02


―――決戦当日。

部活の一日練習を終え、時刻は17時をまわったばかり。私は、自転車競技部のトレーニングルームへと向かっていた。

辺りはかなり暗く、この時間から外灯がぼんやりと道を照らしていた。雪は降っていなかったが、とっくに陽が沈んでしまった今、歩いてるだけで頬を切るような寒さが襲う。箱根の冬は厳しい。まあ、本番は年明けてからなんだけどね。

これからかなり異質なイベントをするというのに、何故割と落ち着いていた。前回はこの道を歩いてる段階ですでに緊張で心臓がバクバクしてたのにな。ま、あの時は告白も控えてたからだろうけど……。

思い出しながら足を進めていると、トレーニングの施設が見えてきた。そして、その入り口の前に立ってる人影も。

「塔一郎くん!」

もう来てるなんて思ってなくて、急いで彼のもとに駆けつけると、「名前さん、部活お疲れ様」と微笑まれた。鼻のてっぺんが赤くなってるのを見て、罪悪感が募る。

「ごめん、こんな寒い中待たせちゃって」
「いや、ボクも来たばかりだから大丈夫だよ。大体まだ待ち合わせの時間になってすらいないしね。……じゃあ、中に入ろうか」

そして、彼は手に持っていた鍵で入り口の施錠を解くと、施設の中に入っていく。前回も同じようなやり取りしたな、なんて思いながら、私もそれに続いた。





あんまり緊張してないって言ったの嘘です。やっぱりめちゃくちゃ緊張してきました。

ロッカールームの中央に置かれた長椅子に座って、私はこの落ち着かなさを誤魔化すように、顔の前で手を何度も擦りあわせて、自分の吐息を吹きかける一連の動作を繰り返している。うう、全然温まらない。施設の中に入ったし、コートも手袋もマフラーも脱いでしまったが、着てたままのほうが良かったかも。寒いから、というより、なんだかさっきから感覚がない。


……だって、今、私の背後で塔一郎くんが……脱いでるんですよ。

こんなの、どう落ち着いていろってんだ。意識が後ろにいっちゃって、そりゃ感覚も無くなるよ。


塔一郎くんにはああ言ったけど、やっぱり上半身裸は私にはまだハードルが高かったかもしれない。私が極端に男の子に慣れてないだけなのかな……なんかもっと……雑誌の俳優さんとかのヌードを見て慣らしたほうがいいのかな……誰かに借りるかな。

と、そんなことを思っていると。


「名前さん。………脱いだよ」

「!!」


背後から声をかけられて、背筋がピンと伸びた。


「………。ええと、あの、寒いよね、冬なのに上半身裸になってもらって本当にごめん……」


いや、今更かよ。ていうかこのタイミングかよ。そう思ってんならさっさと済ませろよ。

と、頭の中で黒田くんが怒涛のツッコミを入れる。いや、黒田くんならもっと上手にツッコむな……ってそうじゃないよ。


「大丈夫。トレーニング中は基本冬でもタンクトップ一枚だし、それは気にしなくていいよ」

「そ、そう? なら……いいんだけど」

「……………。で、名前さん、その……ボクはここからどうすればいいかな?」


……だよね。
いい加減、覚悟を決めなければ。


「じゃあ………と、とりあえず、背筋ということなので………そっち側のロッカーに向き合う形で立っててもらえる? 私に背を向ける感じで……」

「……立ってるだけでいいんだね?」

「はい。立ってるだけでいいです」

「わかった。……準備できたよ、いつでもどうぞ」


塔一郎くんも緊張してるのか、声が少し固い感じだ。そうだよね。お互い恥ずかしいのは同じ……いや、レース中に脱ぎ慣れてる(新開さん情報)とはいえ相手は女子なんだ、塔一郎くんのほうが恥ずかしいのかもしれない。そうだ、無理にお願いしてやってもらってるわけだし、いつまでも尻込みしてられない!

ごくりと唾を飲み込んで、私は立ち上がった。大きく息を吐いて気持ちを落ち着けると、頭の中で体育の授業で習った号令をかける。さあ、行くよ!



(いっせーのーで……まわれーーー右っ!!)



