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※間接的な性描写があります。




「──名前さん、レース来てたよな?」

4日ぶりに純太の部屋に行き、インハイの報告を受け、へえ〜まぁよく頑張ったんじゃない、なんて用意しておいた言葉をつらつら吐いている時、唐突に放たれた一言。
思わず固まってしまう私に、純太は「やっぱり」と嬉しそうに声を弾ませるので、慌てて身を乗り出して、撤回する。

「ちょ、ちょっと待ちなさい!行ってるわけないでしょ、あんたのレースなんて」
「3日目の山岳リザルトの辺りで、名前さんの声が聞こえたんだよ」
「……幻聴よ。似たような声の女の子が沿道にいたんでしょ」
「『巨根に負けるな』って叫んでた」
「あ、私ですね」

ウケぽよ〜☆
言い逃れできねーやつじゃん。

「んな馬鹿な……どうして……聞こえるわけがないのに……」
「その辺はオレにも分からないけど……でも、嬉しかったよ。すっげぇ」

ありがとな、名前さん。
減らず口の一つでも叩こうとしたのに、そう言う純太の笑顔には、私への満面の好意が、隠しもされずキラキラしていて。
喉元で言葉がストップする。悪魔が受け取るにしては少々眩しすぎる、それ。
言いようのない恥ずかしさを奥歯で噛み締めて、「別に……いいわよ……」と顔を逸らした。純太が微笑ましそうに目を細める。くそっ。

「あと、合宿の時も来てくれて、応援してくれたよな、オレのこと」
「は、はぁ!? それはさすがに違うから! なんで私がわざわざイズまで、」
「それだよ。何で知ってる? 合宿の場所が伊豆だってこと」
「あ……!」
「オレ、一言も口にしてないよな」

そう言って、確信に満ちた笑みを見せる純太に、今度こそ聞こえるように歯ぎしりをした。

「〜〜っ、あんた、最初からそれ分かって……! 性格悪すぎ! この×××××ワカメ!」
「罵倒のセンス(笑)つうか、名前さん今顔真っ赤だぜ? かーわい」
「ぐっ……おま……マジ……ざけんなよ……!」

なんでこんな、エリートのこの私が、人間の小僧に……!
ぐぐ、と唇を噛みしめる。弄ばれてることも、からかうような口調で紡がれた可愛いも、何もかもが屈辱なのに、それに反応している身体が一番わけわかんない。

「っそんなこと、どーーーだっていいの!!」

恥ずかしさと勢いに任せて、純太を思い切り突き飛ばして押し倒した。
このままだと永遠にからかわれそうだったので、さっさと本題に入らせてもらおう。もうお腹が空きすぎて死にそうだし。

驚いたように「え?」と目をパチパチさせる純太に、私は鋭く切り出した。

「インターハイが終わったら、ヤラせてくれるって話だったよね?」

するわよ、セックス。
彼の瞳を覗きこんで、私はそう言う。流れ落ちてくる自分の黒髪を耳にかけながら、もう片手の人差し指で純太の頬の輪郭をつうっとなぞって、顎を持ち上げる。
私の真剣な顔つきから、本気度が知れたのだろう。純太の口元から笑みが消えて、喉仏がこくりと動く。
でも、それは一瞬のことで、彼の口角はすぐにまた持ち上がる。

「……あー、ごめん。ちょっとまだインハイの疲労が残っててさ」

純太は眉を下げてそう笑うと、私の手をやんわりと押し退けた。「悪いけど、また明日にしよう、な?」と、生意気にも私を見つめ返す。

……やっぱり、そう来るか。

「いいえ。今日、するのよ」
「……だから、」
「あんたが何を言おうが、もう決まったことなの」

私の意志の硬さに、純太の表情にじわりと焦りの色が浮かぶ。

「名前さん、待って──」
「待たない。ごめんね、純太」

額をこつんと合わせて、両手で頬を包み込む。
吐息がかかる距離で、彼の瞳と私の瞳を視線の糸で繋げて。

私は、囁いた。
悪魔の呪文を。


「………『強制劣情地獄の果てまでイっちゃって☆』」





サキュバスにとって、セックスはただの食事。それ以上でも以下でもない。活動するためのエネルギーを補給する、それだけの行為。
もちろん、エッチは好きだよ。人間だって、大体のやつがご飯食べるの好きでしょ? それと同じこと。
でも、下界の生き物にとってのセックスは、生殖行為だ。そして人間にとってのセックスは、更にそこに「求愛」というもう一つの意味が加わる。……最も、愛なんて通わない、快楽だけを求め合うような情交だって、この世には溢れかえってるけどね。

