弾痕にキスマーク(1)
「一人」でいることには慣れた。

さっちん達に見限られてからというもの、私の学校生活は基本的に単独行動。最初の内は、誰に狙われているわけでもないのに常に萎縮してて、ミノムシのようにじぃ…っと過ごしていたわけだけれど、一度開き直ることができればこっちのもんだ。今では、「休み時間を過ごすのもご飯を食べるのもトイレに行くのも一緒!」……なんていう、女子特有のしがらみに付きまとわれることがなくなり、解放感すら覚えているぐらい。

そんな風に思える余裕があるのは、私は「一人」ではあっても「独り」では無いから。そう、××高校では一人ぼっちでも、私には大事な仲間達がいる。彼らと一緒になって追いかける夢がある、居場所がある。そして―――大好きな人がいる。だから平気なんだ。


うん、そう、平気………なんだけど。
平気、だったんだけど……。



(―――あああもうっ、噂話なら本人に聞こえないところでやってくれよ……!)



視線が。視線が痛い。

廊下を歩いているだけで、話したこともない他クラスの生徒達までこちらを見ては声を潜めて何やらヒソヒソコソコソ。痛いっていうよりかは、痒いと表現した方がいいかもしれない。全身を紙の切れ端でくすぐられているような、そんな気分。でもって、耐えかねた私がそいつらの方を睨むと、彼らはぎょっとして身を竦ませてそそくさと退散していく。そう、私は今××高校の中で非常に浮いた存在になってしまっているのだ。

この、私を取り巻く雰囲気が一変してしまった理由。
何が原因かというと―――、……すべてはあのお祭りから始まっている。二週間ほど前、鳴子くんが派手に大立ち回りしたあのお祭り。あれ以来、彼についての様々な噂がこの学校で往来してしまうようになったのだ。


『――ねえねえ聞いた……!? 苗字の彼氏のこと!』


………いや、様々な噂、っていうか。根も葉もない噂というか。


『なんかねー、関西弁でー、髪の毛が真っ赤なんだって!』


うん、まあこれは合ってるよ。


『そんで△△高校のセンパイ5人と派手に喧嘩して、勝っちゃったんだってよ!』


……喧嘩は喧嘩でも、〈口〉喧嘩ですけどね。


『聞いたんだけどよー、なんでも千葉で有名な走り屋集団のメンバーの一人らしいぜ』


……走り屋って言っても、乗ってるのは自転車なんですけど……。


『しかもしかも、なんとバックにヤクザがついてるらしい』


これについては本当にウソ!! 真っ赤なウソ!!


―――と、まあ。噂っていうのは、人から人へ伝わっていくほどに余計な尾ひれがついていくものである。それは分かってる。しかし、最初の二つはまだ、まだね。微妙に合ってないこともないけど。最後のヤクザのは本当にどっから出てきたんだよって思う。実際に彼のバックについているのはヤクザなんかではなく、自転車競技部の先輩達―――厳めしいグラサン部長の金城さん、熊のような巨体の田所さん、緑と赤のメッシュの長髪の持ち主の巻島さんの三年生の先輩達であり……うむ、確かにインパクトだけならその辺のチンピラにも負けないかもしれないけど……。………。

ま、まあ、それはいい! というわけで、今やこの学校で鳴子章吉といえば、怒らせると即病院送りのこわくて真っ赤な派手男。そしてそんな奴の彼女である私も同じく要注意人物になっちゃってるってわけだ。

これは正直予期していなかった事態だ。鳴子くんの知らないところで鳴子くんがヤーさんと知り合いの危険人物として名が広まるとか。喜ばしくない事態っていう範囲をもう超えて、さすがに看過できなくなってきた。早くなんとかしなくちゃいけないと思って私も撤回して回ってるけど、噂は波紋のようにどんどん広まっていき追いつかない……。


