とても蒸し暑い日だったことを覚えている。

何かの帰り道だった。
ジリジリと、太陽がアスファルトの地面を焼いて、見える世界がゆらゆらしていた。坂の向こう側に広がる空は、クレヨンでぐりぐりと塗りつぶしたような、密度の濃い青色をしている。
ギュッと強い力で繋がれた手と手には、母と私の汗が混じったものが生成されていて、それが、よく分からないけど、「夏のお化けに食べられそう」で怖かった幼い私の、唯一の拠り所だった。

私は何か、母と会話がしたくて、口を開いた。


「ねえ、おかあさん、どうしてわたしにはお父さんがいないの?」


母は私の言葉を聞いて立ち止まると、私の方を見て屈んだ。
いつもの香水の匂いが、ざっくりV字に開いて露わになった胸元からふわりと香った。
母は、黒い日傘を差し、日焼け対策なのかワンピースから伸びる二の腕にも黒いアームカバーを付け、逆光で顔も黒くて、絵本に出てくる魔女みたいだった。

「あのね、名前。世の中にはお父さんがいない家なんてたくさんあるのよ」

例えば名前が仲良くしてるミクちゃんとかも、お父さんとお母さんは別居してるし、さくら組のアミちゃんのとこはね、アミちゃんがまだ赤ん坊だった時に、お父さんが別の女の人のところに行っちゃって、リコンしてるの。うめ組のユウキくんのお父さんはお船に乗る仕事をしててね、一年に1回しか帰ってこないの。それとね……──

母は、何かに急き立てられるようにそう幼稚園のみんなの家庭事情をペラペラと私に語ると、「だからね、名前」と私に向かって微笑んだ。

「お父さんがいないことは、ぜーんぜん! 変わったことでも、恥ずかしいことでも、悲しいことでもないんだよ?」
「…………」
「それにね、名前はお父さんがいなくても、お母さんが一人で、一人前の素敵な女の子に育ててあげるから、心配しなくていいんだよ」

母の真っ赤なルージュが、ニンマリと弧を描く。

……ええと、おかあさん、そうじゃなくて……わたしは「どうしていないのか」が聞きたくて……ミクちゃんの話とか、みんなの話とか、なんか……知りたくなかったし……。

でも、それをうまく言葉にできない私は、母の力強い笑顔を見て、「わかった」と口角をあげた。
空気を読むことなんて知らない幼子だったけど、私はお母さんが大好きな子供だったから、彼女の機嫌を損ねることはしたくなかったのだ。



────それが、思い出せる限りの、私の最古の記憶だ。





「……ァ……ン、や、…あっ、あぁ、ン……」


(まただ…………)

パチリと目を開けて、隣の部屋から聞こえてくる声に耳を済ますのは、まだ未就学児の私だ。
隣の部屋とは、つまり母の部屋。
壁一枚向こうにあるベッドで、夜な夜な行われる「何か」に、物心ついた時から、私はしょっちゅう安眠妨害されていた。

聞こえてくるのは母の声だけでなく、ギシギシと鳴るベッド、そして母じゃない人────男の人の野太い声と呼吸音、何かが打ち付けられる音もだった。
私はこの男の人を知っていた。その当時母と一緒に仕事をしていた人だった。私とも何回も会ったことがある。とっても優しくしてくれて、飴をくれて、気さくなお兄さん。
でも、その「何か」の時のお兄さんの声は、なんだか怒ってるみたいで、言葉遣いも荒くて、私は怖かった。
時々ペシン! とかパシン! とか皮膚を叩くような痛そうな音も聞こえてきた。その度に母が「いやぁ」と泣きそうな声を出すから、何かお母さんが暴力をふるわれてるんじゃ、と思った時もあった。
でも「嫌じゃねぇくせに」とか「気持ちいいんだろ?」とかお兄さんに聞かれると、母は「やめないでぇ」とか「気持ちいいぃ」と私の知らないような、聞くだけでムズムズするような変な声を出すので、そうじゃないんだなと思った。

