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新開くんと美味しいもの倶楽部


キーンコーンカーンコーン。

チャイムが鳴ると、私のワクワクはピークに達する。のろりくらりとホームルームを終える担任にちょっとイライラしちゃうくらいには。

号令がかけられて、ざわつき出した教室で、私は意気揚々とリュックを持って立ち上がる。
と、いつも一緒に帰る友達が、呆れたように、茶化すように声をかけた。

「ああそうか、今日は彼氏のとこ行く日だっけね」
「だから彼氏じゃないってば。これは『部活動』なんです」

部活動は部活動でも、クラブじゃなくて、〈倶楽部〉ですが。

はいはいいってらっしゃい、とあしらうように手を振る友達にいってきますを告げて、私は教室を出る。自然と足取りは軽い。


「──新開くん!」


クラスの入り口に立って声をかけると、彼はすぐに私に気がついてくれた。駆け寄ると、「待ってたぜ」と微笑まれて、私の顔も自然と綻ぶ。

「では、始めましょーか!」
「ああ。今日もよろしく、部長」

そうして私は高らかに、我らが『美味しいもの倶楽部』その会合の第30回目開催を宣言する……。

………。
はい、順に説明すると。

ケーキ屋さんでバイトをしている私は、毎回かなりの高確率で、その日売れ残った商品や試作品のケーキを貰う。それ自体はすごくありがたいし、色んな意味で美味しいお話だ。

……が、しかし。

私もうら若き乙女。甘いものは大好きだけど、同時にそれらは乙女の天敵でもある。家族にあげるだけでは捌き切れないそのケーキ達を、一人でもっもっと食べてるうちに、私の体重は……。

……という、切実な悩みを友達に相談していたところ、『ならそれ、オレにくれないか?』と話に入ってきたのが新開くんだった。新開くんは自転車競技部で寮暮らし、なかなかそういった洋菓子にありつくことは難しい、非常にストイックな生活を送っている。(なんかカ○リーメイトみたいなやつはしょっちゅう食べてるけど。)そう、ここで私と新開くんの利害がピッタリ一致したのだ!

そして生まれたのが『美味しいもの倶楽部』である。まあ要するに、バイト先でケーキを頂いたら、その次の日に新開くんと放課後、彼の部活動が始まるまでの時間、一緒に食べるよってだけ。結局お前も食べるんかいってツッコまれそうだが、それは他ならぬ新開くんの頼みだからやむなしなのだ。ほんとだよ。


「じゃじゃーん! 今日のスイーツはエッグタルトで〜す!」


二つ横にくっつけた机の真ん中にタッパーを置いて、中からツヤツヤと魅惑的に光る表面のそれを取り出す。
うん、これがほんとの『食の玉手箱』ってやつですよ。

「美味そうだな」
「へへ、食べよ食べよ。あ、その前に乾杯!」
「乾杯?」

新開くんにエッグタルトを持たせて、私も自分のを親指と人差指とでつまんで、

「今日も美味しいスイーツにかんぱーい!」

こつんと合わせると、新開くんが「そういうことか」と吹き出した。彼が私に一足遅れて乾杯、と言うのを聞いて、一口エッグタルトを頬張る。


「〜〜〜っ! …! ……、!! ……!!!」


私は思う。
本当においしいものを食べる時、ペラペラと言葉なんて出てこないのだ。

めっちゃ美味しい!!!!
っあ〜〜……この瞬間のために生きてるって思えるような美味しさだ……!!!

と、噛めば噛むほど溢れ出る幸せをぎゅ〜っと目を瞑って味わっていると、真正面からぷっと吹き出す音が聞こえてきた。目を開けると、新開くんが心底おかしいといったふうに眉を歪めてくつくつと笑っている。

「え? どしたの?」
「いや……ほんっと苗字さんって美味そうに食うよなって思って」
「それ、毎回言ってるよね……自分では分からないんだけど、そんなに顔に出てる?」
「出てる。超出てる」

はーおもしれぇ、と目尻を拭う素振りまで見せている新開くんを見て、うぐ、と言葉に詰まる。

「なんかこう、そんなに笑われると、複雑な気持ちになる」
「なんで? 褒めてるんだけどな」
「んん……」

なんともいえない気持ちになりながら、私はまた一口タルトを頬張る。あ、めっちゃ美味い。複雑な気持ちもどっか行っちゃう。

「──お、またやってるのかお前ら」

と、不意に私達に声をかけてきたのは、去年同じクラスだった林田くんだった。

「あ、林田くん」
「なんだっけ? くいしんぼうくらぶ?」
「ちーがーうよ。美味しいもの倶楽部だよ」
「はは、わりわり。な、それなに食ってんの?」
「これはねー、エッグタルト」
「俺の分残ってないの?」
「お前は部員じゃないだろ」
「かたいな。一口でいーから」
「私の半分あげようか?」

というと、マジ!? と目を輝かせる林田くん。まあエッグタルトなら分けられないこともないしね。
いいよいいよーと答えて、私がタルトを割ろうとした時だ。

「──林田」

一瞬誰の声かと思った。
多分、その声が、新開くんにしてはちょっと低くて、冷たく響いたからだと思う。
あれ? と思って隣を見ようとしたら、急に林田くんが引きつったような笑い声を出した。

「じょ…冗談だよ。ジョーダン。なっ? 苗字さん」
「え? そうなの?」
「そーだよ、俺なにか食ってる時に『一口ちょうだい』って言ってくる連中が世界で一番嫌いなんだよな。知らなかった?」
「知らなかったよ」

手のひらクルクルかよ林田くん。
彼はそのままそそくさと私達の元から去っていった。その後ろ姿を見て首をひねっていると、新聞くんが口を開いた。

「さ、続き食おうぜ」

邪魔者はいなくなったことだし、とさらりと酷いことを言う。しかしそれを言う新開くんの微笑みは今日一番に反則級で、ドキリと心臓が鳴った。

「う、うん、そうだね」

慌てて下を向いて、照れを誤魔化すように笑う。
別に追い返すことはなかったんじゃない? ってちょっと思ったけど。なんとなく、それを言い出せない空気になってしまった。

「──あ、そうだ! 今日はおかわりもあるからね」
「ヒュウ! あがるね」

新開くんの弾む声に満足して、私はエッグタルトにかぶりついた。ざわついた胸中は、舌から伝わる糖分の暴力で押し流される。



その日の夜、新開くんからLIMEが来た。


『部長、提案なんですが』

『活動拠点を変えませんか?』


新開くんは、時折私のことを部長と呼んで茶化すことがある。まあ、クラブはクラブだしね。
改まった口調にくすりと笑いながら、私が「どういうこと?」と返信すると、


『今日の林田みたいに、邪魔が入ると活動に支障が出るし』

『要は、教室みたいな人が大勢いるところじゃなくて、二人きりになれる場所で食べない?』

『屋上とか、中庭のベンチでもいいけど』


ポツ、ポツ、ポツ、と浮かび上がるトーク。はじめから何を言うかはっきり決まってたみたいに、とても滑らかに現れた白い吹き出し。

それと対照的に、私の指はキーボードの上をうろうろと彷徨う。

(ふ、ふたりっきり………)

ざわざわ。胸の中に広がっていくモヤは、昼間感じたのと同じやつだ。

どうなんだろう。二人っきり。

新開くんは、やっぱりとてもかっこよくて。あの自転車競技部でエースなんてやってるのもあって、女子からの人気も相当高い。私の友達にもファンはいるし、知り合いにはいないけど、多分、ほんとに好きな子もたくさんいるだろう。

だから、周りに浮かれた話なんて何にもない私でも、彼と接するのは結構、気を遣うのだ。『美味しいもの倶楽部』なんて、ただお菓子を食べるだけなのにこんな仰々しい看板を打ち出してるのも、周囲の目に対する予防線に近い。私と彼はただの友達ですよって。だからみんなの前で堂々と会ってるんだよ、やましいことなんてありませんよって。

