ほんの少しだけでいいので、私のことを語らせてほしい。


―――私は、物心ついた時から、人前で一度も泣いたことがない。


でもそれは多分、人よりちょっと身体が柔らかいとか、人よりちょっと歌がうまいとか、その程度の微妙な長所で。……いや、長所とも言えないかな。特にそれで得したことないし。

例えば、小説などでこのような自分語りが唐突に始まった場合、そこから展開されるのは大抵その登場人物の悲惨な過去回想である。幼少期の執拗なイジメとか、劣悪な家庭環境とかね。でもあいにく私にはそういうドラマ性のある過去なんてない。平凡な家庭に育ち、幸運なことに周囲の人にも恵まれてここまで生きてきた。おそらく、何かの小説に出てきたとしても、スポットライトの当たらないようなモブがいいとこだ。

でも、人並みに17年間も生きてれば、当たり前だが泣きたいぐらい辛い出来事だってたくさんある。私はそういう時でも大抵の場合泣けなかった。人前だと絶対に。

そうなった理由として思い当たることと言えば、物心ついた時にはもう弟がいたから、これだけだ。……多分私は『いいお姉さん』でいたかったんだと思う。弟の育児で必死だった母のために、少しでも手のかからない存在でありたくて……いや、常にそういう存在でいないとダメだっていうプレッシャーをその当時から感じてた。そしたら、色々な人から、「名前ちゃんは偉いお姉ちゃんね」「しっかりしたお嬢さんね」「強い子ね」と声をかけられた。そういう周囲の反応が更に拍車をかけ、私は困ったことがあっても一人でなんとかして、辛い時もそれを誰にも言わない、「強い子」をここまでやってきた。

それで出来上がったのが、現在の私。

そして私は、自分のアイデンティティーが確立していくとされるこの年まで生きて、最近、ある恐ろしいことに気がついてしまった。


私は―――、人を頼る、という行為が、死ぬほど苦手だ。

人に迷惑をかけたらいけない、人に弱いところを見られるのが怖い、見られたらいけない、という強迫観念に、気づいた時には雁字搦めにされていた。

「強い子」であることから、私はもう逃げられないのだ。……唯一甘えられる存在だったお姉さんも、もういなくなってしまうし。

これはきっと、これから社会で生きていく上で、かなり大きな障害だろう。でももういい。この染み付いてしまった強迫観念を克服することなんてできない。だから私は誰にも弱みを見せず、迷惑もかけず、一人で生きていく。

……なんて思っていたところで、私は彼と出会ってしまった。


―――天敵、だと思った。


人間に明確な天敵なんていないと思ってた。でも、そう思わざるを得なかった。それも、ハブに対するマングースぐらいのピンポイントさを持った天敵。

彼の名前もわからない、外見もわからない。それなのに、二日間話しただけで、この人は脅威だと私は認識した。出会った時にペラペラと色々喋ってしまったのはマジで失敗だと思う。付け入る隙を作ってしまったから。そうして私はあれよあれよという間に全てを彼に見抜かれて――それだけじゃなく、心配されて、あまつさえ与えられてしまった。

まんじゅうこわいみたいなやつじゃなくて、本当に恐ろしいんだ。あの鋭い指摘と優しさの両極端な揺さぶりで、築き上げてきた心の防護壁をなし崩しにされてしまう気がして。大げさだと思う? そうだね、確かにそう思って当たり前だ。でも、誰にも――家族にすら見せたことがない本当の自分を見破られてしまうかもしれない、暴かれてしまうかもしれない、その恐怖感を分かってくれとは言わないけど、理解してほしい。


……さて。これで私のしょーもない自分語りは終わり! こういう自分語りは、魅力あるキャラクターがするから少々退屈でも成立するのだ。

それでは、少年誌で30話ぐらいで打ち切りになってしまう漫画の最終話でよくある台詞で、この場を締めさせていただこう。


〈苗字名前の戦いはこれからだ〉―――私は、マングースなんかに負けない。

今まで生きてきた17年間をかけた戦いに、負けるわけにいかないのだ。絶対に、自分を保ってみせる。







「おお、これは―――昨日とは違う色だな!」

「……他に思いつかなくて。また金平糖で申し訳ないけど」

「いや、昨日貰ってすごく気に入ったんだ。だから嬉しいよ、この色も綺麗だな」


と、私がまるで死地に向かう戦士のような覚悟を抱いてるなんて露知らず、マングース……もといJTくんははしゃいだ声を響かせる。
今日彼に持ってきたのは、昨日あげた金平糖の色違い。黄色とオレンジと白の、太陽を思わせるような元気な色合いの金平糖だった。

