アフェクション・センセーション(1)


学校の中にある戦場、購買。

食べ盛りの我々高校生にとって、学校内で食料調達が可能な購買は宝の山である。だから当然のごとくみんな狙いに来る。特に昼休み開始時なんて壮絶だ。激しく混みあい、時に奪い合い、時に喧嘩が勃発……まではさすがにいかないだろうけど。とにかく、熾烈な争いが繰り広げられるこの場所で、自分の欲しい物を掴むのは相当に難しい。百戦錬磨のソルジャーでもない限り。

賢い人は昼休み前の授業休みに買いに行ったりするんだけど、購買があるのって1年生の階なんだよね。結構距離離れてるから、短い授業休みだと間に合わない可能性もある。

というわけでまあ、私はそこまでガッツがないので、昼休み開始から少し経って、割と空いてる時に行ったりする。

(……しかし種類はない……よね……)

凄惨な現場(パン売り場のコーナー)を見て、うーむと唸る私。
……まあ、すでに狩り尽くされた後だからね。これはしょうがない。余ってるやつもどれも美味しいし、特に気にしない!

私は適当にパンを見繕ってお会計へ向かうと、購買のおばさんに「お願いしまーす」と声をかける。最近顔を覚えられたので、「あらいらっしゃい苗字さん」と愛想よく微笑まれた。

「なに、今日はやたらとたくさん買うのねえ。それ一人で食べるの?」
「いや、さすがにこの量は無理ですよ。これは自分のお昼と、生徒会からの急な呼び出しで行っちゃった友達のお昼と、あと今日部活終わったら自主練してくから、その時の夕飯の分なんです」

と言うと、「まあ!」と目を輝かせるおばさん。

「えらいわねぇ。いいわねぇ部活に燃える高校生。あなた部長なんだっけ?」
「あっハイ。弦楽器部の……」
「そうなのね。ふふ、おばちゃん頑張る高校生だーいすきなのよ〜! もうそんなに人来ないし、おまけしてあげる!」

そしておばさんは余っていたパンを次々と袋に詰めだした。えっ。別にいいんですけど……ていうか今あんぱんだけで3つも加えられたぞ!? す、好きではあるけど、さすがにそんなにあんぱんは……。
……でも、お代はそのままだし、おばさんの好意を無下にするのも憚られたので、私はありがたく頂戴することにした。……あんぱんは後輩にでもあげよう。

おばさんにお礼を言って、パンタワーと化した大きな袋を抱え、私は歩き出した。なんだっけこの妙なデジャヴ……誰かがこうやって、パンタワーを築き上げてたような……。

「あれ、苗字じゃん!」

と、私がデジャヴの正体に頭を巡らせていると、背後から声をかけられた。その聞き覚えのある声に振り向くと。

「あ…横田くん」
「久しぶり、苗字!」
「うん、久しぶり」

横田くんは1年の時のクラスメイトだった。笑顔で駆け寄ってきた彼に私も微笑み返す。……けど、その心境はなかなかに複雑だ。彼を見ると、胸のあたりがずーんと重くなるのだ。

なんていえばいいんだろうね。横田くんは一年の頃、私のことが好きだったらしい。なーんて言うと自惚れみたいに聞こえちゃうけど、クラス中で騒がれてたし、本人も友達に言いふらしてたから、実際そうなんだろう。告白されてはないけど、「お前と付き合ってあげてもいいよ」みたいなメールは何回かあったりした。上手に話を逸らして回避してたけど。

「ははっ、なんだよお前そのパンの量。一人で食うの?」
「違うよ! 購買のおばさんにおまけしてもらったの」
「よっぽどお腹が空いてるように見えたんだな」
「あっひどい」

頬を膨らませると、横田くんは「ごめんごめん」と屈託なく笑う。……悪い人じゃないんだよね、全然。
なんて思っていた時だ。「あー、そいや、さ」とそれまでとは違う、少し硬い声を出した横田くんは、

