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エピローグ


─10年後─


最近新しくオープンした、スカイバックス天界入口店のオープンテラスで、私は一人優雅に『パリピ☆ポッター』の最新刊を読んでいた。

「ハァ!? ライン=ヤッテルゥ死ぬの!?」

──優雅に読んでたんだけど。
あんまりにも予想外な展開が来ると、声出ちゃうよね☆

「お前がライン=フルフルゥの仇を取るんじゃねーのかよ! マジかよ……」

思わずパタンと本を閉じてしまう。ウケるわ〜、と口から漏れるけど、真顔だよね。
いや、この展開はないわー作者……フルフルゥの死はなんのためにあったんだよ。ここにきて解釈違いとか萎えなんですけど。

「あ! 名前センパイじゃないっすか〜」

と、そんな時声をかけられて顔を上げると、そこに立っていたのは──

「山田ジョセフィーヌだっけ?」
「違いますよ!! ゴンチャレンコ・ザナレフ・メレミャーミン・ヒョードロフ・リタ・よし子っすよ!!」

全然覚えてくれませんよね!? と、可愛いハーフのお顔をプリプリさせるよし子に「あー、ごめんご」と手をヒラヒラさせる。
覚えられないの、これ、私が悪いか?

「名前センパイお一人ですか? ご一緒していっすか?」
「いーよ」
「あざゃ〜す! 失礼しゃす!」

よし子が小さな丸いテーブルを挟んだ向かいの席に座る。
机に置かれたのは、今天界で大ブーム中のタピオカミルクティーだ。黒いツブツブがカップの底に見える。
下界で流行ったのは数年前だったっけ。なんか人間の後追いするみたいで、私はいまいち気が引けちゃうんだよねー。

「センパイ、何やってたんすか?」
「ん、本読んでた」
「本?」
「これ。パリポタ」

読んでいたパリピ☆ポッターの表紙を見せれば、よし子の薄付きの眉が寄る。

「え? それ……何語っすか? 天界語じゃないっすよね?」
「うん、英語」
「えぇ!? センパイ英語読めるんですか!?」
「まーね。日本語も読めるよ」

さらりと言えば、よし子は「すげぇー…」と感嘆したようにため息混じりで呟いた。

「え、でも、なんでですか? なんのために覚えたんですか?」
「んー……ま、読みたい本読むのに必要だったからね」
「それなら天界語訳版読めばいいじゃないすか。今たくさん出てますよ」

と、よし子は自分の天界フォンを操作すると、「ほら、パリポタの翻訳版。まだ途中だけど、あーしも読んでてぇ」と、電子書籍の画面を私に見せる。

「この……なんて書いてあるかわかんないっすけど、この人が今続々と翻訳してくれてるから、わざわざ苦労して原本読む必要ないっすよ」
「うん。それ私」
「…………えぇ〜〜〜〜っっっ!?!?」

目をまんまるにしたよし子が、大きく身体を仰け反らせる。かと思えば、ガッと顔を寄せて、「それマっすか!?!? 」と訊いてきたので、マよ、と平然と返す。よし子は口をあんぐりと開けて、スマホと私を交互に見比べている。
いい反応してくれんじゃ〜ん。周りの視線が痛いから、ちょっと静かにして欲しいけど。

「え、え、マジ知らなかったっす、ヤベェー! マジぱねぇ名前センパイ。じゃ、あーしも知らず知らずのうちにセンパイの翻訳本読んでたんすね!」
「そうなるね」
「うひゃー! カンドーっす! 尊敬しかねえ〜! パリポタいつも楽しみにしてます、名前先生!」
「いいよ先生とか、柄じゃないし……ただ訳しただけだし……」
「やーでもマージすごいっすよ、センパイ。手に職って感じで。あーしエロいことしかできねーし、センパイみたいな特技、憧れるっす」