―――覚悟を決めた。休み時間、私はとある人物のところへ向かった。







「―――で、あたしにもその噂を撤回すんのに協力しろってわけ?」

「うん。さっちんはあの場にいたから分かってるでしょ、あれが全くの嘘だってこと」

「………」


場所は廊下。私達の間には、ちょうど窓ガラス二つ分の距離。壁に寄り掛かって、お互い正面を向いたまま。……この何とも言えぬ絶妙な間合いが、私と彼女の関係性をうまく表していると思う。

返答が無い彼女をちらりと横目で見やると、さっちんは無表情で自分の爪を眺めていた。何がそんなに気になるんだか。ムッときて、再度さっちんに呼びかけようとすると、やっとそこで彼女は口を開いた。


「めんど」

「……え」

「なんでそんなメンドイことあたしがしなくちゃいけないワケ? お前が一人でなんとかしろよ」

「……………」


彼女はこちらの方を全く見ず、相変わらず自分の爪に目を落としている。私を突き放すような無機質な声に、一瞬唖然としてしまった。そしてその後、グッと歯を食いしばった。

そうだ、さっちんってこういうヤツだった……!

しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。そこをなんとか、と私が再び頼み込もうとした時だった。


「―――けどまあ、あんたには一応借りがあるからね。いいよ、そういう噂聞いたら否定しといてやるよ」

「え、………借り?」

「例の△△高校のセンパイ達とのカラオケの件」

「………ああ……」


(まだ、気にしてたんだ……)

淡々としていた彼女の声に、ほんの少しだけ愁傷な響きを感じ取って、その意外さに私はちょっと驚いてしまった。そのせいで私の頼みを承諾してくれたことが一瞬頭から抜け落ちてしまい、慌てて「あ、ありがと……」と返すと、彼女は何も言わずにふう、と息を吐いて、そこでやっと私の方を見た。

「てかさ。付き合ったの? あの例の赤いカレと。あん時は専属マネージャーだとかなんとか言ってたじゃん」
「あ、あーうん……あの後、付き合うことになった……」
「へえ」
「……あ、私もひとつ聞いていい? 何で△△高校のセンパイ達と一緒にお祭り行くことになったの? さっちん、あの人達の本性分かってたはずでしょ」
「あーアレね……あたしは行く予定じゃなかったけど、何かユカリが突然△△高の連中と行くとか言い始めたの聞いたから。またあんたみたいな被害者が出たらメンドーだと思って、ついてくことにしただけ」
「……へえ。……ちなみにあれから△△高校の人達は……?」
「全員切った」
「……ああ、そう………大丈夫? 何かすごい恥かかせちゃったけど、こう……脅されたりしなかった?」
「今のとこないね。それに、何かあってもあたしはカレシに守ってもらうしぃ」
「あれ? あんた彼氏できたの? つい最近別れたばっかだって噂聞いたけど」
「最近付き合いはじめたの。ウチの学校の空手部の主将の権田原くん。ちょー強いんだよ〜〜」
「あ、そうですか……」

あんた高校入ってこれで付き合うの何回目だよ、とツッコみたくなるのを押さえて、代わりにため息を吐いた。なんかもうどーでもいいし。さっちんにとって、彼氏っていうのはアクセサリーのようなものなのかもしれない。その時のトレンドに乗っかって、飽きたらポイ。それが許されているのは、彼女が絶対的な可愛さを誇っているから。可愛いって最強のステータスだ。皆そのステを上げるために化粧をし、髪の毛をいじくり、スカートを極限まで短くする。前ほど極端ではなくなったけど、私だってそれは今でも同じだ。このスカート丈、きっと鳴子くんに見せたら怒られるんだろうな。でもしょうがない、この学校ではそれが自分を守る「防御」であり、「武器」なのだから。

……しかし、空手部主将ときたか。さっちんにしては珍しく硬派なチョイスだ。歴代の彼氏は揃いも揃って派手でチャラかったのに。

「あたしさ、結構いいなって思ったよ」
「――えっ?」
「あんたの彼氏……あの赤い髪の。皆は爆笑してたけどさ、結構かっこいいんじゃない?」

「……………」

「苗字?」

「……な、ななっ、なに急に言い出すの! や、やめてよ。なっ、鳴子くんがかっこいいとか……。鳴子くんのことカッコいいって思ってるのは私だけでいいから。やめてくんない、そういうの……!」