そして、意を決して振り返った私に襲いかかったのは―――



「………っ!!!!!!」



圧倒的な〈情報量〉だった。


頭をガツンと殴られたような衝撃を受け、思わず3歩ぐらい後ずさると、反対側のロッカーに背中がぶち当たる。


そこに広がっていたのは、もう、今まで見たことがないような景色だった。


例えば、私は、ナイアガラの滝を、資料集とかテレビとかでしか見たことがないけど。
でも多分、目の前に広がるこの風景は、多分だけど、それに匹敵するぐらいのスケールがあると思う。
もうなんていうか、ムキムキとかバキバキとかそういう擬音で表現できるレベルじゃない。私がこの17年間で培ってきた全ての語彙を使っても、これを説明できる気がしない。

ただ、説明できることはできなくても、私がこれを見て何を感じたかは簡潔に言うことができる。


それは迫力と、威厳と、自信と、そして――風格。

絶対王者だけが放つオーラ、周辺の全ての物を、事象を、理ですら全部、力でねじ伏せて従わせてしまうような、圧倒的オーラ………ッ!!


思わず目を逸らしたくなって、それでも私は自分を奮い立たせて彼の背筋を見据える。そして、ロッカーに寄りかかるのをやめて、そのまま中央の長椅子をまたいで、彼のすぐ背後に立った。

うっ、近くで見ると更にすごい。
なにこの……これ……頭がパンクしそう……。気が遠くなりながらも、私は口を開いた。



「あの……あの、は、はじめましてファビアンさん……ええと、私は………」



声が萎んでいきそうになって、私はそこで一度息を整えた。威圧感がすごくて、嫌でもビビってしまうのだ。



「わ、私は苗字名前と言いまして、それで、その、泉田塔一郎くんの彼女をしてい…………………」



そこで、言葉が止まった。


…………あれ?



「……………」

「……………名前さん?」



―――なんか…………おかしいぞ。


あれ? 違う、前回と何かが違う。よく分からないけど、喋りかけた瞬間から、おかしい感じがする。どうしようもなく『間違ってる』気がする。なんだこれは。


あれ? なんだこれ、


「ファビアンさん、その、私は、私は………、ファビアンさんと対話をしに―――」


そこまで言った時、私はこの違和感の正体に気がついてしまった。それはもう、電撃的に。


(そうか―――〈対話〉になってないんだ……!)


そう、私の言葉は、全くファビアンさんに届いてなかった。いや、というよりも、拒絶されていた。

……何を言ってるかわからないと思うし、私も正直何を言ってるんだろ私……??? って感じだが、とにかく、そう感じてしまったのだ。理屈じゃない。

でも、どうして? 前回はこんな感じじゃなかった。はっきりと対話をした手応えがあった。なんで………前回と同じシチュエーションで、同じ動機で……



いや、違う。



「そうか………そうか、私は………」



私は―――驕ってはいたのではないか?



自転車競技部の先輩達からは、よく分かんないけどやたらとちやほやされて、応援されて。部員の人達からは伝説だとか囁かれて。

ちょっとでもいい気になってなかったか? ちょっとでも、調子に乗ってたんじゃないか?

そしてこの挨拶をやるにあたって、そんな〈周囲の期待〉に応えようとする気持ちが一切無かったと、本当に塔一郎くんのことだけ考えて決断したんだと、私は、自信を持って言えるだろうか。


(―――いや、言えない………っ!!)


きっとファビアンさんは、そんな私の誠意の無さを見抜いてるんだ………!! だからまったく通じ合えてる気がしないんだ!!! さ、さすが筋肉の父!!

衝撃的な事実に目眩がして、私はくらりとよろめいた。ああ、目の前の背筋がとてつもなく大きな壁に見えてきた……。

そう、前回はもっと必死だった。もう、これを乗り越えないと、受け止めないと、塔一郎くんと付き合えないって、それぐらいの覚悟を持って挑んでた。だから100%ガチだった。
今、それが90%なら。どうすれば100%を示せる? これがお遊びでもおふざけでも、周囲に望まれてでもなく、私の本心からやってることだって、どうやって示すことができる?


私は、試されてる。乗り越えなければいけない、乗り越えなきゃ―――塔一郎くんと付き合ってる資格なんてない!



「……どうすればいい、どうすれば認めてもらえる……!? どうすれば……っ!」


「? 名前さん…………?」



―――おそらくこの段階で、私はもう正常な判断を下せなくなっていたんだと思う。

眼前に広がる背筋。この圧倒的な光景、その膨大な情報量をずっと処理し続けてきた脳細胞が、とうとうオーバーヒートしてしまったのだ。


………いわゆる〈熱暴走〉というやつである。


暴走している人間は、おおよそ自分が暴走していることに気が付かない。必死になって、視野が極端に狭くなってるから。



「………そう、そうだ、とにかく覚悟を、誠意を示さなくちゃ、私が、本気だってことを示さなくちゃ………!」



そして追い詰められた私は、目の前に立ちはだかる反り立つ大きな壁に―――つまりは彼の背中に身体を寄せて、自分のおでこと手のひらを、その筋肉にピタリと押し当てていた。


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