でも、ふたりきり。放課後に…。

(ほんとに付き合ってるみたいじゃん……)

そんなことを考えてしまって、ひとり顔が熱くなる。
自意識過剰、なんだろうか。ろくに恋愛の経験がないから、戸惑ってしまう。


『苗字さんが嫌ならいいけど』


「!」

そうやって考えていたところに、スッと浮上する白い吹き出し。


『嫌じゃないよ!』


……あ。
しまった、脊髄反射……。


『じゃあ決まりだな!』

『次の会合が決まったら、いつものように連絡よろしく』


直後、「よろしく」と書かれたキャラクターのスタンプが押される。おい、会話、終わっちゃったよ!

どうしようもなく、私も「了解」のスタンプを押して、脱力して自室のベットに寝そべる。

本当に、嫌なわけではない。だって、私は彼のことをもう、とっくの昔から男の子として意識しちゃってるから。
でも、それをはっきり恋だと言えるかというと、だいぶ怪しかった。それに相手が相手だから、そう軽々しく友達に打ち明けることもできない。当然新開くん本人にも隠してきた。
あと、単純に部員仲間の距離感が心地よかったんだ。

(……だめだめ、変に期待しちゃ)

私は、彼にとって都合いいスイーツ要員。
それだけだ。多分。





その後、私の期待通り……いやもしかしたなら期待とは裏腹かもしれないけど、とにかく『美味しいもの倶楽部』の活動は新開くんの教室から中庭のベンチに場所を移し、至って通常通りに開催された。


その日が来るまでは。


「──名前、話があるんだけど」

「? なに、おかーさん」

「あんた、バイト辞めなさい」

「……………………」







「──ということで、ケーキ屋さんのバイト、辞めることになりました……」

「また急だな」

「うん……今まで黙っててごめん」

顔の前で手を合わせて、私は隣に腰掛ける新開くんに向かって深く頭を下げる。

何故急にバイトを辞めることになったのか。簡潔に言うと成績がめちゃくちゃ落ちたからです。以上。
慣れ親しんだバイト先、私も辞めたくないけど、もともと勉強と両立することを約束して始めたバイトだったからこれはしょうがない。私が悪い。

「変だと思ったんだよな。苗字さん、今日会った時からずっと浮かない顔してたし。シュークリーム食ってる時はさすがに綻んでたけど、いつもみたいに幸せの絶頂! みたいな顔じゃなかったしさ」
「え。そうだったんだ……」

自分じゃ全然意識してなかったよ。
ていうか、〈幸せの絶頂! みたいな顔〉ってどんななんだろう。純粋に気になる。

「……あの、そういうことなので。多分『美味しいもの倶楽部』の会合も、今日で最後になっちゃうかと思います……ほんとうにごめんなさい……」
「苗字さんが謝ることなんて何一つないだろ。元々オレが無理言って、タダでケーキを食わせてもらってたワケなんだしな」
「! そんなこと……」
「高校生の間は無理だけど、卒業したらこの恩は別の形できっちり返すから。今までほんと、迷惑かけたな」
「め、迷惑なんかじゃないよ! 私も貰い手が無くて困ってたし、すごく助かってたんだよ、それに……!」

そこまで言って、ぐ、と言葉に詰まる。
俯いてしまった私を見かねて、新開くんが「それに?」と先を促した。

「……、それに、新開くんと仲良くなれて、こうして一緒に食べれて、楽しかった……し」

うわ。
なんか、あざといこと言っちゃってんな、私。
そんなこと言って喜ばれるような柄じゃないのに。感傷的になりすぎ。

私の言葉を受けて、「仲良くなれて、ね…」と独り言のように呟く新開くん。おそるおそる目線を上げると、彼はなんともいえない表情で、ぽつりと言った。

「……オレも、苗字さんと仲良くなれて嬉しかったよ」
「! 新開くん……」
「ま、最初っからそれが狙いだったからな」

「…………。へっ?」


間の抜けた声をあげる私に視線を移し、彼はフッと微笑んだ。


「ずっと好きだったんだよ、苗字さんのことが」

「………」


一瞬、何を言われたのかマジで理解できなかった。


「………え」

「だからさ。正直おめさんに近づくことができるなら、別に何でもよかったんだ」

「…………」

「まあ、甘いもんも好きだし、それはそれで有り難かったけど」


顔を前に戻して、実際そうとう美味かったしなーと平然と語る新開くんとは対照的に、私は先程から目をぱちぱちと瞬かせることしかできない。

え、えーと……。

「えっ……え? え、まって……え?」

告白された………んだよね? 今?
信じられなくて、馬鹿みたいにそう問い返した私に、「そうだよ」と頷く新開くん。

………。マジで?

事実をやっと受け入れて、ぽんっ!と火をつけられたみたいに顔が熱くなる。
いやいやこんなの嘘、いや冗談、いやひょっとしたら夢、

「言っとくけど、嘘でも冗談でも、夢でもないから」
「!」
「ふっ。わかりやすいよな、苗字さん」
「だだ、だ、だって、新開くんがあまりにも、その、いつも通りだから、」
「そうか? これでも結構緊張してるぜ?」
「全然見えない……」
「……でも、ちょっと意外だな。オレの気持ちなんてとっくにバレてると思った」
「ま、まさか!」

必死に首を横に振る私に、新開くんは「ふぅん?」と意味深な微笑みを見せる。

「ほんとに? 少しも思わなかったの?」
「お…思わなかったよ」
「オレがLIMEで二人きりで会うことを提案した時も? これっぽっちも変だなって思わなかったの?」
「………う、」
「──そんなこと、無いよな。それは嘘だ。だってこうやって二人きりで会うようになってから、苗字さん、露骨にオレのことを意識するようになってたし」
「………」
「嬉しかったよ。手応えはあるんだって分かってさ」

なんてことだ。
告白の返事をする前に、もう、気持ちがバレてるなんて。

悔しいのと恥ずかしいのとで、彼から顔を背けて俯いていると、「苗字さん、こっち向いてよ」と声をかけられる。

「別に取って食ったりしねぇから」

……ほんとに緊張してるのだろうか、この人。
ちょっと疑いを持ちつつ、そおっと彼の方を伺い見ようとしたら。

「!」
「やっと目が合った」

顎をクイッと持たれて、強制的に彼の方を向けさせられて、心臓が止まるかと思った。

──目が合うと、もうダメだ。

逸らすこともできない。
ただ、鼓動が恐ろしく速くて、息が苦しくて。容赦なく注がれる彼の熱っぽい視線にあてられて、何故か、腰のあたりがゾクッと疼いた。


ごくりと喉が鳴ったのは、果たしてどちらか。


「美味しそうに甘いもん食ってる時の顔も可愛いけど……照れた顔の苗字さんも死ぬほど可愛いな」

「……!」

「ほら、頬なんてリンゴみたいに真っ赤だ。ほんとに……」


彼の目が、私をじっと見つめたまま、うっとりと細められる。


「……美味そうだ」


そうして、ゆるやかに弧を描く口元からちろりと覗いた彼の舌が、何か誘うように、その分厚い唇をなぞるのを見た時。
私はようやく思い知ったのだ。

──気付かなかった。食べることに夢中だったから。私は、ずっと前から、食べる側じゃなくて、食べられる側だったんだ。

ああ、でも。
彼の顔が少しずつ近づいてきて、何をされるのか分かっても、それにぜんぜん抵抗する気が起きないこととか。
それどころかいっそのこと、食べられちゃってもいいやって思ってることとか。


たぶん、私の心はとっくの昔っから、彼の胃袋の中にあったのだ。



【リクエスト:旧三年生インターハイメンバーの誰かで、可愛くて癒されるほのぼのとしたお話】

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