一回だけ、私は興味本位でその「何か」をこっそり覗いたことがあった。

自室からそっと抜け出し、母の部屋の引き戸をこっそり、そーーっと開けて、できた隙間に顔を押し付ける。
繰り広げられていたのは、素っ裸になったお母さんが、素っ裸になったお兄さんの上に跨って、腰を上げたり下ろしたりしている光景で。「あんっ、あんっ」と腰を下ろすたびに規則的に鳴いてるお母さんは、おもちゃ屋さんで見かける機械のわんちゃんみたいで、純粋に面白かった。

可笑しいな、と思った。
大人二人が素っ裸で何やってるんだろう。へーんなの。

そんなふうに思いながらも、私はなぜかしばらくそこから動けなかった。
壁越しじゃなく、映像付きで繰り広げられる生の性交シーンは、まだそれが何か分からなくても、刺激が強すぎた。
しばらく、色んな体勢になりながらまぐわってる二人を見て、私はそっと自室に戻った。
性の目覚めからまだ遠いところにいる幼い身体でも、なんだか妙な気持ちになって、その夜は寝付けなかった。

この記憶は脳内にずっと焼きつくことになり、その後も至る場面で私を苦しめることになる。





【まみせんせいへ おうちのことでそうだんしたいことがあります】

連絡帳にそう書いたのは、小学一年生の私だ。
翌日の放課後、まみ先生に呼び出され、入ったことのない「生徒相談室」のソファに座って、私が語ったのは相変わらず夜毎母の部屋で続けられている「何か」のことだった。


お母さんたちがやっている行為は、一体なんなんですか?
なんであんなに声が出るんですか?
気持ちいいことなんですか?


多分、そんなことを、まだ赴任してまもない若いの女の先生に、私は矢継ぎ早に聞いてしまった。
まさか、うんことかちんことかで男女問わずケラケラ笑っている小学一年生から、こんなディープな性の質問が来るとは思わないだろう。
案の定まみ先生はとても困っていて、「えーとね……」と何か悩んだあと、「ちょっとまっててね」と言って相談室を出て行くと、図書室から一冊の本を持ってきた。確か、「イラストでわかる! 10歳から始める性教育」みたいなタイトルの本で、内心、わたし6さいだよ……と思ったことを覚えている。

「とりあえず、これを読んできてもらえないかな?」

──その日のうちに本を読み終えた私は、【よんだけど、ちょっとわかりました。でもちょっとわかりません】みたいなことを連絡帳に書いて、提出した。私は本が好きで、読み終わるのも早い少女だった。
その本には、女子の生理、男子の精通など、男女に起こる第二次性徴期のことから、セックスのことまで、子供にもわかる優しい言葉と、デフォルメはされているものの割と生々しいイラスト付きで、詳しく書かれていた。
特に「生理」についてはなかなか衝撃的だった。私もいつか、股から血が出るようになるのだ、と思ったら、純粋に怖かった。あと、お母さんとお兄さんが時々している「今日、いいよね?」「ごめん、今日生理だから」の意味がわかった。

でも、この本によれば、セックスとは新しい命を授かるとっても神聖な行為で、愛し合う男女が行うものらしい。

(えー……うそだあ……)

本をたくさん読んでいた私は、当然「愛」についても知っていた。
要は、シンデレラとか美女と野獣とかで結ばれる二人は「愛し合っている」と言えるだろう。
でも、うちのお母さんは、男の人を取っ替え引っ替えしてセックスをしている。
そう、一番最初の優しくて若いお兄さんをお兄さんAとすると、小学一年生の時点で、お母さんがセックスをしているお兄さん(たまにおじさんの時もあるけど)は、お兄さんEぐらいになっていた。
「愛」って、そんなに頻繁に相手が変わるものじゃないだろう。だってシンデレラも美女と野獣も、「二人は永遠に幸せに暮らしました。」という一言で終わっている。じゃあ、うちのお母さんがしている行為はなんなんだ。大体、あんなにセックスしてるというのに、私には弟も妹もできる気配はない。