そう、どこにでも共通しているのは、セックスは気持ちいいってことだ。
サキュバスと人間なんていう、種族も世界も全く違うような生き物がセックスできるのは、私らが人型だからとかいうのは置いといて、「気持ちいい」って共通認識があるからだ。

それだけでいいはずだった。
私と純太のセックスも。
それだけでいいっつか、それしかいらなかった。

だから私は、この行為に快楽以外の意味を持たせないために、純太に「強制劣情」のスキルをかけた。
私はもともと食事の目的しかないけど、純太にとっては多分、違ったから。……純太が私に抱いている感傷のようなものを、セックスに持ち込ませたくなかった。「求愛行為」にしたくなかった。

私は……………多分、それを恐れていた。

強制劣情のスキルをかけてしまえば、純太にとって私は想い人でもなんでもない、ただの「女の身体をした何か」になる。純太の脳内は真っピンクに染まり、私に対して抱いているすべてのことを忘れ、ヤってヤッてヤりつくすことしか考えられなくなる。
行為が始まってからも同じだ。繊細な感情なんて一切介在しない、原始的な欲求がすべての、獣のような情交。それでよかった。それがよかった。


──結果から言うと、そうはならなかった。


純太はなんと、サキュバスの必殺技である強制劣情に、一度耐えたのだ。
勢いで私を押し倒したところまではよかった。でも、そこから耐えた。顔を真っ赤にして、×××は勃ちすぎて痛そうなぐらいで、息をハァハァさせて、こめかみの辺りからぽたりと汗が滴った。獰猛な劣情が襲いかかってることは見て明らかだった。でも、それでも、純太はそれに抗っていた。興奮でギラギラしている瞳の中に、それと必死に戦っているみたいな、ほんのわずかな理性の欠片がゆらゆら揺れていた。
辛そうで、苦しそうで、もう見てらんなくて。っつか、強制劣情を耐えてることが信じらんなくて。私は思わず声をかけた。「なんでそこまでするの」と。純太は切れ切れに、絞りだすように答えた。強がってんだか知らないけど、こんな状況に追い込まれてんのに、その唇はちょっぴり弧を描いていた。


「だって、名前さん、オレのこと食べたら、もうここに来てくれなくなるだろ?」


……目を見開いた。それは図星で、察しのいいやつだとは思ってたけど、そこまで分かってたのかと驚いた。
そして、俄然、ここで終わらせなきゃいけないという気持ちが増した。


「──ごめんね、純太」


パチン、という指が鳴る音と共に、私と純太の位置が入れ替わる。
そのまま馬乗りになって、私は彼の口を塞いだ。純太の唇は少し乾燥していた。舌で舐めて、そのまま口を割って侵入して、純太のそれと絡めた。
もともとキスってあんま好きじゃないんだよね、だってキスじゃお腹膨れないしさ。でもなんとなく、その時は、粘膜が擦れる感触を心地いいと思った。
私の超絶舌テクのディープキスを受けて、抵抗を見せていた純太から、力が抜けていく。それを見計らって、囁いた。

「純太、来て…」

──と。

純太の表情が一瞬さっと翳って、怒りとか、悲しみのようなものがよぎった。多分、彼の身体の内側で、熟れきった劣情が破裂した瞬間だった。

強い衝撃。再び反転する私達。視界が純太でいっぱいになって、そっからはもう、何をされたか、何をしたか、はっきりしたことは何も憶えてない。

ただ一つ、凶悪な渇望に飲み込まれているはずの純太の手は、ひたすら優しくて。欲望のまま、めちゃくちゃに貫いてしまいたいはずなのに、その動きには私への配慮があって。まるで恋人を抱く時のような、愛しさを込めているような触れ方で、それが、私は死ぬほど嫌で、嫌で嫌で嫌でたまらなかったってことだけ、憶えている。


「名前さんッ……」


──やめろ、と思った。


「名前さん、オレ、名前さんのことが……」


聞きたくない、と思った。


「好きだ……!」


ああ、お願いだからやめてと叫びたいほどなのに、私の喉からは引きつるような喘ぎ声しか出ない!