「苗字、そういやお前チャリ部の主将と付き合ってんだってな」

……と、聞いた。……ふむ、そう来ましたか。

「ああ……、うん、そだよ」
「泉田……だっけ?」
「うん」

素っ気なく答えると、彼は「ふーん…」と面白くなさそうに呟いてから、はっ、と鼻で笑った。

「うまくやったよな。天下のチャリ部の、しかも主将ときた。どうやって落としたんだよ、苗字」

……あっ。なんか。よくない感じ。

「はは……人聞きの悪いこというなぁ」
「だって事実じゃん。そりゃ俺のことなんて眼中にないよなー。しがないテニス部員の俺と、チャリ部の主将じゃあ天と地ほどの差があるもんな」
「……あは、そんな風に言うことないでしょ」
「でもさ、正直どーなの? 新体制のチャリ部。あんだけ強いって言われてた箱根大会で優勝できなかったんじゃん? なーんか見てると、イマイチ期待できねーなって感じすんだけど」
「………」
「大体主将が彼女作ってる時点でもう望み薄だろ。苗字もほんとに彼氏のことが好きなら別れてやったほうがそいつとチャリ部のためになんじゃね?」
「……………」
「……付き合ったはいいけど部活で全然構ってくれないから寂しいと思い始めてるころなんじゃねーの? 俺ならたくさん構ってやれるのにな。ま、しがないテニス部員だからさ、はは」

「………うーん」


――さて、どうしようかな、と私は考えている。

前にもこんなことがあった。『鬼のパンツ事件』だ。あの時は結局反論できなかったんだよね。そして私は名前も顔も知らない人達の言葉で真面目に悩むはめになり、その後出会った銅橋くんの言葉でやっと解決したんだっけ。

どうしようかな………やり返しちゃおうかな。もう横田くんと気軽に話せなくなっちゃうだろうけど。いい人だったのにな、とっても残念だ。でも、私もう「こういう風に思う人もいるんだよね」って無理やり自分を納得させて我慢すること、できないや。

だってさ、これは喧嘩を売られてるんだもんね。前とは大きく違う点だ。


「―――横田くん、ちょっと私の話を聞いてくれるかな?」


すう、と息を吸い込んで、彼を見据えた。口元にはお供え程度に笑顔を貼り付ける。そして私は、言葉を紡ぎ始めた。


「最初に言っておくけど、今から私が言うことはあくまで個人的な見解であって――――」



………おんなじことで、そう何度も傷つくと思うなよ。







……言い訳するつもりなんてねェが。
本当に、たまたま居合わせちまっただけなんだ。

昼休み、自販機で炭酸を買ったところで、偶然苗字さんを発見した。彼女はなにやらでかいパンの袋を抱えてて、そのせいでオレに気づかなかったようだった。苗字さんが1年の階にいるなんて珍しいし、以前色々迷惑かけたし、挨拶しておかなきゃな、なんて思ったって別に不自然じゃねェだろ。あと、パンを運ぶのを手伝ってやろうとも思った。

だが、オレの前に誰か他の男子が苗字さんに話しかけた。知らねェやつだ。かなり気安い感じで喋ってる。だからまあ、挨拶すんのは会話が終わった後でいいかななんて思って、その自販機の影に隠れて(隠れる必要ねェけど、つうか隠れられてなかったと思うけど)待っていたわけだ。

……しかし。


「……あは、そんな風に言うことないでしょ」

「でもさ、正直どーなの? 新体制のチャリ部。あんだけ強いって言われてた箱根大会で優勝できなかったんじゃん? なーんか見てると、イマイチ期待できねーなって感じすんだけど」


(………んだと?)