そのような疑問を、私は翌日まみ先生にまくし立てた。まさか一日で読んでくるとは思っていなかったと思われる、まみ先生の焦った顔を思い出す。


──えっとね、苗字さん……セックスってね、「気持ちいい」ものなの。


それは知ってる。
うちのお母さんも、よく言ってる。


──苗字さんだって、ご飯食べるの、好きでしょ? でも、ご飯の他に、甘いものも食べたくなるでしょ?
──あと、例えば夜に寝るのは当たり前じゃない? でも、お休みの日にするお昼寝って、とっても気持ちいいじゃない?
──セックスも同じようなもの……なのね。本来は、赤ちゃんを作る儀式なんだけど……気持ちいいことだから、したくなっちゃうの。それが大好きな男の人とだったら、なおさらね。苗字さんのお母さんも、きっと、そうなんだよ。


でも……まみ先生、それじゃ、赤ちゃんたくさん生まれちゃうんじゃないんですか?


──えっとね……世の中にはセックスで赤ちゃんができないようにする「避妊具」ってものがあって、苗字さんのお母さん達はそれをしてセックスをしてるんだと思うよ。
──苗字さんのお母さんは、きっと……たくさんの人にモテモテで、恋されやすくて、自分も恋をしちゃう、そういう人なのかもね。


まみ先生は、とても頑張って説明してくれたと思う。実際、よくわかりやすかった。

でもその説明を受けて、私は、『じゃあ私が生まれてきた時に行われた「セックス」に、絵本の中に出てくるような愛は介在してなかったんだな』と思ってしまった。
あと、『恋』ってすっごく安っぽい感情なんだな、とも。

だって、生まれた時からお父さんがいないっていうのは、そういうことでしょ? きっと、私のお父さんって、お母さんが取っ替え引っ替えしてきた男の人の中の一人なわけなんでしょ?
お母さんがなんで私の時だけ「ひにんぐ」を付けなかったのかはわからないけど。


──じゃあまみ先生も、セックスしたことあるんですか?


私の直球の質問に、まみ先生は顔を赤らめた。それから、「う、うん、まあ、ある、かな……」と歯切れの悪い返事をした。


──どんなふうに、気持ちいいんですか?
──う、うーん。それを苗字さんに教えるのは、まだ、早いかなって……ごめんね。


……そうなんだあ。じゃあ、まみ先生みたいな真面目で可愛い先生も、夜になるとうちのお母さんみたいに素っ裸になって、アンアン言って、男の人に組み敷かれて、鳴いたりするんだ。

それを想像すると、目の前のフォーマルな私服を着たまみ先生が、なんだか、嫌だな、と思った。
世の中の大人はみんなあんな恥ずかしいことをしてるんだ。
なんだか汚らわしいな、と思ってしまった私は、もうとっくに自室の隣で繰り広げられる「セックス」というものに心を毒されていた。

私も将来あんなことをするのかな。と思うと、それはなんか、気持ち悪くて、やだなあ……と思った。





だけど私は、それでもお母さんのことは大好きだった。

だって私のことをとっても熱心に育ててくれる。ご飯は手作りだし、お菓子も手作りだし、お稽古ごとは正直あんまり行きたくないけど……おうたが上手くなったり、バレエが上手くなったりすると、すっごく褒めてくれる。可愛い服も買ってくれる。お風呂上がりには顔や身体によくわからない液体をビシャビシャつけて、マッサージもしてくれる。事あるごとに、「名前は世界で一番可愛くなるの」と言ってくれる。叱られた経験もあまりない。夜になるとよく知らないお兄さんとセックスをすることを除けば、完璧なお母さんだった。あと、参観会に来る時も、うちのお母さんが一番若くて可愛くて、私のちょっとした誇りだった。

