宣戦布告、新たなスタート


「本当にごめんね、うちの銅橋が迷惑をかけてしまって……」

「あはは、もういいってば。私は迷惑だなんて思ってないし、私も色々勘違いして事態をややこしくしてたし……。しかし、なんていうか……」

例のベンチ、泉田くんの隣で考え込む。いや、あそこまでお互い勘違いしてたっていうのは逆に面白いなーなんて思っちゃうんだよね。

ええと、つまり。どういういきさつでそうなったのかは知らないけど、銅橋くんが、泉田くんの彼女は聡美だと勘違いしたのが一番最初。そして彼は、詳しく話を聞くために、なんと本当の彼女である私の元にやってきてしまった。

で、私は銅橋くんの先輩が泉田くんだって知らずに、銅橋くんが語った先輩っていうのは、ほんの少し前に聡美と噂になった例の五組の彼さんだと勘違いしてしまった。そして銅橋くんは、そんな私の話を聞いて、泉田くんは聡美に振られたと勘違い。で、私たちは泉田くん――私は5組の彼さんだと思ってたけど――と聡美をくっつけよう大作戦を密かにスタートしたんだけど、なんとそこに泉田くんが乱入!

銅橋くんは全て勘違いしたまま、泉田くんに、泉田くんが聡美に振られていて、(ここで聡美の名前を出してたらこの段階で全ての勘違いは解消してただろうに、間の悪いことに銅橋くんは丁寧にそこだけ伏せた)、なんとか泉田くんと聡美……の間を取り持とうとしようとしたことを暴露。しかし、何も事情を知らない泉田くんは、それを聞いて聡美ではなく、私が泉田くんを振ったと勘違いして、あの食堂で一瞬だけとんでもない修羅場が発生してしまった、という……。

………すごい。説明してもちょっと意味がわからない。相関図とかフローチャート的なものを使ったほうがいいんじゃないかこれ。ここまでややこしく勘違いが絡み合うことってある?

あの後場所を変えて、事情を飲み込めてなかった銅橋くんに私が泉田くんの彼女であることを打ち明けて、それでこの話はあっさりと解決した。銅橋くんはそれはまあ真っ青になって、私と泉田くんに謝罪を繰り返した。彼の緑の髪色といい具合に噛み合って、ちょっとした現代アートのように見えてしまったのはここだけの話。泉田くんはお怒りの様子だったけど、私が宥めると複雑そうな顔で「苗字さんがそう言うならいいけど……」と言って和解成立。そして無事に昼休み終了。で、現在は放課後です。

「……うん。いい勉強になった。思い込みって怖いね。ホウレンソウの大事さが身に染みたよ」
「ほうれん草? ああ、報告・連絡・相談のことか」
「そうそう。ほーれんそー。私と銅橋くんがそれぞれ聡美と泉田くんにちゃんとほうれん草してればこんなことにはならなかったわけだし」
「苗字さんはともかくとして、銅橋には徹底させるよ。本当に心臓に悪い思いをさせられたからな、今日は。知らない間に苗字さんに振られてただなんて……そんなことある訳ないのに。真に受けてしまったボクもボクだけどね」
「………」

あはは、と笑う泉田くん。対して私、沈黙。ゴーグルをつけた某水泳選手が平泳ぎで脳内をよぎっていった。チョー気持ちい! じゃない方ね。いや別に、別れようだなんて実際は全然考えてなかったけどさ……。

「……苗字さん。まだボクにほうれん草すること、残ってない?」
「え」
「この間ここでの様子が明らかにおかしかったから、実は少し心配してたんだ。そのせいもあって、一瞬でも振られただなんて話が現実的に思えてしまったのかもしれない」
「あ……ごめん、やっぱり心配かけちゃってたみたいだね、私……」
「何かあったの? ボクでよければ、話を聞かせてほしい」
「いや、ううん、もう大丈夫。それについては全部解決したから」
「……そう? ならいいんだけど……でも、もし何かあったら、今度はボクに相談してね」
「ありがとう。じゃあ泉田くん。今の件とは別件で早速聞いてもらいたいことがあるんだけど、いいかな」

……さすがに早速すぎただろうか。
面食らったように数回瞬きを繰り返す泉田くん。でも、彼はすぐに穏やかに笑って、

「もちろん。何でも聞くよ」

と言ってくれた。この懐の広さ。ありがとう、と返して、私は小さく覚悟を決めると、口を開いた。

それは、あのお昼休み、銅橋くんとお話した後から何度も何度も考えて、先程の部活でも聡美や部員と相談して、決まったこと。

「……あのね、泉田くん。私……弦楽器部の、部長をやろうと思ってるの」

「! え………」

「前から推薦されてたんだけどね、いまいち自信が無くて引き受けられずにいたんだ。だけど、今回の件で、銅橋くんから色々話を聞いたりして……改めて思ったの。やっぱり私、部活に全力を注ぎたい。泉田くんみたいに」