「有難く頂戴するよ。でも、もうこれで十分だ。今日の分のボトルもここに置いておくが―――」
「!!」

近くでトスッといつもの音がして、ピクリと身体に緊張が走る。

「―――もう、お礼はしなくていいからな。オレは感謝されたくてこうしてるワケじゃないんだ」
「…………。はぁ〜〜あ」

深く、深く、聞こえるように大きくため息をついた。

「それはもう、自己満足ですよね……」
「昨日も言っただろう、オレは心配してるんだ。ここで迂闊に放っておいて死なれたら後味悪いだろ。こんな馬鹿げた真似するなって言っても聞かなさそうだしな、お前」
「……(さりげなく辛辣だよなぁコイツ)……JTくん、お母さんみたいだって誰かに言われたことない?」
「な、何故わかった!?」
「やっぱね……」

面倒見の良さが異常だもん。……ていうか、彼がお母さんだとしたら、そんな彼に悪態をついてる私は子供か?
脳内で展開されたそんな考えに、うげぇーっと顔を顰めた。やめだやめだ。

彼がいい人だというのは、分かる。これ以上分かりたくないぐらいに、分かってしまう。だって、顔も名前も知らない赤の他人なんだよ私は。そんな人に、普通ここまで優しくできるものだろうか。

早く立ち去って欲しくて押し黙っていると、少しの沈黙のあと、JTくんは「そのまま黙ってるだけで構わないから、少し聞いてくれるか、」と言って、ぽつりと語り出した。


「――先日、所属している部活動の大会があったんだ。……まぁオレは出てないのだが」


「…………」


あ。これは……。
彼の声音が静かな響きになって、私は身構えた。多分、彼にとって、すごく大事な話をされる気がする。


「……そして、その大会で、オレ達は優勝した」

「……」


――やっぱり。なんとなく感じてたけど、JTくんは自転車競技部の人だったか。夏の大会で優勝する部なんて、うちの学校だと自転車競技部ぐらいだもんな。


「……それで……華々しい栄光を最後に掴んで、3年生は引退した。まだ部活に顔を出しているが……もう少しで完全に2年への引き継ぎが完了する」

「……」

「オレはな、副部長になることが決まってる」

「…………」

「オレは自分のポテンシャルに絶対の自信がある。容姿も抜群、競技の才能もあるし、トークも切れる……。天才だ。圧倒的な天才だ」

「………。………」

「だが――色々と不安要素があるのも事実だ。自分の力だけで勝利をもぎ取れるほど単純なスポーツじゃないからな、自転車は」

「……(自転車ってはっきり言っちゃったよ………)」

「……でもそんなこと絶対に部員の前では言えんのだ。そんな姿はおくびにも出せない。オレの周りには、オレよりも……酷いプレッシャーを抱えてるやつがいる。苦しんでるやつがいる。もがいてるやつもいる。……相談されなくたって、オレには分かるんだ」

「………………」

「だからオレは、誰よりも冷静で、理知的で、一歩引いたところから部を見渡すことができる、そういう……副部長になりたい。いや、ならねばならん、来年のインターハイで輝かしい栄光を掴むために。そうすることができるのは多分、今の段階でオレだけだからな」


「………………………」


息をするように自己愛に浸り始めたと思ったら。全く同じテンションで紡がれたのは、溜息が出るほど、厳かな決意だった。話の内容にギャップがありすぎて、高低差に目眩を起こしそうになる。

多分、……多分この人、すごい人だ。

自転車競技部の副部長さんに選ばれたからとか、そういうんじゃなくて。もっと内側の、もっと根源的な………そう、格が、違う。
小説に出てきたら。確実に主人公を張れるレベルの人だ。

「―――すまん、突然こんな話をしてしまって。戸惑っただろう」
「……今の、私に話してよかったの?」
「ああ。ななこさん、昨日自分で言ってたじゃないか。名前も顔も知らないこれっきりの相手になら、そういう……人に言えない類いの話をしてもいいと思った、って」
「……確かに、そーだったかも」
「オレもそう思ってな。……一度誰かに打ち明けたかったんだ。少し、心が軽くなった。聞いてくれてありがとう」
「……ま、JTくんに恩を返せるなら、なんでも聞きますよ。……多分、気の利いたことは何も言ってあげられないと思うけど」
「ありがとう。何も言わんでいいよ! 聞いてくれてるだけでいい。そして、忘れてくれ」
「……。私が誰かに言いふらすとか、そういう可能性は考えなかったの?」
「そんな人じゃないだろう、キミは」
「……」

