top

青八木くんと初恋


恋をした。

運命の恋、なんてだいそれたことは言えない。それは多分、世間からすればとてもささやかで、ありふれたものだったと思う。でも、確かにその恋は、自分の世界を変えた。

初恋だったのだ。

高校一年の、秋。選択授業で取った美術の時間、その人に出会った。違うクラスの人。たまたま席が隣で、授業の一環で何かと関わせられることが多かった。

無口で、地味。自分もヒトのことは言えないけど、それが最初の印象だった。だけど、キャンバスに向かうその人の瞳はいつでもまっすぐで、真摯な光を宿していて。初めて異性に対して、美しいと感じた。

それから、少しずつ、会話を交わすようになっていって。いつか、お互いの目標を語り合ったことがあった。あんなこと、近しい友人や仲間にしか打ち明けたことなかったのに。多分、その時すでにもう、その人のことが好きだったのだと思う。そして同じように夢を打ち明けられて、とても嬉しかったのを覚えている。

2年生に上がって、選択授業は無くなり、クラスも違って、とうとうその人と会うことは無くなった。そのうち、ちらほらと、学校外のところで活躍しはじめたその人を、朝礼の表彰式や、校内新聞で目にするようになって。あの人も目標に向かって頑張ってる、それが何よりも自分の心の支えになった。

そしてまた、時は過ぎて。高みを目指すうちに、蛹が蝶に羽化するように、強く、美しく変わったその人は、違った意味で周囲の視線を集めるようになった。しょうがない、ひとは美しいものに心を惹かれる生き物なのだ。風の噂で、その人が誰々を振っただの、誰々に告られただの、色々聞いた。その度にぎゅっと、胸を締めつけられるような痛みが襲った。生まれて初めての、苦しさだった。でも、自分はずっと前からあの人の美しさを、内に秘めた輝きを、魅力を知っていた。そう思うと、その苦しさは緩和して、ほんの少しだけ優越感に浸れた。とてもしょうもない、陳腐な優越感だと分かってはいるけれど。


──この恋の終着点はどこなのか、ずっと考えている。


恋をする以前に、自分には果たすべき大きな目標があることを、忘れてはならない。
それは、あの人も同じ。
気持ちを伝えても、他の多くの生徒と同じように、拒否されるかもしれない。

──なら、このまま。淡い初恋の思い出として、永遠に伝えずに終わったほうが、ひょっとしたら綺麗に残るのかもしれない。


そんな風に考えている内に、高校生活最後の一年の夏が、始まろうとしていた。





困ったことになった。

(ない……ない……!)

四つん這いになって、私は放課後の美術室の中を這いずりまわる。息を荒げて、必死の形相、額には脂汗。全く、こんなところを誰かに見られたりしたら、総北高校の七不思議に加えられてもおかしくないな。今日部活が休みで良かった。

……いや、良くないわ。今日が部活だったら、まだ部員に探すのを手伝ってもらえたかもしれない。

今、私が探しているのは絵の具。ホルバインのオーレオリン。今年の夏のコンクールに出す絵、もうほぼ完成しているんだけど、仕上げにどーーしてもあの色が必要で。昨日わざわざ世界堂まで走って買いに行ったのに。

(どこに落としたのかなぁ……)

今朝、6時にはここにきて、ずっと一人で描いてて。予鈴が鳴って、慌てて絵を準備室に移して、他の道具も片付けて……多分、落ちたならその時だと思うんだけど。

午後は授業で使われなかったのか、美術室は締め切られててとても蒸し暑かった。6月、梅雨の真っ最中だけど今日は何故かよく晴れて、日中の暑さはもう真夏と変わらかった。さすがにもう夕暮れ時なので、幾分かはいいけど。
とうとう頭の中で『夢の中へ』が流れ始めた時、私は美術室の奥の四隅でそれを見つけた。心の中で、大きく安堵のため息をつく。

と、その時、ガラガラと入り口のドアが開く音が聞こえてきた。続いて、閉める音。


「──わざわざ、こんなところまで来て頂いてありがとうございます」


……これ、美術部員じゃない。
部員なら入る時に「失礼します」って言うはずだもん。

机の影からおそるおそる顔を上げて、そうっと前方を伺い見ると、美術室の黒板の前に二つの人影。
一人がさっきの女子で、もう一人は……。

(あ……青八木くん!!)

