03


――コン、コン


「泉田くん、入ってもいい?」

「…………」

「泉田くん? 寝ちゃったかしら〜?」

「……いえ、大丈夫です、どうぞ」


――ガチャ


「失礼するわね。お盆下げに来たわよ〜、あら完食してるわね、薬も飲んであるし。調子はどうかしら?」

「はい、だいぶ良くなりました。今日一晩休めば明日には良くなると思います…」

「顔はまだかなり赤いわねぇ、熱はどうなの?」

「一時よりは下がりました……大丈夫です……」

「そう? ポカリはまだある?」

「はい、冷蔵庫にあります」

「ならいいわね、もし何かあったら呼びなさいよ? それじゃあ今日はもう寝なさいね、おやすみなさい」

「ありがとうございます、おやすみなさい……」


――ガチャ


………………。
………………。
………………。
………………。
………………むぐ。



「――名前さん、もう寮母さん行ったから大丈夫だよ」

「……!」

塔一郎くんのその言葉で、私は布団からぷはっと顔を出した。そして大きく深呼吸して新鮮な酸素を思う存分肺へと供給。いやあ、苦しかった……!

「はぁ……なんとかなって良かったね……」
「…………」

寮母さんが部屋をノックしたあの瞬間、私は咄嗟に塔一郎くんのベッドに飛び乗っていた。そして、急いでたから申し訳ないけど彼の体を跨ぎ、壁際の奥の方に行って、布団に潜り込んだ。

それから後は、塔一郎くんが身体を横にして寝てくれているから、その身体の壁の影に隠れるような感じでじーーっと息を潜めていた。というか、ほぼコバンザメの如く塔一郎くんに密着していた。その方が多分目立たないし、シングルサイズのベッドってやっぱり二人入ると狭くて、そうする他になかったというのもある。

しかし……ほんと、危機一髪だったな……。

と、私が安堵のながーいため息をついたその時。ずっと私に背を向けて横向きに寝ていた塔一郎くんが、ごそごそと仰向けになったかと思うと、


「…………」
「…………」


―――極々至近距離で、ばっちり、目が合った。


そして私はそこで気がついた。ほんと、今更なことだけど。遅すぎるけど。ピンチを乗り切る一心でそれまで意識してなかったのだ。

この状況……。
恋人と同じベッドに入って、並んで寝ているこの状況って……。

(なんか、すごいことしてない……!?)

シチュエーションを理解した瞬間、心臓がドキドキと途端に焦りだした。先程のピンチとは全く別の種類のドキドキだ。


「名前さん………」


そして塔一郎くんが、完全に身体をこちらに向けた。これでお互いに向き合って寝てる形になる。

塔一郎くんの瞳は、熱があるせいかどこかぼやーっとしていて。全然私なんか見えてないように思えるのに、その一方で、いつもより何倍も熱心に視線を注がれているようにも感じた。そして私は、そんな焦点のあってない彼の眼差しに、


「……………」


――まるで身体をぐるぐる巻きに絡め取られてしまったみたいに、動けずにいた。息を張り詰めて、ただじっと彼を見上げることしかできない。


「手………」
「――え?」
「手、握ってもいい……?」
「あ、うん……」


頷くと、胸の前辺りにあった私の右手が、汗ばんだ彼の両手で包み込まれた。そして、私は思わずあっと声を上げそうになった。

(あ、あっつ………! すっごい熱い………)

異常だ、普通の人肌のぬくもりじゃない、燃えるように熱い。塔一郎くん、もしかしてまだ結構熱高いんじゃないか……!? さっきも言動がおかしかったしな……。


「……名前さんの手、冷たくて気持ちいいな………」
「そ、そうかな………」


私の手をにぎにぎしながら、塔一郎くんは目を閉じてため息を落とした。気持ちいいなんて言ってるけど、やっぱり苦しそうだ。薬、ちゃんと飲んだみたいだけどまだ効いてないのかな。せめてもうちょっと冷たくしておけばよかったな、手。


「……そういえば、どうしてブレザー着てないんだい?」
「ん? 部室にあるよ。寮に忍びこむっていう話だったから、フェンスとかよじ登ったりするんだと思ったんだよね……だからできるだけ動きやすい格好で行こうとして……置いてきたの」
「ふふ、名前さんらしいな……」
「……う、そうかな……」

ちょっとそれどういう意味って思ったけど。口元をほんの少し緩めて微笑まれて、私はその彼の笑顔に妙に照れてしまって、目を伏せてしまう。シチュエーションのせい? この距離のせい? 熱っぽい視線(物理)のせい? 全部かもしれないけど、今日の塔一郎くんの笑顔には、やたらと私をもじもじさせてしまう、不思議なオーラが漂っている。