――なんでそんなこと言い切れるんだよ。まだ会って3日で、私の何がわかるんだよ。

と、思った。思ったけど、返答を聞いてしまえば、それは更に私へのダメージに繋がるという予感があったから、言わなかった。

「さて、もうそろそろオレは行くが。お前、傘は持ってるか? ……今日午後から降るって天気予報で言ってたぞ」

えっマジかよ。そうだっけ? やばいな、持ってないわ。

「持ってるに決まってるじゃん」
「……本当に?」
「疑ってんの? 私も朝天気予報ちゃんと見たもん。本当に持ってるって。折り畳みのやつ」
「そうか、ならいいが。降ってきたらすぐに中止して帰るんだぞ。そこまで馬鹿じゃないと信じてるからな」
「へいへい、分かったから行きなよ。……部活がんば」
「お前なー、そういうことはもっとハキハキ言え! 伝わるものも伝わらんぞ!」
「はいはい。頑張ってね」
「ハイは一回!」
「だーっめんどくさいなもーっ、頑張ってねJTくん!」
「ワッハッハ、出るじゃないか大声。ありがとうななこさん! 雨が降らなければ、また後でな!」
「………うん」

JTくんの足音が遠ざかるのを聞きながら、私はぼんやりと考える。

(雨、かぁ…………)

バスタオルを持ち上げて空を見ると、確かに先ほどまで無かった黒い雲が、少し遠くの方に立ち込めている。
山の天気の移り変わりは激しい。これは多分、降るな。





こちとら馬鹿なことをするつもりでここに来てるワケで。馬鹿にならなきゃ、まともに悲しむことすら私には難しいんだから。だからJTくんに馬鹿なやつだと思われようが、痛くも痒くもないわ。

JTくんが去ってから、どれぐらい経っただろうか。まだ小降りではあるが、雨は降り出していた。そして私は――その場を動いてなかった。

(いいよ、雨……すごくいいよ……盛り上げてくれるじゃないの……)

惨めだ。今の私、すっごい惨め。まるで悲劇のヒロインみたいじゃん? 大切な人との別れ、冷たい雨、雨に混じって流れ落ちる熱い涙……! いいよ、月9でありそうなやつだよ。絶対長◯まさみとかがやってるよ。月9まともに見たことないけど。

シチュエーションのおかげもあり、私の悲しみは最高潮だった。次第に雨も強まってきて、更に自己陶酔は極まる。ここで本当に泣ければいいのになぁ。心が痛くて辛くてシチュエーションも完璧なのに、私はそれでも泣けない。泣きたい。

「……ばーかばーか、お姉さんのばか。しあわせになっちゃえ。私のことなんて、忘れて、しあわせになっちゃえ……」

男だったら良かった。私が男だったら、多分これは初恋で、そして失恋で、そういうありふれた陳腐なものに当てはめて、消費することができたかもしれないのに。私は、女だから。


「ばか! なんで泣けないんだよ、わたしのばーか! このサイテー野郎! ばかやろーー!!」


なんかもうやりきれなくて、昭和の青春映画みたいにそう叫んだ、その時だった。



「―――ああ、そうだな。お前は馬鹿だ」



その声と同時に、雨が、ピタリと止んだ。



「ここまで馬鹿だったとはな。呆れを通り越して笑えてくるぜ」


「………な。…………なんで、………」



―――何で。どうしてここにいるんだよ、JTくんが。どうして分かったんだよ、私が帰ってないって。


「どうしてここにいるのだと、そう思ってるんだろう」

「………」

「実は、今朝の段階で雨が降る予報なんて無かったんだ。今日は晴れのち曇だって、ローカルの天気予報でもそうはっきり言ってた。……だが、山の天気は変わりやすい。天気予報なんてしょっちゅう外れる。昼の時点で、オレには雨が降ると分かっていた。なんといったって、オレは山神だからな!」

