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銅橋くんと相合傘


(……あれ、いつの間に)


放課後、所属してる委員会の簡単な会議が済んでさあ帰ろうと廊下に出たところで、私は気がついた。ザアザアと、窓の外では雨が降りはじめている。

まあここのところ、テレビの天気予報でもいつ梅雨入りが発表されるかしきりに持ち上がっていたし、今日も午後から崩れる可能性があるって言ってたし、さして驚くこともない。私はお気に入りの緑の傘をばっちり持参していた。

そしてそのまま昇降口に向かい、下駄箱で靴に履き替えた時だった。

(ん? あれは……銅橋くん?)

特徴的な髪色と大きな身体が見えて、一発で私は気がついた。同じクラスの銅橋くんが、玄関口で立ち尽くしている。ドキリ、とした。だって、銅橋くんは、ここ最近私がずっと目で追いかけていた、言わば憧れの人だったから。

私は、小さい頃から緑色が好きだった。赤のような派手さもないし、青のような大人っぽさもないし、ピンクのような女の子らしさもないけど、でも他のどんな色よりも爽やかで、見てるだけで心が落ち着く色。そんな風に、高校二年生になった今でも緑色の小物に目が無かったりする私にとって、銅橋正清くんとの出会いは衝撃的だった。出会いっつっても同じクラスになっただけだけど。だってあんな綺麗な髪の色した人、私初めて見たから。

銅橋くんに関して、正直いい噂はあまり聞かない。短気で喧嘩っ早くて、1年の時に先輩を殴って何回か退部になってる、とかね。確かに見た目もいかついし、私も最初は怖い人なのかなと思った。でも、彼を――正確に言えば彼の頭上で煌めくグリーンの髪の毛を目で追ってるうちに、私は気がついてしまった。だってさ、本当に野蛮でおっかない人が、日直の仕事を真面目にこなしたりする? 小柄な女の子が大変そうに黒板消してるのを、助けてあげたりする?

自転車部の内情なんて知らないし、しっかり喋れてないから彼の人柄も全然わかってないけど。少なくとも私は、彼が凶暴なだけの人とは思えなかった。それどころか正直、もっと仲良くなりたいとすら感じ始めていた。

―――そんなタイミングでの、この遭遇だ。しかも、辺りに人はいない。

急に緊張してきた。私はごくんと唾を飲み込んで、ローファーを片手に彼にそっと近寄った。

「……ど、どうばしくん、なにしてるの?」

うう、緊張で喉がカラカラだ。

「あ?……苗字か」
「!!」

な。名前、覚えててくれてた……!
やばい、ニヤニヤしちゃう。頬を引き締めて、私は早口で言葉を紡ぐ。

「い、今から部活? にしてはちょっと遅いか、あっもしかして銅橋くんも今まで委員会だったの?」
「ああ。ま、今日はほぼ自主練だけどな」
「そっか……。あの、銅橋くん、ひょっとして傘忘れたの?」
「………そーだよ」

私の指摘に、銅橋くんは罰が悪そうにそうもごもごと肯定すると、「なんか文句あっかよ、」とこちらをじろりと睨んだ。うわ、さすがにこう睨まれると怖いな。慌てて首を振って否定する。ていうか私、まだ何も反応してなかったのに。結構恥ずかしかったのかな。

「自転車競技部の部室、そこそこ遠いもんね、困るよね……」
「……オレ一人ならこんな雨どうってことねェんだ。だけど今日は先輩から借りた雑誌が鞄の中に入ってっから……、さすがにそうなるとな」
「…………」
「………ンだよ、じろじろ見て」
「いや、ごめん」

