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いかに私が空前絶後(最近おぼえた!)の超絶怒涛のエリートサキュバスとて、やれることには限界ってもんがある。
まーね、美味しい食事を取るために手の混んだセットを作ることはあるよ? でもさすがに東京の街丸々一個分なんて初めてだったよね、マジやばたにえんでしょ。私はエリートだからなんとかなったけど、他のサキュバスがやったら自殺レベル(元々生きてないけど、比喩ね)のエーテル消費。
そーんな頭おかしいことを、食事目的じゃなく、一人の人間をただ励ますためにやるだなんてさ。同僚に聞かれたら恥もいいとこだわ。
……でも、不思議と後悔してないんだよね。
天界に戻って家に帰って、冷凍してある非常用簡易精液を摂取して、死んだように(そもそも生きてないけど略)眠って。でも、一日経っても疲労は抜けなくて、っつか指一本も動かせなくて、家にある簡易精液パックは飲み干して、眠ってを繰り返して、エリートたる私が散々無様な目に合って、マジ萎えだったんだけど。
それでも、あれをやってよかったと言える。
純太が元気なったかはわかんないけど。
だからまあ、私のソロプレイなんですけど。
ダサくて、みっともなくて、全然エリートじゃなくて、でも一生懸命で。
……これじゃまるで、どこぞの人間みたいじゃない。
*
やっと動けるぐらいには回復して、その晩は久しぶりに何人か食って、たっぷり新鮮な精を補給した。やっぱ精子はナマの踊り食いが一番だよね。
(……よし)
そしてやって来ましたインターハイ3日目。
まあ…ね。ここまで来たら最後まで見届けてやろうかなって。
エリートな上に可愛くて、おまけに優しいとか、もう天下統一じゃん。司馬炎じゃ〜ん(?)。
今私がいるのはグンマケンってとこだ。マジ山。登んの大変だった。
ちな、インハイのコースはもう頭に入ってる。純太の部屋にあった自転車雑誌の特集で見て、天界フォンに記憶させてきた。まぁこんなこと造作もないよね、エリートですし。
途中からの参戦になっちゃったのは、ぶっちゃけまだ本調子ではないから。だからしゃーないっつか、2日でここまで回復したことを褒めてほしいぐらいだけんね。
というわけで、最終ゴールの方から逆走して純太を探してるんだけど、まだ全然先頭は見えてこない。いや、ギャラリーもちゃんといるから、道間違ってるワケじゃないと思うんだけど……
と、若干不安に駆られたその時だ。
「先頭、もうすぐ見えるぞ!」
その言葉に、羽をピタリと止める。叫んだのは、たった今通り過ぎようとしたギャラリー。双眼鏡を持ってる。
そしてその瞬間、私は息を飲んだ。
(……来る)
遠くのほうから、大きな歓声が波のように押し寄せる。
この感じ、覚えがある。生命エネルギーがぶつかって、火花を散らしながらこちらに迫ってくるような、圧倒的な熱。
「……え?」
そんな時、私は目を疑った。
だって、坂の向こうから小さく姿を表したのは、見覚えのあるワカメだったから。
嘘でしょ、と小さく呟いた。でも、何回瞬きをしても変わらないそのシルエットは、ぐんぐん大きくなっていって、私に確信をもたらす。
いやいや、ここ、先頭なんですけど……。
「──どこ走ってんのよ、純太……」
思わずそう声が漏れる。純太、アンタ平凡が売りなんじゃなかったの。自分を信じきることができなかったんじゃないの。なんでそんなとこにいんのよ。
色んなことが頭によぎった。でも、苦しそうにもがいている純太の顔が見えてきたら、全部ふっ飛んだ。
勝手に口が開いて、勝手に叫んでいた。
「純太っ、頑張れーーッ!!」
争っている二人がちゃんと見えるように距離を取って後退しつつ、私は声を振り絞る。
この先に山岳リザルトっていうのがある。ここは先頭だ。つまり、この勝負に勝ったほうが山岳賞ってやつをもらえるんだ。
純太……!! 純太が一番になれるかもしれない。
そう思うと、吐き出す息が震えた。
「ああああ」
と思ったその時、純太が大きく後退した。っつか、隣を走ってた子に派手に抜かされた。ギャラリーが「ハコガク・アシキバ一気に抜き去る!」「すげぇ一瞬!!」「何かすげぇ!!」と騒いでいる。
……ハコガク・アシキバ? なにそれ、外国人?