小学3年生になったごろからだろうか。お母さんは私を色んな「オーディション」に受けさせるようになった。よくわからないまま、私はそれに参加した。たくさんの大人達が、厳しい顔をして、私の顔と身体をジロジロ見ている中、本を音読させられたり、歌を歌わされたりした。不思議と緊張はしなかった。だってこの大人達だって、夜になると素っ裸であんな恥ずかしいことをしちゃうんだもんね。
オーディションは、「合格」するものもあれば、「不合格」になるものもあった。合格すると、お母さんはとっても喜んでくれたから、私はたくさん「オーディション」や「お仕事」をこなしていった。比例するように友達と遊べなくなっていくし、本を読む時間も少なくなっちゃうから、正直気は進まなかったけど。
でも、少しずつ年を重ねるにつれて、「不合格」になるものの方が多くなってきた。お母さんがすっごく意気込んでいたモデルのオーディションも、身長が足らなくて全部不合格だった。
帰り道のお母さんはとても落ち込んでいて、私は申し訳ない気持ちになって、何回も「ごめんね」と言った。でも、お母さんはそんな私のことを全然責めないで、「ううん、名前は悪くないの。ただ、お母さんが、『間違えちゃった』だけだから……」と言うだけだった。

間違えちゃった?
……何を?

引っかかる言葉だったけど、私はそれについて深く尋ねることはできなかった。
手は繋がれていなかった。
真っ赤な夕日を見ながら、漠然と不安な気持ちになったことを、今でも私は覚えている。

そしてそれからまもなくして、お母さんは私を一切オーディションに受けさせなくなった。
お稽古ごとも、やめさせられた。
お風呂上がりのマッサージもなくなった。
手作りのお菓子を作ってくれることもなくなったし、ご飯はあからさまに適当になった。

小学6年生にもなれば、さすがにわかる。
お母さんは、私に対し何かを「諦めた」のだ。

だけど、別段私に虐待のような真似はなかったし、扱いが少し適当になっただけで、基本的には優しいお母さんのままだった。
あと、夜に出かけることが多くなった。多分私が思春期を迎える年頃だったから、さすがに隣の部屋でセックスするのは教育上よろしくないと思ったのだろう。それ以来、うちの家でお母さんの喘ぎ声を聞くことは無くなった。

でももう、とっくに遅かった。
お母さんとお兄さんKがセックスをしている隣の部屋で、まだ初潮も迎えていない私は、ベッドの中で自分のあそこを弄ることを覚えていたのだ。
パンツの上からなぞるぐらいの拙いオナニーだったけど、母とお兄さんの情事の声や音を聞きながらそれをすると、切なくて、はぁはぁと息が上がって、身体が震えた。それが「気持ちいい」かは別として、未知の感覚であることは間違いなかった。
でも、それをした後、なんだかとても自分がいやらしくて汚らわしい生き物になってしまった気がして、すごく嫌だった。

このころの私は、母の異常性に気が付き始めていた。
ひょっとしたら、自分が生まれた経緯にも、隠された秘密があるのかもしれない。
それを思うと、頭がぐらぐらして、暗澹たる気持ちになった。





しかし、その秘密がわかってしまう日は、呆気なく訪れた。

ある日、母が深夜にベロベロに酔って帰ってきた。まず、母が夜に帰ってくることの方が珍しいようになっていたので、私は「今夜は生理だったのかな」なんて思いながら、彼女を介抱した。
とりあえず母のベッドに運び、服を着替えさせ、お水を飲ませた。母は「名前、ありがとお」なんて呂律が回ってない状態で言うと、「化粧落とし持ってくるね」と言って出ていこうとする私を引き止めた。
そして無理やりベッドに座らすと、私の頬を熱い両手で挟み込んで、赤らんだ顔で「はぁあ」と眉を下げてため息をついた。お酒くさい息がかかって、思わず私が眉を顰めた瞬間、彼女は脈絡のないことを語り出した。


