※「須藤櫂」という名前のモブが出ます。
※夢主がやや危険な目に遭います。


□□□


――その人は、俺の神様だった。

本人がふざけてそう自称しているのを聞いたことがある。周りからは呆れたように笑われていたが、俺の中ではその言葉がとてもしっくりきた。

あの人は神様だ。

黙って静かに過ごしている時の美しい佇まい。
でも思い切って話しかけると、こんなゴミみたいな俺にも、他の皆と同じように、太陽みたいな笑顔を降り注いでくれるんだ。

俺以外にも、あの人に想いを寄せているヤツは校内中にいるだろう。別に、それはいい。当然のことだ。

ああ、だけど。

――アイツは許せない。

あの人の気高い魂を汚した、あの人の在り方を変えてしまった、あの人を奪った、あの卑しい女の形をした何か。
アイツだけは、許せない。






「あばずれ、ビッチ、ヤリマン、淫魔、悪魔。さてここで問題です、これらのワードは一体何を指してるでしょうか〜〜〜」
「はぁ?」
「はいタイム切れ。正解は、私がとある生徒にこの1ヶ月の間に浴びせられた言葉の数々でーす」

低いテンションのままそう言うと、新開は参考書から顔を上げて、眉を顰めた。

「どういうことだよ」
「どういうことも、そのまんまだよ。本の貸し借りする時にボソって呟かれんの。うけるよな〜」

東堂くんと付き合って1ヶ月と少し。初期はよく知らないようなやつからも物珍しそうな視線をじろじろ浴びて、動物園の珍獣のような気持ちを味わっていたけど、さすがにそんなことも無くなってきた。
……というのに、その男子だけは未だに私にネチネチと罵声を浴びせてくるのだ。飽きないねぇ、って感じ。

「いや、ウケないだろ、それは」
「え? そう? 女子の友達には大ウケだったけどね。あばずれって何だよ、旧石器時代の言葉かよ! って」
「…………」
「でもそんなことネチネチ、だっさいよね。男のくせに、とかあんまり言いたく無いけど、そんなメンタルでこの先大丈夫? ってなっちゃうわー」
「……は? 待て待て待て」

新開は硬い声で遮ると、「今、男って言ったか? そいつ男なのか?」と相変わらず眉間にシワを寄せて私に尋ねた。

「そうだよ。言ってなかったっけ?」
「……」
「多分東堂くんガチ恋勢なんだろうけど……全くすごいよね、彼のの人気もさ」

全く参っちゃうわ〜あははとうんざりしながら零す私を、新開は神妙な顔でじっと見つめる。参考書は先程から畳まれたまま。真面目なことを諭される気配を感じ取った私は、内心やべ、と焦る。

「お前それ、尽八に言ったか?」

……聞かれると思った。

「いや、言ってないよ」
「なんでだよ、言えよ」
「んー……まあ、いずれ、そのうちね」

言葉を濁して立ち上がる。嘘は言ってない。
新開が何か言いたげに口を開くより先に、私は「話聞いてくれてありがと! じゃっ!」と手を上げて、足早に教室を出た。

暖房がついてない冷え冷えとした廊下を、ポケットに手を突っ込みながら歩く。

人に何かを頼んだり、悩み事を相談したりすること。弱みを晒して、助けを求めること。昔よりは若干、抵抗は少なくなったと思う。あくまで若干だけど。
でもその歩幅の小さい一歩は、私の中で革命というか、奇跡に近い。多分東堂くんと出会わなければ一生踏み出すことのなかった一歩だ。
……とはいえ、まだまだハードルは高い。嫌いな食べ物を無理やりにでも飲み込めるようになっても、別に味は変わらない。それと同じで。

あの話、新開には言うべきじゃなかったかもな。あいつは優しいし、東堂くんとはまた違うベクトルで察しがいい。
そんなことを言うと、まるで笑い話に乗ってくれた女子の友達が冷たくて鈍いみたいな感じになるけど、そうじゃない。私が、彼女達の前ではもっと上手に、徹底的に、笑い話に持ってくことができたってだけ。つまりは私のミス。
多分、文化祭の時、普段纏ってる何もかもを投げ打って助けを求めて以来、新開への心のハードルはかなり下がってるんだと思う。元々仲良かったし。だから知らず知らずのうちに甘えてしまうというか、本気の相談事みたいなトーンになっちゃうのかもしれない。