やっぱり銅橋くん……真面目、だよね。
今の発言を聞いて、私はそう強く確信した。


「―――入ってく?」


その提案は、なんともスムーズに私の口を突いて出た。


「自転車競技部の部室まで、入れてってあげるよ。私の傘、大きいから。入ってきなよ」


自分自身、大胆な提案だと内心驚きつつも、さもそれが当然のように、スラスラと私は言い切った。

銅橋くんは、「ハァ?」とポカンとした表情を浮かべたあと、「――ハァ!?」とぎょっと身を竦めた。

「いや、さすがに無理だろ! オレのことなんてほっといてくれていーから、帰れよ」
「なんで無理なの? 無理じゃないよ全然。この傘大きいし。いけるって」
「……や、けども、」
「鞄の中身、濡らしたくないんでしょ? 大人しく入ってきなって! 予報だとこれからもっとひどくなるって言ってたよ。待ってても止まないよ」
「……あー、いや、そーいうことよりだな……おめェはいいのかよ」
「え?」
「そんな場面他の連中に見られたら……変な風に誤解されるかもしんねェぞ。オレは別に気にしねェけど、ホラ。女子はそーいうの嫌なんじゃねーのか」

ぷいっと私から目を逸らしてそう言うと、銅橋くんはぼそっと「……相手も相手だしな」と付け加えた。

(………銅橋くん、ひょっとして、私のこと、気遣ってくれてる……?)

そう分かった瞬間、ぐっと胸が熱くなった。
熱くなって―――私の口は、また勝手に開いていた。


「―――全然嫌じゃないよ、銅橋くん」


「………!」


「だから、しましょう!! 私と、相合傘!!」


「…………」





たくさんの雨粒が頭上で弾けては流れ落ちていく。ここ最近大活躍している鮮やかなグリーン色の傘は、今日もピシッと皺一つ無くしゃんと広がって、私と銅橋くんを水滴からプロテクトしてくれている。

「少し遠回りになっけど…」と、銅橋くんはわざわざ人がいない裏道を通って部室に向かってくれていた。はたしてその気遣いは、本当に私のためなんだろうか。銅橋くん、やっぱり嫌だったかな。気にしてないなんて言ったけど、私なんかと相合傘してるところ、見られたくなかったのかも。そう考えると、胸の端っこがちょっぴり痛む。結構強引に迫ってしまったからな。

苗字名前をやってて17年。まさかあそこまで積極的な物言いを男子にする度胸が自分にあるなんて、思ってなかった。どこで身につけたんだろうね、びっくり。

でもそのおかげで、私は憧れの銅橋くんと、こうして二人並んで歩けているわけで。しかも相合傘。銅橋くんの巨体を傘に収めなくちゃいけないこともあり、距離はかなり近い。今にも触れてしまいそうなほどだ。彼に接している方の肩が、腕が、皮膚が、なんだかひりひりと熱くなってるような感覚すら覚える。

「……こ、この分だと、今週にはもう梅雨入りするかもね」
「……だな」
「……自転車部って、雨だとどういう練習するの?」
「……ローラー台っつうのがあって、それに自転車乗っけて走るんだ。後はまァ、筋トレとかだ」
「へぇー……」
「………」
「………」

……あーもう。先程の威勢の良さもどこへやら。会話がとってもぎこちない。

そっと、隣を歩く彼を横目で伺う。ちなみに、傘を持っているのは銅橋くんだ。最初、私が差そうとしたんだけど、体格差的にキツくて代わってもらった(というか、傘をひょいっと奪われてしまった)。

………彼のこと、こんな近くで見るの、初めてだな。
本当に大きな身体。半袖から伸びる腕にはしっかり筋肉が付いてて、筋張ってて、逞しい。目線を上げると、ガッシリとした肩幅に太い首筋。目つきは鋭くて、でもその奥に宿る光は真っ直ぐだ。何か一つのことに――彼の場合自転車だけど、それに真摯に向き合ってるのが伝わってくるような、怖いぐらい綺麗で、ひりつくような野心を宿した、スポーツマンの瞳。そして、一番てっぺんにはキラキラ輝く緑色の髪の毛。私の大好きな色。

……ダメだ。うっかり視線に熱が篭ってしまいそうになって、慌てて足元に目を落とす。

と、そこで私は気が付いた。

(! 銅橋くん、歩幅、合わせてくれてる………)

――そうだ、当たり前だ。これだけ体格差があるんだもの、私の一歩と銅橋くんの一歩は、相当違うはずで。
でもそのことに、今まで気が付かなかった。銅橋くん、当たり前のように私に合わせて歩いてくれてたんだ。じーんと、私の胸は再び熱くなった。