「もうちょっと、鼻が高ければなぁ

「……は?」

「あと、もうちょっと目が大きくてえ……胸も大きくて、背も高かったらなあ……」


とろんとした瞳で語られたそれが、私自身のことなのだと分かるまで、少し時間を要した。

そして、その後に続けられた言葉で、私は、私が少し前まで『愛を持って育てられていた』理由の真実を知ることになった。


「きっと、今頃モデルとして大成してただろうになあ……わたしを捨てた芸能界に、復讐できてたのになあ〜……」


──その時の私の気持ちは、衝撃的、なんて言葉では済まされないほどだった。

思わず目を見開いて固まってしまう私に、母は「ああ、名前は悪くないのよ。お母さんが間違えちゃっただけだからあ」とだらしなく口元を緩めて、いつかと全く同じセリフを吐いた。

私は、恐怖に慄きながらも、その意味を聞いた。聞いてしまっ、た。


「……間違えちゃったって、何を?」

「ん? 精子」

「…………」

「誰のを引いたんだろうなぁ。誰のを引いてもいいように、ちゃんと相手は選んだつもりだったんだけどな


母は、あいつかな? それともあいつかなぁ? などと言いながら、私でも知っているような、今芸能界で活躍している中堅の俳優や、アイドルなどの名前を次々に上げた。


「それともやっぱりお母さんの遺伝子の問題だったのかな。これでも一応、グラビアアイドルだったんだけどねえ。イジメで潰されちゃったけどぉ」


──脳みそがマドラーで攪乱されているみたいに、世界がぐわんぐわんした。

……つまり、こういうこと?
私は、愛し合った二人の子供でもなく、恋に溺れる母が避妊で失敗してできちゃったわけでもなく、『モデルにさせる』という母の意図を持って『作られた』存在だったの?
だからあんなに大切に育てられたの?
それで……でも……思ったように可愛くも大きくもならなくて、『見捨てられた』の?
どうしてお父さんがいないのか、という質問に答えられなかったのは、そういうことなの? 母自身、私の父親が誰なのか、わからないの?

全てが繋がった瞬間、吐き気が込み上げてきた私は、トイレに駆け込んでゲエゲエと胃の中の物を吐き出した。一回きりじゃ収まらなくて、発作のように、最終的に胃液が出てくるまで何回も吐いた。

まだ、避妊に失敗してできちゃった子供、の方が良かった。
今までなんの疑いもなく甘受していた母の愛に理由があった、ということが、あんまりにも辛くて、いや、やはり辛いなんて言葉じゃ言い表せなくて、自分の今までの人生を根底から否定されたような、絶望で。目の前が真っ暗になった。

そして、今まで「そういうものだ」と受け止めていた、隣の部屋で繰り返されていたセックスについても、理由がわかってしまった。
普通は、まだ幼い子供が聞こえるような近距離で、父親でもない男と、それも特定の男じゃなくて色んな男とセックスを繰り返す母親なんておかしいのだ。
つまり、母は私が芸能界に入れるような可愛い女の子に育てばそれでよくて、それ以外の、私の精神に与える問題なんてどうでもよくて、自分の快楽の方が重要だったのだ。

何回も擦過した胃液のせいでボロボロに焼けてしまった喉を台所のぬるい水で潤して、私はそのままキッチンにへたり込んだ。

すべて。
すべて、塗りつぶしてしまおうと思った。
今までの私の記憶を。
黒いクレヨンで、ぐちゃぐちゃと、見えなくなるまで。

すべて。
すべて。
すべて。
すべて。
すべて。
すべて。

繋いだ手のぬくもり。母の甘ったるい香水。「えっとね、苗字さん……セックスってね、「気持ちいい」ものなの」。お兄さんA、B、C、D、E、F、G、H、I、K、J。お歌の稽古。バレエの稽古。じろじろと舐め回すように見られたオーディション。「名前は世界で一番可愛くなるの」。よくわからないまま引き受けた仕事。まぐわりあう二人。散々聞いた母の嬌声。手作りクッキーの味。まみ先生。永遠に結ばれた絵本の中の王子様とお姫様。「お父さんがいないことは、ぜーんぜん! 変わったことでも、恥ずかしいことでも、悲しいことでもないんだよ?」。恋。愛。自分の出生。隣で行われる情事に興奮してしまった事実。拙いオナニーで得られた快感。



消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。


私の頭から出て行け!!!!!!!!!






それからまもなくして、私は一本の映画を観た。
母も不在で、なんとなく寝れなくて、付けたテレビでやっていた古い映画だった。

その映画の冒頭で、プールの授業が終わりシャワーを浴びている主人公の女の子が、突然生理になった。生理のことを知らない彼女はパニックに陥り、元々クラスメイトからうざがられていた彼女は、まだ生理が来ていなかったこと、生理自体を知らなかったことについてクラスメイトに嘲笑われ、ナプキンやタンポンを投げつけられるというイジメにあっていた。

そしてそのあと、生理について教えてくれなかったことを母親に詰め寄るのだが、その母親がとても興味深いことを言っていた。まず、生理が来た主人公に、冷たい顔で「もう女ね」と言い放ち、「アダムとイブが犯した最初の罪が姦淫だった」という内容のことを主人公に唱えさせるのだ。
母親は、さらにこんなことを言う。

『神がイブにかけた呪い、それが生理よ』
『神よ、娘の罪を許したまえ。初潮は欲情のあかし』

主人公はそんな母親に反抗し続けるのだが、やがて悲惨な末路を辿り、最後には母親が正しかったのだと許しを乞うようになる。そして、二人で心中するのだ。

私はこの映画を観てとても恐ろしい気持ちになった。
私にはまだ初潮は訪れていなかった。訪れていないのに、私は自慰をする悦びを知ってしまっている。これでさらに初潮が来てしまったら、あの女のように、色情に狂ってしまうのではないか。だって私は、魔女の血を引いた子供なのだ。
あんな恐ろしいモンスターになるなんて絶対嫌だ。初潮なんて一生訪れなければいい。私はそう強く思った。

しかし、そんな私の願いも虚しく、私は14歳の春に初潮を迎えてしまうことになる。来るな、と念じたせいで、他の子より訪れるのがほんの少し遅かったけど。恐ろしくて醜い、「欲情」という罪の形をした魔物は、鳴き声の代わりに赤黒い血みどろを吐いた。

それから実体を持つようになった怪物は順調に成長していき、裏アカを作らないと欲望を発散することができないまでになってしまった。このままだと、男を求め出すのも時間の問題だろう。





ところで、私が生まれてからずっと、家は安っぽいアパートのままだが、なぜか我が家は貧窮に喘いだことは一度も無かった。食べ物に不自由したこともないし、幼少期はたくさんお稽古ごとに行かせてもらったし、母親が身につけている服も化粧品も、どれも高価そうなものばかりだ。

どうやら母親は、自分の仕事以外に、私の「父親かもしれない男達」に対し、「自分と不貞を働きその挙句に子供を作ってしまった」ことをネタに、強請りのようなことを続けているらしい。
多分家が安っぽいアパートのままなのは、自分が貧しく見えた方が男達の同情を誘えるし、金もせびりやすいからだろう。

それを知った私は、高校生になったらすぐさまバイトを始めようと決意した。
多分母は、私が大学に行きたいと言ったら行かせてくれるだろうと思う。でも、私はそんな汚いお金で入学なんて絶対したく無かったのだ。



さて、こんなロクでもない魔女の元に生まれ、散々人生を狂わされてきた私だが、実は私は母のことが嫌いではない。憎んでもない。
というか、『憎んでしまったら終わり』だと思っている。
憎んでしまいそうになる時は、紙の上で殺すことにしている。

彼女はただひたすら恋に生き、快楽に忠実に生き、自分の欲望のまま生きているだけだ。私のことも、自分の夢を叶えさせるために作っただけにしては、叶わなかったそれ以降もそれなりに「母親」してくれている。愛情はなくても愛着はあるのかもしれないし、失敗作だけど自分の血を引いている家族、という認識はあるのかもしれない。

私が憎んでいるものがあるとしたら────私の中に流れている淫らな血であり、胎に宿って男を求める醜悪な怪物だけだ。



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