聞こえてきた会話は、オレ達を侮辱するような内容で。よく知りもしねえ野郎にあんな風に言われて、当然気分がいい訳がない。こっそり様子を伺うと、苗字さんも何も言えなくなってる。これは、オレが乱入していくべきか? つうかクソムカつくしあのペラペラ喋る口を止めてやりてェ……だがさすがに上級生だし部外者だからなオレは……。

と、尻込みしている時だった。
苗字さんの雰囲気がガラリと変わったのは。


「―――横田くん、ちょっと私の話を聞いてくれるかな?」


そして、唐突に幕は開かれた。
苗字さんの鮮やかで優雅で苛烈な、逆襲のターンの始まりだった。





〜苗字名前 vs テニス部の横田〜
(という名の、ずっと苗字名前のターン)


「最初に言っておくけど、今から私が言うことはあくまで個人的な見解であって、泉田塔一郎くんならびに自転車競技部とはなにも関係がない、誰かの彼女とかではない苗字名前個人の意見だという事を念頭に置いて聞いてね」

「横田くん、自転車競技部の練習量って知ってる? 毎日朝練があって、インターハイ前だと昼練もあって、規定の部活動の時間が終わっても寮の門限ギリッギリまで自主練する、そういうことをみんなさも当然のようにやってるんだよね、すごいよね。真似できようとしたってできないよ。なんでこんな努力できるんだと思う?」

「あは、わかんないよね。誇りだよ。彼らは箱根学園という名前に誇りを持ってる。その名に恥じないように全力で漕いでるんだよ。1位しか狙ってないんだよ。なぜなら箱根学園自転車競技部というのはそういう場所だから。これまでもそうだったし、これからもそう。横田くんが簡単に侮った今年の大会の先輩達だってそう。彼らは、死力を尽くして戦ったの」

「もうね、私の言葉なんかじゃ彼らの覚悟は伝えきれないの、結局は部外者だし。……そう、結局私は部外者だから、私がどんな立場で誰の彼女であろうと絶対に彼らの戦いには介入できないんだよ。介入しようとしたってそんな隙間がないから。だから私がいたっていなくたって自転車競技部には何の影響もないです。まったく。1ミリ足りとも。」

「まあさ、正直、横田くんが何言おうが自転車競技部の人はどうでもいいんだと思うの。勝手に悪評を流しても何も気にしないと思う。そんな妄言に付き合ってるほど暇な人達じゃないから」

「けど私は『部外者』だから言わせてもらうね。横田くんが言ったことは自転車競技部に対する侮辱です。内情を何も知らないのに、自分の妄想や根拠のない直感をさも事実のように吹聴するのは、箱根学園の人間として恥だと思ってほしい」

「……ぐだぐだ言ったけどこれって私に対する当てつけだよね。結局告白されなかったから私も何も言わなかったけど、はっきりさせよっか。私には世界一努力家で世界一かっこいい彼氏がいますので、横田くんの気持ちに答えることはできません。ごめんね。ほんのちょびっっっっ……とでも私のためを思って言ってくれてたんなら一応ありがとう」



「―――あ、繰り返すけどこれは自転車競技部やその部長さんとは何の関係もない個人の見解だから、よろしくね」



「あともうひとつ。新しく構ってくれそうな彼女を探したほうがいいと思うな。私にいつまでも未練タラタラでいないでさ。ほら、時間の無駄、でしかないからね!」







「…………」


ま。

………ま、ま、まじかよ……!?

苗字さん、めちゃくちゃキレてるじゃねーか……!! しかも笑顔で!! すげぇチャーミングな笑顔で!!

流れるような、しかし一言一言にパンチ力のある苗字さんの怒涛の反撃に、オレは顎が外れそうなほどあんぐり口を開けて、聞き入ってしまっていた。

(……かっけェ…………)

そして、胸が熱くなった。今の啖呵を聞いて、痺れない自転車競技部員がいるんだろうか、いやいねェだろ……。

だが、そんな風に呆けていられる暇もなかった。


「〜〜っ! 苗字、お前、調子乗り過ぎだろ、」
「わっ、」
「がっかりだよ、1年前は可愛かったのにさぁ、大体お前の事なんてもう好きでもなんでもねーよ、」
「あっちょっ、あんぱんが…!」


「!!」

オレははっとした。
言いたい放題言われて逆上したのか、男が苗字さんの肩を掴んでいる。はずみで苗字さんが抱えていたパンが零れて落ちた。
それを見た瞬間、オレは慌てて駆け出した。


「上から見やがってよ、」

「――おい、ここは1年の階だぞ」


そう言って、苗字さんの肩に手をかけているそいつの腕を掴む。なるべく力は入れ過ぎないように。苗字さんが「銅橋くん……!」と驚きの声を上げた。


「そこまでにしとけ」
「ッ、な、なんだよお前……!」
「……この人は世話んなったオレの大事な先輩なんだよ」


そして、オレの尊敬する先輩が惚れ込んでいる彼女でもある。


「手荒な真似すんなら上級生だろうがただじゃおかねェぞ」
「………! くそっ、」


男はオレの身体に上下に視線を走らせた後、目を逸らしてあたふたと逃げていった。軟弱なやつだ。ま、多分ビビったんだろうな、オレの体格に。

「……苗字さん、大丈夫か?」
「うん。銅橋くんのおかげだよ、ありがとう」

苗字さんは何事も無かったかのように、平然といつもと同じ笑顔を浮かべている。この人、結構肝が座ってるというか、胆力あんだな……。

「そうか……なら、よかった」
「へへ、恥ずかしいとこ見られちゃったね」
「っ、そんなことねェ!!苗字さん、すごく……その、かっこよかった、っす」

思わず身を乗り出して反応しちまったオレを見て、苗字さんは驚いたように目を見開いたあと、ふわっと柔らかく微笑んだ。

「ふふ、ありがとう」
「……ああ」

……うっ、て、照れる。こんな笑顔向けられたら誰だって照れる。なんとなく、泉田さんがこの人に惚れ込んでる理由が分かってしまうな。いけねェいけねェ。
と、オレが目を逸らして頬を掻いていたら、苗字さんはおずおずといった感じで口を開いた。

「……銅橋くん、お願いがあるんだけどね、このこと塔一郎くんには黙っててほしいの」
「え……」
「余計な心配かけたくないから。ね、お願い」

眉を下げて、申し訳無さそうに笑いながら、そう懇願する苗字さん。
一瞬迷ってから、オレは頷いた。

「………、わかった、苗字さんがそう言うなら………」

そう言うと、苗字さんがほっとしたようにふう、と息をついた。

「――ありがとう。銅橋くんはいい後輩だね。私のことを大事な先輩って言ってくれて、本当に嬉しかったよ。後であんぱんあげるね」
「………っす」

……つくづく調子が狂うぜ。女の先輩ってのはみんなこうなのか……。(あんぱん…?)

本当のことを言えば、あの苗字さんの啖呵を泉田さんに見せてやりたかった。だってすげェ痺れたもんな。

だけど、彼女は何回も「これは個人の見解」だと繰り返していた。オレらに迷惑をかけたくないんだろう。その気持ちも痛いほど伝わってしまったのだ。

「あっ、パン! パン拾わなくちゃ」
「ああ……手伝うぜ」

オレは辺りに散らばったパンを拾いながら、この件はオレの胸の内に秘めておこうと、強く決意した。








……さて。


結論から言うと、その銅橋の決意もむなしく……というやつである。だが彼がうっかり口を滑らせたのではない。


―――『動画を撮られていた』のだ。


その「自転車競技部の1年生の誰か」は、偶然にも主将の彼女が男子相手に激昂している場面に出くわしてしまった。そして、これはただごとではないと判断した瞬間、彼はスマホを向けていた。

悪意のある行動ではなかった。ちょっとした好奇心と、あとはなんとなく。現代っ子あるあるだ。だが、名前の口上は、銅橋と同様、彼の胸も打った。彼は感動した。だからそこで彼は、これは他のみんなにも見てもらいたいと、いいシーンが撮れたと――本気でそう思ってしまったのだ。そして彼は、まず同級生の部員に動画を拡散した。

……そこまで行けばもうあとは芋づる式だ。あっという間にその動画は他学年にも共有されて―――


まあ、当然、主将のもとにも届いてしまうわけで。



(つづく…)

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