………やだな、どうしよう。
じわじわと、爪先のほうから染め上げられていくような。色づいていくような。おそらくトキメキと称される甘酸っぱい疼きが、確かに、私の身体の内側で息づき始めている。

と、そんな時。


「……なぁ。苗字って、緑色好きなのか?」

「! ――う、うん、好き、大好き!」


ふと頭上からそんな声が降ってきたので、私は弾かれたように彼を見上げて、反射的にそう答えていた。勢いに面食らったのか、「お、おお、そうか…」と銅橋くんがパッと顔を逸らす。

しまった、やらかした。カア、と顔が熱くなる。

「あっあの……ごめん。今のはだいぶ、気持ち悪かったね……」
「や、別に気持ち悪くなんてねェよ。ちょっとビビったが。……ほんとに好きなんだな、緑」
「うん……でも、どうしてそう思ったの?」
「あ? んなの……分かんだろ、見てれば。おまえ、小物の類大体みんな緑だぞ」
「ああ、まぁ、確かにそりゃそうか」

……うーむ。そこまで分かりやすいというのも、ちょっと恥ずかしいかもしれない。いや、でも好きなものは好きだしな……。

って、ん?

(―――見てれば、って………)

今現時点で、私が身につけてる緑のものって、ほとんどない。それこそ傘ぐらいで。

ってことは……銅橋くん、学校にいる時から、私が緑色好きって認識できるぐらいには、私のこと見ててくれたのかな……?

(………いやいや、自惚れ過ぎでしょ)

うんうんと自分に言い聞かせるように頷いた。よくないぞ、私。

「……んでそんなに好きなんだよ」
「え?」
「みどり」
「ああ……んー、小さい頃から好きだったんだよね。だからうまく説明できないんだけど……ほら。見てると、心が落ち着くし。自然って感じだし。和の心って感じだし、私お茶も好きだし……」

動揺していたせいか、妙に口がペラペラと回る。あれなんか、変なこと言ってるな私。
と思ったら銅橋くんもそう思ったのか、隣りでブハッと吹き出すと、「なんか年寄りみてェだな」とからかわれてしまった。

「ちょっと! それはないよー……まあよく言われますが」
「すまねェ、ちょっと面白くて。……やっぱよく言われんのか」
「うん、言われる。小学生の頃から、苗字ババァみてぇ! ってよく言われたもんだよ。あれは傷ついたね」
「………まァ、オレも好きだけどな、緑」
「じゃなきゃそんな髪色にしないよね。だから私、銅橋くんの髪の毛もすごく好きだよ」

言ってしまってから、あっ、と思った。今日何回目かの大胆発言。何言ってんだ馬鹿、とパニックになりかけたが、それを表に出したらもっとまずい気もして、私は内心の動揺を隠して彼を見上げて二ッと微笑んだ。うまく笑えてますように。

銅橋くんは「なっ……!」と言葉に詰まると、またそっぽ向いてしまう。そして、「お前、変わってんな」とぶすっとした声が向こう側から聞こえてきた。

ちょっとだけ頬が赤く染まって見えたのは……気のせい、かな。





なんとなく会話が弾みだしたと思ったのに、楽しい時間とは早く過ぎてしまうものだ。遠回りしたなんて思えないぐらい、自転車競技部の部室はすぐだった。

「……あんがとな、ここまで入れてくれて」
「ううん、全然。ていうか入れてもらってたのは私だし」

銅橋くんは、それもそうだな、なんてちょっと笑うと、私に傘を返して、部室の外側の軒先の下に入り込んだ。おかえり、私の傘。

ここまで来ると、やはり部員らしき人からの視線も逃れられない。ちょっと離れたところにいる二人組なんて、思い切り立ち止まってこっちを伺っている。これは、早く立ち去った方がいいかも。

「ちっ、悪趣味な奴らがいやがるな……」
「はは、まあしょうがないよ」
「苗字、濡れてねェか」
「うん、私は全然―――アッ!?!?」

突然大声を上げた私に、銅橋くんが「んお、んだよ」と戸惑っている。
でもそんなの気にしてられなかった。銅橋くんの右肩は、見てすぐに分かるほどぐっしょりと濡れていたのだ。右肩っていうか、もうほぼ右半身。