………いい傾向なのだろうか。でもやっぱり、あの新開の感じは慣れないし、気遣わしげな眼差しを受けるのは、ひどく居たたまれない。


そしてその時こちらを監視するようにじっと見つめていた二つの眼に、私は気が付かない。





放課後、私がカウンターに入れる曜日は決まっていて、月曜と木曜の週二回だ。本来は2年生の委員の子のシフトなのだが、彼女は部活を優先したいらしく、しかし他に代わってくれそうな人が委員の中にいなかった。で、現在の図書委員長である友達が「名前〜暇ならやらない?」と私に声をかけてきたというわけ。
そして私はその話にすぐさま首を縦に振ったほどにはカウンター業務が好きだ。まず図書室が好きだし、本が好きだし、このカウンターの中で流れる穏やかな時間が好き。誰にも邪魔されない、私の帳。

……だったのになー。

「いつまでそこに居座る気なんだ、悪魔め」

ほんっとなー。
コイツのせいでぶち壊しなんだよなー。

心の中で中指を立てながら、カウンターに置かれた2冊の本を「返却ですねー」と言いながら受け取る私。
分厚いハードカバーの本を、一応中身に問題がないか調べるため、開いてパラパラとページを捲っていく。

(………ん?)

途中で、親指の腹に、チクリとした痛みが走った。
見ると、針で刺されたようなぽつんとした傷がついていて、血が少しだけ滲んでいる。

「!」

まさか、と思って顔を勢い良く上げると、男子生徒はもうそこにいない。逃げられた…!

ざわつく心臓を宥めながら、今度は慎重に、先程とは違う場所を選んで、左手でページをゆっくりと捲っていく。

すると、途中でキラリと何かが光った。

そこに挟まっていたのは――カッターの刃。

「…………」

ははあ。
なるほど。

彼とは険悪な雰囲気になる前からの長い付き合いだ。当然、私が返却処理の際に毎回ページを捲るのを知ってるし、どうやって捲るのかも、親指の大体の位置も予想できる。
罠を仕掛けるのは、容易だったはずだ。

「………、舐めやがって…………」

薄く開いた口の隙間から、自然と言葉が零れ落ちる。
大丈夫、傷は大したことない。カウンターの下に置いてあるティッシュを1枚抜き取って、出血を拭きとった。
それから、制服のポケットからハンカチを取り出して、指紋が付かないように、刃を包み込んだ。この物的証拠はでかい。
できるだけ業務的に、淡々とそれらをこなす内に、冷静さが戻ってくる。

甘かった。
静観してればいつかはやめるだろうって思ってた。事を大きくしたくなかったってのもある。
だけど――ここまでされたら、もう、それで解決するのは無理だろう。

直接対決だ。
ちょうど今日は都合がいい。部活の集まりがあるらしくて、東堂くんはこの図書室にはやってこないから。
どうせヤツは本を借りに、またカウンターにやってくる。その時に、仕掛ける。

血が僅かに滲んだ指先を見つめながら、私は覚悟を決める。内側にメラメラと燃え上がる怒りの炎を秘めて。


□□□


うまくいった! うまくいった!

自分の血を見た瞬間の、あの女の青ざめた顔。何を言われたって平然としている、その分厚い面の皮が剥がれた瞬間!
ああ、なんて清々しい気分なんだ。何回も頭の中であの顔を思い返して、俺は本棚を背中にほくそ笑む。

でも………ダメだな、まだまだ足りない。
あいつを確実に消すためには、あんな程度の仕打ちでは。


もうすぐ図書室が閉まる頃合いを見計らって、俺は1冊の本を片手に再びカウンターへ向かう。口元のにやけは抑え切れそうにない。カウンターに本を置けば、女はちらりと俺を一瞥して、普段と同じように貸し出し処理を始める。

「いい気味だな」
「…………」
「これに懲りたら早く消えろ。悪魔め」
「…………」

完全に心を閉ざしているようで、何を言っても能面のように表情は動かない。ちっ、と舌打ちが漏れる。やはり、もっと手酷い罰が必要なようだ。
そんなことを考えていたら、女が突然何かを紙にメモし始めた。返却期限を知らせる紙の裏だ。

『二人きりで話したいことがあるので、このあと残ってください』

俺にちゃんと見えるように向きを変えて、スッと差し出す。
驚いて顔を上げれば、目が合った。その眼差しに宿る、毅然とした強い輝き。
射すくめられたように息が止まる。

「返却期限は11月25日までです」

そして、その紙を本に挟んで、女はいつもと同じようにニコリと微笑みかけると、「次の人〜」と身体を横に傾けた。暗にどけと言われたので、ハッとして引き下がる。

カウンターに背を向けて歩きながら、俺は唇を強く強く噛みしめる。

……くそ、悪魔め……、
悪魔め、悪魔め、悪魔め、悪魔め!!!