「好きなんだ、名前さんのことが、好きだ、」


やめろ、やめてよ、そんな風にされたら、もう、私が私でなくなってしまう。こんなセックスを体験してしまったら、もう、後には戻れなくなってしまう。

防ぎようのない愛の言葉は暴力みたいで、あそこと一緒に頭も犯されてるみたいだった。体感したことないような快楽と一緒に、私を穿って、侵食していく得体のしれない何か。恐怖だった。拷問だった。でも、カラダは気持ちよくて、そうされることを喜んでいて。それがまた嫌だった。いっそのこと快楽に走って、それだけに狂ってしまえたらよかったのに、私の中の何かがそれを拒んでいた。理性と本能の狭間で、快楽と苦痛の狭間で、私はのたうち回っていた。愛なんて要らなかったのに、それをどこにも捨てられなくて、苦しんでいた。ああ、生きてないのに、たまらなく死んでしまいたいと思った。


だけど、唐突にそれらは終わる。


──初めて、純太の精を胎内で受け止めた時、私は心の底から安堵した。
それは例えば、スポーツに置けるゴールとか、試合終了のホイッスルとか、そういう類のものだったから。

これでもう大丈夫だ。一度食べてしまえば。私の中の純太への興味や関心は、すべてこの瞬間のためにあった。だけどそれはもう済んだ。私は純太の精子の味を知ってしまった。

人間は多分、身体の交わりを通じてより親密になる生き物だと思うけど、サキュバスは違う。身体の交わりを最後、急速にそいつへの関心が薄れていく。

これで私は、純太のことを綺麗に忘れることができるだろう。
もう何も怖くない。

ごめんね、純太、サキュバスってそういう生き物なのよ。





行為が終わったあと特有の、精の匂いと、汗の匂いと、倦怠感が醸しだす気怠い空気が部屋中に漂っている。
結局何回戦したんだろ。もう覚えてないや。強制劣情の効果は凄まじく、出しても出しても収まらないって感じで、マジ性の暴走機関車だった。純太の×××。期待通り美味しかったし、気持ちよかったからいーけど。

「……もー。なぁにそんな絶望しきった顔してんのよ」

そんで、当の本人は、めちゃくちゃ落ち込んでいた。
パジャマに身を包み(セックス終了後に私が着せてやった)、壁によりかかって呆然とベットに足を投げ出している。スッキリっつーかガックリだったし、賢者タイムっていうより罰を待ってる罪人って感じ。そりゃまあ、今あるすべての精を吸い取られたんだから、多少は消耗するだろうけど、にしてももっとあるでしょ。だってこんなエリート美少女とエッチできたんだよ?

「なに、思ってたよりセックスがよくなかったとか? それとも、プレミアム童貞じゃなくなったことが──」
「違う」

純太は私をまっすぐと見つめて、わかってるだろ、と声を震わせた。

「名前さんは……もう、ここには来ない」
「……………」

すがるような視線。そこに込められた気持ちを、今なら私は知っている。
ふう、と息を吐きだして、私は切り出した。

「……あのね、純太」

できるだけ冷たく、淡々と、感情なんて存在してないように。

「思い上がるなよ」

寄せられるすべての気持ちを受け止めて、それらを断ち切るように、正面からじろりと睨みつけた。

「お前は人間で、私は悪魔だ。どんだけ一緒にいたって、一生交わることがない存在同士だ」

姿形だけ同じ生き物だけど、あとは何から何まで違う。純太は生きてる人間で、私は神様にデザインされたシステムでしかない。
私はね、純太。あんたに幸せになってほしいのよ。真っ当な、人間としての幸せを掴んでほしいのよ。
私は、あんたの人生に紛れ込んだイレギュラー。私の存在は、純太のこれからの希望溢れる未来にとって、邪魔にしかならない。そういう不純物なの。
だから、一緒にはいられないの。

「人間と悪魔が共存できる道なんて、存在しない」

……実はというと、これは嘘。全く無いわけでもない。「契約」をすれば話は別。人間と契約を交わした悪魔は、一生使役される代わりに、その人間が死んだ時に魂をもらえるっていうやつ。
まあ、滅多にないことだ。こんなセックスしか能がないサキュバスと契約しようなんてバカはいないし、私も人間に使役されるとか真っ平だし。

「それでも……オレは名前さんと一緒にいたい」
「……はぁー……」

コイツ、意外と頑固だな。もっと聞き分けがいいと思ってた。

「ごめんね純太。ぶっちゃけると私、もうあんたに興味ないのよ。一回やっちゃったし。だからあんたの気持ちには答えられない。これでいい?」

あー……。さっきから、口を開けば開くほど、自分のことが嫌になってくる。
純太と関わり出すようになってから、自信を無くしたり、情けない気持ちになったり、嘘をついて傷ついたり、全くろくなことが無いな。