思わずあっと声が出そうになって、慌てて口を押さえて頭を引っ込めた。

青八木一くん。私の好きな人。
彼に恋をしたあの日から、その名前を思い出さなかった日なんて、一日も無かった。

そして、恋愛沙汰に疎い私でも、さすがに、ここで今から何が起こるのかは察しがついた。


「あの……わ、私、先輩のことが、好きです!」


……だよね。

わかってたけど……好きな人が告白されてるところを見て穏やかでいれるほど、私はメンタル強くない。鉛を放り込まれたみたいに、胸の中がずしりと重くなる。

あの二人、どういう関係性なんだろう。後輩と交流する機会なんて部活以外じゃそんなに無いから、委員会とか? いや、青八木くんなら外見で一目惚れされた可能性もあるか。
……なんにせよ、すごい勇気だ。最上級生を呼び出して、直接あんな風に本人に伝えられるなんて、素直に尊敬する。

私とは大違いだ。


「………申し訳ないが、その気持ちには答えられない」


──恋が敗れる瞬間に居合わせるのは、これが三度目。

自分が振った時も相当後味悪かったけど、これはこれで、また違った意味で後味が悪かった。だって、私、彼の答えを聞いて……ホッとしてしまったのだから。
ごめんね、と名も知れぬ女の子に心の中で謝る。


「……ですよね。分かってました、フラレるって」

「…………」

「あの、最後に一つだけ教えてほしいんですけど………先輩に好きな人っていますか?」


えっ。


「…、………いる」


(──!!!)

身体に衝撃が走った。

うそ、青八木くん、好きな人いるの、


「…そうですか。今まで楽しい思い出を、本当にありがとうございましたっ!」


失礼しますっ!という声と共に、ピシャッと勢い良くドアが開閉される音が聞こえてきて、美術室に静寂が戻ってくる。

けど、私は情けないことに、つい先ほど判明した事実をいまだ飲み込めずにいて。浅く息を繰り返して、ただじっと佇んでいた。

その時、ずっと片手に握りしめていたスマホが、突然鳴りだした。

「!! わっ」

やばっ。
画面を見ると、お母さんからの電話だった。当然出れずに着信を即拒否って(ごめんお母さん)、あたふたとマナーモードにする。

でも、アウトだった。

「──苗字……!」

ハッと顔を上げると、青八木くんがさすがに驚いたような顔をして、前方に立っていた。

「あ、……う、え、青八木くん、」

直視した瞬間、心臓がドクンと飛び出しそうなぐらい鳴った。

恐ろしく久しぶりの再会で。彼のことが好きなのだと、自覚してから会うのは初めてで。盗み聞きしてた罰の悪さと、名前を呼ばれた喜びと、彼が好きだと内側から訴えかけるような異常な胸の高鳴りが、同時に襲いかかる。まず何を言えばいいのか、どういう顔をすればいいのか、何も分からないぐらい私は混乱していたけど、とりあえず立ち上がって、深く頭を下げた。

「ご、ごめんなさいっ! ぬ、盗み聞きするつもりはなかったんだけど、結果的に盗み聞きしちゃって…!!」
「………謝るのはオレ達のほうだ。元々こっちが部外者だったし、勝手に入ってすまない」

だから顔を上げてくれ、と懇願されて、心の中で深呼吸してから私は顔を上げる。青八木くんは、私が頭を下げているうちに結構距離を詰めていて、その近さにまた鼓動が大きく鳴った。