あんな物欲しそうな顔で見つめやがって、ふしだらな、クソッ、悪魔の分際で……俺の心を弄ぶな!
俺を弄んでいいのはあの人だけなのに!
東堂尽八だけじゃ飽き足らず、俺をも食らうつもりなのか! 淫乱め、さすが淫魔としか言いようがない。

これもお前の罠なのだろう、ああ、忌々しい。だがいいだろう、乗ってやる。そして、取り戻すんだ。
俺の神様を。






その生徒の名前は、『須藤 櫂(すどう かい)』。2年生だ。
外見は小柄で細身、あとはさして特徴という特徴もない。大人しい普通の男子生徒だ。
彼は入学当初からよく図書室へ来ていて、顔を合わせることが多かった。そういう生徒は他にもいたけど、彼は中でも熱心に通っていたし、カウンターに入る時、彼の顔を見なかったことのほうが少ない。
別に、貸し借り以外に喋ったことがあったわけじゃないし、仲良かったわけでもない。それでも、入学当初はこちらの目も見ず黙っておどおどとしていた彼が、次第に「ありがとうございます」「お願いします」ってコミュニケーションに応じてくれるようになった時、私は心から嬉しかった。嬉しかったんだ。


………なんでこんなことになってしまったんだろう。


時計の短針は5を過ぎて、死んだように静まり返る図書室の中、私と須藤の呼吸だけが温度を持っている。
いつもカウンター越しに見上げていたから、こんな風に向き合って、互いが互いの全身を映していることが不思議だ。

「どうして呼び出されたか、理由は言わなくても分かるよね」
「…………」
「私もさ、本当はこんな真似したく無いっていうか、説教とかする柄じゃないんだけど」
「…………」

須藤は俯いて黙りこくっている。……いや、実のところ、さっきからわずかに口元だけ動いてる気もするんだけど、全く聞こえてこない。多分ひとりごとだ。
参ったな……はっきり喋ってくれないと、証拠にならないんけど。
スカートのポケットに入ってるスマホは、遥か前から録音モードだ。

「えー……と、さ。なんであんな嫌がらせするの?」

理由は分かってるけど、何か喋らせるために、私は質問をぶつける。
ゆらゆらと不気味に動いていた身体がはたと止まり、胡乱げな目がこちらを向く。「……なんで、だと?」と、ようやく聞き取れる音量で彼は言って、それから口元を歪ませた。

「お前を消すためだ」
「あー、はい。なんで私を消したいわけ?」
「……好きな人を、取り戻すため」

そうだよね。知ってる知ってる、東堂くんだよね。

私が東堂くんに、嫌がらせを受けていることを相談しない理由。もちろん心配かけさせたくないってのもあるけど、これが大きい。つまり、彼は東堂さまのファンなのだ。今までの彼の行動は、すべて東堂くんを好きすぎるが故なのだ。
そして、東堂さまファンが起こしたオイタを、彼の耳に入れるわけにはいかない。彼の心をファンが痛めてはならない。だから、ファン同士の諍いはファンの中だけで解決する。その気概を、おそらく私は誰よりも持っている。

そう。今はもう退任してしまったけど――私は東堂FCの(元)会長なのだから!

「あのね。気持ちはすごく分かるよ。ずっと追いかけてた人がいきなりこんなパッとしない女に取られたら釈然としないし、辛いよね。こんな風に同情されるのも嫌かもしれないけど、わかる。私を憎む気持ち、わかるよ」
「…………」
「別に、思うだけなら何やったっていいよ、私に。消したいなら消せばいいし酷いことしていい。だけど、行動に起こすのはアウト。やっちゃいけない一線が分からないほど、君は子供でもなければ愚かでもないはず」

あー。ほんと、説教って苦手なんだよなー……。
嫌われる覚悟で相手の心に踏み込むってことだし。弟以外にあまりやりたくない。

「あとさー、そういう低俗な真似してると、自分の好きな人の格まで落としかねないよ? 君だって、東堂くんがどういう人なのかよく知ってるでしょ。あの人がこれを知ったらどう思うか、想像できなくもないでしょ?」
「…………」
「……それだけ。彼にチクるのはちょっと君が可哀想だなと思って今は言ってないけど、これ以上続くようならチクるし、先生とかにも相談するつもりなので。もうやめて」

