「──今から私のことは隊長と呼ぶように。返事はイエス、サー以外認めません。いいですね?」
「は?」
「イエス、サー」
「巻島隊員!! そこは『イエス、サー』でしょうが!!」
「隊長命令だよ、巻島くん」
「(なんだこのノリ……)い、イエス、サー……」
─17時 夕飯(カレー作り)開始─
「まず最初にご飯を炊きます。で、もう研いであるお米がこちら」
「(3分クッキングで見たことあるヤツだ……)」
「今日はお鍋で炊いていきます。なぜなら、ご飯はお鍋で炊いた方が美味しいからです! 良いですね?」
「イエス、サー」
「い……イエス、サー」
「よろしい。それではこのお米はお水に30分ほど浸しておくので、その間に野菜の準備をしましょう。二人とも、包丁の扱いは大丈夫ですか?」
「俺は大丈夫」
「オレもまぁ……皮剥いたり切ったりするぐらいなら」
「では、モナカ隊員はにんじん担当。巻島隊員は玉ねぎ担当。私はジャガイモ担当でそれぞれいい感じに皮を剥いたり、切ったりしていきましょう」
「え、オレ玉ねぎ担当?」
「何か文句でも?」
「い、いや、まァ……いいけど……」
─数分後─
「うっ……く、……っ」
「隊長、巻島隊員が泣いてます」
「ふっふっふ……こうなることを見越しての配役でした。巻島隊員、染みますか? 染みますねぇ? ほっほっほ」
「お前……じゃなくて隊長、なんかオレに恨みでもあるんすか……?」
「そりゃーありますとも。ここ最近どれだけ私があなたに振り回されてるか……身を以て思い知りなさい」
「ハァ!? 身に覚えが無い
「巻島隊員! 返事はイエス、サー以外認めないと言ったでしょ!」
「うっ……イエス、サー……っショ」
「(楽しそうだな……)」
─1時間後─
「おー、すげェ、米粒が光ってるショ……!」
「美味しそうだね」
「でしょでしょ! これが鍋炊きご飯ですよ! 巻島隊員、しゃもじ!」
「イエッサー!」
「こうしてかき混ぜて……蒸らしておきます。さあ、完成まであともう少しですよ!」
─20分後─
「はい、もういいでしょ。苗字オリジナルポークカレーの完成です! お腹空いた人、手を挙げなさい!」
「はーい」
「クハッ、挙手っショ(ノリノリだな、苗字……)」
「じゃあ好きなだけご飯をよそって、好きなだけこのルーをかけることを許しましょう。付け合わせのサラダも忘れずに。あ、ゆで卵のからは自分で剥いてね」
─5分後─
「ん……美味い!」
「これは……美味しいね。コクが深くて」
「ほんとですか!? よかった……!! えっと、ルーを二種類入れること、あと最後にウスターソースをちょびっと入れること、これがこのコクの秘密なんですよ。本当は口に合うか心配だったんだけど、よかったです」
「言われるがままに作ってたけど結構手が凝ってたんだね。今度俺もやってみる」
「んふふ、ありがとうございます。巻島くんは、どう? 美味しい?」
「いや、正直……見くびってた。バツグンにウマイっショ」
「えへへ、そうでしょそうでしょ。おかわりもたくさんあるからね。たくさん食べてね」
「(ご機嫌な苗字、可愛いな……)お前……感想ばっか聞いてないで、自分も食えっショ」
「ん? ああ、そうだね! ……ん美味しい!」
*
─19時 ナイトプール─
夜のプールは、すぐそばに立っている外灯と、プールの向こうでグラウンドの野球部が練習する時に使用される大きな照明が付いているせいで、そこまで、というか全然暗くない。危険なことがないように、という学校側の要請らしい。
それでも、夜空の下、月明かりとライトに当てられて光るプールの水面は新鮮だった。
モナカ先輩と苗字を待っていると、先輩がおもむろに口を開いた。
「巻島くん……苗字、どんな水着で来ると思う?」
「! ……」
その言葉に、オレと先輩の間に緊張感が走る。
ちなみにモナカ先輩もオレも、学校用の水着じゃなくて、私物の海パンだ。トレードマークのバンダナを外したモナカ先輩だが、群青色の海パンには珊瑚色のアジアンな模様が入っていて、昼間見せた私服といい、相変わらず個性的ながらシャレている。
……オレのアシメの海パンも負けてねェと思うけど。
さらに追加の情報だが、モナカ先輩、薄づきながらも結構いい身体をしていて、ちょっとビビった。
……しかし、オレも運動部としてのメンツは守れていると思う。
「……まぁ多分、あいつのことだから、5分5分でスク水だと思います」
「うん、オレもそう思う。なんなら7:3ぐらいの割合でスク水だと思う。でも、『ナイトプール』って発案したのは苗字だからね。もしかしたら気合い入れてビキニで来るかもしれないよ」
「……………」
「そういや巻島くんってグラビア好きだったよね。どういう水着が好みとかあるの?」
「……、や、オレはその娘にあってる水着ならなんでも……」
「ほう。じゃあ、苗字に似合う水着ってどんなのだと思う?」
苗字に似合う水着……。
いつか幻視してしまった、あのショートカットのグラビアアイドルの布面積が小さな青い水着が浮かんでしまって、オレはブルブルと頭を振る。
いや、マジでやばい、あんなの着てこられたら。ぜってェ着てこねーだろうけど。
「し、白とか……で、胸元はフリルっぽくって……」
「なるほど、白ね」
ピュアだね、となんでもないように言うので、オレはちょっとムカッとしてモナカ先輩を見つめる。
「じゃあ、モナカ先輩はどんな水着が苗字に似合うと思うんですか」
「別に、なんでも似合うでしょ。苗字なら。可愛いし」
「………………」
その答えはずりィだろ…………!
と、オレが内心歯噛みしていたら、カチャン、と更衣室の方から扉が閉まる音が聞こえてきた。
そして、ひょっこり顔をのぞかせたのは、……上に薄手の白いパーカーを羽織った苗字。
彼女は少し恥ずかしそうに、前で手を合わせてもじもじしながら、こちらへ近づいて来る。
「………!!」
す………………
スク水じゃない…………だと…………!?!?
上はパーカーを着ているのでわからないが、下は青地にカラフルな小花が散らされた、ミニスカートみたいなものを履いている。
「お、お待たせ、しました……」
オレらの前までやってきた苗字は、オレの方じゃなく、モナカ先輩を見ながらそう言ってはにかんだ。
「いいえ。女子は時間かかるもんね」
7:3でスク水だと言ってたモナカ先輩だって内心驚いているはずなのに、彼は全くそれを表に出さず、さらりと言い切る。
「じゃ、じゃあ、遊びましょうか!」
相変わらずオレの方を見ない苗字は、そう言って両手でギュッと拳を作ると、すぐ背後にあった見学用のベンチの方へ向かう。
そして、ジジ、という、パーカーを脱ぐ音。
ゴクリと喉が鳴る。
「──え、ええと。へへ………。あの。変、じゃ、ないです……か?」
苗字が再びオレらの前に姿を表す。
パーカーを脱いだ下は……予想通りビキニで、少し心配になってしまうぐらい細い腰の上は──オレの予想通り、白いフリルが二段になってヒラヒラとたなびいている。
視界から入ってくる圧倒的情報量、に、オレの脳が処理落ちしている合間に、モナカ先輩が「変じゃないよ。よく似合ってる」とさらっと告げている。
「あ、ありがとうございます……!」
「てっきりスク水で来るかと思ったから、驚いたけど」
「ちょ、ちょっとやりたいことがあって……あと、調べたら結構ビキニって安かったし!」
これなんて1500円以下で買いましたからね、と苗字は照れを取り繕うように早口で告げる。
相変わらずオレの方は見ない。
「──巻島くんは、どう思う?」
「!」「!」
完全に二人だけの世界になっていたところに、いきなりぶっ込まれる。
目の前の圧倒的情報量を持つ生命体を、やっと『水着姿の苗字名前』だと解析終了したオレは、込み上げてくる羞恥を堪えつつ、所在無く目を泳がせている苗字に向かって、口を開いた。
「……に、似合ってると思う、ショ……スゲー、可愛い」
「ッ!」
苗字はオレから目をそらしたまま、居心地が悪そうに肩を縮こませた。パッと色づくように頬が染まり、モナカ先輩が「ヒュウ」と口笛を吹く。
そんな彼女の様子を見て、ギュッ、と心臓が軋んだ。
ンでオレの方頑なに見ないんだよ。無理矢理にでも向かせてやりたくなるだろ、そんな可愛い格好で、ンないじらしいことされたら……。
…………いや、この状況でまじまじ見つめあったら、オレの方がやばくなるか……。
と、考えていたら、苗字が照れを無理やり誤魔化すような勢いで、「じゃっ、じゃあ、プール入りましょ!!」とモナカ先輩の手を無理やりとって、引っ張った。しかし、「おっとっと…」とのんびり言うモナカ先輩は、微動だにせず。
「いや、俺はプール入らないよ」
「ええ!? な、なんでですか!?」
「読みかけの本があって、いいところだから。苗字と巻島くんが戯れてるのを見ながら、ベンチで読むつもり」
「そ、そんなこと言わずに遊びましょうよ! ていうか私、モナカ先輩と『ちょいヤバめのパリピカップルごっこ』するためにこのビキニ買ったんですからね!?」
「んだそりゃ」
今つっこんだのはオレだ。苗字はモナカ先輩の腕を盾にしながら、オレの方をちらりと見て、それからまたそっぽ向いて、ぶつくさと話す。
「ナイトプールっつたらウェイ系パリピでしょ? やっぱり、そのムーブメントに乗っかってこそのこの企画だと思うの。で、ウェイ系パリピは事あるごとに自撮りする生き物なので。モナカ先輩とか外見もまぁ、ちょっとジャンルは違うけどそんな感じだし、カップル風の写真撮るのにぴったりだなって思って」
「ふむ。確かにそれは一理あるね」
一理あんのか!?
オレは「ですよね」「わかる。オレもそのためにクラブの音楽集めたプレイリスト作って、防水対応のスピーカー持ってきたし」「おさっすが!」と息ぴったりな二人を見て、目をパシパシさせる。ぶ、文芸部のこの結束力はなんなんショ……。
しかし、次のモナカ先輩の一言で、その和やかな空気は一変した。
「でもそのカップルごっこ、巻島くんとでもできるでしょ」
「!」「!」
「巻島くんも大概ちょいヤバめな見た目してるよ。俺に言われたくないだろうけど」
いや、本当にな。
「でっ、でもっ、ま、巻島くんは……ウェ、ウェイ系って感じじゃないし……」
「俺もウェイ系じゃないでしょ」
「……ま、巻島くんは無理です。モナカ先輩がいいです……」
グサリ。
「巻島くんは無理」の一言にオレは致命的なダメージを負う。
「だーめ。写真なら撮ってやるから、ほら、巻島くんも」
「え、あ、アー……」
オレは覚悟を決めると、照れを押さえつけて、モナカ先輩を盾にして隠れている苗字の手を取って、無理矢理引きずり出す。「ひあっ!?」と苗字が驚いた声を出す。
「遊ぶんだろ、ほら、入るぞ」
「ちょ、ちょっと……!」
「なんのために浮き輪膨らませたと思ってんショ」
「うう……」
「つーか、あんま恥ずかしがんな。そんなに照れられると、オレもなんか……やりづれェショ」
ポチャン、とプールサイドに腰掛けて、そのままドボンと水の中に身体を沈める。
顔を出して、前髪ごと髪をかきあげると、オレは未だに困り顔で恥ずかしがっている苗字に「ほら」と笑顔で手を伸ばす。
「…………」
おずおず、といった感じで、苗字はオレの指先を軽く握ると、ヒョイっとプールに身体を投げ出した。
オレが沈んだ時より随分軽い音がして、パァッと顔を出す。「つめたっ!」と叫ぶ苗字の顔はまだ少し赤かったが、そこに浮かぶ笑みは無邪気さを取り戻していて、少し安心する。ゆらゆらと水の中で揺れる白いレースが綺麗だと思った。
と、そんな時に、モナカ先輩が近づいてきて、黒くて丸い形をした、おそらくスピーカーをプールサイドに置いて、スマホを弄る。数秒後、いかにもなEDMが流れ出した。
「わ! これですよ、これ!! パリピが聞くやつ!!」
「夜だし外だし、クラブみたいな大きな音は出せないけどね。さ、『ちょいヤバめなウェイ系カップル風』写真撮るんでしょ。もっと近寄りな」
モナカ先輩に言われて、「え、」と再び固まっちまう苗字に、やれやれ、と思いながら、オレはここでもグッと覚悟を決めて、彼女の肩に手を回して引き寄せた。
「ひゃあ!?」
「……いちいち変な声出すなっショ」
「う、うぇ、でも、」
苗字の言いたいことはわかる。
身体が当たってる、っつか、密着してる。水の中にいるのに、触れ合ってる場所だけが異様に熱い。
苗字の顔は今は見れないけど多分真っ赤だろうし、オレも同じような感じになってると思う。
この状態をキープされたら割と本気でヤバイ、ので、早く写真を撮って一回離れたい。
「いいねいいね。じゃ、ポーズ決めて」
「あ、ぽ、ポーズ、えーっと……こう?」
「いやおめェパリピをなんだと思ってんショ。ヤンキーか」
「苗字、女子が中指立てちゃだめ」
「え、す、すみません……」
「こうじゃない? こう、ピースを裏にして、手を軽くだらーんと下げて、ちょっと前に突き出す感じ」
うぇい、と言いながらそのポーズをしたモナカ先輩、無表情のギャップ、髪型のギャップ、ポーズのギャップ、セリフのギャップとですげェ面白くて、「クハッ」と笑っちまう。苗字も同様に笑った後、「なるほど、それですね!」と言って、「ウェーイ!」と先輩の真似をした。
「ほら、巻島くんも!」
「やれやれ……クハ、これでいいか?」
「ちゃんとウェーイって言って!」
「ったく……ウェイ」
「やる気ないウェーイだなぁ……」
「──じゃ、撮るよ。二人とも笑って、はい、まじ卍!」
謎の掛け声とともに、先輩のスマホが掛け声がパシャ、と鳴る。
隣の苗字がプハッと吹き出して「掛け声ウケる」と笑うのをよそに、モナカ先輩はスマホを見て「いい写真だ」と優しく微笑んだ。
「モナカ先輩、あとで3人でも撮りますからね! 自撮り棒持ってきたんで! 構図は、二人組のヤバイ男にナンパされて逆らない女子、みたいな感じで」
「オイ」「おい」
見事に声が重なるオレ達に、苗字が楽しそうに笑いながら「ジョーダンですよ、ジョーダン!」と声を弾ませる。
そのあと、浮き輪に乗せた苗字をくるくる回して遊んだり、セルフ流れるプール(機動力:オレ)をしてやったり、モナカ先輩も交えてビーチバレー(のようなもの)に興じたりした。
苗字が作った手作りカレーに、洒落たEDMが響くナイトプール。
これはきっと、忘れられない夏の夜になるな、と思った。