「………だ。騙しやがった……(山神?)」

「かまをかけるような真似をして申し訳ないと思う。だが……普通に聞いたら、本当に傘を持ってるのか、それとも嘘をついてるのか、判断つかないからな」

「……どうして、私が嘘をつくって………」

「分かるよ。だってお前、あからさまにオレを遠ざけたがってるだろう。……とりあえず話は後だ。簡単な着替えとタオルを持ってきてあるんだ。中に戻るぞ、立てるか?」

「…………」


やっぱり。こいつは天敵だ。

いともたやすく、私の行動を見破ってしまう、心を見透かしてしまう、マングースだ。

流されるな私、このままやられてたまるか。


「………着替えなら私も持ってる。換えのバスタオルもある」

「そうか、よかった。じゃあ戻るぞ、バッグはオレが持とう」

「じゃなくて。だから平気、このままいさせて」

「……。そんな頼み聞けるわけないだろう、ほら早く」

「っもう、もうこれ以上邪魔しないでよ!! 自分が愚かなことをしてるなんて百も承知なの! だから私がどうなろうがあなたの責任じゃない、全部自己責任なんだから、こんな赤の他人のことなんてもう放っておい」

「そういうことじゃねーんだよこのバカヤロウ!!」


―――初めて聞く強い口調に、はっと息を飲んだ。


「女子を! こんな冷たい雨の中で野ざらしにしておけるワケねーだろ! 身体が冷えて風邪を引いたらどーすんだよっ!! 」


「………!」


「……、す、すまん、少々乱暴な言い方になってしまった。……けど、お前だって本意じゃないだろ……そんなことになったら、二日後、お姉さんの見送りだってできないかもしれないんだぞ」


「………」


その時、「ほら、早く立て、」とバスタオルの上から正確に二の腕を掴まれた。びくりと身体が硬直して、咄嗟に反対の手でバスタオルを抑えつける。

「わっ、わかった、わかったから……!! ごめんなさい、中に戻るから!! 離して!!」

そう叫んで、肘で突き放すようにして無理やり彼を振り払うと、私は立ち上がって―――

そしてその時、気がついてしまった。


「……ま、待って。JTくん………傘は? 差してないの?」


―――彼の足元は、ずぶ濡れだったのだ。


「心配しなくていい、ちゃんともう一本折り畳みの傘は持ってきてる」
「え? だったらなんでそれを差してないのさ、めっちゃ濡れてんじゃん、」
「……片手だけで折り畳み傘を開くのは、いくらオレが器用といえど無理だったのだよ」

JTくんは、ふ、とため息と共に、どこか呆れが滲んだ笑いを漏らした。

は? なにそれ。……つまり、こういうこと?

JTくんは、ここで私を発見した時、咄嗟に自分が入ってた傘を私にかざしてしまった。ちゃんともう一本、折り畳み傘をその手に用意してたのに。


「―――っ! は、早く戻ろっ! 」


矢も盾もたまらず、出口に向かって私は駆け出した。後方で「あっおい!」とJTくんが慌てて追いかけてくる。

この人、おかしいでしょ。自分が濡れることになんの躊躇いもなかったの? 私に傘をかざすのなんて、折り畳み傘を開いてからでもよかったじゃん。そうすれば、自分が濡れることなんてなかったじゃん。そんなの一瞬でできる動作だっていうのに。

この人は多分。ずぶ濡れになってる私を見て、条件反射で自分の傘を差し出したんだ。

なんでそんなこと当たり前のようにできるの、こんなに雨が降ってるのに、おかしいでしょ、この人絶対おかしい、おかしい、おかしい。
こんな風に、頭の中がぐちゃぐちゃに掻き乱されて、胸が熱くなってしまってるのも、全部がおかしい。

………校舎の中に戻ると、JTくんは私の足元にエナメルバッグを置いた。

「バスタオルは持ってるんだな?」
「うん。……私、女子トイレで着替えてくるよ」
「ああ、オレも着替える」

「…………JTくん、あのね。私はあなたの顔も名前も知らない。でもだからこそ、何の先入観も持たず、純粋に内面だけを見てられる。あなたが……ちょっと考えられないぐらい鋭くて、気が利いて、心の底から優しい人だってことを、何も知らないからこそ、確信持って言える。……全部、身を持って打ちのめされたから」

「…………」

「きっと、JTくんなら、素晴らしい副部長になれるよ。何も心配いらない」


余計な一言かもしれなかった。たったの三日間しか過ごしてないのに、お前に何がわかるんだと、思われたかもしれなかった。でもどうしても、言わずにはいられなかったんだ。



「………ありがとう、ななこさん」



わたし、多分。これ以上この人と一緒にいたら、ほんとにダメになる。

だって、そう優しく声をかけられて、私は。



「どう、いたしまして………」



私は―――不覚にも、彼がどんな顔をしてそれを言ったのか、初めて、肉眼で見てみたいと、思ってしまったのだ。


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