って病人に対して何考えてんだ私。いかんいかん。


「とっ、塔一郎くん、そっちの手、もう温くなっちゃったでしょ? 左手に交換しますか?」

「ん……そうだね……名前さん、その……絶対に変なことしないって誓うから………少し、抱きしめさせてもらえないかな……?」

「………!」


その申し出に、私はごくりと唾を飲んだ。

変なことってなに?――なんて、さすがに聞けない。私だってその意味ぐらいわかる。確かにこんなに朦朧としてる塔一郎くんに、私をどうこうする元気は無いだろうけど。

(なんか、すごい展開になってきちゃったな……)

ただのお見舞いで済むはずだったのに。


「……いいよ、ちょっとだけね?」


……うん、大丈夫。さっきの可愛くて子供っぽい塔一郎くんを相手にしてた時のあの気持ちになれ、私……! 甘えさせてあげる、という大きな気持ちで臨もう。甦れ私の母性本能。


「ありがとう。絶対に何もしないから……」

「う、うん」

「じゃあ―――はい。おいで、名前さん」



「……………」



だ、ダメかも……………。

塔一郎くんは、左手で掛け布団をほんの少し持ち上げて、私が収まるスペースを確保してくれている。

――ダメだよ。こんな風に優しい声で「おいで」なんて言われて、ドキドキしない方が無理でしょう。母性本能なんて一瞬で彼方へ消し飛んでしまった。しかも、ただでさえ距離が近いのに、私自ら更に彼に近づかなくちゃいけないなんて、ハードルが高い。

「名前さん?」
「う、うん……」

多分塔一郎くんは私がこんなに、息が詰まりそうなほどドキドキしてることなんて分かってないんだろう。だって塔一郎くん本人も、別に大して照れたりしてないもんね。それは多分、熱があるからだろうけど。だからこそ、一人で鼓動を高鳴らせているのが恥ずかしくってたまらないのだ。

……塔一郎くんは何も意識してないんだから、私も意識する必要ない。うん。

逃げ出したくなるような照れをなんとか押し殺して、私は塔一郎くんの胸元にもぞもぞと身体を寄せた。そして気がついた。これ……絶対塔一郎くんの腕に体重乗るよね……。

「と、塔一郎くん、私、重くない? 腕とか疲れちゃうかも……」

全体重を乗せることにちょっと抵抗があり、上体をちょっと起こした微妙な体勢になってそう聞くと、塔一郎くんはとっても自信たっぷり! という感じで、

「舐めないでもらえるかい? 名前さん一人支えるぐらいどうってことない。悪いけど負荷にすらならないよ」

と答えた。アッはい。

「そうですか。じゃ、失礼して……」

彼の不遜な笑顔を見て、ならいいやと思った私は、完全に身体を預けた。そして彼の左腕が背中へと回って、私はあっという間に、塔一郎くんの腕の中に閉じ込められた。

………。


「………名前さん、苦しくない……?」

「う、うん」


ていうか、むしろ安定感がすごいんだけど…!?

他人の腕の中で寝たことないから比べられないけど、多分、この安定感は塔一郎くんの身体だからこそのものだと思う。このパジャマの上からでも分かる筋肉量。腕に支えられてるというより筋肉に支えられてるって感じだ。……自分でも何言ってるかわかんない。

「じゃあもう少しぎゅってしていい、かな……」

あっ、この聞き方は可愛い。私の母性本能がキラッと光る。すかさず「いいよ」と答えると、塔一郎くんは更に自分の方に引き寄せるように力をこめた。そして私の眼前には彼の大胸筋が……いや、眼前っていうかもうほぼ押し付けられてるに等しい。すごい密着率だ。あ、アンディさん、フランクさん、どうもお久しぶりです……!(?)

「名前さん、やっぱり冷たい……外寒かったでしょう?」
「ううん、平気だったよ」

黒田くんのジャージを借りたから、というのは黙っておかなくちゃね。

「そう……。でも、気のせいかな……? いつもの名前さんの香りと違う気がする……誰か、別の、何かを着たりとかした……?」
「…………」

嘘でしょ。

「じゅっ、柔軟剤変えたから……だと思うよ……」
「そうなの……? ならいいんだけど」
「う、うん………」

いやいや何この勘の鋭さは……! 高熱の時って五感鈍るよね普通!? いや、五感が鈍ってるからこそ第六感が働いてるとか?
そして私は罪悪感で胸がズキズキと痛い。ジャージを借りただけなんだけど。なんだか彼を騙しているみたいで……。

「……帰りは、ボクのジャージを貸すから、それを着て帰ってね」
「………!!」

え? 違うよねこれ、気づかれたわけじゃないよね?