妙な焦りがこみ上げて来て、私は壁に寄り掛かるのを止めてそうさっちんに訴えかけていた。するとさっちんは、私の顔を見て「ハァ?」と口を開けると、次の瞬間手を叩きながら発作のように爆笑しはじめた。

「ぶっ……アッハハハハ!!!! 真面目な顔でなに惚気てんだよお前、アハハハハ!!!! 心配しなくてもお前の彼氏になんて手ェ出さねーよ!! ばっかじゃねーの!? ギャハハハ!!」

私が一番苦手としている、彼女のヒステリックとも言えるような毒々しい笑い声に、ビクリと肩が震えた。でも、確かに自分でも無茶苦茶なことを言ってしまった気がしたし、顔をしかめたまま私は黙り込んでしまう。

と、彼女はふと笑い止んだ。一瞬時が止まって、先程の爆笑が嘘みたいに、彼女はゾッとしてしまうぐらい無表情になっていた。このテンションの落差。さっちんはやはりよくわからない。さっちんに限ったことではないけど。私は、彼女達のこのテンションの波にはついていけない。

「……あんたさー、猫かぶってるよりそっちの性格悪いほうが全然いいよ」
「せ、性格悪い? ……さっちんには言われたくないわ」

そうツッコむと、彼女はへらりと口元を歪めた。「ま、夏休みが終われば噂なんて止んでるっしょ」と言った後、「せいぜい長く続くといいね」と明らかに馬鹿にしたような声音で付け加え、彼女は私から去っていった。

どっと疲れが押し寄せ、廊下の壁に再びもたれかかる。

……実は。
彼女に相談……したいことが、もう一つあったりしたんだけど。やっぱりあの子は無理だ。


(……だってさっちんに恋愛相談、なんて。持ちかけたら絶対に嘲笑いされるもんね……)


「はあーー…………」


虚空に向かって、大きくため息を吐いた。相変わらず、廊下の至る所では男女グループの笑い声が爆発している。ドカン、ドカン! 大砲みたい。この学校は、戦場だ。







「はああああああ………」

「おーーい! 他クラスまで出向いてきてなんなんだよお前は! さっきから何回目だその辛気臭いため息は!!」

べこん。間抜けな音がした。腹が立つことで有名な原――通称ハラタツくん――の前の座席の椅子にまたがり、そのままヤツの机の上で腕を組んで潰れとったワイの頭を、原が下敷きではたいた音や。ヤツはそのまま何回もそれをワイの頭の上でバウンドさせた。

「……おい、人の髪の毛で遊ぶなやー。セット崩れてまうやろ……」
「………」
「はああああああ………」
「だーーーっおまえなんかこうしてやるーっ!」

と、突然いきり立った原は、子供を脅す怪人のように両手のひらをぐわっと開くと、ワイの髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き乱し始めた。慌てて飛び起きて手を払って「い、いきなりなにすんねん!!」と叫ぶと、ヤツは眉間に皺を寄せて「なにすんねん! じゃねーよ!」と言い放った。

「お前いつまで人の机占領してへばってるつもりなんだよ!! 俺に何か言いたいことがあって来たんじゃねーのかよ!!」
「…………」
「つーかもう大体わかってんだよ。どーせ苗字さんのことだろ?」
「………どーせってなんや、どーせって」

認めたくなくて、そっぽ向きながら頬杖をついてそう口を尖らせると、原は「ほらみろ図星だ」と決めつけてきた。やっぱこいつハラタツわー……。

「なあ、どうしてお前ことあるごとに俺のとこに来るわけ? 苗字さんのことなら自転車競技部のやつらに相談乗ってもらえばいいじゃねーかよ。ホラ、あの寒咲さんの幼馴染のいま」
「論外」
「………いずみ、くんとか、モテそうだしいいんじゃないかなって思ったんだけどー……」
「スカシに恋愛相談するぐらいならその辺のカカシに相談した方がまだマシや」
「仲良くしろよチャリ部―……」