スポーツ漫画における外国人って大体最強格じゃん、マジかよ、チョー不利じゃね?
これまで純太にばかり気を取られていたけど、そこで初めて私はその「ハコガク・アシキバ」くんに目を移して──そして、目ん玉が飛び出た。
「でっか!!! ×××でっっっっか!!!」
び、ビッグマグナム!!
100点満点で120点あげられちゃうほどのファンタスティック×××!
やべぇブツをうっかり透視しちゃって、思わず声が出る。こんな大物、久々に見たかもしれない。しかもこれ、ただでかいだけじゃなくて芸術点も高い。これは×××とか呼び捨てにできない、×××様よ。見た瞬間「ははー!」って這いつくばっちゃうレベルよ。やべー、今すぐひれ伏したい、そしてあれをああしてああされて……じゅるり。
って、×××ばっか注目してたけど、よく見たら身長もめちゃくちゃでかいじゃん。身長と×××が比例してるとかポイント高い。へぇ、顔もなかなか可愛い……
──って、やばやばっ。私は純太の応援してるんだった!
つか、純太の戦う相手ってなんでみんな巨根なワケ? そういう決まりでもあんの?
一気に置いてかれてしまった純太に慌てて近寄って、口を開く。
「純太っ、巨根なんかに負けんな!! 大きさでは負けてても、私は純太の×××の形の方が好きだぞ!! ×××は大きさじゃないから!!」
あれ? これ応援になってる?
まあいっか。
こんなこといくら叫んだって聞こえやしないんだけど、何か言わなければ気が済まなくて。
でも、うなだれている純太の隣に並んで、下から顔を覗き込んだ時───私は息を飲んだ。
純太が、笑っていたから。
「オレにも伝わってきたよ、おめェの……バイブレーションってのが!」
息を荒げて、汗を滴らせて、身体はフラついてて、もう今にも倒れそうで、戦況は悪いっていうのに。純太は瞳をギラギラと輝かせながら、口角を上げていた。
釘付けに……なった。
その笑顔は、純太がよくやる、眉を下げて辛いのを堪えてるようなのじゃなくて。
うまく言えないんだけど──「生の実感」があった(エロい意味じゃないよ?)。
身体はとっくに限界を迎えていて、実質死にかけてんのに、走れる喜びに満ち溢れていて。眩しいほどの命の輝きが凝縮されていた。
それを見て、漠然と、ある思いが浮かんだ。
(あぁ、純太は────生きてるんだな……)
同じ身体をして、同じ言葉を話して、同じ生き物のように対等に接していたから、いつからか勘違いしていたけど。
今、こうしてすぐ隣にいる純太と私の間には、絶対に埋まらない溝があった。…いや、溝、なんてもんじゃなくて、ただただ崖を切り取ったような断絶があった。
生きている人間と、神様のためのシステムでしかないサキュバス。命を燃やす純太と、神様が造った人形の私。
世界も、成り立ちも、命の質量も───何もかもが……違う。
なんでそんな簡単なこと、忘れていたんだろう。
「総北追いついたー!!」
「すげぇ! 根性!! すげぇ、燃える!!」
「山岳ラインまでのこり2キロ!!」
その時、前方から聞こえてきたその声でハッとして、顔を上げる。ボーッと立ち止まっているうちに、もうかなり引き離されてしまっていたらしい。
なに変な感傷に浸ってんのよ私、そんなことしてる場合じゃないでしょ、純太を応援しなくちゃ……!