「お、収まりきってなかったんだ……!!」
「ああ……そりゃこうなるだろ。最初からずっとはみ出てたぜ」
「ええ……! み、見えなかった……」
「鞄が濡れなかったんだからいーんだよ。んな顔すんな」
「っ、と、とりあえずこれで拭いて!」

私は自分の鞄からタオルハンカチを出して、銅橋くんに差し出した。

「要らねェよ、こんぐらい」
「でも……」
「どうせ部室に行きゃ山ほどタオルあるから。気にすんな」
「………。うん、そうだよね」

タオルを引っ込めて、私は俯いた。

なんだか、急に雨の音が強まった気がする。どうしてだろう。


「…………ごめんね、銅橋くん」


その勢いのある雨足に押し流されるようにして、私の口からは心の内が漏れだしていた。


「え?」

「無理やり相合傘なんてさせちゃって、嫌だったよね。しかも私浮かれてて、銅橋くんがずっと雨に打たれてるのにも気がつけなかった。ごめんね、冷たかったでしょう。ほんと、何やってんのって感じだよね……」


そこまで言い切ってから、私ははっとした。
何勝手に暗くなってるんだ、私。こんなところで少女漫画ヒロイン劇場やってる場合か、早く立ち去らないと。それが今、一番彼のためにしてあげられることでしょ…!

と、我に返った私が、無理やり笑顔を作って、「それじゃ銅橋くん、」とそそくさと別れの挨拶を切り出そうとした、その時だ。


「―――貸せよ」

「へ?」

「そのハンカチ、貸せ」

「……え、でも」

「いーから貸せっつってんだよ」

「あ、」


引ったくるように乱暴に、銅橋くんは私の手からタオルハンカチを奪った。そして、彼はそれでゴシゴシと濡れたところを拭いていく。私のハンカチはやっぱり小さくて、彼の大きな身体を拭うには完全に力不足で。でも、銅橋くんはそんなこと構わないといった感じで、一心に拭いている。

なんて声をかけていいのか分からず黙って見てると、彼は右肩を拭いながら、不意にぼそっと呟いた。


「いんだよ、別に。オレも、浮かれてたから」


「…………」


「はっ、柄でもねェか、」


そして、自嘲するみたいに鼻で笑い飛ばした。

………え? え、え。

なに、今の。浮かれてたって、どういうこと。……額面通り受け取っていいの? 銅橋くんも、私と同じように、舞い上がってたの? 嫌じゃなかったの?

固まっている私なんて意に介さず、銅橋くんは「これもミドリかよ、徹底されてんな」とひとりで笑っている。


「おい、苗字」


「――えっ、は、はいっ!」


「これ。もうずぶ濡れになっちまったから、洗って返す」


「あ、うん……」


「………だから。今度クラスで話しかけても、ビビんじゃねェぞ」


「…………」


「オイ。いいな?」


「――! う、うん……!!」


慌ててコクコクと頷く。そんな私を見て銅橋くんは満足気に微笑むと、「じゃあな」と言って、部室に入っていってしまった。

……一人残された私は、しばらくその場でポーッと立ち尽くした後、回れ右してとぼとぼと歩き出した。なんだかふわふわする。雲の上を歩いているようだ。地が足につかないってこういうことを言うんだな。


(また、お話できる。今日これっきりじゃない、今度はクラスで、向こうから話しかけてもらえる……!)


ただハンカチを返してもらうだけだろって、浮かれすぎだろって言われるかもしれないけど。でも、先程の彼の言葉には、それ以上の意味が含まれてるような気がしたんだ。彼のちょっと照れくさそうな笑顔から、私は確かに、それを感じ取ったんだ。

身体の内側が、予感でざわめいている。激しい嵐が起こる前の海原みたいに、ざわざわと波立っている。これは多分、いや紛れもなく――恋の、予感だ。


雨はまだ止みそうにない。まだ彼の手の温もりが残る傘の持ち手をぎゅっと握り締めると、それに同調したのか、心臓の奥の方もキュッと狭まった。

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