すう、と静かに息を吸い込んだ。
打ち明けよう、全部。
一方的な告白になるのかもしれない。だけど、今の私達にはそれが必要な気がする。

私が、これから泉田くんと付き合っていくためには、それが必要な気がするから。

「……私ね。泉田くんが一生懸命部活に取り組んで、強くなって、速くなって、インハイに選ばれて、主将さんにまでなって……。そのことを嬉しいなって素直に思う部分がありながら、反面、泉田くんがどんどん遠くなっていく気がして、どこか寂しく感じるところがあったの。そして……そんなすごい人になった泉田くんにとって、私みたいな存在は邪魔になっちゃうんじゃないかって、一人で悩んでた………」

「! そんな……そんなことあるわけないじゃないか!」

「うん、ほんと……泉田くんの気持ちも考えずに、勝手だよね……」

曖昧に微笑み返すも、なんだか正直に話せば話すうちに苛立ちが募ってきて、歯がゆさに私は下唇を噛み締めた。何に苛立ってるかって、もちろん昔の自分に対してだ。なんて勝手で独りよがりな女の子なんだろう、そんなことを思える立場じゃないだろ私、って。

「……けど、銅橋くんと話して、思い出したんだ。私と泉田くんは、付き合うよりずっと前に約束してたじゃんね、お互いに部活頑張ろうって。泉田くんが遠くなっちゃった、なんて寂しがってる場合じゃなかった。……このまま、負けてられないよ」

思えば、私はここのところ〈彼女〉という枠に囚われすぎていたのかもしれない。インターハイで破れた泉田くんにかける言葉が何一つ浮かばなかったことで自信を無くして、〈彼女〉としてどう動けばいいんだろうって悩んで。そして、自分を種にして自転車競技部が叩かれているのを聞いて、居ても役立たずで果てに迷惑までかけてしまう〈彼女〉なんて、存在しないほうがいいんじゃないか、って。

一番考えなくちゃいけない泉田くん自身の気持ちとか、私自身の気持ちを全く考えず、周りの視線に怯えて、常識に囚われて、それで全てを判断しようとしてた。……馬鹿だなぁ。あ、なんかでもこれ、銅橋くんの過去の話と少し似てる気がする。

周りからみたら私達はカップルで、私は泉田くんの彼女で、泉田くんは私の彼氏なのかもしれない。だけどそんなの、ただ私達の関係を一番簡単な言葉で当てはめただけだ。それは事実だけど、私と泉田くんの繋がりは、当たり前だけどそんな単語で済んでいいほど単純なものじゃない。

私は〈彼女〉という枠に囚われて、素の苗字名前が泉田くんに対しどう向き合っていきたいのか、それを見失いたくない。

一人の人間として、苗字名前として、泉田くんのそばにいたいんだ。


「私………泉田くんに追いつきたい」


当然、彼のことを男の子として好きだって思う部分はある。付き合ってからも、恋しく思う気持ちはずっと変わらない。

だけど、私達の根本にあるのはそこじゃない。あるのは、一年前、この場所で交わした約束。

前方に佇んでいる小さな花壇を強く睨みつけて、ひと呼吸した。あの春、わずかばかりだけど花を咲かしていたそこには、今は何も植えられていない。夏を越し、すべての花は散ってしまった。きっと整備員のおじさんが、近いうちに違う種類の花を植えるんだろう。そしてそれは再び来年の春に花をつける。季節はどんどん入れ替わっていく。その間にも、泉田くんは絶えず成長し続けている。私は、彼女というポジションに収まって、このまま彼の背中を見ているだけになりたくない。負けたくない。追いつきたい。


「だから、部長になる。部長になって……」


――緊張、してきた。

今から私はこの人に、箱根学園自転車競技部部長に、とんでもない宣戦布告をする。でも、言わなくちゃ始まらない。言いきらないと、絶対に実現できないから。

もう覚悟は決まってる。クッと一度奥歯を強く噛み締めてから、私は泉田くんに向けて、口を開いた。


「―――来年の夏、全国で1位狙う。自転車競技部よりも目立って……やるから」


「……!」


………言っちゃった。

宣言した瞬間、泉田くんの眉がピクリと動いた。少しギクリとする。ちょっと、なに言った後でビビってるんだ私。遅いから。大丈夫大丈夫、臆することはないぞ、相手は私と同じ高校生だ。遠い存在でもスーパースターでもない同じ高校生だから……。

と、内心冷や汗を掻きながら(本当に今更だ)泉田くんの反応を待っていると、彼はふと口元を綻ばせた。

「ふふ。全く……銅橋は一体苗字さんに何を話したんだ?」

……あれ? 案外普通? 笑ってるし……。

「そ、それはあんまり詳しく言えないかな……」
「……。けど……そうか。来年の夏、自転車競技部より目立つ……か」

独り言のようにぼそりと呟くと、彼はこちらに顔を向けた。


「―――できるものなら、やってみるがいい」

「!! ……」

「ただ……あえて厳しいことを言わせてもらうね、苗字さん。それは限りなく無理に近い。何故なら来年の夏、ボクらは必ず優勝するのだから」


そう言った泉田くんは、笑ってはいたけれど、それはいつも私に向ける優しいものとは全く違った。〈自転車競技部主将〉としての威圧感を、揺るがない自信を感じさせるものだった。思わず唾を飲み込んだ。初めて見る、部長さんの顔。

やっぱり、こうなるか。

その眼差しの強い光を受け止めて、私も負けじと彼を見つめ返した。


「やってみせるよ。……負けない、から」


そう返すと、どこか余裕を感じさせる笑みを口元にたたえたまま、彼は視線を前方にむけて、それは楽しみだな、と愉快げに言った。……あれ、なんだか舐められてる?

