いた場所へ、干したレーズン、干したアプリコット、そしてナツメグとシナモンが少し入っているのだ。
「ウォルド、そろそろ冷めたと思うから、食べよう」
 運ばれてきたばかりの時は、熱すぎて食べることができなかった。その為、少し冷めるまで待つことにしたのだ。ウォルドはゆっくりと顔を上げると、力なく頷く。
「うん…。食べようか」
 よろよろと、まるで老人のように立ち上がると、もったりとした足取りで歩きだした。
 その様子は、風が吹けば倒れそうなほど。
 ブルーベルは、具合でも悪いのだろうか、と心配をする。
 ウォルドは椅子へ座ると、目の前にある焼きリンゴを見た。だが手を付けない。
「どうしたの?」
「食欲がなくて…」
「それは大変…」
 ブルーベルはウォルドのほうへ椅子を寄せると、柔らかい焼きリンゴへと木製のスプーンですくい取った。それを彼の口元へ運ぶ。
「はい、お口を開けて」
「うぇっ? な、なにっ?」
「何って、食べさせてあげようと思って」
「恥ずかしいよ。赤ちゃんじゃあるまいし」
「照れていないで、ほら、お口を開けて。ちゃんと食べないと、また具合が悪くなっちゃうよ」
 ウォルドは躊躇いがちに口を開けた。ブルーベルは再びリンゴをスプーンですくい取る。
「おいしい?」
「うん…」
「私も一口食べてみようっと」
 今しがたウォルドに食べさせたスプーンをそのまま使って、ブルーベルは焼きリンゴを食べてみた。甘酸っぱくてとてもおいしい。
「間接キ…」
「関節? 関節が痛むの?」
「ううん! なんでもないよ!」
「そう? じゃあ、はい。お口を開けて」
 ウォルドはブルーベルに焼きリンゴを再び食べさせてもらった。
「ブ、ブルーベルももっと食べなよ。おいしいよ」
 ブルーベルは同じスプーンを使って焼きリンゴを食べた。ウォルドはブルーベルが手にしている木製のスプーンに釘付け。
「おいしいね、このお菓子。ウォルドのお屋敷に来るようになってからおいしい食べ物ばかりご馳走になっているから、太っちゃったかも」
「ぼ、僕は肉付きのいい女の子は好きだよ! ブルーベルは痩せているから、太ったほうがいいよ」
「そう?」
「特に胸とか」
 ピシッ
 と空気に亀裂が入った。
 ブルーベルはウォルドの目の前でにっこりと微笑んでいる。
「何か、言った? ウォルド。私、よく聞こえなかったわ」
 うふふふふ、と笑うブルーベル。ウォルドは真っ青になってしまう。
「あ、いや、ブルーベル。僕は、小さい胸でも全然平気だよ。むしろ小さい胸、好きだし。あ、ブルーベルはまだ子供だし、これから大きくな」
 ぐしゃっ、とブルーベルがスプーンを焼きリンゴへと差し込んだ。
 焼きリンゴは真っ二つに割れて、リンゴの薄紅色の蜜が皿いっぱいに広がっていく。
 その光景はまるで頭が割れたかのようであり、顔を背けたくなるほどに凄惨。
「何か…、言った?」
 ブルーベルは低い声で問いかけた。手に握っている木のスプーンで、割れたリンゴをひたすら細かく潰している。

 ザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザク

 次第に、木のスプーンが皿をゴツゴツと叩く音へと変わった。
 ウォルドは潰れた焼きリンゴへそっと視線を移して、ガタガタと震えてしまう。
「いえ、何も! 何も言っていません!」
 ブルーベルは大きくゆっくりと頷いた。
「そうよね。私の空耳よね。じゃあ、はい。リンゴを食べて。あーん」
 潰れたリンゴをスプーンですくい、ウォルドの口へと運ぶブルーベル。だがウォルドは口を開くことができない。
「……」
「どうしたの? ウォルド。食べて? こうはなりたくないでしょう?」
「え? こうって、何?」
 ウォルドの顔色が更に悪くなった。
「うふふふふ。一体何かしら」
 聞くことができない雰囲気があった。
 ウォルドは震えながら黙って焼きリンゴを食べることにした。
 味など全くわからなかった。







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