おいおい、と呆れたように原が肩をすくめた。なんやその小慣れた動き。欧米か。ハラタツ。

「スカシに限らずあんまし部活のヤツに苗字さんのこと言いたくないねん」
「なんでだよ」
「……苗字さんはワイのカノジョでもあるけど総北のマネージャーでもあるんやぞ。ワイが部員に色々言い触らしたせいで苗字さんがマネに専念できなくなるよーなことがあったら困る。分かれやそんぐらい……」

と、そこまで言って、ワイはまた特大のため息を落とした。

昼休み、もう大体の連中が昼飯を食べ終えたぐらいのこの時間。夏の日差しはレースのカーテンに遮られ、空調の効いた教室には気だるい空気が充満している。なははは、と力の抜けたような女の子達の馬鹿笑いが近くから聞こえてきて、もともと低かったワイのテンションもそれに引っ張られるようにずるずると落ちていく。

「……その点おまえは部活とは関係ないところで苗字さんのこと知っとるからな。苗字さんのこと相談するには持って来いってわけや、まー本意ではないけど……」

そのだだ下がりのテンションのままぶつぶつと説明する。と、そこでワイは、何も言わずに聞いとった原が、じいっと神妙な面してこちらを見ていることに気が付いた。

「なんや、黙りこんで」

こいつにしては妙に真面目な顔をしていて、少し我に返ってそう尋ねると。原は、「ふうむ」と感心したように息をついてから、口を開いた。

「いや、なんかさー。結構慎重に考えてんだなと思って。お前にしては意外っていうか」

「慎重…………」


―――慎重。

しんちょー………。

………しん、ちょう………。


「お、おい、どーしたんだよそんな暗い表情になって。あっ、慎重って別に悪い意味じゃねーよ! そんだけ苗字さんのこと考えてんだなって、そーいう、」
「慎重ちゃうわ」
「えっ?」
「慎重ちゃうわ、ぜんっぜん慎重ちゃうわぁーー…………」

ワイは原の机に再び頭を落とした。あえて重力に逆らわずに勢いよくぶつけたせいで、ゴツンと鈍い音が出た。痛い。

「ワイはアホや、ホンマにアホや。苗字さんのことまた怯えさせてもーた、アホすぎや……人生いっぺんやり直した方がエエわ……」
「は? お前なにやらかしたんだよ、一体。それをまず話せよ……」
「……………」

ぐりぐりと、責めるように額を擦りつけてから横を向いてほっぺたを机に押し付けた。昨日から数えると何回目になるんやろか、魂が抜けたようなため息を吐いて、ワイは目を閉じた。


あれは。昨日のことやった。


『――ごめん、ごめんっ、違うの、なんか……なんか身体が勝手に動いちゃって……!!』

『違うの、鳴子くんとキスするのが嫌なんじゃなくて、なんか、なんていうか、』

『唇……に、触れられようとした瞬間、せ、センパイにその、されたこと、お、思い出しちゃって』

『ごめん、ごめん、鳴子くん……!!』



目に涙を溜めて必死に謝る苗字さんのことを思い出したら、衝動にかられて「ぬあーーーー!!!」とワイは唸り声をあげて勢いよく立ち上がっていた。原がぎょっとして座ったまま身を引いた。

苗字さんはなんも悪くないねん。悪いのは苗字さんにトラウマ植え付けたあのクソチャラ男と、そして、そのことに配慮すること忘れて、自分の欲望を押し付けようとしたワイ。


「……ワイは苗字さんのこと、もう傷つけなくないねん。せやけど……せやけどその、正直言うともっとスキンシップしたいっちゅーか……ちゅーがしたいねん!!」

「お、おう……いいと思うぜ、それが普通だろ」

「原………ワイはおまえのこと、ある程度信頼しとる。せやからこれから話すこと、ものすごい曖昧な感じになると思うけど、なんもツッコミ入れんこと、約束してくれるか」

「……わかった、約束するよ」


真剣な顔の原に、ワイは肝を据えた。そんで、昨日の帰り道に起こった出来事を、ぽつりぽつりと語り始めた。
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