少しムッと来て言い返そうとしたら、

「ふふ……だけど、それでこそボクが好きになった苗字さんだ。あなたは努力家で、凛としてて、とても美しい」

流れるように告げられて、開きかけた口が止まった。

「やっぱり、苗字さんはすごいな。今でもボクの憧れだよ」
「………そ、れは、言い過ぎ………」
「言い過ぎなんかじゃない」

いや、絶対、言い過ぎだよ。

でも、泉田くんの声は自信たっぷりで。私の反論を受け付けてもらえる隙なんて無いように思えた。
泉田くんは時々こういうところがある。私をあまりにも美化しすぎちゃいない? 一人の世界に入ってない? ……いや一人の世界もなにも、もともと独自の世界を持ってる人だったっけな、彼は……。照れと微妙な複雑さが混じってなんとも言えず、ううん、ともごもごと唸る。

「……正直なところを言うと、ボクは学校内で目立とうが目立たまいがどうでもいいんだ。ボク達の目標はあくまでもインターハイの優勝で、注目を浴びることではない」
「う……まあ、そうかもしれないけど……」

THE・正論です。その通りです。
……でもさあ、そこはなんていうかさ、何でもいいから競い合うことでお互いの意識を高めることに意義があるというか……。もごもご。

「けど、苗字さんに注目が集まるのは阻止したいな」
「え?」
「……周りから騒がれるのって、気持ちのいいことばかりではないよ。苗字さんにそういう思いをさせたくないってこと」
「ああ……そういう……。やっぱり、相当負担になるんだね……」

確かに、最近はだいぶ収まったけど、一時は私もちょっと周りからじろじろ視線を浴びていたし。それでも相当息苦しく感じてたのだから、泉田くんにかかるプレッシャーってすごいんだろうなあ……。

「…………ごめんね、今の半分嘘」
「――はいっ?」
「苗字さんに憧れの視線が集まるのも、尊敬の視線が集まるのも、……それとは関係ない不純な視線が集まるのも、……好ましくない」

そう言うと、彼はゆるりとこちらに視線だけ向けた。

「ボクだけでいい、苗字さんのことを知ってるのは。苗字さんが輝いてて、魅力的な女性であることを知っているのは、ボクだけがいい」

……そして、「ごめんね? そういうことだからそれは本気で阻止させてもらうよ」と、彼は微笑んだ。


「…………」


言葉も無い。
なんか、さらっとすごいことを言われた気がする、んだけど。

「これでますます気が抜けなくなったな。優勝しなくてはいけない理由がひとつ増えたからね。モチベーションが上がったよ」
「……あ、ええと……ならよかった……かな」
「あれ? 苗字さん、なんだか顔が赤いけど」
「き、気にしないで……」

なんだろう。
ひょっとして、泉田くんって……なんていうかその、独占欲? が強いタイプなんだろうか。

と、思ってひとり心の中でいやいやいやと首を振る。いやいやいや。だってあの泉田くんが、ねえ。アンディとフランクと筋肉の泉田くんが……じゃなくて、純朴で真面目でまっすぐな泉田くんが、ねえ。

なんにしても、あんなことを口にされると嫌でも照れてしまう。誤魔化すために、私は声を張り上げた。

「――と、とにかくさ! 部活頑張ろうね! もしかしたら私、これから部長の仕事で忙しくなっちゃって、二人きりで会える時間が減っちゃうかもしれないけど――」

「会えなくなっても、繋がってる。でしょう?」

「……そう。それが言いたかったの」

「ふふ。ボクにとっての、魔法の言葉だ。そうだね、確かにこうやって会える時間は少なくなるかもしれない。だけど苗字さん、ボクはね―――――」


例え会えない日が続いても、ずっとあなたのことを想っているから。


―――そう、続けた泉田くんは、私の手をそっと取って握り締めた。


「………、」


ああ、この笑顔。

ダメだ。私は彼の瞳に釘付けになってしまう。優しくて真っ直ぐで、甘やかな彼の瞳には、こんなことを言うのもアレだけど、私のことが好きで好きでしょうがないって書いてあるように思えてしまうのだ。その笑顔を見るたびに胸が疼いて、麻痺したみたいに思考が止まる。魔法をかけているのは泉田くんの方なんじゃないか。そう、今日はちょうど満月の日だった。彼の向こう側からまんまるく、神聖な光を注いでいる。

この月光が、彼の魔力を増長させてるのかも、なんて、ファンタジーな妄想が頭の片隅でぼんやりと浮かんだ。


―――そして、私は。幻想的な光を宿す彼の大きな瞳に、言葉は無いけど促された気がして。



目を閉じた。



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