「う、うん、ありがとう……」
「………」

内心ヒヤヒヤでそう答えると、塔一郎くんはそれきり何も言わなくなってしまった。そして、すうすうと規則的な呼吸音が聞こえ出したのと同時に、ほんの少しだけ腕のガードが緩まるのを感じた。

(………寝ちゃったよ………)

どうしよう。今の状態なら、思いっきり力を込めれば多分、抜け出せないわけじゃないと思う。私だって非力というわけじゃないし。でもそんなことしたら、多分塔一郎くん起きちゃうよね。

……うん。あともう少しだけ、こうして抱きしめられてあげてよう。

布団の中、そして彼は高熱というせいもあり、普段抱きしめられてる時より数段熱い。ちょっと汗ばんできた。長くはいられなさそうだけど……でも居心地は良い。大好きな人の腕の中だからかな。

彼の早い鼓動を聞きながら、私は目を閉じた。あともう少しだけ………あともう少しだけ…………。


…………………。







――夢を見ていた。


名前さんが出てきた。カーディガンにスカート、いつもの制服姿で、場所は……音楽室裏のベンチだ。彼女にしては珍しく、何やら神妙な面持ちで座っている。どうしたんだろう。


『塔一郎くん、私ね、決めたの』


なんだい?


『私、世界各地に存在すると言われてる究極のお宝チョコをハンティングするチョコレートハンターになろうと思うの』


……は? なんだって?


『ということで、まず最初に美味しいベルギーチョコを食べにベルギーに行こうと思う』


えーと……それはハンティングではなくてただの旅行だと思うけど、ちょっと待って、話が見えない……


『まあ危険な旅になると思うけど、絶対に無事で帰ってくるから心配しないでね!』


いやいやいや、そんなこと言われて行かせると思う?

しかし名前さんはすくっと立ち上がり、ボクを無視して平然と歩いていってしまう。慌てて追おうとするけど、その瞬間重力が何倍にもなったかのような凄まじい負荷が全身に降りかかってきて、踏み出した足が止まる。なんだこれは…!?


『そんな格好でチョコレートハンター? 笑わせんじゃねーよ苗字さん。アイドルか。やらせ企画でステージ衣装のまま身体張るアイドルか』

『!?』


こ、この少々くどい例えツッコミは……ユキ!


『黒田くん……私の邪魔をするというの』
『いいや。アンタにこれをやろうと思ってな』
『こ……これは……!! 伝説の装備〈箱根学園自転車競技部ジャージ〉……!?』


ユキはおもむろにジャージを脱ぐと、それを名前さんに投げた。伝説の装備だって? うちの部のジャージが? 受け取った名前さんは戸惑った表情でユキとジャージを見比べている。くそ、なかなか二人に追いつかない。この負荷……おそらくだが、ボクは相当な重量のウェイトベストを着てる上に、リストウェイトとアンクルウェイトも付けている。こんな大事な局面で何故筋トレなんてしてるんだボクは……!


『せめてもの餞ってやつだ、受け取りな』
『い、いいの……!? こんな大事なものを……私が着ていいものじゃないよ』
『いいんだよ。立派なチョコレートハンターになれよ』
『ありがとう! 私このジャージを着て頑張るね!』


待ってくれ名前さん、ジャージならボクのものを貸すから……いやその前にしっかり話をさせてくれ……!

彼女がユキのジャージに袖を通そうとしている。あともう少しだ、あともう少しで届く――――



と、届いた!



『わあっ、塔一郎くん!?』



捕まえた、名前さん。ボクは背後から彼女を抱きしめた。全く、他の男の服なんて着たらダメじゃないか、あなたはボクの恋人だろう? いい加減その意識を少しは持ってほしいものだな。とりあえず、もう絶対に逃さないから。本当に油断も隙も無いよ……。ああそうだ、ベルギーにはいつか一緒に行こうね………。


…………。
………………。
……………………。







「…………ん、……」


―――深いところにあった意識がゆっくりと浮上していく。

薄っすらと目を開けると、見慣れた白い壁。ボクの部屋だ。

(よく寝たな………)

身体が熟睡した後特有の気持ちのいい疲労感に包まれている。この感じだと、熱ももう引いただろう。だかしかし、寝覚めはあまり良くない。あんな意味不明な夢を見たんだからそれも当然だ。いかにも熱がある時に見る夢という感じの狂いっぷりだった。

チョコレートハンターか……。馬鹿げてるにも程があるけど、名前さんなら言い出してもおかしくないと思ってしまうから恐ろしい。本当に、ずっとこうやって、ボクの腕の中にいたらいいのに……。



………。

―――えっ?



「!?!? な、……」



視線を下ろしたボクは、愕然とした。あまりの驚きに声すら出ない。


そんな、馬鹿な。



(どうして名前さんが、ボクの腕の中で寝てるんだ……!?!?)



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