≫≫one years ago T


憧れて入部した箱根学園自転車競技部は、ボクが考えていたよりも、ずっとずっと厳しい場所だった。毎日、延々と続くハードな練習で思い知らされる、自分の弱さ。ボクは1年生の中でも、すでに落ちこぼれ始めていた。

そんなある日、ボクは与えられた短いインターバルの間、皆が休憩している場所を抜け出し、学園内を歩いていた。1人になりたかった。皆といる中で、笑えそうになかったんだ。それほど悔しかったし、またみじめでもあった。正直、心が折れてしまいそうだった。

そして、そこでたまたま出くわしたのがあの場所、ぽつんとベンチが置いてある、音楽室の裏手の小さな中庭。誰もいなかったので、ボクはそこのベンチに座って目を閉じた。何も考えたくなかった。考えただけで、憂鬱な気持ちが体力を奪ってしまう。だから、何も考えないように……。


けど、暗闇の中でこっそりと忍び寄ってくる負の感情には抗えなくて。ずるりと頭が落ちる。ボクは何やってるんだろう。こんなところで………。


その時。誰かに肩を叩かれるのを感じて、一気に意識が現実に引き戻される。
とっさに自転車競技部の誰かだと思ってしまったのは、こんなところで休んでいる罪の意識があったからだろう。


「!! ご、ごごめんなさい!!! すぐ、練習戻ります!!!!」

「……えっ?」

「………………あ、あれ? ………女の子?」

「……。えっと……その、具合は大丈夫ですか?」


目の前に立っていたのは、女の子だった。
 
影であまり顔がはっきり見えないけど、心配げにこちらを見つめているのはわかる。しかし、ただ座っていただけなのにこんな風に声をかけられるだなんて、ボクは外からどんな風に見えていたんだろうか。全然元気なんだけどな………。なんだか頭がしゃっきりしなかったが、ボクは取り繕うように声を出した。


「ご、ごめんなさい、大丈夫です……」


しかし、その声は、自分で驚いてしまうほどに弱々しいものだった。そして、改めて喋ったことで気づく、喉の強烈な乾き。あれ、どうしてだ……先程まではこんな調子ではなかったはずなのに。


「あの、ちょっと待ってて下さい、今すぐお水持ってきますね!」

「えっ、あの……!」


彼女はそう言うと、そのまま音楽室のほうへ駆けていってしまう。止めようと立ち上がると、くらっと目眩がして、視界がちかちかして、耐え切れず再びベンチに腰を下ろしてしまった。そんな、何故だ、水分補給はしっかりしてきたのに……。

なすすべもなくそのまま座っていると、ほどなくしてまたパタパタと足音が聞こえてきて、彼女が紙コップと自分の水筒を持ってくるのが見えた。そして何のためらいもなくボクの隣に座る。その距離の近さに一瞬戸惑ったけれど、彼女はそんなボクの様子には全く気づかないようで、てきぱきと紙コップに水筒の中身をつぐと、それをボクに差し出した。

「はい、どうぞ! 飲んでください!」
「え……っ、でも……」
「いいから……! 顔色悪いですよ、喉渇いてるんでしょう? 飲んでください」

彼女の顔は必死だった。確かに、喉は乾いている。紙コップになみなみと注がれた麦茶にごくりと喉が鳴った。

「あ、ありがとうございます。それじゃ、いただきます…」

受け取って喉に流し込むと、それはすうっと一気に身体中に浸透していった。なんてことない麦茶が驚くほど美味しい。気づけば、一気に飲み干してしまっていた。

「もう一杯、いります?」
「い、いや! 大丈夫です、すごく美味しかった。本当にありがとうございます…!」
「……まだ、飲み足りないんじゃないですか?私のことは気にしなくていいから、ちゃんと水分補給してください」
「………じゃあ、すいません、もう一杯だけ………」

ボクがそう言うと、彼女はふふ、と微笑んで、ボクから紙コップを受け取った。その笑顔にドキッとして、途端に緊張してくる。ボク、汗臭くはないだろうか。緊張を隠すように、再び差し出された麦茶をぐいっと飲み干した。

「……ひょっとして、自転車競技部の方ですか?」
「! あ、はい、一応……」
「サボるなら、もうちょっと涼しい所でサボればいいのに。春だからって、そんなバテバテの状態で日差しの強いとこにいたら、いくら動いてなくても熱中症になっちゃいますよ」
「い、いや…サボってるわけではないです…! 今、休憩中で……!」
「あ……ご、ごめんなさい! てっきりサボってるのかと。でも、それだと、さっきから結構時間経ってますけど、大丈夫ですか…?」
「―――!!! い、今何時ですか!?」
「え? えっと、半をまわったところですけど……」
「まずい、もう行かなくては…!」

休憩終了まであとわずかだった。ボクは急いで立ち上がると、彼女に向き直る。

「あの、本当に助かりました、ありがとうございました!」
「いえ、そんな、大丈夫ですよ! それより早く、」
「あの、この恩は必ず返します、えっと――――また来ます!!!!!」

そう力いっぱい叫ぶと、ボクは再び練習場の方へと駆け出した。頭の中は時間に間に合うか間に合わないかでいっぱいで、叫んだ後彼女が「えっ?」と唖然とした顔で言ったことも、すぐに頭から抜け落ちてしまっていた。



それが――――忘れもしない、ボクと、苗字名前さんとの出会い。






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