慌てて羽を大きく動かして、すでに小さくなってしまっていた2人のシルエットを必死に追いかける。
と、そこで見えてきた光景に───私は小さく息を止めた。
「手嶋がんばれーーーー!!」
「手嶋ぁーーーー!!」
──それは、身震いしてしまうような、景色だった。
沿道の観客たちが、みんな純太の名前を叫んでいる。「てーーしま」「てーーしま」と声を揃えて、拳を突き上げて。一体となって、手嶋純太を応援していた。その輪は彼が突き進む方向に、ウェーブのように伝染していく。
(……すごい)
純太、あんた、聞こえてる? この歓声が。
ね、私が言ったこと、マジだったでしょ? あんたってば、すごいヤツなの。じゃなかったら、皆こんな風にあんたのこと応援なんてしないよ。
胸のあたりが熱くなって、なんだかどうしようもない苦しさがそこを締め付ける。そしてその熱は目頭にまで登ってきて、じわりと滲んだ。視界がぼんやりとする。
こんなこと初めてだったからワケわかんなくて、ちょっとパニクりながら、手の甲で目をごしごし擦る。
(……勝たせてあげたい)
彼らを追い越して、余裕持って距離を取ったあと、身体の向きを反転させる。
いつの間にか、ハコガク・アシキバを抜いて、純太が先行していた。観客の声援に背中を押されてるみたいに、彼は坂道をぐいぐいと突き進む。
「いや、全部鵜呑みにするんなら、あがってんのか!? ペース!!」
「上がってる!! 上がってるから!! そのままイけ!! 突っ走れっ!!」
歓声に負けないように絶叫する。うっさいな、聞こえてないなんてもう分かってるってば! 条件射精? 発射?ってヤツよ!
(勝たせてあげたい……)
強く唇を噛み締めた。
このままリードを保てば純太が勝てる。でも……スポーツ漫画を読み漁ってきたエリートサキュバスの勘は、「このままじゃ終わらない」って告げている。
そしてそれはドンピシャで当たってしまうのだった。その後すぐ、ハコガク・アシキバ・ビッグマグナムは外国人スケット特有の圧倒的リーチ(×××じゃなくて、背の方ね)で、純太に追いついてしまう。
……ギャラリーが逐一教えてくれる。残りは300メートル。
(勝たせて、あげたい……)
前を争ってる二人は、何か会話を交わしているようだった。お前ら仲良しか。でも、その内容まではわからなかった。
(勝たせてあげたい)
さっきから、ドクンドクンと心臓の音がうるさくって。
(勝たせて……あげられる、)
──この私なら。
サキュバスに関わらず、天界の住人は基本的に起きている人間に干渉できない。でも、その「できない」は「してはいけない」という意味で、不可能という意味じゃないんだ。
サキュバスの最終奥義──
……スキル・
サキュバスが意識のある人間を弄くることができる、唯一のスキル。
今、私がこのスキルをハコガク・アシキバ・ビッグマグナムに使えば、ハコガク・アシキバ・ビッグマグナムのファンタスティック×××はたちまち戦闘態勢だ。ビンビンにそそり立って、ファンタスティック×××は凶悪なバイオレンス×××にミラクルチェンジ。
さらに、×××だけじゃなくて、脳内もヤリたくてヤリたくて震える〜みたいな、東野カナばりのピンク色に染まってしまうんだ。
そして、そんなことになってしまえば、もう試合どころじゃないよね。
私は、指パッチン一つで純太を勝たすことができる。
なんて悪魔のような閃きだろう。いや、悪魔なんだけど。
天界のルールを破ってしまうことになるけど、力を使うのは一瞬だし、こんな山の上に他の住人はいない。バレることはない。
純太に知られたら怒られるだろうけど、私が打ち明けなきゃ問題ない。
………やるしかない。
ゆっくりと、ゆっくりと、手を掲げていく。生まれて初めて使うスキルだけど、私ならきっと大丈夫。エリートなんだから。ハコガク・アシキバに焦点を合わせる。あとは、イメージを込めて指を鳴らすだけ。緊張なんてしてない。恐れもない。私しかいない。
だってこのままじゃ、純太は、
「──シキバァ!! 最後200mだァ!!」
………。
「いくぞ、二人の山岳賞へ!!」
………………。
「うおおおおお」
「あああああ」
その時、彼らの叫びを聞いて、私の中で何かがプツリと切れた。
(──ダメだ……)
介入してはいけない、というかできない勝負だと肌で悟ってしまった。
それは、怒られるからとか、天界ルールで決まってるからとか、そんなんじゃなくて。もっとシンプルに私は部外者だった。私はつまみ者で、ただの一ギャラリーで、彼ら二人を取り巻く濃密な勝負の世界に入ることを許されなかった、それだけ。
がっくりと手を下ろす。
「………はは、ダッサ……」
乾いた笑いが喉に貼り付く。過去最高に愚かだなと思った。自分のことを。
純太の一番の理解者みたいなツラしときながら、肝心な時に信じきってやれなかった自分。悪魔なのに、悪になりきれなかった自分。純太を応援する立場としても、悪魔としても、どっちにしても中途半端で、サイテーだった。
(……ごめんね、純太)
勝負に介入しようとしたこと。信じ切ってあげられなかったこと。
今からじゃ、もう遅いかもしれないけど。
(信じさせて……私も、あんたの勝利を)
私は知ってる。この世界に、頼みごとを叶えてくれるような都合のいい神様なんていない。いるのはどうしようもなく理不尽でスケベな色ボケ爺さんだけ。
だから私は神様が与えてくれる奇跡なんて信じない。私は──一生懸命ここまで努力してきた、あんたのキセキを信じるから。
「純太、あんたなら勝てるよ!! だから頑張れえええええ!!」
──私の声は聞こえない。
私と純太では、世界も、成り立ちも、命の質量も、何もかもが違うから。
だけど、今こうして絶叫している私には、純太と出会うまでよく分からなかった「心」ってやつがあると、確信を持って言えた。
世界が違っても、声が届かなくても、今私達は同じ色をした心を持っている。そうだとしたら、それは──純太を応援している沿道のみんなや、純太自身と、「繋がっている」ことにならないかな?
……そうだといいなと思いながら、たったひとつの願いを込めて、私は再び声を張り上げる。
*
いつものお気に入りの場所──東京タワーの天辺のまぁるく出っ張ってるアソコに腰掛けて、私は眠らない東京の街を見下ろしている。足を組んで、頬杖つきながら。
今日は純太の元へは行かない。今日ぐらいはゆっくり何も考えず寝かしてやりたい。
つか、他の男の元へも行くつもりない。そんな気分じゃなかったし、明日に向けて極限までお腹を空かせておく必要があるから。
インターハイが……終わった。
今でも耳に焼き付いている。ギャラリーの熱狂的な歓声、選手達の咆哮、結果を告げる場内アナウンス、蝉の鳴き声、降り注ぐ日差しがジリジリとアスファルトを焼く音。
そして目を閉じれば、いくつもの死闘に頭の中に蘇って、あの時の興奮を呼び覚ますようだった。
ゆっくりと瞼を開ける。
この1日で色んなことを感じた。初めての体験をした。でも、あのお祭のような熱闘が終わって、街が闇に沈んで、私の胸に浮き彫りになったのは、たった一つの思いだけだった。
(……終わらせなきゃいけない)
明日、私はサイテーなことをする。
元々決めていたことだし、サキュバスとしてのシステムに則って、いつものようにやるだけだ。罪悪感なんて感じるのが、そもそもおかしい。
そう分かっていても……覚悟を決める時間が必要だった。だから、ここに来た。
3日前とは違う、イミテーションじゃない本物の夜景は、煌びやかで美しかったけど、なんだかやけに寂しく映って、目に染みた。
夜風に乗せて、ぽつりと呟く。
「……ごめんね、純太……」
私のためにも、あなたのためにも────私達は、一緒にいちゃダメなの。
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