ください、と頼み込もうとした、その時だ。
ゆらりと身体を曲げた彼が、ぶっ、と唐突に吹き出したかと思えば――

「ふっ、ふ、――ッハハハハ!! あっはっはっ、ハァ、何言ってるんだお前、アッハッハ!」
「は?」

お腹を抱えて大爆笑されて、眉根が寄る。

「やっぱりお前……苗字名前さんじゃないな。彼女はそんな愚かなこと言わない!」

そして彼のその言葉に、ぽかんと口が開いた。

「……なに?」
「俺が東堂尽八のファン? つくづく傑作だな、低級悪魔にふさわしい頭の悪さだ」

私を馬鹿にするように目を細めて笑った須藤は「俺が取り戻したいのは、苗字名前さんだよ」となんでもないように続け………え。

「なんて言った? 今」
「聞こえなかったか? 俺が取り戻したいのは、苗字名前さんだ」

思わず口を挟めば、一言一句同じ答えが返ってきて、それが私の聞き間違えではないことが分かった。

「え、ちょっ、ちょっと待っ……」

混乱してきたぞ。
手のひらを彼に向けて、私は彼のこれまでのセリフを整理する。

つ、つまり――まさか。


「君、も、もしかして私のことが好きなの? 東堂くんじゃなくて?」

「東堂尽八でもお前でもない! 俺が好きなのは苗字名前さんだっ!」


いや、私じゃん。
――えっ私なの!?!?!?

思いもよらない事実が発覚して、さすがに狼狽えざるを得ない。ショックのあまり一歩後ずさった。
なんだこれ、マジか。え、これは気が付かなかった私がアホなのか? そりゃまあ男子に想いを寄せられたのなんて東堂くんを除けば初めてだし、そういうのが無いように配慮しながら生きてたし、好意に鈍くなってるのはあると思うけども。でも……でも!

叫ばせてほしい。
こんなの! 分かるわけないだろ〜〜〜!!!

「お前は苗字名前じゃない! 苗字名前に取り憑いた淫魔だ!」

そして須藤はヒートアップしてるし。
もう訳がわからない。こんな告白(?)とか初めてだし、イミフなこと言ってるし、どう収集つければいいんだ。

「えーとちょっと待って、そこ発想飛躍しすぎじゃない? なんで淫魔とか悪魔とかいう話になるの?」
「苗字名前さんは清らかで、美しくて、太陽のような女性なんだ。女神は誰か一人の物になったりしない。即ち、東堂尽八と付き合ったお前は苗字名前じゃない! 苗字名前の皮を被った悪魔だ!」

前半部分、誰の話してるんだ??

「苗字名前さんは俺の女神なんだ。カウンターの中で静かに本を読んでいる時は孤高の処女神アルテミス、本の貸し借りをする時の慈愛に満ちた笑顔は聖母マリア……。俺の好きだった苗字名前さんを返せ!!」

すっげえ。
なんか、どうしよ。
コメントに困る。

「あんな……あんな顔だけで中身のない男と付き合うなんて、そんなの苗字名前さんじゃない!!」
「あ?」

と、ドン引きしていたが、そのセリフは聞き捨てならなくて声が出た。多分、自分史上最高に怖い「あ?」が出た。
私のことを言われるのは別にどうでもいいけど、彼のことを悪く言われるのは許せない。目に力を入れて凄む私に、須藤は「ヒッ」と一瞬怯んだようだった。

「とっ、とにかく……俺は苗字さんを取り戻すんだ……! お前を消して」
「ははぁ、それで私に暴言吐いたり、カッターの刃仕込んだり、嫌がらせしてたわけね」
「そうだ……! だが、何をやってもお前は消えなかった……しぶとい淫魔め!」

そりゃまあ淫魔じゃないしなぁって感じだし、そもそも暴言吐かれたぐらいで悪魔、消えるか? って思うんだけど……今何を言っても無駄な気がする。
その時、私を強く睨みつけた須藤が、何か思いついたように「そうか……そうだよな……! ふふ、ははは、そうだよな……」と一人でブツブツ呟いて、ニヤリと口角を吊り上げた。

「満足すれば、お前は出て行くのか? 淫魔」
「はい?」
「東堂尽八のじゃ満足できなかったんだな? だからこんな風に、俺を呼び出したんだろう? 簡単に男と二人きりになるなんて、聡明な苗字名前さんならそんなことするわけがないからな」

そしてじり、と歩み寄られる。十分に距離はあるけど、抑揚の不安定なその声に嫌なものを感じて、その分だけ後ずさった。

「お前を悦ばせてしまうことになるのは気に食わないが……それで苗字名前さんの中からサキュバスが出て行くのだと思えば!」

……あれ?
なんだ、これ。


「いいだろう、犯してやる……俺が犯してやる!」


そう言って狂気的に笑う須藤に、たらりと冷や汗が流れた。

待って。
これひょっとして――――ピンチ?

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