「…………」
「……ばーか。なに泣きそうな顔してんだよ」

と、自分への嫌悪感にうんざりしてたとこなのに、あからさまにしょんぼりしてる純太を見て、ちょっと口元が綻んだ。あーもう、ずっと怖い顔してようと思ってたのに。

……ばかだよな、こんな悪魔相手に本気になっちゃってさ。

目を細めた。どこからか込み上がってくる、くすぐったくて、おかしくて、温かい色をしたこの感情は、一体なんなんだろう。それに突き動かされたように「ったくもう、しょうがないなー」と私は口を開いていた。


「なら、せいぜいいい男になりな。私がもう一度食いたいって思えるほどの男にさ」


こんなこと、言うはずじゃなかったんだけどな。
ほんとに……調子が狂うわ。


「自転車頑張るのもいいけど、自転車だけじゃダメだかんね? ちゃんと人間の女の子好きになって、真っ当な恋をして……愛のあるセックスして、たくさん楽しい思いをして、さ……」


ぐ、と何かが胸につかえた。
苦しい。突如として巻き起こったそれ。苦しくて苦しくてたまんない。身体の内側で──心で、猛烈な嵐が荒れ狂ってるようだった。

それでも、そんなこと絶対悟られたくなかったから、痛む心に麻酔をかけて、私は口の端を持ち上げる。
ほら、なんといっても私、エリートだからさ。


「……女の子ひとり幸せにできないようじゃ、マジ、いい男だなんて言えないからね?」


そしてそうなった時、絶対に私は純太の未来にいないけど。
サキュバスは独り身の男の元にしか現れることはできないから。それに私の専門は童貞の若者だし。


「きっと純太なら、なれるよ。いい選手に、いい男に……絶対になれるよ、アンタは私が認めた男なんだから」


紛れもなく本心だったから、多分、上手く笑えてたと思う。


「そしたら、その時はまた改めて食いに来てあげる」


これは嘘だけどね。

ゆっくりと手を掲げた。純太がはっとしたような顔で、「待ってくれ!」と叫んだ。


「本当にまた会えるんだよな?」

「本当よ」


ごめんね、純太。

そして、ありがとう。

私に名前を付けてくれて。
私に努力の意味を教えてくれて。
私に──好きだと言ってくれて。
拙いながらも、一生懸命、愛してくれて。


「ありがとう………私、結構好きだったよ、あんたのこと」


純太と関わり出すようになってから、ろくなことが無かった。自信を無くしたり、情けない気持ちになったり、嘘をついて傷ついたり。エリートなのに、散々だった。

けど──けど、毎日が楽しかった。輝いてた。私は、どこまでも懸命に、弱音を吐きながらも夢に向かって歩みを止めない純太の、キラキラした瞳を通して、この世界の美しさを知ったんだ。
自分が悪魔だってことを忘れてしまうぐらい、私はあんたに夢中だったのよ。


「名前さん、オレ、やっぱり、嫌だ──」

「じゃあね、純太。また会えるその時まで……さよなら」


パチン。

私と純太、全く異なる二人を繋げていたダミーの世界は、私の指パッチン1つで潰える。泡が弾けるように、あっけなく。


──すべてが終わった。


そして、帰ってきた現実。精の匂いも汗の匂いも消えた部屋で、純太は何もなかったようにすやすやと眠りについていた。そのあどけない顔を少しの間見つめてから、私はそっと、彼の部屋をあとにした。

夏の夜特有のまとわりつくような湿気を掻き分けて、高度をぐんぐんと上げていく私の脳裏には、純太と過ごした記憶がフラッシュバックしていた。
色んなことがあった。でも、その記憶の一番最後を飾るのは、別れる瞬間の純太の悲痛な顔で。それを思い返すと、麻酔が切れた心が嫌な音を立てて軋む。

でも、きっと大丈夫。
だって、目が覚めれば、すべてが夢。
私との思い出も、純太の気持ちも、すべてが閉ざされた夢の中に置き去り。
そしていつかきっと幻になって、跡形もなく消えてしまうだろうから。


さよなら純太、永遠に。
私もあんたのこと、頑張って忘れるから。
純太も、私のことなんて早く忘れて、幸せになれよ。


「じゃなきゃ、許さないから……」


──何かが、そっと頬を伝った。さよならを告げるように、夜の闇に溶けていった。

この現象にも、この気持ちにも、きっと、名前は要らない。
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