top

田所くんの虜になる


でっかい。こわい。


それが、田所迅くんの第一印象。





―――ガタガタッ、ボスンッ、ドンッ!!!

毎朝のお決まりの音がして、机に向かって予習をしていた私の背筋がピンッと伸びる。この音は何の音かというと、私のお隣さんの田所くんが着席する音だ。まず最初のが椅子を引く音。次が鞄を地面に置く音。ちなみに、この鞄の中の面積の3分の1を占めるのが大きなお弁当であることを私は知っている。そして最後の音が、彼が椅子に腰を下ろした音。

彼の隣になった当初はいちいちビクついていたこの音にも、もう慣れてしまった。というか、今ではもうこの音を聞かなくちゃ一日が始まらないって感じさえしてる。


「た、田所くん、おはっ、おはよう……!」


「おう。おはよう、苗字!」


私の放った小さな挨拶は、何倍ものボリュームになって返ってくる。空気を震わすような大きな声とその笑顔に、私の心もじんじん震える。

はあ。田所くんは、今日も素敵だ。バレないように、こっそりとため息をつく。



私は、小さい。身体も小さければ、声も小さくて、そして小心者。あと字も小さい。だから私は、小人が巨人を恐れるような感覚で、ずっと田所くんのことが苦手だった。大きな身体に、そして大きな声の持ち主、私とは正反対である田所くんに私は畏怖していた。

でも、神様っていうのは意地悪で。なんと3年に進級して最初の席替えで、私は彼のお隣さんになってしまった。そりゃもう、狼狽えた。彼の隣にだけはなりたくないって思ってたのにこんなピンポイントでなっちゃうなんて。そうかこれがフラグっていうやつなのか。ああ、これからの私の学校生活は一体どうなっちゃうんだろう……と、今振り返るとだいぶ失礼なことを考えてたなと思うけど、その時は本気で深刻に悩んでいた。

隣になった当初。大きな音が苦手な私は、隣の田所くんが立てる音にいちいちビクビクしながら過ごしていた。友達と談笑する時の「ガハハ!」という笑い声にも、授業中居眠りしてる時のグーグーといういびきにも、そして先述した着席する時に立てる物音にも、いちいちぎょっとして肩を震わせていた。話しかけられようなもんなら、それはもう私にとって天地がひっくり返るような一大事だ。口を金魚のようにパクパクさせて、何とか言葉をひねり出して早いとこ会話を終了させなくちゃと必死だった。……うん、やっぱり今振り返るとすっごく失礼だよね。

でも、そんな私の気持ちが一変してしまう出来事が訪れる。

そう、あれは、現代文の授業の時間だった。

現代文の授業は結構好きだった。……三年生に上がる前、までは。三年生に上がって、現代文の教科担任がそれまでの人から変わった。新しく変わった教科担任は、キィキィと金属音みたいな高い声が耳につく女の先生。そして彼女は、生徒に文章を読ませる人だった。

私はとにかくあがり症で、みんなの前で文章を音読させられるなんて、もはや公開処刑に等しいと思っていた。しかも席順で回ってくるならともかく、彼女は完全にランダムで当ててくる。もう、毎回授業中は生きた心地がしなくて。……そしてとうとう、その時がやってきた。


『じゃあ、このページの5行目から……苗字さん、読んでちょうだい!』


ギクリ、と。心臓に釘が打ち込まれたみたいに、私は固まってしまった。


『……苗字さん? 早く立ちなさい!』

『――あっ、は、はひゃい!!!』


………第一声から、噛んだ。

その私の返事を聞いて、誰かがぷっと吹き出すのが聞こえた。噛んだ、そして笑われた、そのダブルコンボで早くも私はパニック状態に陥った。慌てて立ち上がって、ギクシャクとした動きで椅子を机に……ああ、動揺して椅子がうまく机にしまえない。早く読まなくちゃ。教科書を手に取る。あれ、何ページのどこからだっけ…!? 頭から抜け落ちてしまった。じゅ、授業ちゃんと聞いてたのに。どこだっけ、ヤバイ、頭が真っ白になる。