そんなキラキラした目を向けられると、さすがに多少恥ずいっつうか。
ま、私がすごいのは事実だけど。努力するエリートとかマジチートだよね。

「私みたいな、ねぇ。よし子、今いくつだっけ?」
「2歳と3ヶ月っす」
「わっけーなオイ! ならまだそんなこと気にしなくていいっしょ。10年くらいかけてエロを極めなさい」
「はー、センパイの言葉染みるわ〜。了解っす! あざゃす!」
「はいはい。つか、パリポタどこまで読んだの?」
「3巻までです! あーし、ライン兄弟がマジ推しメンで! 特に兄のヤッテルゥが好きなんすよ〜!」
「あっ……」

ッべ。話振るんじゃなかった。こっちはリアルタイムで死んだとこだよとは口が裂けても言えないし。
動揺を隠すようにアイスコーヒーをストローでかき混ぜながら(ブラックなのに)、私は「へ、へぇ、あいつら人気あるよね〜」と愛想笑いを浮かべて適当な相槌を打つ。
でも、運がいいことにすぐにその話題は終わってくれた。「あ、そーいえば」と言って、よし子は再びスマホを差し出す。

「この名前って名前さんのペンネームなんすか?」

彼女の指が指し示すのは、「訳・苗字名前」の文字。

「いや、これで苗字名前って読むの。漢字って知ってる? それに習うとこう書くのよ」
「へぇ〜〜知らなかったっす、難しそ〜な文字〜。名前センパイが自分で考えたんですか?」
「んーん。つけてもらった」
「え? 誰に」
「昔食った人間」

そう言うと、よし子の目がわかりやすく輝いた。「え、え、その話詳しくお願いしてもいっすか?」と、色めき立っている。

「別に期待するようなこと何もないよ。ちょっと変なやつがいたってだけ」

もう名前も顔も忘れちゃったしねー、と言えば、よし子は「えー。なんだ、恋話かと思ったぁ」と肩を落とす。

「恋話なわけないでしょ、ばか」
「えー、だって名前付けてもらうとかロマンチックじゃないすか?」
「いやいやそこじゃなくて。相手人間よ?」
「そうっすけど。けど、インキュバスのチャラ男に比べたら、人間の正統派イケメンの方がいっかな、みたいな。思いません?」
「あー、まー私も脳みそ×××なインキュバスは嫌いだけどねー」
「ぶっちゃけ結構憧れちゃいますけどね。人間のイケメンと契約して〜みたいなサムシング」

まぁありえないっすけど、とよし子はちょっと照れくさそうに付け加える。
……新しい考え方だなー。ジェネレーションギャップ。

「あ、でもぉ。センパイ、聞きました? 花子センパイの話」
「? 多分聞いてない。つか、アイツここんとこ最近全然見てないわ」

花子っていうのは私の同期サキュバスね。
よし子は眉を顰めて、「実はぁ〜……」とおどろおどろしい顔を作る。

「花子センパイ、人間に無理やり契約させられそうになって、怪我して、全治三ヶ月の入院らしいっす」
「ええっ」
「それもその人間ってのが、過去に一回食ったことのあるやつで。そん時花子センパイに一目惚れして、それからずーっと再召喚しようと企んでたらしくて。それが実を結んじゃったんですって」

執念って怖いっすよね〜、と、よし子は自分を抱きしめるようにして肩を擦っている。
花子の専門、確かインテリ眼鏡だったっけ。あいつ、性癖歪んでそうな童貞が好きなんだよね。そりゃ、そういう地雷も踏みやすいだろう。
だけど、ひとつ気になる点がある。

「いやでも個人を指定した上での悪魔召喚とかフツーに不可能じゃね? 凄腕のサモナーでも無理っしょ」
「それが、触媒があったらしいっす」
「触媒?」
「……花子センパイ、一回目にそいつ食った時、サインせがまれてサインしちゃったんですって」
「ぶっは!」

斜め上の答えが出てきて、飲んでたアイスコーヒー吹くかと思った。ぶね。

「それマ!? ウケなんだけど」
「マですよ〜ウケないすよ〜」
「いや悪いけどサインとかマジ森。それは100%花子が悪いわ」
「えー。だけどサインしてくれって言われたら、気ぃ良くしてつい書いちゃいそうじゃないっすか?」
「だーめよ、手書きの名前なんて一番拘束力ある触媒になっちゃうんだから! 人間にあんま夢見ないほうがいいわよ」

まぁ、人間にもたまに見どころがあるやつがいるのは事実だけど。

「うぃっすー」

よし子はツンと口を尖らせてそう言うと、ストローに口を付けてタピオカを吸っている。結構マジな忠告なんだけど、ちゃんと伝わってるかな。
つか、ぶっといストロー咥えてちゅるんとタピオカを吸い込むよし子の赤ちゃんみたいな唇を見てたら、なんかムラムラしてきちゃった。そろそろ下界ではいい時間だし、タピオカも美味しそうだけど、もっと美味しいご馳走を狩りに行くとするかな。

「私もうそろそろ行くわ。色々教えてくれてありがと、はいこれタピ代」
「え!? いいんすか!?」
「いーわよ。まだあんたは赤ん坊みたいなもんなんだし。受け取っときな」
「あしゃしゃーっす! 名前センパイ大好き! しゃしゃしゃしゃっす!」

ぺこぺこと頭を下げるよし子に軽く手を上げて応えると、私は颯爽とスカイバックスを出た。
明日花子のとこにお見舞いでも行ってやろうかな、なんて思いながら帰路につく。

エリートな上に優しくて、可愛くて、努力家で、おまけに後輩と同期想いとか、もうサキュバス界のクレオパトラじゃん(?)。仁者無敵の一顧傾城にして窈窕淑女じゃ〜ん。





翻訳の収入がたんまりあるおかげで、お金には困ってないんだけど、サキュバスの主食はあくまで人間の精子。
なんかの卵?のタピオカじゃお腹にたまんないワケよ。

ということで、ヤル気満々になった私は自室へと帰る。
ここ数年、天界のテクノロジーもめまぐるしく発達してきて、今ではわざわざ下界へ降りなくても、自室から自分好みの男の元へと飛べるようになった。もう一生懸命羽をはためかせて男を漁る必要がないわけ。すごいっしょ。シンギュラリティみあるよね。
そのツールの名前、私達はマッチングドアって呼んでるけど、見れば見るほどあの国民的アニメに出てくるどこでもドア。神様、ひょっとして私が訳したドラ◯もん読んだか?

(さーてと……)

部屋に着いた私は、腹ぺこのお腹を擦りながら、ドアと連携してる天界ロイドの、専用のアプリを開く。ここからドアに男の条件を送信していくってワケ。私の場合は「未成年」「童貞」「学生」これだけ。チェックを入れて、設定完了だ。
あとは勝手に、ドアの方が条件に合った男を選んで、そいつの元に私達を転送してくれる。まあ、割と不具合も多いし、ごく稀に条件に沿わないタイプを引いたりするので、いかにも天界製って感じのガバ具合だけど。

スマホから情報を送信すると、ドアの方からウィーンという稼動音と、『検索してるよん☆ ちょっと待ってね☆ 検索してるよん☆ ちょっと…(以下エンドレス)』という音声が流れてくる。この妙になよっとしてるクッソ腹正しい声の持ち主は我らが神様で、マジで聞くたびにぶっ壊したくなるけど、我慢我慢。

……つか、今日はなんかやけに時間かかってるな。

訝しんだその時、神様の声にジジッとノイズが走って、音声が止んだ。それに次いで、ガッと鈍い金属音が響き、大きく振動するドア。その一瞬後、まるで電源が落ちたみたいに、スンッ……と静かになった。

──え?
なにこれ。
え、やば、まさか壊れた?

青ざめたその時、ドアからピンポーン! と音が鳴る。マッチングが終了したのを知らせる合図だ。

『マッチング終了したよん☆ いつでも行けるよん☆』

そして流れてきた脳天気な音声に、ほっと胸を撫で下ろした。なんだ、壊れてないじゃん、よかった。でもちょっと色々ヤバそうだし、近いうちにメンテナンスしてもらおう。あと神様はいつかはっ倒す。


なんて、気楽に考えながら、私はドアを開いた───。


ポーン! とドアから投げ出されたのは、今日のお相手第一号くんのベットの真上。
着地する前に、かけられていた掛け布団を剥ぎとって、ふわりとその身体に跨った。
意識のパスを繋いだあと、部屋が真っ暗だったので、カーテンを開け放てば、月の光ではっきりと見えてきた男の顔。

(………あれ?)

こいつ、未成年じゃない……よな?

顔より何より、真っ先に透視した×××がもう大人のそれ。なかなかいいブツをお持ちのようだけども、明らかに童貞じゃなくて、テンションが下がる。うわぁ、マジで使えねーなあのクソ雑魚ポンコツドア。

と、その時、男がバチっと目を開いて、上体を軽く起こした。自分の身体の上に跨っているおっぱいの大きな超絶美少女を見て、その表情が驚愕の色に染まる。見開いた大きな白目の中の小さな瞳が、私の顔を捉えてかすかに揺れる。「ウソ、だろ……」と呟いた声は掠れていて、唇はわなわなと震えていた。まぁ、ビビるよね、こんなシチュ。

男にしては長めの黒髪は、並々とウェーブがかかっていて、どことなくワカメを連想させた。筋張った逞しい首元に、その黒がかかっている様は、セクシーと言えなくもなかった。

…ふーん、なかなかいい男なんじゃない? 大人の色気の中にも甘さがあって。香水かな? なんかいい匂いもするし。まぁ、私のタイプじゃないけど。
しゃーねー、今日のところはコイツで我慢してやるか。


(────ワカメ?)


その時、何かが。
私の中にある、心の奥の奥、もうずっと触れてないような場所に放置されていた何かが、ピクリと反応した。

(なに、これ)

なんだろう、何か──とても大事なものだったような気がする。
でも、その正体は深い霧の向こう側にあるみたいで、少し考えたぐらいじゃ掴めそうになくて、もどかしさが募った。

……まぁ、いっか。よくわかんないけど、無視無視。


「はぁい、お兄さんこんばんは。私は超絶エリート美少女サキュバスの名前ちゃん☆ 今日はあなたの夜のお相手になるためにやってきました☆」


男は、私のあまりの可愛さに感激しているのか、目をウルウルさせながらこちらを見つめている。

その時気がついたけど、彼の片手には一冊の古ぼけたノートが握り締められていた。『世界史』と書いてあるのが見えたような。
何でノート? なんて思いながら、私は決まり文句を並べていく。


「何プレイしてもお金は頂きません☆ シチュエーションから私の姿格好まであなたの望むまま。もちろんヤった後に魂取ったりとかしないし、いくら出しても悪影響はありません。ノーリスク・ハイリターン☆」

「…………」

「というわけで、私とエッチなこと、しましょ?」


にこりと微笑んで首を傾げれば、うる艶ロングな黒髪がさらりと流れる。
相変わらず胸のモヤモヤは消えなくて、それどころかコイツの顔を見つめれば見つめるほど、何かを訴えかけてくるように強くなる。でもそれをおくびにも出さず、私は完璧な笑顔を浮かべる。まあ、エリートだからね。

ワカメくんは、私の問いかけに対し、ふ、と息を落とすように笑って、軽く俯いた。そのまま潤んだ目元を手の甲でごしごしと擦って、再び私を見つめる──目が合う。

眉を下げたその微笑みは、何かを諦めたようにも映ったけど、頬が薔薇色に染まっていて、興奮と歓喜の色が滲んでいた。

初めて会った、はずなのに。その下がった眉と、柔らかい笑顔と、愛しさを溶かしたような眼差しに、心が激しく揺さぶられる。突如襲ってくるようなそれに、喉の奥が詰まって、私は思わず息を止めた。


……しかし、次の瞬間。


ワカメくんが放った一言は、私の東京スカイツリーの如しエリートサキュバス人生を、根本から激震させた。


ぶん殴られたかのような、強烈なデジャヴを伴って。


「──ごめん。疲れてるから、いいよ」


【超絶エリートサキュバスちゃんは手嶋純太の精が欲しい! Fin.】
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