「あ、……えと、……ひ、久しぶり、だね」
「………(コクリ)」
「……元気、だった?」
「………(コクリ)」

ああ、なんか、この感じ。
懐かしいな。青八木くんは、確かに口数こそ少ないけど、それでもちゃんと私が言ったことを受け取ってくれる。私の拙い言葉の欠片を、きちんと拾ってくれる。彼のそういうところが好きだったのだと思い出して、ふんわりと温かい気持ちが胸に広がる。

と、その時。

「……昇降口に、ある絵。……いつも、見てる」
「!」

それは私が今年の冬に描いて、コンクールに入賞した作品だった。えらく校長先生に気に入られて、私は嫌がったんだけど、昇降口に飾られることになったという経緯がある。

「あ……ありがとう。嫌でも目に入るよね、あの大きさじゃ……はは」

気恥ずかしくて、茶化すようにそう言って笑えば、彼はゆっくりと首を横に振った。

「すごいなと思って、見てた。毎朝、あれを見るたびに、苗字のこと思い出して……元気をもらってた」
「!! う……あ、ありがとう……」

嬉しい。
嬉しすぎて、ちょっと、どうしよう。一人だったら小躍りしてた。青八木くんにこんなこと言ってもらえるなんて、なんか夢みたいだ。

「──あ! あの、私も! 私も、青八木くんがレースで1位になって表彰されたりするの見て、元気もらってた……!」
「………ありがとう」
「う、……ん………」

ドキドキして、顔がカッカして、身体が熱くって、もうおかしくなりそう。
昔の方が、多分ずっと人見知りで口下手だったけど。でも今よりはスムーズに喋れてたと思う。好きな人と喋るってだけで、こんなに浮かれてしまうものなんだ。

「……眼鏡。外したんだな」
「え……」

そうだ。青八木くんと会ってた時って、まだ眼鏡だったんだ。
急に恥ずかしさが込上がってきて、私は俯いた。

「う、うん、半年前ぐらいかな? コンタクトにしたの……」
「…………そうか」
「……あ、青八木くんも、すごく、なんていうかその……か、かっこよくなったよね。背も伸びたし、背だけじゃなくて、なんか、オーラとか……」

な、何を口走ってるんだ私は。
言ってて、顔から火を噴きそうだった。こんなこと言われて青八木くんも困るだろう…と思ってちらりと伺えば、案の定彼の頬もほんのり朱く染まっていて、ますます焦る。

「お、女の子からよく告白されてるって噂、聞くし……! ていうか今、直に聞いちゃったし、」
「いや……」
「好きな子……いるんだね」

失言とは重なるものだ。
あっ、と思った時には、その言葉が溢れていた。

「! それは、」
「──ごめん! 今のは、で、デリカシーに欠ける発言だったね、な、なしなし」

無理に笑い声を出して、気にしないでと手をひらひらと振った。青八木くんの顔は、見れなかった。
ダメだ、これ以上喋ってても、ぼろを出すだけだ。もう帰ろう。ちょっと喋れただけで、嬉しい言葉をたくさんかけてもらえただけで、今日はもう十分だ。十分すぎるほどだ。


「あの、それじゃ、私……か、帰るね」


ぎこちなくそう言って、彼の横を通り抜けようとした、その時だ。


「──待ってくれ!」


青八木くんのこんなに大きな声、初めて聞いた。

──熱い。
手を、掴まれていた。


「……待って、くれ」


彼が絞り出すように、背後から繰り返す。声は掠れていた。

私の、手首より、もうちょっと上の辺りを、ゆうに一周してしまう彼の指。ああ、男の子の手って大きいんだな、なんて思って、多分それは現実逃避で。

「………な、なに……?」

こわごわと振り返ると、彼は自分が咄嗟にしてしまった行為に驚くみたいに、パッと手を離して、バツが悪そうに「…すまない」とぽそりと言った。

「………身体が、勝手に動いてた」
「………」

わかんない。
どういう、ことなんだろうか。彼の行動とその言葉の意味も、私の中で戸惑いよりときめきが勝ってることも、私と彼とを包んでいる空気が、少し変わったような気がするのも。わかんない、全然。