『どうしたの? 授業ちゃんと聞いてたの!?』

鋭い声に肩が震えた。聞いてたけど動揺して忘れました、なんて言えない。『すみ、すみません、』と反射で謝ると、そのまま険しい顔で『58ページの5行目!』と苛立ちを含んだ声で言われる。はや、早く読まなくちゃ。手が震えている。慌ててページを移動して、私は口を開いた。

『そ……』

あ、ヤバ、イ、声が、

『―――そ、の時のわ、私は恐ろしさの塊といいましょうか、ま…または、苦し』
『声が小さい!!!!!』
『ぴぎゃっ!』

思わず目を瞑った。誰かがまた吹き出して、今度はそれが伝染するように教室中にくすくすと笑いの波が広がる。私といえば、もう極限状態まで追い込まれて、訳も分からず教科書を強く握りしめて立っていることしかできない。誰かが『がんばれー』と冷やかすように言う。やだ、もう、死にたい。今なら安らかに逝ける。『こらっ、早く読みなさい!』と先生の甲高い声が刃物のように私を貫く。こんな状態じゃ読むものも読めないよ、ああもう、泣きそうになる。

私が震える唇をぎゅっと噛みしめた、その時だった。


『―――何がそんなに面白いんだよ?』


隣から突如声が上がって、私は浅く呼吸を止めた。

………田所くんは、デフォルト状態で、声がでかい。


『そんな風に騒ぎ立てられたら、追い詰められて読めるモンも読めなくなっちまうだろ』


そう続いた言葉に、教室が水を打ったように静まり返った。先生まで黙り込んでいる。私は、恐る恐る隣を見た。田所くんは、茫然とする私を見て、『これなら読めるだろ』と言って、へっ、と微笑んでみせた。

―――その笑顔を見て、先程までの焦燥感が消えて、ふわっと、楽な気持ちになった。それまで喉につかえていた障害物が取り除かれたような感覚がして、深く呼吸をすることができた。荒ぶっていた心臓が少し落ち着いた。
私は田所くんにコクリと頷いて、再び教科書に向き直った。さっきまでは異形の文字に見えていた文章も、ちゃんと日本語になっていた。

口を開いて声を出す。誰も、もう邪魔をする人はいなかった。田所くんのさっきの大きな声を思い出したら、私も少し大きな声が出せた。先生も先程田所くんに指摘されたことに気まずさを感じたのか、早々に私の音読は打ち切られた。

………授業が終わった後、田所くんに勇気を出して『さっきはありがとう…!』と言うと、彼は『いいってことよ』と気前よく笑った。その時私は思った。この人が大きいのは身体とか声とかだけじゃない。心も大きいんだ。

その日から私は、この田所迅くんの虜だ。



「あの…、きょ、今日もいい天気だね……!」

「そうだな。ったく、いい天気すぎるぐらいだぜ。苗字はまだ長袖のブラウスなのか、暑くねェのか?」

「うん、私は平気……あっ、そうだ、あ、仰いであげる、ね!」

部活の朝練終わりだったのか、田所くんは非常に暑そうだ。太い首筋に汗が光って見える。私は下敷きを取り出して、パタパタと田所くんに向かってそれを振る。

「ガハハ! あんがとよ!」

「うんっ!」

田所くんが気持ちよさそうにふーー、と息を吐いて目を細める。なんだか、動物園で氷を与えられて涼んでるクマさんみたいに見えて、可愛らしいなと思う。

……私は、この人のことが好きだ。全部のスケールが大きい、彼のことが大好きだ。

だから、いつか。大きな大きな彼の視界の中に、私の小さな身体が映り込むように、彼の目に留まるように。今日も精一杯声を張り上げて、いっぱい話しかけよう。


……しかし、早くもちょっと疲れてきたな。彼の巨体を冷ますには私の小さな腕をぶんぶんと大きく動かす必要があるのだ。ああこれ、明日筋肉痛になりそう……。でも、それよりなにより心がポカポカと温かい気持ちでいっぱいで、そんな幸せな気持ちを原動力に、私は必死に腕を動かした。


【リクエスト:田所さんのことを一番かっこいいと思っているヒロインと田所さん】

back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -