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アンディとフランクに癒しを求める


放課後。自習室での「3時間座りっぱなし耐久お勉強レース」を終えた私は、ガチガチに強張った身体をほぐすようにスキップしながら、自転車競技部の部室に向かう。もうこの時間なら練習は終わっているはずだ。扉を開けて「やっほー!」と飛び込めば、首からタオルを下げた黒田がちょうどお迎えしてくれた。

「おっ、黒田。練習お疲れ様―!」
「苗字さん……ちわす。また来たんですか」
「ちょっと、またってなによ、またって」
「だって苗字さん、受験生ですよね」
「おうよ」
「ちゃんと勉強とかしてるんですか……」
「う……や、やってるよ、ほどほどには」

黒田のジト目が痛い。まあ確かに、もう数か月前にとっくに引退した自転車競技部マネが頻繁に部室に顔を出してたら、そう心配されてもおかしくないだろう。誤魔化すために、差し入れに持ってきたお菓子の大袋やその他エトセトラが入ったビニール袋を黒田に渡すと、彼の顔がパッと明るくなった。

「これ、数はそんなに無いからうまいことやってね」
「おおー、あざす」
「黒田くん、それでだね、例の人物は……」
「塔一郎ならもうすぐ更衣室から帰ってくると思いますよ。――あっ、ホラ。ちょうど帰ってきた」

黒田が指を差した方向を振り向くと、練習上がりの私の恋人、泉田塔一郎が部室に帰ってくるところだった。「苗字さんセンサーでもついてんのか、アイツ」という黒田のぼやきを受け流しつつ、私は彼に向かって大きく手を振った。

「おーい! 塔一郎っ!」
「! 苗字さん! 今日もいらしてたんですか…!」
「うん、会いたかったから、来ちゃった」

駆け寄ってそう言うと、塔一郎がややあってから「……嬉しいです」と照れたようにはにかんだ。今では立派な主将さんになってしまったけど、塔一郎はやっぱり可愛い。

「でも苗字さん……ついこの間も来てましたけど、勉強の方は大丈夫なんですか」
「う……」
「ボクも苗字さんに会いたい気持ちは同じですが……でも、今はその、勉強に集中された方が……」

私の顔色を窺いつつ、塔一郎が言いにくそうにもごもごと口を動かした。勉強、勉強、勉強。ええーいどいつもこいつも、チクチクと心に刺さることを言いやがって。

「勉強はしてます! 勉強の疲れを癒やすためにここに来てるんでしょー!?」

……まあ、本気で取り組んでいるかと問われれば、はっきりとYESと言い切れないのが正直なところだ。受験戦争は思っていたよりも厳しい。勉強もそうだけど、なによりもクラスメイトの間で繰り広げられる、「私、全然勉強やってないんだよね〜〜」というライバルへの牽制、水面下での駆け引き、情報戦。これが精神的にキツイ。クラスの中は日に日に殺伐としていき、1分でも時間が空けば単語帳を開かなければいけないような気持ちにされる………、


そんな中!! 私の唯一の癒しといえば――


「塔一郎! じゃない、アンディ、フランクぅーー!!」


と、私は叫んで、タンクトップ姿の彼に思いっきり抱き着いた。「うわっ!」と彼が動じるのにも構わず、私は彼の大胸筋、アンディとフランクに思いきり頬ずりした。

「ちょ、ちょっと苗字さん!」

「はぁ〜〜アンディ、フランク、会いたかったよ〜〜〜」

この弾力、張り、逞しさ、頑強さ! 塔一郎の身体、特に大胸筋のアンディとフランクは本当に素晴らしい。受験戦争でくたくたになった私の心と身体が癒やされる時間、それはこうやってアンディとフランクと戯れている時なのだ……。塔一郎に出会う前までは思ったことなかったけど、おそらく私は筋肉フェチってやつなのだろう。ただし塔一郎限定ね。ちなみに、変態だと言われても全然構わない。私が変態なら、この塔一郎はそれを超える変態だし。

「苗字さん、皆が見ているので、」

「うぅ……アンディ……そうなのもう私疲れたの……勉強したくないよぉ……フランク、ありがとう励ましてくれて……君達だけが私の心の支えだよぉ……」

「…………」

と、声をかければドクンドクンと両大胸筋がそれぞれ返事をしてくれる。初めは塔一郎の見よう見まねでふざけてやってたこの会話、最近は割とガチなトーンでやってる。いやね、やり続けてると段々適応してくるんだって。別にね、本気でアンディとフランクから声が聞こえてくるわけじゃないけど、そういう気分になってくるんだって。

もう着替えが済んだ後なんだろう。彼の身体からは制汗剤と汗のニオイが混じったなんともいえないニオイがする。変態と言われても構わないです、私はこのニオイが好きです。すんすんと嗅ぐようにさらに頭を押し付ける。「ふぁ〜〜……」と恍惚の溜息が漏れる。……う、自分でも気持ち悪いとは思うし、変態だとも思ってるから許してほしい。


と、その時。


「――苗字さん!」


突然両肩をガシッと掴まれたかと思うと、塔一郎は力づくで私を引き剥がした。そのまま私を見つめる彼の顔は、強張っていて眉間に皺が寄っていて。あ、まずった、さすがに怒らせちゃったかな。いや、引かれた? 今更になって焦る私。だがもう遅い。


「……苗字さんは……苗字さんは……っ!!」


塔一郎は何故か泣きそうな顔をしていて、声が震えていた。え、え、そんなに嫌だったのか、でも割と日常的にやってることだったんだけど……!? あ、もしかしてずっと嫌だったけど今までそれを言い出せずにいたのか……!? 私一応先輩だしな……! それともまだ部員がちらほらいる中でこんな風に抱き着かれたのが嫌だったんだろうか。

だがしかし。塔一郎はそんな私の想像を斜め上にぶっち切る回答を、次の瞬間言ってのけたのだった。


「―――苗字さんは、ボクと!! アンディとフランク! どちらが大事なんですか!!!」

「……………」


………なん、だと………。

一瞬、固まった。そしてその後に、あっそんなセリフをどっかのトレンディドラマで聞いたことがあるぞ〜〜……と思った。っていや、それはどーでもいい。塔一郎の顔は至極真剣で、冗談を言っているとは思えなかった。ますます困惑する私、こいつは何を言っているんだ。


「ええと、塔一郎?」

「苗字さんはボクではなくて、アンディとフランクに会いにきているんですか? いつもそうですよね、ろくにボクと会話もせずに真っ先にアンディとフランクに抱き着いて、アンディとフランクと、会話して……っ!」

「塔一郎、ちょっと待て」

「ボクとの交際は、身体目当てだったんですか!?!?」


―――だーからちょっと待てって言ってるだろうに!!!

ガッシリと掴まれている肩が痛い。そして塔一郎、君は何も意識せず言っているかもしれないけど、その最後の一言はひじょーーにまずいぞ。ほら、遠回りにこちらを窺っている部員たちからチラホラと「修羅場か?」「修羅場っぽいぞ」という声が聞こえてくる。

大体アンディとフランクは塔一郎の一部であって、アンディとフランク込みで泉田塔一郎なんじゃないのか。えっ、塔一郎の中でアンディとフランクはもはや一つの人格なのか? 付き合ってからもう3か月、いや部活を含めるともう塔一郎とは2年ぐらいの付き合いになるけど、その辺がよくわからない。ツッコんでいいのか悪いのか、何かもうそれを聞くのはタブーな気さえしている。これ、結構繊細な問題だよね、適当に答えを返したらダメだよね。ど、どーしよう。

SOS! 黒田! と近くにいた黒田に目を向けると、ヤツはその私の救助信号の視線をあっさり無視した。そしてお菓子の袋を開けると、「苗字さんから差し入れだぞー」と他の部員の元へ行ってしまった。おーいお前それは無いだろう!!


「と、塔一郎、ひとまず、落ち着こう……」


私の肩へと伸ばされている逞しい腕に、手のひらを置いた。宥めるように、ポンポン、と叩いてから、慎重に、慎重に、私は口を開いた。


「えっと。まず先にこれだけは言っておくけど、私が塔一郎と付き合ってるのは身体目当てとかそんなんじゃなくて、ただただ単純に塔一郎のことが好きだからだよ」

「………」

「アンディとフランクも、塔一郎の身体も、大好きだよ。でもね、それって塔一郎がこれまでたくさん努力してきたその結晶なわけで、私はそんな頑張り屋さんな塔一郎が大好きなんだよ。えーと……だからね、私はただ単純に筋肉が好きなわけじゃなくて、塔一郎が一生懸命育ててきた筋肉だからこそ愛おしいんだよ」


………どうだこれで。

普段の私ならもうちょっと気がきいたコメントを言えたかもしれない。ただ、勉強で酷使した頭からはこのぐらいのセリフしか出てこなかった。ごくりと唾を飲み込んでじっと塔一郎の顔を見つめる。

と、彼は、「苗字さん……!」と震える声で私の名を呼んだ。……震えは震えでも先程みたいな怒りの感情を押し殺したようなものじゃなくて、むしろ塔一郎は涙ぐんでいて―――

「う、わっ!」

あれっ、やっぱり言い方間違えたかな!? と再び焦った瞬間、私は彼の腕の中にいた。ギュウっと力強く抱きしめられて、突然のことに腑抜けた声が飛び出た。

「苗字さん、愚かな勘違いをしてしまってごめんなさい……! あなたがそんなはしたない女性でないことなんて、十分理解していたはずなのに……! つい頭に血が登ってしまって、ボクは……!」

「い、いや別に大丈夫だよ……」

「苗字さん、ボクも苗字さんのことが好きです、大好きです!」

「おお、うん、ありがと……」

塔一郎はいつも直球だ。部室のど真ん中でこんな風に愛を叫ばれて抱きしめられて、私は若干素直にそれを受け入れられない。さすがに、恥ずかしい。でも、彼の肩越しから見える風景では、黒田が部員にお菓子を配っていて、「お、修羅場潜り抜けたみたいだぞ」なんて普通に会話しているメンバーがいて。どよめいているのはあまり関わりのない1年生ぐらいなもんで。

………なら、まあ、いいか。

もう練習も終わったみたいだしね。というわけで、「私も好きだよー」と彼の言葉に答えながら、私は本日二度目のアンディとフランクとの邂逅を果たしたのだった。ああ、やっぱり塔一郎の筋肉は素晴らしい。



【リクエスト:泉田くんとラブラブする話】

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