わかるのはひとつ、もう、私の心の許容量はとっくに限界超えてしまって。
グラスに入った水が、表面張力でゆらゆらしてるアレみたいに、好きだと想う気持ちが、このままだと溢れてしまいそうで。

「青、八木くん……わたし……」

声が震えてる。
もう、無理だ。あんなふうに引き止められてしまったら。もう、もう、抑えきれないよ。

──言っちゃえ。こんな、偶然が重なった奇跡みたいなシチュエーション、きっともう訪れない。
この機を逃して、想いを伝えられずに終わってしまうなら、いっそ、みじめにフラレて傷だらけになったほうが、ずっと清々しいよ。


覚悟を決めるように、ぎゅっと拳を握りしめる。そして私は顔を上げて、彼の目を見つめて、口を開いた。



「「ずっと好きだった」」



──その一瞬、何が起きたのか、分からなかった。



「……………え?」

「…………………」



互いが互いを、信じられないような顔をして、見つめ合っていた。何秒ぐらいだろう。まるであの言葉を告げたその瞬間から、すべての時が止まってしまったかのように、私達は、息も忘れて見つめ合っていた。

今。
今、確かに、私達の声は──重なった。

重なったよね?


「………うそ」
「……………」


き、奇跡だ。
こんなことって起こるんだろうか。

告白のタイミングが、被るなんて。
しかも、一言一句内容まで被るなんて。


「………あ、の、」

「………………」

「……ま、間違いがあるといけないので、確認のために、タイミングずらして、もう一回、言い合いませんか……」

「……(コクリ)」

「じゃ、じゃあ私から……青八木くんのことが、ずっと好きでした」

「……オレも、苗字のことがずっと好きだった」



「……………」
「……………」


聞き間違いじゃない……。

私の声が被らない、彼のはっきりとした「好き」という言葉に、身体からへなへなと力が抜けそうになって、慌てて足を踏ん張りなおした。

そして再び顔を上げて、彼を見据えた時──私は息を呑んだ。


「──!」


──彼を取り巻く世界のなにもかもが、綺麗だったのだ。

窓の外から差し込む斜陽が、その金髪にあたって、キラキラと光る。私を見つめる瞳は揺れて、夜空に瞬く星を映しだす水面のように、濡れている。

急に、世界の彩度が一段階上がったみたいに色付いて見えて、でもその中でも青八木くんは一際美しかった。このまま、キャンバスにこの情景を描きとめておきたいと思ってしまうぐらいには。でも、例え完成しても、そんな絵誰にも見せられないと思った。だから、私だけの心に焼き付けておこうと、何度も何度も瞬きをして。

その時。


「……綺麗だ」


うっかり、口を滑らせてしまったかと思った。

でも、それを言ったのは私じゃなくて。
目の前の、その人だった。


「あ……いや、急に、すまない。その……」

「…………」

「苗字の、瞳が……キラキラして見えて。綺麗だと思ったんだ」


照れくさそうに、彼は私から目を逸らしてそう言って。ややあってから、ただそれだけだ、と小さく付け加えた。


「…………」


──は、と小さく息を吐き出した。それは震えていた。

今まで生きてて、こんなに大きな感情に揺さぶられるようなこと、無くて。もう、何も考えられなくて、ただただ、熱いものが胸を満たしていた。その熱さはとうとう目頭まで登ってきて、じわりと滲み出した。


「いま、私も、今ね、全くおんなじこと、考えてたの……青八木くん、綺麗だな、って……」


「………!」



最初は、奇跡だと思った。

でも違う。奇跡は2回も連続して起こらない。



「……私達は、ひょっとしたら、すごく、似た物同士なのかもしれない……」



──そう、これはきっと、運命の恋だったのだ。



【リクエスト:それまで地味だったけど3年に上がって可愛くなった夢主と、青八木くんが結ばれる話】

back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -